大和本草卷之十六 海牛 (ジュゴン?・ステラダイカギュウ?・キタオットセイ〔一押し〕・アザラシ類)
[やぶちゃん注:「大和本草附錄巻之一」よりのピック・アップは終わったので、これより「大和本草附錄巻之二」(PDF)に移ろうとし、そちらから水族を選び出そうと、読み進めたところが、その「獸類」の追加記載の中に、標題なしで、信濃国の犀川に住む水棲妖獣の「犀」の記載があるのを見つけた。これを電子化しようとした瞬間――実は――水棲獣類も実はやっていない――ということに気づいてしまったのであった(やったと錯覚していたが、それは「和漢三才図会」のそれと混同していたのであった)。ここは、「大和本草附錄巻之二」の作業を、一旦、中断し、改めて「大和本草巻之十六」からの水棲獸類(幻獣・妖獣を含む)ピック・アップをやらずんばならなくなってしまった。また、お付き合い申し上げる。
底本は従来通り、「学校法人中村学園図書館」公式サイト内にある宝永六(一七〇九)年版の貝原益軒「大和本草」(リンク先は目次のHTMLページ)の同巻之十六のPDF版を視認してタイプする。]
大倭艸草卷之十六 貝原篤信編錄
獸類
[やぶちゃん注:「牛」から始まり、暫く陸生動物が続く。「犀」はあって「水牛」に似ているなどとあるが、水中に住むとは記していないし、これは実在するサイの伝聞記載であるから採らない。最初に出現するのは、15コマ目の「海牛」である。]
【外】
海牛 山東志云出文登海中長丈餘紫色無角龜
足鮎尾性捷疾見人則飛入於海其膏可以燃燈
其皮可以爲弓鞬矢房
○やぶちゃんの書き下し文
【外】
海牛〔(かいぎう)〕 「山東志」に云はく、『文登の海中に出づ。長さ、丈餘。紫色、角〔(つの)〕、無し。龜の足、鮎〔(なまづ)〕の尾。性〔(しやう)〕、捷疾〔(せふしつ)〕。人を見れば、則ち、飛んで、海に入る。其の膏、以つて燈を燃〔(とも)〕すべし。其の皮、以つて弓鞬〔(きゆうけん)〕・矢房〔(やぶさ)〕と爲す。
[やぶちゃん注:哺乳綱アフリカ獣上目海牛(ジュゴン)目 Sirenia のカイギュウ類であるが、問題は語られている位置で、山東半島南側(後注参照)では、ジュゴン(海牛(ジュゴン)目ジュゴン科ジュゴン属ジュゴン Dugong dugon )の現在の棲息域には、到底、入らない。日本の南西諸島に少数のジュゴンが棲息するが、これはジュゴン分布域の北限だからである。東シナ海から黄海へ迷走した個体があったとしても、わざわざ地誌の物産の条に掲げるほど(後注参照)、頻繁にそれがあったなどというのは考え難いからである。そうなると――これはカイギュウ類の北方種で、人類が発見して僅か二十七年で多量捕獲を繰り返し、滅亡させてしまった(一七六八年頃。「登州府志」(後注参照)は一六六〇年に成立している)ジュゴン科ステラーダイカイギュウ亜科ステラーダイカイギュウ属ステラーダイカイギュウ Hydrodamalis gigas の若年個体である可能性である。同種の模式標本はベーリング島で、同種は専らベーリング海に限定棲息していたとされ、位置がこちらも離れるのだが、暖海性のジュゴンの北上を考えるよりも、恐らくは非常な古代に暖海性ジュゴン類から分岐した、寒冷適応型のステラーダイカイギュウ亜科 Hydrodamalinaeの、最後の生き残りだった彼らを登場させてやるべきだとも思うのである。ステラーダイカイギュウから搾り採られた油は臭いのしない良質の灯油となったことも記録に残っているからである(同じ海産哺乳類でも鯨油は燃焼時にかなりの臭さを感じる)。若年個体としたのは、彼らは現生カイギュウ類としては最大で、成体の体長は七メートルを超え、一説には最大八・五メートル、体重五~十二トンもあったと言われているからである。そうして、もし、これがステラーダイカイギュウであったとすれば、公的に知られているステラーダイカイギュウ発見よりも八十一年も前に漢籍に記載されていたということにもなるのである。ただ、「人を見れば、則ち、飛んで、海に入る」と言う部分は、ジュゴンやステラーダイカイギュウではあり得ず、寧ろ、角がなくて、♂に長い牙があればそれを言うだろうからして牙もなく、皮革が加工用に用いられたとなら、哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科オットセイ亜科キタオットセイ Callorhinus ursinus が現実的には無理がなく(現行では日本海を南限とする)、相応しいということになろう。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 膃肭臍(をつとせい) (キタオットセイ)」も参照されたい。また、そうなれば、食肉目イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類も当然の如く、候補として登場させないとおかしい。種は本邦周辺でも複数いるので、私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 水豹(あざらし) (アザラシ)」を見られたい。まあ、その辺りで手打ちをするのが無難かなぁ。……次の条が「海驢」でその次が「海豹」となるとね(後述)……しかも同じ「山東志」に三つ並んで出てるわけよ(後掲)……「海驢」「海豹」とくるとねぇ……こりゃトドかアシカかアザラシなわけだからねぇ……しゃあないか……ね……だけどね……アザラシを示す「海豹」も、オットセイを示す「膃肭臍」も、この後に実は条立てして出てくるんだよなぁ…………
「山東志」清代に三種の「山東通志」があるが、その内の清の学者杜詔(一六六六年~一七三六年)の編纂に成る山東地方の地誌の巻二十四に、以下の文字列を発見した。「中國哲學書電子化計劃」の影印本より起こした。
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海豹【出寧海州其大若豹文身五色叢居水涯常以一豹䕶守如雁奴之類其皮可飾鞍褥】海牛【出文登縣郡國志云不夜城有海牛島牛角紫色足似龜長丈餘尾若鮎魚性急捷見人則飛入水皮可弓鞬可燃燈】海驢【出文登縣郡國志云不夜城有海驢島上多海驢常於八九月乳産其毛可長二分其皮水不能潤可以禦水】
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先に言っておくと、益軒は本条に続けて「海驢」と「海豹」を続けて出すが、総て冒頭が「山東通志曰」となっているのである。表記漢字に若干の異同があるものの、言っているコンセプトはだいた同じである。また、さらに検索をかけた結果、発見した。「維基文庫」の「欽定古今圖書集成」の「登州府部彙考七」の「登州府物產考」のここに、「山東志云」を外した酷似した文字列を見出せた。但し、膨大な類書である「古今圖書集成」は清の康熙帝が陳夢雷(一六五一年~一七四一年)らに命じて編纂を開始し、後、雍正帝の命で明の「永楽大典」に倣って蒋廷錫(一六六九年~一七二三年)等が増補し、一七二五年に完成したもので、版本は一七二八年の原刊本があるものの流通する刊本は少なく、益軒は一七一四年に没しているから、この刊本を見ることはなかった。しかし、先の「山東通志」と比べると、表記がほぼ相同である点で、この百科事典のもとになった「登州府部彙考七」の「登州府物產考」なるものと同じ親本を益軒が見ていることは疑いがない。
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海牛 出文登海中。長丈餘、紫色、無角、足似龜、尾若鮎魚。性捷、見人則飛入於海。其膏可以燃燈、其皮可以爲弓鞬矢房。
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そもそもが、登州は唐代から明初にかけての長きに亙って、山東半島の大部分を含む現在の山東省煙台市と威海市に跨る地域に設置された広域州(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であったのである。
「文登」現在の山東省威海市文登区。山東半島東先端に近い南で海に面した地域である。
「丈餘」三メートル超え。
「龜の足、鮎〔(なまづ)〕の尾」漢名が「海牛」で、角がなく、カメの前肢に、巨大なナマズの尾のようだというのは、ジュゴンやステラーダイカイギュウの形状を非常によく説明しており、他の種ではないと断言出来るほどに的を射ているのである(リンクはそれぞれの学名のグーグル画像検索。ステラーダイカイギュウの生体写真はどこにもない)。最有力のキタオットセイは尾ではなく、明確な左右に別れた後肢が確認出来るから、逆にここでは不利である。
「捷疾」敏捷で素早いこと。
「弓鞬」弓の本体を入れる弓袋。
「矢房」箙(えびら)のような矢を入れておく袋状のものか。]
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