畔田翠山「水族志」 チヌ (クロダイ)
(一五)
チヌ 一名「クロダヒ」【備後因島】マナジ(紀州熊野九木浦勢州松坂此魚智アリテ釣緡ヲ知ル故名紀州日高郡漁人云チヌハ海ノ巫也】
形狀棘鬣ニ似テ淡黑色靑ヲ帶背ヨリ腹上ニ至リ淡黑色ノ橫斑アリ
腹白色長乄二尺ニ及ベハ橫斑去ル大和本草曰「チヌ」「タヒ」ニ似テ靑黑
色好ンテ人糞ヲ食フ故ニ人賤之㋑カイズ物類稱呼曰小ナルモノヲ
「カイズ」ト稱ス按今秋月ニ及テチヌノ子長シテ二三寸ナルヲ通テ「カ
イズ」ト云㋺黑チヌ 一名「マナジ」【勢州慥抦浦】形狀「チヌ」ニ同乄黑色ヲ帶背
ヨリ腹上ニ至リ黑條アリ腹白色餘ハ「チヌ」ニ同シ
○やぶちゃんの書き下し文
ちぬ 一名「くろだひ」【備後因島〔いんのしま〕。】。「まなじ」【紀州熊野九木浦・勢州松坂。此の魚、智ありて釣緡〔つりいと〕を知る。故に名づく。紀州日高郡、漁人云ふ、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と。】。
形狀、棘鬣〔まだひ〕に似て、淡黑色、靑を帶ぶ。背より腹の上に至り、淡黑色の橫斑あり。腹。白色。長くして二尺に及べば、橫斑、去る。「大和本草」に曰はく、『「ちぬ」、「たひ」に似て、靑黑色。好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賤〔いや〕しむ』と。
㋑「かいず」 「物類稱呼」に曰はく、『小なるものを「かいず」と稱す』と。按ずるに、今、秋月に及んで、「ちぬ」の子〔こ〕、長じて、二、三寸なるを、通じて「かいず」と云ふ。
㋺「黑ちぬ」 一名「まなじ」【勢州慥抦浦〔たしからうら〕。】。形狀、「ちぬ」に同じくして、黑色を帶び、背より腹の上に至り、黑條あり。腹、白色。餘は「ちぬ」に同じ。
[やぶちゃん注:本文はここ。これはまず、
スズキ目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属クロダイ Acanthopagrus schlegelii
としてよい(属名アカントパグルスの‘Acantho-’ はギリシャ語由来のラテン語で「棘のある」の意)が、宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)もこちらでクロダイに同定しているが、少し気になるのは次の「キチヌ」
クロダイ属キチヌ Acanthopagrus latus
で、『多く前種と混同してゐる』と注している。但し、その直後に宇井は『水族志にはハカタヂヌ一名アサギダヒとある』(太字は原本では傍点「●」、下線は傍点「ヽ」)と記しているので、問題とする必要はない(畔田がちゃんと「キチヌ」相当を別種としていると考えられる点で、という意味でである。ただ、畔田は決して厳密な分類学的視点で項を立てているわけではなく、採取した資料を網羅的に並べている傾向もあるので、絶対とは言えない)と判断した。しかし、異名に「まなじ」を挙げているのは、やはり問題がある。「マナジ」は現行、属の異なる、
ヘダイ亜科ヘダイ属ヘダイ Rhabdosargus sarba
の異名としてよく知られているからである。ただ、「マナジ」は今も一部地域で「クロダイ」の異名でもあるし、標題とする「チヌ」は今も確かなクロダイの異名であり、形状・色彩の記載からみてもクロダイとして比定同定してよいと思われる。因みに、サイト「渓流茶房エノハ亭」の「海釣りの定番魚 クロダイ・チヌの方言(地方)名」は異名を驚くほど分類的に調べ上げてあって必見なのだが、そこでやはり、「クロダイ」の異名として「マナジ」を挙げ、このクロダイとしての異名は『静岡、三重、和歌山、岡山の一部で見られる』とした上で、「マナジ」の『「マ」は岩礁周辺、「ナ」は「ノ」、「ジ」は魚を表すので』、『磯の魚を意味するとも聞いている』とあった。なるほど!
「備後因島〔いんのしま〕」現在の広島県尾道市にある因島(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。島の北側は「安芸地乗り」と呼ばれた、古くからの瀬戸内海の主要航路であった。これは四国と大島の海峡である来島海峡が瀬戸内海有数の海の難所であったため、そこを避けるように、この島近辺に航路ができたことによるもので、中世においては、かの村上水軍の拠点として、また、近世は廻船操業、近代以降は造船業と、船で栄えた島として知られる。
「紀州熊野九木浦」三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)の九木浦。九鬼水軍は戦国時代に志摩国を本拠としたことで知らているが、九鬼氏の祖は、熊野別当を務め、熊野水軍を率いた湛増に遡るという説があり、彼らは紀伊国牟婁郡九木浦(現在の三重県尾鷲市九鬼町)を根拠地とし、鎌倉時代には既に志摩国まで勢力を拡大しており、南北朝時代に志摩国の波切へ進出して、付近の豪族と戦い、滅亡させて本拠をそちらに移したとされるのである。
『智ありて釣緡〔つりいと〕を知る。故に名づく。紀州日高郡、漁人云ふ、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と』「釣緡」は音は「テウビン(チョウビン)」。「緡」には「釣り糸」の意がある。さても。この言説はすこぶる面白い! 通常、クロダイの異名のチヌは、現在の大阪湾の古名(厳密には和泉国の沿岸海域の古称で、現在の大阪湾の東部の堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る大阪湾の東沿岸一帯)であるが、ここでクロダイが豊富に採れたことによる。である「茅渟(ちぬ)の海」(その名の元由来は、一つは人皇神武天皇の兄「彦五瀬命」(ひこいつせのみこと)が戦さで傷を受け、その血がこの海に流れ込んで、「血(ち)沼(ぬ)」となったからとも、瀬戸内海から大阪湾一帯を支配していた「神知津彦命」(かみしりつひこのみこと)の別名「珍彦」(ちぬひこ)に由来するとも、また、「椎根津彦命」(しいねづひこのみこと)に基づくともされる)で、そこで獲れる代表的な魚がクロダイであったというのが定説である。しかし、この畔田のそれは「チヌ」の「チ」は「智(ち)」であって、猟師が釣糸を垂れて狙っていることを賢しくも察知してそれを避けて捕まらぬように「知(し)んぬ」、「智(ち)を以って知んぬ」とでも謂いたいような雰囲気を醸し出しているからである。しかも、それを傍証するかのように、畔田は「紀州日高郡、漁人」の直話として、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と添えているのだ! 語源説としてはちょっと異端っぽいかも知れぬが、ちょっとワクワクしてきたぞ!
「背より腹の上に至り、淡黑色の橫斑あり。腹。白色。長くして二尺に及べば、橫斑、去る」クロダイは、幼魚期には銀黒色の明瞭な横縞を六、七本有するが、成長とともにそれらは薄くなっていく。あまり知られていないが、クロダイは出世魚で、関東では、
チンチン→カイズ→クロダイ
関西では
ババタレ→チヌ→オオスケ
という風に大きさで呼称が変わる(釣り人の間では五十センチメートル以上のクロダイの巨大成魚を「トシナシ(歳なし)」と呼んで釣果の目標とすると、釣りサイトにはあった。私が言いたいのは、ここでの改名ポイントが専ら魚長にあることにある。魚体の色や文様の有意な変容がないことを意味しているからである。それがクロダイに比定出来る一要素でもあると言えるからである。
『「大和本草」に曰はく、『「ちぬ」、「たひ」に似て、靑黑色。好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賤〔いや〕しむ』と』「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」の一節。
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○海鯽(ちぬ) 「閩書」に出たり。順が「和名」に、『海鯽魚 知沼』〔と〕。鯛に似て靑黒色、好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賎〔しむ〕。「黑鯛」・「ひゑ鯛」も其の形は「海鯽」に似て、別なり。此の類、性・味共に、鯛にをとれり。佳品に非ず。
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そちらの私の注も是非、参照されたい。
「かいず」個人サイト「釣魚辞典」の「クロダイ」のページに『若魚をカイズと呼ぶ』とある。
「物類稱呼」江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山(こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。「かいず」は巻二の「動物」の「棘鬣魚(たひ)」の小見出し「烏頰魚」に出る。一度、「烏頰魚」(スミヤキ)で電子化していたのだが、忘れていたので、再度、零からやり直してしまった。以下の引用はPDFで所持する(岡島昭浩先生の電子化画像)昭和八(一九三三)年立命館出版部刊の吉澤義則撰「校本物類稱呼 諸國方言索引」に拠った。23コマ目。
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「烏頰魚 くろだひ○東武にて◦くろだひと云ひ、畿内及中國九州四國tもに◦ちぬだひと呼。 此魚、泉州茅渟浦(ちぬのうら)より多く出るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]「ちぬ」と號す。但し、「ちぬ」と「彪魚(くろだい[やぶちゃん注:ママ。])」と大に同して小く別也。然とも今混(こん)して名を呼。又小成物を◦かいずと稱す。泉貝津邊にて是をとる。因て名とす。江戶にては芝浦に多くあり[やぶちゃん注:句点なし。]
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「黑ちぬ」クロダイの異名。
「勢州慥抦浦〔たしからうら〕」三重県度会郡南伊勢町慥柄浦。]
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