怪談老の杖卷之三 慢心怪を生ず
○慢心怪を生ず
藤堂家の家士に、藤堂作兵衞といふ人あり。
力つよく、武藝に達し、容貌も魁偉なる士なり。
常に、自ら、材にほこりて、
『世にこはきものは、なき。』
と、思へる慢心ありしに、江戶屋敷にて、座敷に、ひとり、書物など讀(よみ)て居(ゐ)ければ、なげしの上に、女の首計(ばかり)ありて、
「からから」
と笑ひ居(ゐ)けり。
作兵衞、不敵の人なれば、白眼(にらみ)つけて、
「何の妖怪ぞ。」
と、
「はた」
と、ねめければ、きへうせけり。
とかくして、厠(かはや)へ行たくなりければ、ともしびを持行けるに、雪隱(せつちん)の窓より、外に、今の女の首ありて、
「けらけら」
と、笑ひけり。
その時は、少し、こはき心おこりしかど、目をふさぎて、靜(しづか)に用事を達し、立出(たちいで)て手を洗ひ、座敷になをり[やぶちゃん注:ママ。]しは、覺えけれども、昏沈(こんぢん)して、其後(そののち)の事を、覺えず。
傍(そば)につかふ者共、見付て、いろいろ、介抱して、正氣づきぬ。
夫より、慢氣する心をば、持(もた)ざりけり。
「そののちは、なにも、あやしき事はなかりし。」
と、いへり。
作兵衞、直(ぢき)の物語りなり。
[やぶちゃん注:短篇ながら、実話怪談としての殆んどの必要条件の実証要素を含んだ優れものである。実在する藤堂家で、しかも藤堂を名乗る主家筋に家臣の、直接の聴き取りである。彼のいる屋敷(次注参照)が孰れかがしっかりと示されていれば、完璧だった。
「藤堂家の家士に、藤堂作兵衞といふ人あり」「藤堂家」と言えば、伊勢安濃(あの)郡安濃津(あのつ:現在の三重県津市)にあった津(つ)藩の当主が有名。そうして、ズバリ、その重臣の家系に藤堂作兵衛家があるのである。初代藩主藤堂高虎(弘治二(一五五六)年~寛永七(一六三〇)年)の母方の従兄弟(高虎の叔母が忠光の父箕浦忠秀の妻)であった藤堂作兵衛忠光を初代とする。サイト「藤堂高虎 藤堂高虎とその家臣」のこちらによれば、『箕浦氏は、近江国箕浦庄に拠った国人で、高虎の出身地とは近いため』、『縁戚関係を結んだものと思われます』。『忠光は当初、織田信忠や寺西筑後守に仕えましたが、高虎が紀伊国粉河城主となったときにその家臣となります。以後、忠光は朝鮮役や関が原戦で戦功を挙げ、高虎から侍組を預けられて士大将となります。大坂の陣にも高虎の信頼する重臣として出陣の命を受け取りますが、惜しい哉、病に倒れ、慶長十九年十月死去しました』。『忠光には兄と弟がいました。兄の箕浦大内蔵忠重は早くから明智光秀に仕え、本能寺の変に際しては寺内に突入して勇戦しますが、明智家の滅亡により流浪。後に豊臣秀長、秀保に仕え、大和中納言家断絶後は浅野長政に仕えています。末弟の箕浦少内家次は忠光と同じく高虎に仕えました』。『忠光の死去後、嫡子・忠久が家督を継ぎ、大坂冬の陣に叔父・家次の補佐を受けて父の侍組を率いて従軍、翌年は新七郎良勝の相備として出陣しています。但し忠久は病弱であった模様で士大将の職を自ら辞しています。高虎は信頼する忠光の長男でもあり、何処にでも療養に行く』よう、『懇ろの扱いとしましたが、寛永六年』、『若くして病死しました』。『忠久の嫡子・忠季は未だ幼少で勤務には早かったため禄高は半減し五百石とされましたが、高虎はこの幼い後継者が心配だった様で、自らの娘と婚約させています』とあり、下方の系図では、第四代藤堂作兵衛光狎(読み不詳)まで記されてある。この直系と見て間違いあるまい。なお、私などは「藤堂家」というと、直ちに津藩重臣藤堂修理家(初代藤堂長則)を思い出す。長則は上野城内の二の丸に屋敷を与えられて藩主家に仕えたが、この藤堂修理家こそが松尾芭蕉の実家(少なくとも芭蕉出生当時は大分以前から農民であった)が仕えた主家であったからである。なお、津藩上屋敷は東京都千代田区神田和泉町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)にあった。地図上の「神田和泉町」のほぼ西三分の二近くがそこであった。下屋敷ならば現在の駒込四~五丁目でかなり広大であった(北西では現在の染井霊園を殆んど呑み込んでいる。ロケーションとして後者の方がいいな。私は特異的にこの附近に詳しいのである。私の古いフェイク小説「こゝろ佚文」の写真は染井霊園である。因みに、その奥の東京都豊島区巣鴨五丁目に慈眼寺という寺があろう。芥川龍之介の墓がある(サイド・パネルの写真)。私はこの座布団一枚分の大きさ(龍之介が生前に盟友で画家の小穴隆一に託したもので、小穴がデザインした)の墓を、私は大学を卒業した直後に、お参りし、墓もごしごしと洗ったのだった。
「昏沈」(こんじん)は実は仏教用語でサンスクリット語に由来する仏教で説く煩悩の一つを指し、「心の沈鬱」・「心が上手く機能していないこと」・「心身が物憂いこと」・「塞ぎ込むこと」で、心を沈鬱で不活発な状態にさせる心理作用やそうした状態を指す。ここは、しかし、記憶を失って失神しているのだから、昏倒の意でよい。]