「大和本草卷之三」の「金玉土石」類より「珊瑚」 (刺胞動物門花虫綱 Anthozoa の内の固い骨格を発達させるサンゴ類)
蘓頌曰生海底作枝柯狀明潤如紅玉宗奭
曰珊瑚有紅油色者細縱文可愛無縱文爲下品
時珍曰珊瑚生海底五七株成林謂之珊瑚林頌
曰有枝無葉生海底作枝柯狀宗奭曰有珊瑚枝幹
交錯高三四尺○篤信嘗見自吾本州海中所獲
叢生乎石上數寸之間而有根株十數條高者四
五寸各有枝柯二三朶者低一二寸其最低四五
分者亦多矣堅而如玉石如竹筍之生有遲速有
長短者每條多節色如白玉節間皆有細縱文
而周遍無空處如人工刻縷而成者疑是是珊瑚琅
玕之苗僅數寸故未成紅碧色者也
○やぶちゃんの書き下し文
蘓頌〔(そしよう)〕曰はく、『海底に生じて、枝柯〔(しか)〕の狀〔(かたち)〕を作〔(な)〕す。明潤にして、紅玉のごとし。』と。宗奭〔(そうせき)〕曰はく、『珊瑚、紅油色の者、有り。細〔き〕縱〔の〕文〔(もん)〕、愛すべし。縱文無きを下品と爲す。』と。時珍曰はく、『珊瑚、海底に生ず。五。七株、林を成し、之れを「珊瑚林」と謂ふ。』と。頌曰はく、『枝、有りて、葉、無く、海底に生じ、枝柯の狀を作す。』と[やぶちゃん注:重複はママ。]。宗奭が曰はく、『珊瑚、枝幹、交錯し、高さ、三、四尺。』と。
○篤信、嘗つて見る、吾が本州の海中より、獲〔れるを〕。石上〔せきしやう〕〕數寸の間〔(かん)〕に叢生し、根株、十數條、有り。高き者、四、五寸。各〔(おのおの)〕、枝柯、二、三朶〔(だ)〕有り。低き者、一、二寸。其の最も低〔きは〕、四、五分の者、亦、多し。堅くして、玉石のごとし。竹筍〔(ちくじゆん)〕の生ずる〔に〕、遲速、有り、長短、有るがごとく〔ん〕ば、每條、節〔(ふし)〕、多く、色、白玉のごとし。節の間、皆、細き縱文有りて周遍〔(しうへん/あまねくめぐら)〕す。空處〔くうしよ〕、無く、人工の刻縷〔(こくらう)〕して成れる者のごとし。疑ふらくは是れ、珊瑚琅玕〔(らうかん)〕の苗〔(なへ)ならんか〕。僅か數寸。故に未だ紅碧色を成さざる者なり。
[やぶちゃん注:刺胞動物門 Cnidaria 花虫綱 Anthozoa の内で、有意な石灰質の骨格を形成する種類の総称。現生種は、
花虫綱八方サンゴ亜綱ヤギ目サンゴ科 Coralliidae
及び、
花虫綱六放サンゴ亜綱 Hexacoralli
に含まれるものが殆んどである。
八放サンゴ類のポリプは八個の触手と隔膜とを特徴とし、円筒形を成し、共肉内に埋まって群体を形成する。ポリプの口の下部には胃と体腔の分化していない腔腸(クラゲ・サンゴ・イソギンチャクなどの口に続く有意な機能分化が、一見、見られない袋状の器官。消化器と循環器の双方の働きをする。旧「腔腸動物門 Coelenterata」はクラゲ・サンゴ・イソギンチャクを含む刺胞動物とクシクラゲなどを含む有櫛(ゆうしつ)動物を纏めたタクソン(taxon:「分類群」の単数形)として門を形成しさせていたが、この二つのタクサ(taxa:「分類群」の複数形)を、それぞれ独立の門とする立場が有力となり、実は現在は使われることが少なくなった)があり、口は排出腔としても働く。受精は通常、海水中で行われ、受精卵は浮遊性のプラヌラ幼生を経て、着生生活に入り、その後は芽生によって成長する。ここで挙げられている装飾品として珍重される珊瑚或いはそれに似たものは、群体の分泌した石灰質(炭酸カルシュウム)の骨格で、本邦では、
Paracorallium 属アカサンゴ Paracorallium japonicum
Corallium 属モモイロサンゴ Corallium elatius
Corallium 属シロサンゴ Corallium konojoi
などが知られ、日本近海では四国沖・九州西部・小笠原・南西諸島の数十メートルから数百メートルの海底の岩石等に着生する。サンゴ網で採取され、宝飾品などに利用される。
六放サンゴ類は六乃至その倍数の触手・隔膜を持つことを特徴とし、サンゴ礁を形成する、
花虫綱イシサンゴ目 Scleractinia のイシサンゴ類(Hard coral:ハード・コーラル)
は、これに含まれ、一般に暖海の浅海底に棲息し、種類が多い。また、群体を作らない深海性の種も知られる。サンゴ類はオルドビス紀(Ordovician period:地質時代の古生代前期における区分で、約4億8830万年前から約4億4370万年前までを指す。カンブリア紀(Cambrian period:約5億4200万年前を開始期とする)の後)は以来、地質時代に広く存在し、示準化石として重要なものも多い(主文は概ね平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。
「蘓頌」(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。一〇四二年に進士に登第した。北宋で最高の機械学者であったとされ、第七代皇帝哲宗の命を受け、世界最初の天文時計「水運儀象台」を設計し、一〇九二年にそれが竣工すると、彼は丞相に任ぜられている。一〇九七年、退官。以下の他の引用もそうだが、どれも「本草綱目」の巻第八の「金石之二」の「珊瑚」から抜粋したものであるが、益軒は、ものによって、かなりの省略や継ぎ接ぎを行っているので、注意が必要である(ダブりもその悪しき結果である)。原文は以下。
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頌曰、「今廣州亦有、云生海底作枝柯狀、明潤如紅玉、中多有孔、亦有無孔者、枝柯多者更難得、采無時。謹按「海中經」云、『取珊瑚、先作鐵網沉水底、珊瑚貫中而生、歲高三二尺、有枝無葉、因絞網出之、皆摧折在網中、故難得完好者。不知今之取者、果爾否。漢積翠池中、有珊瑚高一丈二尺、一本三柯、上有四百六十三條、云是南越王趙佗所獻、夜有光景。晉石崇家有珊瑚高六、七尺。今並不聞有此高碩者。
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「枝柯」本来は「木の枝」の意。「柯」は「枝」に同じか、或いは「枝」よりも太いものを言うように思われる。
「宗奭」既出既注。「新編類要図註本草」と踏んで調べたところ、「宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧」のこちらの巻第三の「珊瑚」が親本である。上部の第「4」を開き、下部中央の「□□□」ボタンをクリックしてページ表示を開き、「p.34」で当該部が読める。次のページが元であるが、時珍自身が切り張りと書き変えをしていることが判る(益軒より遙かにマシ)。「本草綱目」の引用は以下。比較されたい。
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宗奭曰、「珊瑚有紅油色者、細縱紋可愛。有如鉛丹色者、無縱紋、爲下品。入藥用紅油色者。波斯國海中有珊瑚洲、海人乘大舶墮鐵網水底取之。珊瑚初生磐石上、白如菌、一歲而黃、三歲變赤、枝幹交錯、高三、四尺。人沒水以鐵發其根、系網舶上、絞而出之、失時不取則腐蠹。
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「時珍曰はく……」以下。
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時珍曰、『珊瑚生海底、五、七株成林、謂之珊瑚林。居水中直而軟、見風日則曲而硬、變紅色者爲上、漢趙佗謂之火樹是也。亦有黑色者不佳、碧色者亦良。昔人謂碧者爲靑琅、俱可作珠。許慎「說文」云、「珊瑚色赤、或生於海、或生於山。據此說、則生於海者爲珊瑚、生於山者爲琅玕、尤可徵矣。互見琅玕下。
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最後の「琅玕」は「本草綱目」の「珊瑚」の前に示されてある。「大和本草」では、この「珊瑚」の後に「靑琅玕」として条立てしている。この「大和本草」の「靑琅玕」では、漢籍でも、その起原を海産と主張する者、陸産(陸地或いは山中から出土)する者の意見の錯綜が記されてあり、珊瑚由来とする説もあって、益軒も困って、陸・海ともに産するのが妥当であろうと終わっている。しかし、現在、少なくとも、本邦では「翡翠石」(ヒスイ)の最上質のもの、或いは「トルコ石」又は「鍾乳状孔雀石」或いは青色の樹枝状を呈した「玉滴石」と比定するのが妥当と考えられている(個人サイト「鉱物たちの庭」の「ひすいの話6-20世紀以降の商名と商流情報メモ」に拠った)から、私は「水族」として認めず、電子化しないこととした。但し、「靑琅玕」の中には、日中ともに珊瑚が一部で含まれていた可能性は極めて高いとは思われる。
「篤信」益軒の本名。
「竹筍」竹或いは筍(たけのこ)状に形成されること。
以上を以って「卷之三」からのピック・アップを終わり、中途の「卷之十六」に戻る。]
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