怪談老の杖卷之三 狸寶劍をあたふ / 怪談老の杖卷之三~了
○狸寶劍をあたふ
豐後の國の家中に、名字は忘れたり、賴母といふ人あり、武勇のほまれありて、名高き人なり。
その城下に化ものやしきあり、十四、五年もあきやしきにてありしを、
「拜領して住居仕度(すまゐしたき)。」
段、領主へ願はれければ、早速、給はりけり。
後に山をおひ、南の方、ながれ川ありて、面白き所なれば、人夫を入れて、修理(しゆり)おもふ儘に調ひて、引うつりけるが、まづその身ばかり引(ひき)こして、樣子を伺がひける。
勝手に、大いろり、切りて、木を多くたき、小豆がゆを煮て、家來にも、くはせ、我も喰ひ居たり。
未だ、建具などは、なかりければ、座敷も取はらひて、一目に見渡さるゝ樣なりしに、雨戶をあけて、背の高さ、八尺ばかりなる法師、出來れり。
賴母は、少もさわがず、
『いかゞするぞ。』
と、おもひ、主從、聲もせず、さあらぬ體(てい)にて見て居ければ、いろりへ來りて、
「むず」
と座しけり。
賴母は、
『いかなるものゝ、人にばけて來りしや。』
とおもひければ、
「ぼうづ[やぶちゃん注:ママ。]は、いづ方の物なるや。此やしきは、我れ、此度(このたび)拜領して、うつり住むなり。さだめて其方は此地にすむものなるべし。領主の命なれば、はや、某(それがし)が家舗に相違なし。其方さへ、申分(まうしぶん)なくば、我等に於てはかまひなし。徒然(つれづれ)なる時は、いつにても、來りて話せ。相手になりてやらん。」
と云ひければ、かの法師、おもひの外に居なほりて、手をつき、
「奉畏(かしこみたてまつり)し。」
と、いひて、大に敬(うやま)ふ體(てい)なり。
賴母は、
『さもあらん。』
と、おもひて、
「近々、女房どもをも、引つれてうつるなり。かならず、さまたげをなすべからず。」
と、いひければ、
「少しも不調法は致し申まじ。なにとぞ、御憐愍(ごれんびん)にあづかり、生涯を、おくり申度(まうしたし)。」
と、いひければ、
「心得たり。氣遣ひなせそ。」
といふに、いかにも、うれしげなる體(てい)なり。
「每晚、はなしに來(きた)れよ。」
と、いひければ、
「難ㇾ有存候。」
とて、その夜は歸りにけり。
あけの日、人の尋ねければ、
「何もかはりたる事なし。」
と答へ、家來へも、口留したりける。
「もはや氣遣なし。」
とて、妻子をもむかへける。
かゝる人のつまとなれる人とて、妻女も心は剛(かう)なりけり。
あすの夜も、また、來りて、いろいろ、ふる事など、語りきかせけるに、古戰場の物語などは、誠にその時に臨みて、まのあたり、見聞するが如く、後は座頭などの、夜伽するが如く、來らぬ夜は、よびにもやらまほしき程なり[やぶちゃん注:「程なり」は底本では「樣なり」であるが、所持する版本の表記のこちらの方が文意には相応しいので、そちらを採った。]。
然れども、いづ方より來(きた)るとも、問はず、語らず、すましける、あるじの心こそ不敵なりける。
のちには、夏冬の衣類は、みな、妻女かたより、おくりけり。
かくして、三とせばかりも過ぎけるが、ある夜、いつよりはうちしめりて、折ふし、なみだぐみけるけしきなりければ、賴母、あやしみて、
「御坊は、何ゆへ、今宵は物おもはしげなるや。」
と問はれければ、
「ふと、まいり奉しより、是まで、御慈悲をくはへ下(くださ)れつるありがたさ、中々、言葉には、つき申さず。しかるに、わたくし事、はや、命數つきて、一兩日の内には、命、終り申なり。夫につき、わたくし子孫、おほく、此山のうちにをり候が、私(わたくし)死後も、相かはらず、御(ご)れんみんを願ひ奉るなり。誠に、かく、あやしき姿にも、おぢさせ給はで、御ふたりともに、めぐみおはします御こゝろこそ、報じても、報じがたく、恐ながら、御なごりをしくこそ存候。」
とて、なきけり。
夫婦も、なみだにくれてありけるが、彼(かの)法師、立(たち)あがりて、
「子ども、御目見えいたさせ度(た)しと、庭へ、よびよせおき申候。」
とて、障子を開きければ、月影に數十疋のたぬきども、あつまり、首をうなだれて敬ふ體也。
かの法師、
「かれらが事、ひとへに賴みあぐる。」
と、いひければ、賴母、高聲(かうせい)に、
「きづかひするな。我等、めをかけてやらん。」
と云ひければ、うれしげにて、皆々、山の方へ行ぬ。
法師も歸らんとしけるが、
「一大事を忘れたり。わたくし、持傳へし刀あり。何とぞ、さし上げ申たし。」
と、いひて、歸りけり。
一兩日過(すぎ)て、賴母、上の山へ行(ゆき)てみければ、いくとせ、ふりしともしらぬたぬきの、毛などは、みな、ぬけたるが、死(しし)いたり。
傍(かたはら)に、竹の皮にてつゝみたる長きものあり。
是、則(すなはち)、「おくらん」と云へる刀なり。
ぬき見るに、その光(ひかり)、爛々として、新(あらた)に砥(とぎ)より出(いだした)るがごとし。
誠に無類の寶劍なり。
依ㇾ之、賴母、つぶさに、その趣きを書(かき)つけて、領主へ獻上せられければ、殊に以(もつて)御感(ぎよかん)ありけり。
今、その刀は中川家の重寶となれり。
[やぶちゃん注:「中川家」江戸時代の豊後国(現在の大分県の一部)にあった岡藩(藩庁は岡城(現在の大分県竹田竹田。グーグル・マップ・データ)は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた中川清秀の子で播磨国三木城主であった中川秀成が、文禄三(一五九四)年に岡城に入封し、彼は「関ヶ原の戦い」で東軍に属したため、徳川家康より所領を安堵され、一度の移封もなく、廃藩置県まで中川氏が藩主として存続した。本書では、有意に古い時代の設定をしたものがないから、この頼母なる人物も岡藩藩士と読んで、特段、問題はあるまい。]