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2021/03/15

甲子夜話卷之六 30 婦女の便所へ行を憚りと云事

6―30 婦女の便所へ行を憚りと云事

婦女の便所へ行に、手水にゆくと云は、小用のことは避て手を洗ふと計に申成すこと、體を得たる詞也。近頃は憚りにゆくとも云。其さして云を憚る意なるべし。「左傳」襄十五年、師慧過、將ニスㇾ私セント焉。其相、朝也。慧、無ㇾ人焉。相、朝也。何ランㇾ人。注曰。私小便、師慧樂師也と記せしを以見れば、其頃も便所にゆくには、人陰にゆきて見晴の處にはあらざる故なり。ある日此事を林氏に咄合ければ、林氏云、「漢書」に更衣とあるも、便所のことを語を淸く換て云たるなり。廁へ行には冠裳等脫して入り、出て原服を着れば、もとより更衣するなり。その詞を用て聞へる[やぶちゃん注:ママ。]やうに云る文章也。又、「越絕書」には起居と云たり。起-道傍と見へて、これは泄瀉して道ばたに便せる語を換て云にぞありける。

■やぶちゃんの呟き

「手水」「てうづ」(ちょうず)。

「計」「ばかり」。

「申成す」「まうしなす」。

「體」「てい」。

「其さして云を憚る」「それ、指して云ふをはばかる」。

『「左傳」襄十五年……』「注に曰く、『私は小便なり。師慧は樂師なり。』と。」は後代の注。大修館書店「廣漢和辭典」には⑬として『ゆばり。ゆばりする』とあって、まさにこの「春秋左氏伝」のこの部分が引かれてある。但し、静山は後半の大事な部分をカットしてしまっている。以下にソリッドに示す。師慧は宋に逃げた「鄭(てい)の尉氏・司(し)氏の乱」の残党との交換交渉で、鄭から宋に護送された盲目の楽師であった。会話の相手は「相」とは障碍者である彼の扶助役(介添え役)を指す一般名詞である。

   *

 師慧過宋朝、將私焉。私、小便。其相曰、朝也。慧曰、無人焉。相曰、朝也。何故無人。慧曰、必無人焉。若猶有人、豈其以千乘之相、易淫樂之矇。必無人焉故也。子罕聞之、固請而歸之。

   *

静山の訓点は不全なので従わず、全部を我流で訓読しておく(一九八九年岩波文庫刊の小倉芳彦氏の現代語訳を一部で参考にした。注も同じ)。

   *

 師慧(しけい)、宋の朝(てう)[やぶちゃん注:朝廷。]を過ぐ。將に私(ゆばり)せんとす。其の相(しやう)の曰く、

「朝(てう)なり。」

と。慧日く、

「人、無し。」[やぶちゃん注:「人はいないからね。」。]

と。相曰く、

「朝なり。何の故に、人、無からんや。」[やぶちゃん注:反語。「宋の御殿ですぞ!?人がいないなんてありえませんよ!」。]

と。慧曰く、

「必ず、人、無からん。若(も)し、猶ほ、人、有らば、豈に、其れ、千乘の相(しやう)を以て[やぶちゃん注:立派な一国(鄭)の宰相らの要請だからと言って。]、淫樂の矇(まう)と易(か)へんや[やぶちゃん注:反語。「賤しい盲目の芸人と反乱軍のメンバーを交換するなどということがあろうはずがない」。]。必ず、人、無きが故なり。」

と。

 子罕[やぶちゃん注:宋の高官(司城職)。]、之れを聞き、固く[やぶちゃん注:宋公。]請ひて、之れ[やぶちゃん注:師慧。]を歸す。

   *

「人陰」「ひとかげ」。人から見えない場所。

「見晴」「みはらし」。

「林氏」お馴染みの静山の友人である林述斎。

「咄合」「はなしあひ」。

「漢書」前漢の歴史を紀伝体で記した歴史書。八〇年頃成立。後漢の班固が撰し、妹の班昭らが補った。全百二十巻。後世の史書の模範とされた。

「更衣」確かに中文サイトの辞典に「便所へ行くこと」を避けるための婉曲表現とあった。

「語を淸く換て云たるなり」「ごを、きよく、かへて、いひたるなり」。

「冠裳等」「かんむり・もすそなど」。

「その詞を用て聞へる」(ママ)「やうに云る文章也」その言い換えの特定の語句を用いて、暗に解るように言った文章なのである。

「越絕書」(えつぜつしよ)は後漢初期に書かれた春秋戦国時代の呉(紀元前五八五年頃~ 紀元前四七三年)と越(紀元前六〇〇年頃~紀元前三〇六年)に関する書物。現行本は十五巻。同じく呉と越を扱った後漢の書に「呉越春秋」があり、内容も多く重なるが、成立年代は「越絶書」の方が早く、「呉越春秋」の記事の中には、この「越絶書」を元にした箇所が多くあるとされる。著者は呉越の無名の賢人とも、或いは、孔門十哲の一人子貢や呉王夫差によって遺体を辱められた悲劇の忠臣伍子胥などが挙げられている。成立年代は西暦五二年前後とされる。

「起居」「ききよ」。辞書等では確認出来なかったが、富士敬司郎氏のサイト「たまねぎ地獄」の「日本のトイレ」の「トイレの隠語」の中にあった。この章、なかなか面白いので、全部を引用させて戴く。

   《引用開始》

日本はトイレにさまざまな隠語を作ったことで知られます。ざっと挙げただけでも次のようなものがあります。

樋屋(といや)、厠(かわや)、廁(かわや)、川屋(かわや)、閑所、閑考所、隠所、装物所(よそものどころ)、鬢所(びんじょ)、便所、雪隠、雪陣、雪陳、青椿(せいちん)、惣雪隠(そうせっちん)、思按所、分別所、洗所(せんちょ)、大便所(だいへんちょ)、小便所(しょうせんちょ)、後架、更衣室、起居[やぶちゃん注:☜ここ。]、用達所、用立所、手洗、手水所(ちょうずしょ)、手水場(ちょうずば)、風呂、風呂屋、フール、せんだぶく、いきがめ、川便所、はばかり、不浄、御不浄、化粧室、山、お山、渡辺、おばさん、ばばから、つめ、遠方、杉屋、東司(とうす)、おとう(東司の隠語、皇室用語)、西浄、東浄、登司、毛司、茅司、洒浄(せんじょう)、高野山、持浄、流廁、廁院、軒、背屋、かど、WC、トイレ、etc

人前でトイレの話題を出すことがはばかられる接客業などでは、「雉(きじ)撃ちに行く」「花摘みに行く」「遠方に行く」などの言葉を使います。変わったところでは、大手百貨店Tの「仁久」というのがあります。「仁」は「4」、「久」は「~を重ねる」の意味で、つまりは「シーシー」というわけです。同じ理由で、香具師(やし)の間では「十六」と言うのが流行りました。「シーシー十六」というシャレです。

「雪隠(せっちん)」の語源については諸説あるようで、一般的には、鎌倉時代に「霊隠寺(禅宗)」の雪宝和尚が、トイレの中で大悟(さとり)を開いたことから、「霊隠寺」の「隠」、「雪宝和尚」の「雪」で「雪隠」と呼ぶようになった、という話が伝えられてますが、これには異論もあり、「青椿(せいちん)」がなまったという説もあるようです。

椿(つばき)は別名「避邪香」と呼ばれ、非常に匂いの強い植物です。また、葉も大きく、冬になってもその葉を落としません。そのため、トイレを覆い隠すのによく使われたのです。現在も旧家のトイレの周辺には、椿をはじめとする常緑樹が植えられていることが多いそうです。

「東司(とうす)」は寺院でよく使われる隠語です。禅寺のトイレが、主に東側に作られていたことからのネーミングですが、なぜか不思議なことに、北にあっても、西・南にあっても「東司」と呼ばれます。別の名で呼ぶ必要がある場合には、西は「西浄」、南は「登司」、北は「雪隠」などの呼称を使います。東側に作ることが多いのは、西側に作ると直射日光で排泄物が腐敗し、ウジが大発生することが多いからとも言われています。

   《引用終了》

「起-道傍」「道の傍らに起居(ききよ)す」。但し、「越絕書」を見てみたが、どうも見当たらない。

「泄瀉」(せつしや)は通常は下痢・腹下(はらくだ)しを謂う。

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