大和本草附錄巻之二 魚類 海女 (人魚)
海女 海中ニマレニアリ半身以上ハ女人ニテ半身以
下ハ魚身ナリ其骨下血ヲ止ル妙藥ナリ世ニ人魚
ト云者是歟蠻語ニ其名ヘイシムレルト云
○やぶちゃんの書き下し文
海女 海中にまれにあり。半身以上は女人にて、半身以下は魚身なり。其の骨、下血を止むる妙藥なり。世に「人魚」と云ふ者、是れか。蠻語に其の名「ヘイシムレル」と云ふ。
[やぶちゃん注:標題は「かいぢよ」と読んでおく。私の愛する「人魚」である。私のものでは、人魚のミイラの画像から、西洋博物書の画像もとりいれて最も考証を尽くした『毛利梅園「梅園魚譜」 人魚』(二〇一五年六月一日公開記事)がよく、次に拘ったものは同じく人魚のミイラの精緻な寸法まで換算した『人魚(松森胤保「両羽博物図譜」より)』(二〇一八年五月一日公開記事)がお薦めである。また、民俗学的博物考証としては、やはり私の古い電子テクストである南方熊楠「人魚の話」(二〇〇六年九月十日サイト内公開)も参照されたい。そこで、熊楠は以下に示す良安「和漢三才図会」の記載を引いたところで、『倍以之牟礼(へいしむれ)(ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の義なり)』と補注している。その原文は私の古い電子化注である寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」(二〇〇八年二月二日サイト内公開完結)を参照されたいが、ここでは、その「にんぎよ 人魚」の訓読文を転載する。
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にんぎよ 鯪魚
人魚
ジン イユイ
「和名抄」に「兼名苑」を引きて云ふ、『人魚【一名、鯪魚。】魚の身、人の面なる者なり。』と。
「本綱」に「稽神録」を引きて云ふ、『謝仲玉といふ者有り、婦人の水中に出没するを見る。腰より已下は青魚なり。又、査道と云ふ者有り、高麗に奉使して海沙中に一婦人を見る。肘の後に紅き鬛有りと。二物、其れ、是れ人魚なり。』と。
推古帝二十七年、攝州堀江に物有り、罟(あみ)に入る。其の形、兒のごとく、魚に非ず、人に非ず、名づく所を知らず云云。今も亦、西海大洋の中に間(まゝ)之有り。頭、婦女に似て以下は魚の身。麤(あら)き鱗、淺黑き色、鯉に似て尾に岐有り。兩の鰭、蹼(みづかき)有りて手のごとくにして、脚無し。暴(にはか)に風雨將に至んとする時、見る。漁父、網に入ると雖ども奇(あやし)みて捕らず。
阿蘭陀、人魚の骨【「倍以之牟禮〔(ヘイシンレ)〕」と名づく。】を以て解毒の藥と爲す。神効有り。其の骨、器に作り、佩腰の物と爲す。色、象牙に似て、濃(のう)ならず。
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また、そこで私は汎世界的な人魚のモデル生物として、
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哺乳綱ジュゴン目(海牛目)Sireniaの、
ジュゴン科 Dugongidae ジュゴン亜科ジュゴン属ジュゴン Dugong dugon
一属一種が真っ先に挙げられる。しかしさすれば当然、同じジュゴン目のマナティー科Trichechidae マナティー属 Trichechu sに属する次の三種、
アマゾンマナティー Trichechus inunguis
アメリカマナティー Trichechus manatus
アフリカマナティー Trichechus senegalensis
も挙げねばならないし、更に言えば近代に人類が絶滅させたジュゴン科ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae の、
ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas
も、その我々の愚かな行為を忘れないために、掲げることに異論を挟む方はおるまい[やぶちゃん注:以下略。]。
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を掲げた上で、「倍以之牟禮〔(ヘイシンレ)〕」については以下のように注した。
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「倍以之牟禮」については、南方熊楠の上記論文で、この良安の記述を載せて『ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の義なり』と注している。さてこれについて調べようとしたところが、以前からその膨大な資料に敬意を表しながらも、不勉強ながらろくに読んでいなかった「東京人形倶楽部」(これ自体が「人魚学」の強力なサイトである)の中に、『「せ」は世界の人魚、或いは人魚の世界のセ 坂元大河君の報告――人魚初級講座5 東洋の人魚――』(これが初級では私は母の胎内に戻って生まれ直さねばならぬ!)という、もう私の出る幕はない素晴らしく記載を見つけてしまった。素直に完敗を表明して該当箇所を引用させて頂く(一部の記号・フォントを本ページに合わせて補正したのみで基本的に完全なコピーである)。
《引用開始》
江戸の人魚文献で注目されるものに、大槻玄沢(磐水)の「六物新志」があります。舶来薬品の考証ですが、下巻の最後で人魚が取り上げられ、「甲子夜話」で「人魚のこと大槻玄沢が六物新志に詳なり」と言われているものです。玄沢は「ヘイシムレル」という人魚の骨が海外からもたらされている所から説き始めます。この物は、貝原益軒「大和本草」では「ベイシムレル」、「和漢三才図会」では「バイシムレ」と言われていますが、玄沢はスペイン語のペセムエール、つまりpez(魚)とmujer(女)の合成語、婦魚=人魚のことだと、その意味をつきとめました。この語源は、小学館『国語大辞典』では、ポルトガル語peixe-mulher(雌の海牛)とし、南方熊楠はラテン語「ペッセ・ムリエル」(婦人魚)の義としています。
この骨は象牙のようで、止血(六物新志・長崎聞見録・大和本草・重修本草綱目啓蒙)の効能があるとされています。その他、解毒剤と紹介する文献もあります。「和漢三才図会」、『国語大辞典』、南方熊楠「人魚の話」などです。南方は「三才図会」を引いていますので、寺島良安が解毒剤説を広めているようです。江戸時代で解毒の薬と言えば、ウニコール(一角獣の角)が有名で、偽物が横行し、「うにこーる」と言えば、うそ・いつわりの意味になったほどでした。骨の解毒作用は、漢方の犀角、蛇角で説かれていますので、人魚の骨も毒を制すると思われたのでしょう。中国では孔雀の血が、アフリカではヘビクイワシの肝臓が、毒蛇に噛まれたときに解毒剤として用いられました。ハゲワシの足は、サソリ、蛇の毒に効くと言われていました。人魚の骨も偽物が多く、「山海名産図会」は「甚だ偽もの多し」、「重修本草綱目啓蒙」は「蛮人もち来たる者贋物多し、薬舗に貨する者はアカエイの歯及びトビエイの歯の形状にして斜紋なるものなり、未だ真なる者を見ず」と言っています。
玄沢は、イタリア人アルドロヴァンディ(1522~1605)の動物誌、ポーランド人ヨンストン(1603~1675)の動物図説、18世紀のオランダ人ファレンティンの書から人魚の図を司馬江漢に写させています。このうちヨンストンの動物図説(1650~53)は銅版図入の図鑑で、その出版後すぐオランダ商館長が将軍家綱に贈っています。また平賀源内も1760年代にはこの書を入手し、知り合いの画家たちに模写させています。蘭学時代には、人魚を表すヨーロッパの言語も知られ、「西洋雑記」に「セヰレデネン、セイメンセン、ゼエ・フロウー」、「六物新志」には「ペセムエール、フロウヒス、メイルミンネン、ゼイウェイフ」の語が紹介されています。また、1403年にオランダでとらえられた人魚のことは「西洋雑記」「和訓栞」に見えます。このオランダの人魚はよほど有名らしく、南方「人魚の話」、ボルヘス『幻獣辞典』にも登場しておりますし、明代中国の書「萬国図説」「坤輿外記」にも言及があります。
《引用終了》
あぁ! 人魚のささやきが聞こえる……「だからね……最初に貴方が感じたように……貴方はおとなしく浜辺を去るべきだったの……
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さても。先ほど検索したところ、「日本科学未来館」の「科学コミュニケーターブログ」の「江戸博士が質問に答える!江戸の人魚と不老長寿の伝説」(二〇二〇年九月八日附記事)の福井智一氏の対話記事での、国文学研究資料館特任助教粂汐里の本篇(「大和本草」附録巻二「海女」)に対する考証に従うと、
《引用開始》
「蛮語ニ其名ヘイシムレルト云」と書かれています。蛮語はスペイン語、ポルトガル語、オランダ語などの異国の言葉を広くさす言葉ですが、『和漢三才図会』に「阿蘭陀以人魚骨倍以之牟礼為解毒薬有効能(オランダでは人魚の骨を「倍以之牟礼(ヘイシムレ)」と名付けて解毒によく効く薬としている)」とあるので、ここではオランダ語と解説しました。ただし、『六物新志』の著者大槻玄沢はスペイン語では「百設武唵爾(ヘセムエイル)」とし、これがなまったものではないかとしています。
《引用終了》
と述べておられる。言っておくと、以上のリンク先に出る画像は、既に冒頭の私の諸論考にも同じものを示してある。]
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