甲子夜話卷之六 28 田沼氏權勢のとき諸家贈遺の次第
6-28 田沼氏權勢のとき諸家贈遺の次第
田沼氏の盛なりしときは、諸家の贈遺樣々に心を盡したることどもなりき。中秋の月宴に、島臺、輕臺を始め負劣らじと趣向したる中に、或家の進物は、小なる靑竹藍に、活潑にして大鱚七八計、些少の野蔬をあしらひ、靑柚一つ、家彫萩薄の柄の小刀にてその柚を貫きたり【家彫は後藤氏の所ㇾ彫。世の名品。其價數十金に當る。】。又某家のは、いと大なる竹籠に、しび二尾なり。此二つは類無しとて興になりたりと云。又田氏中暑にて臥したるとき、候問の使价、此節は何を翫び給ふやと訊ふ。菖盆を枕邊に置て見られ候と用人答しより、二三日の間、諸家各色の石菖を大小と無く持込、大なる坐敷二計は透間も無く並べたてゝ、取扱にもあぐみしと云。その頃の風儀如ㇾ此ぞありける。
■やぶちゃんの呟き
「田沼氏」田沼意次(享保四(一七一九)年~天明八(一七八八)年)は江戸中期の幕府老中。父田沼意行(もとゆき)は紀州藩の足軽で、徳川吉宗に従って江戸に入り、幕臣となった。意次は十五歳で西の丸附き小姓として仕え、元文二(一七三七)年に主殿頭(とのものかみ)、宝暦元(一七五一)年には御側御用取次となった。第九代将軍徳川家重の隠居後、第十代将軍家治の信任を得、明和四(一七六七)年七月に側用人に進み、一橋家や大奥との関係を深めて勢力を固めた。遠江相良(五万七千石)に城を築き、老中格として専横の振舞いがあったことから、家治の没後、領地も削られ、失脚した。世に「田沼時代」として知られる彼である。
「贈遺」(この「遺」は「贈る」に同じい)物品を贈ること。また、その物品。
「島臺」(しまだい)は客の接待や婚礼の儀などに用いる飾りの「台の物」。古くは「島形」と称し、蓬莱を象った島形や洲浜(吉祥の意味を持った置物。屈曲する海岸線の状態を表現した、ほぼ楕円形の板に、短い脚を付け、上に岩木・花鳥などを飾る。平安時代に流行したが,後世は上の飾りを省略して酒杯・肴などを置く形となった)形などがある。台上に肴を盛り,祝儀には松竹梅・鶴亀・尉(じょう)・姥(うば)を配して飾りとする。本来、古くに宮中などで草合(くさあわあせ:「合わせ物」遊戯の一種。五月五日の節供に、種々の草を採り集めて、その種類や優劣を競った。宮廷でも行われ、負けると衣服を脱いで、勝った者に与える風習があったとされる。鎌倉時代も子供の遊戯として残ったが、その後に衰えた。「競狩(きおいがり)」「闘草」(中国名由来)「草尽くし」とも称する)・花合(もとは平安時代の貴族の間で流行した「桜合」などにように、単に花を持ち寄り、左右に分かれてその優劣を競う遊びであったが、やがてこれに歌も詠み添えられるようになり、「歌合」の遊戯と結びつくに至ったもの。室町時代の記録には「七夕法楽」の「花合」のことがしばしば見られるが、これが華道の成立の淵源の一つとなったとされる)・根合(端午の節供などで左右に分かれて菖蒲(しょうぶ)の根の長短を比べ合い、歌などを詠んで勝負を決したもの。様々の意匠を凝らし、州浜などに飾りなどして出した。「菖蒲根合」「菖蒲合」とも呼んだ)など歌合の遊戯の際、その合せ物を載せたものという。
「輕臺」(しまだい)不詳。「島台」を簡略・軽量化したものか。
「負劣らじ」「まけじおとらじ」。
「靑竹藍」「あをだけかご」。
「活潑」活きのいい。
「大鱚」「おほぎす」。大型個体のスズキ目キス科キス属シロギス Sillago japonica 或いはそれによく似たアオギス Sillago parvisquamis も挙げてよいだろう。私の「大和本草卷之十三 魚之下 きすご (シロギス・アオギス・クラカケトラギス・トラギス)」を参照されたい。
「計」「ばかり」。
「野蔬」「やそ」。野菜。
「靑柚」「あをゆず」。
「家彫」(いへぼり)は装剣金工細工の中でも、後藤派の彫った鐔(つば)や小道具などの総称。民間の町彫(まちぼり)に対する名称。後藤家は初代祐乗(ゆうじょう)以来、歴代の将軍家に抱えられ、装剣金工の制作に当たった家系で、江戸時代以降、将軍家を始めとして大名が正装する場合は、後藤派の制作になる装飾金具で刀剣を飾るのが定例であった。
「萩薄」「はぎ・すすき」。
「小刀」「さすが」。
「所ㇾ彫」「彫る所(ところ)」。
「しび」スズキ目サバ科マグロ族マグロ属 Thunnusの海水魚の中・大型個体の総称。クロマグロ・キハダ・メバチ・ビンナガなどが含まれ、これでは限定は出来ない。私の「大和本草卷之十三 魚之下 シビ (マグロ類)」を参照されたい。
「二尾」「にび」。
「類無し」「たぐひなし」。
「中暑」「ちゆうしよ」。「暑気中(あた)り」のこと。
「候問」「こうもん」。病中見舞い。
「使价」「しかい」。使者。「价」も「使」に同じい。
「翫び」「もてあそび」。楽しんで。
「訊ふ」「とふ」。
「菖盆」「しやうぼん」。ショウブ(菖蒲。狭義には単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属ノハナショウブ変種ハナショウブ Iris ensata var. ensata )を植え込んだ盆栽。アヤメ・ショウブ・カキツバタの識別法は私の「北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) たはむれ」の「菖蒲」の私の注を参照されたい。
「石菖」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus。多年草。北海道を除く日本各地に自生し、谷川などの流れに沿って生える。庭園の水辺などにもよく植えられる。全体はショウブをごく細くした感じで、同じ芳香もあるが、各部が小型で、根茎は細くて硬く、葉も細く、幅は一センチメートルほど、長さ二十~五十センチメートルの線形を成し、ショウブと異なり、中肋が目立たない。四~五月頃、葉に似た花茎を出し、中ほどに淡黄色の細長い肉穂花序をつける。グーグル画像検索「Acorus gramineus」をリンクさせておく。
「大なる坐敷二計」「おほきなるざしきふたつばかり」。
「透間」「すきま」。
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