芥川龍之介書簡抄22 / 大正三(一九一四)年書簡より(一) 二通
大正三(一九一四)年一月一日・新宿発信・淺野三千三宛(葉書・年賀状)
つゝしみて新年を賀したてまつる
「危險なる洋書」をとぢて勅題の歌つかまつる御代のめでたさ
大正三年一月一日 芥川龍之介
[やぶちゃん注:「淺野三千三」既出既注。三中の芥川龍之介の後輩。
「危險なる洋書」具体な対象作品は不詳。しかし、後述のアナトール・フランス原作の重訳「バルタザアル」の脱稿はこの直後の一月十七日であるから、直近のそれでは、一番、関係のある洋書ではある。また、結果して芥川龍之介の最初の作家デビュー作であり、しかもその内容は、ある意味で芥川龍之介の全人生――特に晩年の女性関係やキリスト教との関りの事実結果に於いて、逆説的に「危險なる洋書」とも言えるように私には思われはするのである。なお、この一首は底本で次に並ぶ山本喜誉司宛年賀状にも記されてある。但し、そこでは、以下の通り(全文)。
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つゝしみて新年を祝したてまつる
〝危險なる洋書〟をとぢて勅題の歌つかまつる御代のめでたさ
一月元旦 芥川生
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大正三(一九一四)年一月二十一日・京都市吉田京都帝國大學寄宿舍内 井川恭樣 直披・廿一朝 東京新宿 芥川龍之介
自分には善と惡とが相反的にならず相關的になつてゐるやうな氣がす 性癖と敎育との爲なるべし ロジカルに考へられない程腦力の弱き爲にてもあるべし
兎に角矛盾せる二つのものが自分にとりて同じ誘惑力を有する也 善を愛せばこそ惡も愛し得るやうな氣がする也 ボードレールの散文詩をよんで最なつかしきは惡の讃美にあらず 彼の善に對する憧憬なり 遠慮なく云へば善惡一如のものを自分は見てゐるやうな氣がする也(氣がすると云ふは謙辭なるやもしれず)これが現前せずば藝術を語る資格なき人のやうな氣がするなり
同じ故鄕より來りし二人の名を善惡と云ふなり 名づけしは其故鄕を知らざる人々なり
何にてもよけれどしかつめらしくロゴスと云はむ乎 宇宙にロゴスあり 萬人にロゴスあり 大なるロゴスに從つて星辰は運行す 小なるロゴスに從つて各人は行動す ロゴスに從はざるものは亡ぶ ロゴスに從はざる行動のみもし名づくべくんば惡と名づくべし
ロゴスは情にあらず知にあらず意にあらず 强ひて云へば大なる知なり 所謂善惡はロゴスに從ふ行動を淺薄なる功利的の立塲より漠然と別ちたる曖昧なる槪念なり
自分は時に血管の中を血が星と共にめぐつてゐるやうな氣がする事あり 星占術を創めし[やぶちゃん注:「はじめし」。]人はこんな感じを更につよく有せしなるべし
このものにふれずんば駄目也 かくもかゝざるもこの物にふれずんば駄目也
藝術はこれに關係して始めて意義あり
今にして君の「WESEN を感得せしむるアートを最高也」と云ひしを思ふ 君は三足も四足も僕に先んじたり
しひて神の信仰を求むる必要なし 信仰を窮屈なる神の形式にあてはむればこそ有無の論もおこれ 自分は「このもの」の信仰あり こは「藝術」の信仰なり この信仰の下に感ずる法悅が他の信仰の與ふる法悅に劣れりとも思はれず
すべてのものは信仰とならずんば駄目也 ひとり宗敎に於てのみならず ひとり藝術に於てのみならず すべて信仰となりてはじめて命あらむ
藝術を實用新案を工夫する職人の如くとり扱ふものは幸福なり
自己を主張すと云ふ しかも輕々しく主張すと云ふ
自分は引込思案のせいかしらねどまづ主張せんとする自己を觀たしと思ふ
顧みて空虛なる自己をみるは不快なり 自ら眼をおゝひたき[やぶちゃん注:ママ。]位いやなり されどせん方なし 樽の空しきか否かを見し上ならでは之に酒をみたす事は難かるべし 兎に角いやなり苦しいものなり
みにくき自己を主張してやまざるものをみるときには嫌惡と共に壓迫を感ず 少しなれど壓迫を感ず
自分はさびし
時々今から考へると一高にゐた時分に君はさぞさびしかつたらうと思ふ事あり
かく云へばとて君と今の僕と同じと云ふにはあらず 君の云つてる事が僕にわからなかつたからなり 何時でも[やぶちゃん注:「何時までも」の意か。]わからないのかもしれねど
自分は新思潮同人の一人となれり 發表したきものあるにあらず 發表する爲の準備をする爲也 表現と人とは一なりとは眞なりと思ふ 自分は絃きれたる胡弓をもつはいやなり これより絃をつながむと思ふ
アナトオル フランスの短篇を譯して今更わが文のものにならざるにあきれたり 同人中最文の下手なるは僕なり 甚しく不快なり
同人とは云へ皆步調は別なり 早晚分離せむ乎
この二三ケ月煑え切らざる日を送れり 胃の具合少し惡きにいろいろな考に頭をつかひし爲なり その爲に年賀狀の外どこへも手紙をかゝず 君にも失禮した訣なり 堪忍したまへ 海苔は少し大袈裟なり 胃病で死んでも海苔を食ふはやめじと誓ひたり
忙しいだらうが時々手紙をくれたまへ 僕もせいぜい勉强してかく
今日の手紙は大抵日記よりのぬき書きなり 幼きを嗤はざらむ事をのぞむ
歌も殆つくらず つくる暇もなし 唯三首
ともかくむしやうに淋し夕空の一つ星のやうにむしやうに淋し
こんなうれしき事はなしこんなうれしき事はなきに星をみてあれば淚ながるゝかな
木と草との中にわれは生くるなり日を仰ぎてわれは生くるなり木と草との如くに
[やぶちゃん注:この前後の妙に数少ない他の書簡を読んでも、この謂わば、作家の卵としてのデビュー直前の彼は、精神的に不安定で、やや鬱傾向にあり、曰く言い難い孤独感に苛まれていたことが窺える。新全集の宮坂年譜にも、この一月上旬の記載として、『神経質になり、電話では居留守を使い、友人とも』意識的に殆んど『会わず、手紙も書かない日がしばらく続く』。『以後の手紙にも』(この井川宛書簡に見るような鬱屈した)『内省的な文面が目立つ』とある。
「ロゴス」logos。古典ギリシア語のラテン文字音写。意味は「言葉・言語・話・実在化された真理・理性・概念・意味・論理・命題・事実・説明・定義・理論・言説といった原義の一つであろう。転じて、「万物の事象の変化転変する中にあるところの理性的論理的に語られる、或いは語り得るところの共通に理解され得るところの一定のもの(のように感じられる)調和的様態又は理性法則」を指す。
「WESEN」ドイツ語。「ヴェーゼン」或いは「ヴィーズン」。「本質・実体・本性」の意。
「自分は新思潮同人の一人となれり」第三次『新思潮』の創刊は、この翌月二月十二日。一高出身の東京帝国大学文科大学の学生が中心となって刊行された。同人は豊島与志雄・山本有三・山宮允(さんぐうまこと)(以上は大正元(一九一二)年入学)に、芥川龍之介・久米正雄・佐野文夫・成瀬正一・土屋文明(同二年入学)と、松岡譲(同三年入学)に龍之介の一高時代の親友で当時は京都帝国大学文学部英文学科本科にあった菊池寛を加えた計十名であった。
「アナトオル フランスの短篇を譯して」『新思潮』創刊号に発表した龍之介が傾倒していたフランスの作家アナトール・フランス(Anatole France 一八四四年~一九二四年)が一八八九年に書いた「バルタザール」(Balthazar)の翻訳。「バルタサアル(アナトオル・フランス)」の標題で「柳川龍之介」名義。後の大正八(一九一九)年七月発行の雑誌『新小説』に「バルタザアル」の標題で「芥川龍之介譯」の署名で再録され、後の作品集「影燈籠」・「梅・馬・鶯」に収録された。編年体の旧「芥川龍之介」全集の第一巻巻頭に配されたそれである。ジョン・レイン夫人(Mrs. John Lane)の英訳(一九〇九年)からの重訳。同人の間では高評を博した。「青空文庫」のこちらで新字旧仮名で読める。
「同人とは云へ皆步調は別なり 早晚分離せむ乎」岩波文庫「芥川龍之介書簡集」の石割透氏の注には、同『新思潮』の『創刊号冒頭には「同人全体としては一定した主義もなければ主張もない」などとある』と記されてある。
「海苔は少し大袈裟なり 胃病で死んでも海苔を食ふはやめじと誓ひたり」これは思うに、井川が前便で、或いは、龍之介が好んで多量に海苔(のり)を好んで食うのが胃に不調の原因ではないか? と記したことへの返答のように思われる。龍之介には、生涯を通じて、やや偏食傾向が見られ、甘いもの好きで、あの痩身で結構、非常に甘い菓子をガッツリ食べたりした。
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