怪談老の杖卷之二 生靈の心得違
○生靈の心得違
世に死靈の生(いき)たる人に取(とり)つきしはあれど、爰に、めづらしき物語あり。
生たる人、死人にとりつきたりといふは、此物語なるべし。
戶田家の家中なりしと聞り。
ある侍、妻におくれて、又、後妻を迎へけるが、隨分、挨拶柄もよく、波風なく暮しける。
ある夏、土用ぼしをしたりしに、歌書などの寫したる、又、かきすてし反古(ほうご)、詠み歌などの詠草の、よくつゝみたるなど、出けり。
女筆(をんなふで)にて、ことにうつくしく、かきなせり。
後妻、夫に尋けるは、
「是は、何人(なんぴと)の書(かき)給ひしにや。扨も、扨も、かはゆらしき筆のすさみかな。」
と、目がれもせず、ながめけるを、
「それは。十二日の佛の手なり。よからぬものを出(いだ)し給へり。」
とて、取あげける。
十二日は、先妻の銘日[やぶちゃん注:「命日」の誤記。]也。
つま、いふ樣(やう)は、
「扨も、かく手跡といひ、志しといひ、こゝろある御方(おかた)なりとは、今まで、終に御物語もなし。御心(みこころ)、ふかき御事かな。さだめて、わらはが心、よかるまじきと思召(おぼしめし)て、御物語なきものならん。扨も、扨も、世には、かやうなるはつめいなる女中もあるに、わたくしなど、かやうにかたくなものは、御心にもいらぬはづなり。」
など、たはぶれのやうにいひけるが、そのけしき、露(つゆ)もねためる樣子なく、誠に亡妻の手跡を、おもひ入(いり)たるさまなり。
その夜、閨(ねや)に入りても、妻の方より、晝の事、いひ出して、
「さても、前の御新造(ごしんぞ)さまは、賢女なるべし。さぞ、何か、御(おん)しほらしかりし御(お)はなしもあるべし。きかさせ給へ。」
など、うらなく云ひかけられて、日頃、心には絕(たえ)ざれども、後妻にむかひ云ひ出(いだ)すべき筋にもあらねば、心ひとつ、むかしを忍び過(すぐ)し來りしを、かく、後のつまの心ありていふ一言(ひとこと)に、おもはず、口をむしられて、
「かくいへば、いかゞなれど、ことの外、おとなしき生れにて、何事も立ちいらぬさまに、ものはぢして、うち見には、いとおろかなる樣にて、手かき・歌よみ・茶の湯などいふ事まで、心えぬ事なく、しかも、いさゝか、そのけはひ、みせし事なく、歌など書たる時、行(ゆき)かゝりても、ふかく、かくして、顏、うちあかめ、ありけるまゝに、
『さぞかし、手前細工にて、よみ習ひたらん歌、さぞあるべし。なまじゐに見あらはして、はぢがはしくおもはせんも、せんなき事。』
と、おもひて、見ずにやみし事、度々なるが、死してののちは、この、そこにかきおける詠草などをみれば、いにしへの作者にも、おとらず。世にありし時、是をしらば、よき友ひとりまうけし心地すべきを、殘りおほき事なり。さて、かく、よき事に才覺なる計(ばかり)にあらず。朝夕の家のをさめ方、つづまやかにて、三味せん・淨瑠璃の『ばさら事』などは、夢にもしらず、只、けんやく・しつそを本(もと)として、召仕ふものにも、なさけふかく、細工は何にてもしたり。[庖丁もきゝて]、料理も、同役などの夜ばなしなどに、ちょとした吸物などにても、手をうたせる程の事にてありし。しかし、色めきしかたはなくて、平生、我ら、きのつまる樣なる生れなりしが、いかなる事にや、かりふしにいひけるやうは、
『わたくし、此世になくなり候とも、もはや、こと人をむかへ給ふ事は、かならず、かならず、被ㇾ成(なされ)まじ。もし左樣なる事、なされ候はゞ、御恨(おうらみ)申べし。』
など、いひしが、是ばかりは、氣質とは相違して、
『みれんなる事を、いひし。』
と、いまにおもへり。その外は、夫婦の中にても、禮義、たゞしく、われら、酒などのめば、度々、いけんしたり。そなたと同じ事にて、下戶(げこ)にてありしが、芝居は嫌ひなるは、また、そなたとは違(たが)ひし所もあり。」
など、いひ出(いあだ)しては、とめどもなく、我を忘れて、もの語りせしをきゝ居たりしが、女房、ためいきを、
「ほつ。」
と、つきて、何とやら、風(かぜ)なみ、あしくなりけれぱ、『それよ』と、心づきて、外(ほか)のはなしに、まぎらしぬ。
そののち、ふと、
「風(かぜ)の心ち。」
とて、打ふしてより、次第におもり、食事、すゝまず、只、やせに、やせける。
醫師も、
「氣の方(かた)なり。」
と、いひ、見分(みわけ)も氣病(きびやう)と、みへければ、さとは濱町なれば、時分柄、屋形舟(やかたぶね)などもおほく行(ゆき)かふに、
「補養の爲。」
とて、舅(しうと)の方(かた)へ出しけるが、次第に、病氣、おもりければ、心ならず、あんじありける折ふし、旦那寺深川の淨滿寺といふ禪寺より使僧あり。
「和尙の手紙。」
とて、さし出すをみれぱ、自筆にて、
「ちと、密々に御目にかゝり度(たき)事候間、今日中、御出。」
との文言なり。
幸(さいはひ)、非番なれば出行(いでゆき)しに、和尙、下間(したのま)へ、まねき、いはれけるは、
「今日(けふ)申入れし事は別儀にてもなし。此間、每夜、卵塔へ『光り物』、とび來(き)候(さふらふ)て、墓處のうちへ落ち候由、寺僧共(ども)申(まうす)に付(つき)、昨夜、卵塔に相(あひ)まち、拙僧、直(ぢき)にためしみ候へば、成程、人魂ともいふべき光りもの、とび來りて、そこ元(もと)御亡妻(おんばうさい)の墓所の上にて、消へ候と[やぶちゃん注:「さふらへど」か。]、はか内(うち)、『どろどろ』と、なり[やぶちゃん注:「鳴り」]候事、しばしの間にて、また、かの光り、とび出て、歸り候。尤(もつとも)、一夜の内、二度程もまいるとき、あり。まづ、一度は、かけ不ㇾ申(まうさず)[やぶちゃん注:一夜に一度は必ず来て、来ないときはないということ。]。あまり、ふしぎに存候間(ぞんじさふらふあひだ)、そと、貴樣へ御咄(おはなし)申(まうす)なり。何ぞ、思召(おぼしめす)あたりは、なく候や。」
と問ければ、しばらく思案して、
「それは、何方(いづかた)より。」
と問へば、
「まづ、河より、西の方と存候。」
と、いふ。
「扨々、驚入(おどりいり)候。尤、貴僧樣の御ことばを疑ひ申にてはなく候へども、今晚にも、私(わたくし)、今一應、相糺(あひただ)し度(たし)。」
と、いひければ、
「御尤なる事なり。宵より、御こしありて、御談(おはなし)あるべし。出申(いでまう)さぬとても、愚僧、いつはりを申べき道理なし。かならず御越あるべし。」
と約して歸り、とかくはからひて、暮六ツ過[やぶちゃん注:土用干しから夏・秋として、不定時法で午後六時半から午後八時前と思われる。]より宿を出、深川の旦那寺へ行ぬ。
和尙よりも、
「同宿にても差(さし)おくべし。」
と、いはれけれど、
「存(ぞんじ)よりあれば。」
とて、只、壹人(ひとり)、しきものをしきて、夜の更(ふけ)るをまちけるに、九ツ[やぶちゃん注:定時法で午前零時。]の鐘、なるより、
「すは。時刻ぞ。」
と、片づをのみ[やぶちゃん注:「固唾を吞み」。]、守り居(をり)けるに、光り、
「はつ」
と飛來りて、墓の上にて、きゆるとひとしく、墓のうち、土中、なりさはぎて、
「ごとごと」
「どろどろ」
と、人などの、くみあふ樣(やう)なる音するに、
「そこは。あやしや。」
と、身がまへして、待ちけるに、一とき[やぶちゃん注:二時間。]計(ばかり)すぎて、
「まつぷたつに。」
と、切付(きりつ)ければ、手ごたへして、火は、消へうせぬ。
「妖怪の所爲(しよゐ)なるべし。」
と、月影に、そこらあたりを尋ねけれど、何もなし。
刀をみれば、のり[やぶちゃん注:血糊。]、つきたり。【蜀山、按(あんずるに)、田にし金魚所ㇾ著(あらはすところの)、「妓者呼子島(げいしやよぶこじま)」の趣向は、是に本づきて差出(さしいだ)しもなるべし。乙亥七月廿七、記(しるす)。】旁(かたはら)、ふしんはれねど、寺僧へ斷り、
「成程、椙違なき段、見屆(みとどけ)申(まうし)たり。拙者は屋敷へ罷歸(まかりかへり)候間、またまた、かはる事あらば、御人(おひと)、被ㇾ下べし。」
とて、いそぎ、やどへ歸られ、とくと、思案して見けれども、合點ゆかず、心をいため居(を)る處へ、
「はま町より、使、來りたり。」
といふ間、心ならず立出、
「病人は、いかゞあるぞ。」
と尋ねければ、
「御かはりもなし。」
と、いふ。
まづ、安堵して、書狀をみれば、
「密(ひそかに)申送り候 吟(ぎん)[やぶちゃん注:後妻の名。]事(こと) 殊の外 とりつめ候間 いそぎ御越」
との文體(ぶんてい)。
驚き、早速、頭(かしら)へ屆けて、見舞(みまは)れければ、はや、しうとめなどは、なき、たをれ、召仕ひの女なども、みな、なみだを目にもちて居るにぞ、
『はや、埒は明(あけ)たり。』
とおもひ、奥へ通りければ、あるじ、一ト間へよびて、
「扨、吟、事も、養生、相(あひ)かなはず、相はてたり。夫(それ)につき、何とも、合點ゆかざる臨終ゆへ、早速、貴殿を呼よせたり。昨日は、いついつよりも、少(すこし)快よく候ひしが、例のごとく、四ツ過[やぶちゃん注:定時法(以下同じ)で午後十時過ぎ。]より、正體なく寐入り、我々も、少々、まどろみしに、八ツ時分[やぶちゃん注:午前二時。]とおもふ頃、
『あつ。』
と、おそはるゝ樣にてありし間、さつそく、立よりてみれば、あへなく、事きれたり。その體(てい)、甚(はなはだ)以(もつて)あやし。先(まづ)、是を見給へ。」
とて、夜着をとり、みせられければ、後(うしろ)のかたさきより、胸板へかけて、切(きり)つけたる、刀きづなり。
夫も、默然と、さしうつむき、しばし、思案しけるが、
「なる程。けうなる義なり。夫(それ)には、夜前、ケ樣(かやう)々々の次第あり。定(さだめ)て、妻が嫉妬の心より、たましゐ[やぶちゃん注:ママ。]、身をさりて、妖怪をなせしなるべし。以(もつて)の外の義なり。扨々、不便(ふびん)の次第なり。後悔、くやみて、歸らず。」
と語られけるにぞ、舅も、我ををりて、菩提所へも其趣(おもむき)、相(あひ)たのみ、はふむりもらひ、跡をば、念比(ねんごろ)にとぶらひける、といへり。
享保七年の事なり。
[やぶちゃん注:オリジナリティのある怪談であるが、何か、曰く言い難い切なくなる、誰(たれ)も実は悪くない、故にこそ、哀しい話ではないか。
「戶田家」江戸時代の戸田家は大名・旗本及びそれらに仕えた家士に多い。ウィキの「戸田氏」に詳しい。
「筆のすさみ」「筆の遊び」。気持ちよく肩肘張らぬ慰みのための詠歌の遊び。
「目がれ」見飽きること。
「十二日」旧暦の夏の土用は立秋の前の約十八日間に相当する。
「かやうなるはつめいなる女中」「斯樣なる發明なる女中」。女中は女性。
「御新造」他人の妻の敬称。古くは、武家の妻、後には富裕な町家の妻の敬称となった。特に新妻や若女房に用いた。
「しほらしかり」「慎み深く、いじらしい」・「かわいらしく、可憐な」・「けなげで殊勝な」・「上品にして優美な」。ハイブリッドの意でよい。
「うらなく」真心から。妙なかんぐりどは一切なく。
「心には絕ざれども」心の中では亡き妻への思いは決して忘れることがなかったのだけれども。
「心ひとつ」ただ独り、己れが心の内に秘めて。
「口をむしられて」そうした、言わんかたない秘めた思いを掻きたてられて。
「ばさら事」「婆娑羅」元は「放逸・放恣」であるが、ここは広義の「見るからに派手なこと」の意。
「庖丁もきゝて」庖丁の扱いも上手く。
「風(かぜ)なみ、あしくなりけれぱ」聴いている後妻の気持ちの風向きが怪しくなったように感ぜられたによって。
「見分(みわけ)も氣病(きびやう)と、みへければ」はたから素人目で見ても、身体の病いではなく、心の不調(心気症)に見えたによって。
「濱町」現在の東京都中央区日本橋浜町(グーグル・マップ・データ)。隅田川右岸で両国・深川の対岸。
「深川の淨滿寺」不詳。近似した名の寺も見当たらない。これは痛く残念である。
「河より、西の方」まさに浜町は深川の西北に当たる。
「出申(いでまう)さぬとても」万一、今宵に限って、光り物が現われなかったとしても。
「同宿にても差(さし)おくべし」屋敷内の御家来衆のをも、さし添えて連れ来らるるが宜しいでしょう。
「存(ぞんじ)よりあれば」「思うところの御座ればこそ。」。
「しきもの」座るための敷物。
「そこは。あやしや。」「そこ」は「其處」ではなく、「それこそ」で一種の感動詞的用法であろう。「何んということかッツ!?! 怪しきことぞッツ!!!」。
「【蜀山、按(あんずるに)、田にし金魚所ㇾ著、妓者呼子島の趣向は、是に本づきて差出(さしいだ)しもなるべし。乙亥七月廿七、記(しるす)。】」本書最初の注で述べた通り、本書の元は御家人で勘定所支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚にして文人であった大田(蜀山人)南畝の旧蔵書「平秩東作全集」の下巻の一部と考えられ、彼自身が書き添えた割注である。「田にし金魚」田螺金魚(たにしきんぎょ 生没年不詳)は江戸中期に活躍した戯作者。江戸神田白壁町居住の医者鈴木位庵のペン・ネームともされるが、不明。別号に「田水金魚」「茶にし金魚」。「妓者呼子鳥」は彼の処女作で、安永六(一七七七)年板行。ウィキの「田螺金魚」によれば、『町芸者の生活に取材し、実在のお豊・お富の名前を借りて、芸者』二人と客一人の『三角関係を描いた作品。誤解によって女性を殺した男性が自害したり、女の生霊が女の死霊を苦しめたりと、伝奇的要素が強い』とある。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらと、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらに当寺の版本原本があるが、なかなか読み取る気には私はなれない。「乙亥」(きのとゐ/いつがい)は宝暦五(一七七五)年。
「頭(かしら)」彼の勤仕する上役である役頭。
「けうなる」「稀有なる」。
「享保七年」一七七二年。]