大和本草卷之十六 水獺(かはをそ) (絶滅種ニホンカワウソ)
水獺 和名ヲソ今俗ヲソヲ誤リテカハウソト云カハヲ
ソハ海獺ニ對シテ云世俗獺ノ性ヲシラス補益ノ能
アリトテ求メ食人多シ性寒ナレハ熱症ニ用テハ無
害虛冷ノ人陽氣不足セハ不宜食本艸曰消男子
陽氣不宜多食其肝ハ虛勞ヲ治ス是亦本艸ニ見
ヱタリ虛人ハ肉ヲ食フヘカラス
○やぶちゃんの書き下し文
水獺(かはをそ) 和名「をそ」。今、俗、「をそ」を誤りて、「かはうそ」と云ふ。「かはをそ」は海獺(うみをそ)に對して云ふ。世俗、獺〔(かはをそ)〕の性〔しやう〕を、しらず。「補益の能あり」とて、求め食ふ人、多し。性、寒なれば、熱症に用ては、害、無〔きも〕、虛冷の人、陽氣不足せば、食ふ宜〔(べ)か〕らず。「本艸」に曰はく、『男子の陽氣を消(け)す。多食す宜〔(べ)か〕らず。』と。其の肝は虛勞を治す。是れ亦、「本艸」に見ゑたり[やぶちゃん注:ママ。]。虛人は肉を食ふべからず。
[やぶちゃん注:底本で七条飛んで25コマ目。但し、途中で目を止めたて詳読したものは二つある。一つは「17」コマ目の「ウニカウル」で、今一つは「18」コマ目の「鮓答(ヘイサルハサル)」である。前者の「ウニカウル」は「宇無加布留」「ウンカフル」などとも記す、ポルトガル語の「ウニコール」(unicorne)で、これは原義は西洋の想像上の動物である一角獣(ユニコーン:ドイツ語:Einhorn/フランス語:licorne:角を持つ馬に似た姿で描かれることが多く、伝承は聖書に溯り、最強の動物で捕らえ難いが、処女(=聖母マリア)には馴れ親しむ。則ち、ユニコーンをイエス・キリストに見立てるキリスト教的寓意譚もある)であるが、実際のその正体は海棲哺乳類であるイッカク(鯨偶蹄目イッカク科イッカク属イッカク Monodon monoceros :一属一種)の♂の牙であるからである。しかし、益軒は『犀角ノ類ナルヘシ』と言ってサイの角の一種であろうと誤認していてイッカクへの言及がなく、以下、延々と薬効記載をするに終始しているので採らない。ただ、これは当時の主流の考証であって無理はない。本「大和本草」は宝永七(一七〇九)年に刊行されたが、例えば、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 一角(うんかふる/はあた:犀角) (海獣イッカクの角)」で良安は『交趾(カウチ)』(ベトナム北部)で供給される『白犀の角』だと言っている(「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年成立)。なお、リンク先では私が「ウニコール」の細かな検証をしているので参照されたい。「ウニコール」の基原生物を陸獣のサイだとする、こうした大勢の妄説を退け、正しく鯨類であるイッカクの牙であるということを示し得たのは、杉田玄白の弟子で仙台藩江戸定詰藩医大槻玄沢(彼を藩に推薦してその実現に尽力したのは只野真葛の祖父工藤平助である)の「六物新志」(天明元(一七八一)年序。同六(一七八六)年刊)と、在野の博物学者木村蒹葭堂の「一角纂考」(天明六(一七八六)年自序・寛政七(一七九五)年刊)まで待たねばならなかった。次に、後者の「鮓答」であるが、これは各種獣類の胎内結石或いは悪性・良性の腫瘍や免疫システムが形成した異物等を称するもので、「ウニコール」と同様に生薬や香料として古くから現在まで流通している。詳しくは「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」の私の注を参照されたいが、これには当然、香料の一種として珍重される「龍涎香(りゅうぜんこう)」=「アンバーグリス」(英語:Ambergris)が含まれ、体内異物と誤認される、魚類に見られる耳石(じせき)があるから、詳読した。すると、底本の19コマ目の一行目から三行目に、『本朝食鑑に曰、「病牛〔びやうぎう〕、眼黃(がんわい)なる者、必ず、黃〔たま〕[やぶちゃん注:これは鮓答の異名異訓。]有り。」と。又、魚の腹中にも石の如くなる物、稀にあり。眞珠も亦、貝の玉なり。此の類なるべし。淋病を患〔わづらふ〕る人に、石塊、生ずる如し。』(下線は私が附した)とあるが、この下線部分だけが、水族関連するだけであり、それは、耳石相当物については、「大和本草卷之十三 魚之下 石首魚(ぐち) (シログチ・ニベ)」やその前後で益軒が述べてしまっており、真珠は「大和本草卷之三」の「金玉土石」の一条(32コマ目)に別にある(うへえ! また、やらなきゃいけないものが増えた! はいはい、この後、すぐ始めますて)。また、「龍涎香」も既に「大和本草卷之十三 魚之下 龍涎 (龍涎香)」で電子化注してあるから、「水族の部」として採用する対象ではない。
さても。本条に戻る。
本邦のそれは日本人が滅ぼした、
食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon
終わりに引く「本草綱目」のそれは、
カワウソ属ユーラシアカワウソ Lutra lutra
となる。益軒の記載は、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」に比べると、甚だ見劣りがする。そちらで絶滅に至る経緯も記しておいたが、益軒の言うように、本邦では薬として古くから捕獲されて積極的に食われていたことが窺える。特に、リンク先の「本草綱目」引用にもある通り、結核に効くという誤った触れ込みが、江戸時代に既に彼らを絶滅に導く悲劇の導火線となっていたのである。なお、そちらでも注しているが、「獺(かはうそ)」は「をそ(おそ)」とも呼ばれるが、小学館「日本国語大辞典」によれば、これは「かはをそ」「かわうそ」の略で、その語源説には「うををす」「ををす」(魚食)の略(「大言海」)、「おそる」(畏懼)と同根(「和句解」・「東雅」)、獣のくせに水中に入って魚を捕える獣にあるまじき「偽」(うそ)の存在の義(「名言通」)、妖獣譚で、よく、人を襲(おそ)う或いは化かすとされたところから(「紫門和語類集」)、水底を住居とすることからの「おほそこ」の反切(「名語記」)とする説が示されてある。しかしどれも信じ難い。原形に獣・幻獣の「をそ」を探索すべきであろう。にしても、益軒は間が抜けている。冒頭で「かはうそ」は誤りだと言いながら、その正しい和名の「をそ」の語源を述べていない。益軒がよくやるいやらしい半可通である。
「虛冷の人」虚弱体質、或いは、体温が有意に低下するような疾患に罹っている人、或いは、消化器系疾患等によって衰弱している人。
『「本艸」に曰はく、『男子の陽氣を消(け)す。多食す宜〔(べ)か〕らず。』と』「本草綱目」巻五十一下の「獸之二」の「水獺」の「主治」に、『熱大小腸祕。消男子陽氣、不宜多食【蘇頌。】』とある。
「虛勞」過労による衰弱。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」の引用参照。
「虛人」漢方で明白に「虚証」を示している人、或いは病人。慢性的に虚弱で体力がない体質の人や、疾患によって機能が低下したり、生理的物質が有意に不足した、ある種、病的状態にある人を指す。]
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