怪談老の杖卷之二 貉童に化る
○貉童に化る
是も上總への田舍にて、秋の頃、「すぐりわら」をするとて、そのくずわら、百姓の門口(かどぐち)にしきて、和(やは)らかなれば、童(わらは)どもの、あつまりて、「かへりごくら」をする事あり。
あるとき、長太郞といへる童、弐、三人の友だちと、れいの「とんぼがへり」をして、餘念なく遊び居(をり)けるに、ひとりの童、きるものを、あたまよりかぶりて、貌(かほ)をかくし、ひたもの、
「くるり くるり」
中返りを、しけり。
かの童ども、始(はじめ)は、
『友のうちなるべし。』
と何心なく居けるに、ものもいはず、貌もみえねば、
「誰(たれ)じや、誰じや。」
ととがめても、ものも、いはず。
『じやれてかゝる。』
と、おもひて、かぷりたるあはせを取らんとすれば、
「きゝ」
と、いひて、はなさず、皆、よりて、手をさしいれ、うでをとらへんとしければ、毛の、
「むくむく」
生ひたるに驚きて、
「ばけ物よ。」
と、さわぎければ、おとなしきもの共(ども)、立出(たちいで)て、棒など、持出(もちいだし)けるを見て、かの、あはせをかぶりしまゝにて、林の中へはい[やぶちゃん注:ママ。]入りけるを、
「それよ、それよ。」
と追かけければ、のちは、あはせをうちすてゝ、大(おほい)なるむじなの姿を、あらはして、ましぐらに、かけ行(ゆき)ける。
かの長太郞、のちに、をとこになりて、堀留(ほりどめ)邊に奉公して居(をり)たるが、直(ぢき)にかたりぬ。
かの男は、僞(いつはり)などいふものにあらねば、實事なるべし。
[やぶちゃん注:「貉」(むじな)は「狸」の意でとる。
「すぐりわら」農具に使う藁を選別すること。
「かへりごくら」不詳。しかし「こぐら」には「腓(こむら)」「ふくらはぎ」の意があり、直後に『れいの「とんぼがへり」』という表現が出るから、「蜻蛉返り」、宙返り前屈反転の遊びを言っているものと思われる。
「ひたもの」副詞。ひたすら。矢鱈と。
「じやれてかゝる」「戲(じゃ)れてかかりよって!」「悪(わる)ふざけして、戯(たわむ)れやがってからに! 堪忍なんらん!」といった苛立ちの表現。
「きゝ」既にして人ではない「もの」、獸(けもの)の声として発声している感じである。
「おとなしきもの共」大人の連中。
「堀留」現在の中央区日本橋堀留町一丁目付近か(グーグル・マップ・データ)。]