「和漢三才圖會」巻第五十六「山類」より「地獄」
ぢごく 捺落迦苦噐
泥梨
地獄 有三類
根本 近𨕙
テイヨツ 孤獨
根本乃八大地獄也其一一皆有十六謂之近邊共百三
十六地獄或爲二百七十二
一頞部𨹔 二尼刺部𨹔 三頞唽吒 四臛臛婆
五虎虎婆 六嗢鉢羅【一名青蓮華】 七鉢特摩【一名紅蓮華】
八摩訶鉢特摩【一名大紅蓮華】
以上被寒逼故謂之八寒
一等活 二黑繩 三衆合 四嘷喚 五大嘷喚
六焦熱 七大焦熱 八無間【一名阿鼻】
以上被熱責故謂之八熱
右寒熱八大地獄謂之根本【共十六】各其四靣門外所在者
謂之近邊【其十六之外又有各十六則謂二百七十二者合數】
在山閒曠野空中及樹下等者謂之孤獨
△按地獄之所在不知何處而就字義入地部出名目耳
日本有地獄皆高山頂常燒温泉不絕若肥前【溫泉】
豊後【鸖見】肥後【阿蘓】駿河【富士】信濃【淺閒】出羽【羽黒】
越中【立山】越乃【白山】伊豆【箱根】陸奥【燒山】等之頂㶡㶡
燃起熱湯汪汪湧出宛然有焦熱修羅之形勢
豊後【速見郡野田村】有名赤江地獄者十余丈正赤湯如血
流至谷川未冷定處有魚常躍游亦一異也天竺中華
高山皆有地獄不枚擧凡嵌地獄者不能浮出
○やぶちゃんの書き下し文
ぢごく 捺落迦〔(ならくか)〕・苦噐〔(くき)〕
泥梨〔(ないり)〕
地獄 三類有り。
根本 近𨕙〔(きんぺん)〕
テイヨツ 孤獨
「根本」、乃〔(すなは)〕ち、「八大地獄」なり。其の一つ一つに、皆、十六、有り。之を「近邊」と謂ふ。共に「百三十六地獄」、或いは「二百七十二」と爲す。
一 頞部𨹔(あぶだ)
二 尼刺部𨹔(にらぶだ)
三 頞唽吒(あしやくだ)
四 臛臛婆(かうかうば)
五 虎虎婆(ここば)
六 嗢鉢羅(をんはつら)【一名、「青蓮華〔(しやうれんげ)〕」。】
七 鉢特摩(はつとくま)【一名、「紅蓮華」〔(ぐれんげ)〕】
八 摩訶鉢特摩(まかはつとくま)【一名、「大紅蓮華」。】
以上、寒に逼(せ)めらるる故に、之れを「八寒」と謂ふ。
一 等活(とうくはつ)
二 黑繩(こくじやう)
三 衆合〔(しゆごう)〕
四 嘷喚(けうくはん)
五 大嘷喚(だいけうくわん)
六 焦熱(せうねつ)
七 大焦熱
八 無間(むげん)【一名、「阿鼻〔(あび)〕」。】
以上、熱に責めらるる故、之れを「八熱」と謂ふ。
右「寒・熱八大地獄」、之れを「根本」と謂ふ。【共に十六。】各々、其の四靣の門外に在る所の者、之れを「近邊」と謂ふ【其の十六の外に、又、各々、十六、有り。則ち、「二百七十二」と謂ふは、數に合ふ。】。
山閒・曠野の空中及び樹の下等に在る者、之れを「孤獨」と謂ふ。
△按ずるに、地獄の所在は何處〔(いづこ)〕おいふことを知らず。而〔して〕字義に就きて「地部」に入るれども、名目を出だすのみ。
日本に「地獄」有り。皆、高山の頂(いたゞき)、常に燒け、温泉、絕へず[やぶちゃん注:ママ。]。肥前の【溫泉(うんぜん)[やぶちゃん注:漢字はママ。]】・豊後の【鸖見〔(つるみ)〕】・肥後【阿蘓。】・駿河【富士。】・信濃【淺閒。】・出羽【羽黒。】・越中【立山(たて〔やま〕)。】越乃(こしの)【白山(しら〔やま〕)。】伊豆【箱根。】陸奥【燒山〔(やけやま)〕。】等のごとき、頂、㶡㶡(くはくは)と燃(も)へ起り、熱湯、汪汪(わんわん)と湧(わ)き出で、宛然(さなが)ら、焦熱・修羅の形勢(ありさま)有り。
豊後【速見郡野田村。】、「赤江地獄」と名づくる者、有り。十余丈、正赤(まかい[やぶちゃん注:ママ。])なる湯、血のごとく、流れて、谷川に至る。未だ冷定〔ひえさだまりも〕せざる處〔にも〕、魚、有りて、常に躍り游ぶ。亦た、一異なり。天竺・中華〔の〕高山に、皆、地獄、有り。枚擧せず。凡そ、地獄に嵌(はま)る者、浮(うか)び出ずること、能はず。
[やぶちゃん注:かなりの異体字が使用されており、表記不能なもの(「喚」は恐らくこれ(リンク先は「グリフウィキ」)。「頂」は〔(上)「山」+(下)「項」〕であるが、良安は経験上から「頂」を「項」と書く)は諸本と校合して確定した。挿絵がなかなか凝っていて、特異点でいい感じだ(私はあまり本書の挿絵には期待したことはない。魚介類などでは、ひどい描画もままあったからである)。閻魔庁で、獄卒の鬼に引き立てられて、鏡に生前の悪業が総て映写される「浄玻璃(じょはり)」の前に跪いている亡者だ。鏡の中の左側の男が生前の亡者に違いない。右手の男を襲って剣で刺し殺そうとしているかのように見える。右の男は旅姿であり、下に落ちているのは彼の三度笠。この亡者は山賊ででもあったのかも知れない。
「捺落迦〔(ならくか)〕」地獄のサンスクリット語は「ナラカ」で(「地下にある牢獄」を指す語)、漢音写には他に「奈落迦」「那落迦」「那羅柯」などがある。
「苦噐〔(くき)〕」「苦しみの容器」で意味からの「地獄」の漢訳語。
「泥梨〔(ないり)〕」「地獄」のサンスクリット語には別に同じ意義の「ニラヤ」があり、これはそちらの漢音写。
「根本」「婆沙論」などに見られる地獄の三分類の中の一つである「根本地獄」のこと。「根本地獄」は以下の等活・黒縄・衆合・叫喚(号叫とも。次も同じ)・大叫喚・焦熱(炎熱とも)・大焦熱(極熱)・無間の八大地獄を総称する呼称。
「近𨕙〔(きんぺん)〕」「𨕙」は「邊」(辺)の異体字。「近邊地獄」。前注の三分類の一つ。煻煨増・屍糞増地獄・鋒刃増地獄・烈河増地獄の四つに分けられ、この四地獄が、先の八大地獄のそれぞれの四方に孰れにも附属して存在する。故に一大地獄に十六増の近辺地獄、八大地獄に百二十八増の近辺地獄があることになり、これに根本の八地獄を合せると、総計百三十六地獄となる。
「孤獨」「孤獨地獄」。現世の山間・曠野・樹下・空中(良安の書き方は不全で、それらの空中と樹下にあるように読めてしまう)に忽然と現われる現在地獄を指す。私がこの「孤独地獄」を知ったのは、大学四年の一九七八年十月に入手した(父の知人の伝手で岩波書店本社で社員の方から一割引きで買った。裸でスズラン・テープで六巻ずつ縛られていて、神保町から中目黒まで素手でぶら下げて帰った。三日間、両手の指が血行不良で腫れ上がったのを思い出す)「芥川龍之介全集」をその日から一月ほどかけて通読したその時だった。芥川龍之介のズバり、「孤獨地獄」だ。若書きのもので、「鼻」の発表の二ヶ月後の大正五(一九一六)年四月発行の『新思潮』初出で、大見出し「紺珠十篇」のもとに「孤獨地獄」の標題で掲載され(目次は「孤獨地獄(小品)」)、後の作品集「羅生門」及び「鼻」に収録された。当時の私の日記に異様に感動した記載がある。「青空文庫」のこちらで読めるが、新字旧仮名である。これは正字で読まなくてはだめだ。そのうち、正字正仮名でサイトで草稿も添えて電子化注したい。その一節で龍之介はこう語る(青空文庫版を加工データとして使用し、旧全集で校訂した)。「自分」というのは登場人物の一人である禅僧「禪超」である。
*
佛說によると、地獄(ぢごく)にもさまざまあるが、凡(およそ)先(ま)づ、根本地獄、近邊地獄、孤獨地獄の三つに分つ事が出來(でき)るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有其獄と云(い)ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯(たゞ)、その中で孤獨地獄だけは、山間曠野樹下空中、何處(どこ)へでも忽然として現(あらは)れる。云はば目前の境界(きやうかい)が、すぐそのまゝ、地獄の苦艱(くげん)を現前(げんぜん)するのである。自分は二三年前から、この地獄(じごく)へ墮ちた。一切の事が少しも永續(えいぞく)した興味を與へない。だから何時(いつ)でも一つの境界から一つの境界を追(お)つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃(のが)れられない。さうかと云つて境界を變(か)へずにゐれば猶、苦しい思をする。そこでやはり轉々(てんてん)としてその日その日の苦(くる)しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌(いや)だつた。今では……
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そして、最後に龍之介自身が以下のように語るのである。
*
安政四年頃の話である。母(はゝ)は地獄と云ふ語の興味(きようみ)で、この話を覺えてゐたものらしい。
一日の大部分を書齋で暮(くら)してゐる自分は、生活の上から云つて、自分(じぶん)の大叔父やこの禪僧とは、全然沒交涉な世界(せかい)に住んでゐる人間(にんげん)である。又興味の上から云つても、自分は德川時代(とくがはじだい)の戲作や浮世繪に、特殊な興味を持(も)つてゐる者ではない。しかも自分(じぶん)の中にある或心もちは、動(やゝもす)れば孤獨地獄と云(い)ふ語(ことば)を介して、自分の同情を彼等(かれら)の生活に注がうとする。が、自分はそれを否(いな)まうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦(また)、孤獨地獄に苦しめられてゐる一人だからである。
――五年二月――
*
この最後のクレジットが正しいとすれば、芥川龍之介は未だ満二十三歳である。この最後のメランコリックな告解は、二年前の大正三年秋の龍之介の初恋であった吉田彌生との外的な要因による破局が根にはある。しかし、後の芥川龍之介の自死に至る過程を知っている我々には、いわく言い難い凄絶な不吉な予言として響いてくるではないか?
「テイヨツ」現代中国語では「地獄は「dì yù」(ネイティヴの発音の音写は「ディー・ユゥー」といった感じである)。
『「二百七十二」と爲す』これは、後で良安が言っているように、八大地獄を「八寒地獄」と「八熱地獄」に分けて、先の「百三十六地獄」の倍するとなるから、『則ち、「二百七十二」と謂ふは、數に合ふ』というわけである。
「頞部𨹔(あぶだ)」八寒地獄の第一。寒さのあまり、鳥肌が立ち、身体に痘痕(あばた)を生じる。「痘痕」という語の語源自体が、この「あぶだ」に由来する。ウィキの「八大地獄」に拠った(以下同じ)。
「尼刺部𨹔(にらぶだ)」八寒地獄の第二。鳥肌が潰れ、全身に皸(あかぎれ)が生じる。
「頞唽吒(あしやくだ)」上記リンク先では、「頞哳吒(あたた)地獄」とある。八寒地獄の第三。名は、寒さによって「あたた!」という悲鳴を挙げること由来する。これは以下の「虎虎婆」まで共通である。「頞」は現代中国語では「è」(ウーァ)、「唽」は「xī」(シィー)、「吒」は「zhā」(ヂァ)である。
「臛臛婆(かうかうば)」上記リンク先では、「臛臛婆(かかば)地獄」とある。八寒地獄の第四。寒さのあまり、舌がもつれて動かず、「ははば!」(引用元のママ)という声しか出ない。しかし、「臛」は現代中国語では「huò」(フゥオ)で、「婆」は「pó」(ポォー)である。
「虎虎婆(ここば)」八寒地獄の第五。寒さのあまり、口が開かず、「ふふば」という声しか出ない。「虎」は現代中国語で「hǔ」(フゥー)で一致する。
「嗢鉢羅(をんはつら)【一名、「青蓮華〔(しやうれんげ)〕」。】上記リンク先では、「嗢鉢羅(うばら)地獄」とある。八寒地獄の第六。嗢鉢羅は「青い睡蓮」を意味するサンスクリット「utpala-」の音写。全身が凍傷のためにひび割れ、青い蓮のように、めくれ上がることから「青蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる。
「鉢特摩(はつとくま)【一名、「紅蓮華」〔(ぐれんげ)〕】」同前で「鉢特摩(はどま)地獄」とする。意訳で「紅蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる八寒地獄の第七。鉢特摩(はどま)は「蓮華」を意味するサンスクリット「padma-」の音写。ここに落ちた者はひどい寒さにより、皮膚が裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。
「摩訶鉢特摩(まかはつとくま)【一名、「大紅蓮華」。】」同前で「摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄」とする。意訳で「大紅蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる八寒地獄の第八。八寒地獄で最も広大で、「摩訶」は「大」を意味するサンスクリット「mahā-」の音写。ここに落ちた者は、紅蓮地獄を超える寒さにより、体が折れ裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。
「等活(とうくはつ)」堕獄理由は殺生(せっしょう)。「想地獄」の別名がある。徒らに生き物の命を断った者が堕ち、螻(けら)・蟻・蚊(か)・虻(あぶ)の小さな虫を殺した者も、懺悔しなければ、必ず、この地獄に堕ちると説かれている。また、生前争いが好きだった者や、反乱で死んだ者もここに堕ちるとされる。閻浮提(地上の人間界)の地下一千由旬にあって、縦横の広さは斉等で一万由旬ある。『この中の衆人たちは互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺し合うという。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で等しく元の身体に生き返る、という責め苦が繰り返されるゆえに、等活という』。但し、『この「死んでもすぐに肉体が再生して何度でも責め苦が繰り返される」現象は、他の八大地獄や小地獄にも共通することである』。『この地獄における衆人の寿命は』五百『歳である』が、地獄のそれは『通常の』五百『歳ではなく、人間界の』五十『年を第一四天王(四大王衆天)の一日一夜とした場合の』五百『年が等活地獄の一日一夜であり、それが』五百『年にわたって続くので、人間界の時間に換算すると』、一兆六千六百五十三億千二百五十万年に亙って『苦しみを受けることになる』(一年を三百六十五日とした換算。以下も同様)。『しかし、それを待たず』、『中間で死ぬ者もいる。そこにいる衆生の悪業にも上中下の差別があるので、その命にもまた上中下の差別がある。業の多少・軽重に応じて、等活地獄の一処だけで』受けるか、『もしくは二処、三処、四処、五処、六処と、最後は十六処まで』、『悪業が尽きるまで苦痛を受ける。この一処、二処というのが、十六小地獄を順番に回っていくことなのか、それとも時間の区切りなのかは判然としない』とある。ウィキの「八大地獄」に拠った(以下同じ)。
「黑繩(こくじやう)」罪状は殺生・偸盗(ちゅうとう)盗『殺生のうえに』『盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちると説かれている』。『等活地獄の下に位置し、縦横の広さは等活地獄と同じである(以下、大焦熱地獄まで広さは共通)。獄卒は罪人を捕らえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し、同じく熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、これまた熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸(のこぎり)でその跡にそって切り、裂き、削る。また』、『左右に大きく鉄の山がある。山の上に鉄の幢(はたほこ)を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上を渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎(かなえ)に突き落とされて煮られる。この苦しみは、先の等活地獄の苦しみよりも』十『倍である。人間界の』百『年は、六欲天の第二の忉利天(とうりてん)の一日一夜である。その忉利天の寿命は』一千『歳である。この天の寿命』一千『歳を一日一夜とし』たそれで、『人間界の時間では』十三兆三千二百二十五億年に相当する。『ここにも十六小地獄があるはずだが、「正法念処経」には三種類の名前しか伝わっていない』とある。
「衆合〔(しゆごう)〕」罪状は殺生・偸盗・邪淫。「堆圧地獄」の別名がある。『先の二つに加えて淫らな行いを繰り返した者が落ちる』。『黒縄地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。多くの罪人が、相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す』(これは私の好きな地獄でこの林は「刀葉林」と呼ばれる)。『鉄の巨象に踏まれて押し潰される』。人間の』二百『歳を第三の夜摩天の一日一夜として、さらにその』二千『年をこの地獄の一日一夜として、この地獄での寿命は』二千歳『という。これは人間界の時間に換算すると』、百六兆五千八百億年に相当する。因みに「東洋文庫」の訳ではこれに「しゅうごう」とルビが振られている。「あり得ません。誤りですよ!」。
「嘷喚(けうくはん)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒。「飲酒」というのは、ただ酒を飲んだり、売買した者ではなく、『酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたりすることなどが叫喚地獄に堕ちる条件』とされる。『衆合地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責めさいなむ。頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる』。『人間の』四百『歳を第四の兜率天の一日一夜とする。その兜率天の』四千『年を一日一夜として、この地獄における寿命は』四千『歳という。これは人間界の時間で』八百五十二兆六千四百億年に相当する。
「大嘷喚(だいけうくわん)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語(噓をつくこと)。『叫喚地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)く』。『人間の』八百『歳は、第五の化楽』(けらく)『天の一日一夜として、寿』八千『歳という。その』八千『歳を一日一夜として、この地獄での寿命は』八千『歳である。これは人間界の時間で』六千八百二十一兆千二百億年に相当する。各地獄に十六の小地獄が附属すると言ったが、『理由は不明』だが、この「大叫喚地獄」のみは十八『種類の名が伝わっている』とある。しかし、そうすると、総数に異同が生じることとなるが?
「焦熱(せうねつ)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説き、或いはそれを実践すること)。『大叫喚地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。常に極熱で焼かれ焦げる。赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されて』、『それぞれが炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほどであり、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという』。『人間界の』千六百『歳は、他化自在天の一日一夜として、その寿』一万六千『歳である。その』一万六千『歳を一日一夜として、この地獄での寿命は』一万六千『歳という。これは人間界の時間で』五京四千五百六十八兆九千六百億年に相当する。
「大焦熱」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人(尼僧・童女などへの強姦)。『焦熱地獄の下に位置し、前の』六『つの地獄の一切の諸苦に』十『倍して重く受ける。また』、『更なる極熱で焼かれて焦げる。その炎は最大で高さ』五千『由旬、横幅』二百『由旬あるという。罪人の苦しみの声は地獄から』三千『由旬離れた場所でも聞こえる。この地獄に落ちる罪人は、死の三日前から中有(転生待ち)の段階にも地獄』(この地獄はどこの地獄なのかなあ?)『と同じ苦しみを受ける』。『この地獄における寿命は、人間界の』三千二百『歳を一日一夜とした場合の』三万二千『歳を一日一夜として』三万二千『歳であり、人間界の時間では』四十三京六千五百五十一兆六千八百『億年に当たる。また、この期間を半中劫とも呼ぶ』とある。
「無間(むげん)【一名、「阿鼻〔(あび)〕」。】」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人に加えて、父母や阿羅漢(聖者)を殺害した罪。『地獄の最下層に位置する。大きさは前の』七『つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ』二『万由旬』(八万由旬とも)。『最下層』であるため、『この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて』二千年『かかるという。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦』の一千『倍もあるという。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間』『なく受ける。背丈が』四『由旬』もあり、六十四個の『目を持ち』、『火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて』百『本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの』七『つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという』。『この地獄における寿命は、人間界の』六千四百『歳を一日一夜とした場合の』六万四千『歳を一日一夜として』六万四千『歳であり、人間界の時間では』三百四十九京二千四百十三兆四千四百億年に相当する。『また、この期間を一中劫とも呼ぶ』。『この一中劫の長さに関する説明としては、「この人寿無量歳なりしが』、百『年に一寿を減じ、また』、百『年に一寿を減ずるほどに、人寿』十『歳の時に減ずるを一減という。また』十『歳より』、百『年に一寿を増し、また』、百『年に一寿を増する程に』、八『万歳に増するを一増という。この一増一減の程を小劫として』、二十『の増減を一中劫という」とする表現』があることから、『これは人間界の年月に換算すると』三億千九百九十六万年となる』とある。『また、一説によると、この地獄における寿命は、人間界の』八千『歳を一日一夜とした場合の』八『万歳を一日一夜として』八『万歳とも言われ』、『この場合は人間界の時間で』六百八十二京千百二十『兆年に相当する計算になる。いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない』。『この他、一中劫の長さを表す喩えとしては、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な正方形の石を』、百『年に一度ずつ柔らかな木綿の布で軽く払い、その繰り返しで石がすり減って完全になくなるまでの時間である」とか、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から』百『年に一粒ずつ』、罌粟(けし)『粒を取り出していって、城の中の』罌粟『粒が完全になくなるまでの時間である」などとも言われる。この地獄に堕ちたる者は、これほど久しく無間地獄に住して大苦を受くという』とある。最後に言っておくと、以上の通り、仏教は極めて細かく数理的に規定されているものの、その現在の度量衡換算は一定しない。
「肥前の【溫泉(うんぜん)】」現在の長崎県雲仙市小浜町雲仙にある雲仙岳(グーグル・マップ・データ航空写真。以下同じ)。標高九百十一メートル。この「うんぜん」を「溫泉」と表記するのは誤りではなく、しばしば行われたもののようで、先般電子化した「譚海 卷之四 肥前國溫泉ケ嶽の事」でもそうなっている。
「豊後の【鸖見〔(つるみ)〕】」これは大分県別府市にある活火山鶴見岳のことで、東側山麓の扇状地に「別府地獄」で知られる別府温泉(別府八湯)が広がる。標高千三百七十五メートル。
「阿蘓」阿蘇山。
「越乃(こしの)【白山(しら〔やま〕)。】」この場合の「越乃」は講義の北陸地方で、ここでは加賀を指す。現在の石川県白山市と岐阜県大野郡白川村に跨る標高二千七百二メートルの活火山白山(はくさん)。西山麓の石川県白山市白峰にある「白峰温泉」が知られる。
「陸奥【燒山〔(やけやま)〕。】」秋田県の北東部に位置し、鹿角市と仙北市との境界にある活火山秋田焼山(あきたやけやま)であろう。標高は千三百六十六メートル。西麓に強烈な酸性温泉である玉川温泉がある。私は一泊したが、柔らかな皮膚部分に激しい痛みを感じ、まともに入浴することが出来なかった。
「㶡㶡(くはくは)」不詳。光を放って燃え上がるさまか。
「汪汪(わんわん)」ここは熱湯が豊かにいつまでも湧き出し、常時、湛えられているさまを指す。
『豊後【速見郡野田村。】、「赤江地獄」と名づくる者、有り』大分県別府市大字野田にある温泉が湧出する池で、現在は「血の池地獄」という名で知られ、国の名勝に指定されている。サイド・パネルの画像を見られたい。現存する最も古い記録は八世紀前半に編纂された「豊後国風土記」の「速見郡」の項にある。岩波文庫(一九三七年刊)武田祐吉編「風土記」より引く。
*
赤湯泉(あかゆ)【郡の西北にあり。】
この溫泉の穴、郡の西北の竈門山(かまどやま)に在り。その周(めぐ)り十五丈許なり。湯の色赤くして埿(ひぢ)り。用(も)ちて屋の柱を塗るに足れり。埿(ひぢ)、外に流れ出づれば、變りて淸水(しみづ)と爲り、東を指して下り流る。因りて赤湯泉(あかゆ)といふ。
*
「十五丈」は四十五・四九メートル。これだと、現在の大きさ(一辺が約四十五メートルの三角形の「おむすび」型を成す)より小さいが、一辺十五丈ならば、ほぼ同じである。この最後の部分は「別府温泉地球博物館」公式サイトの「血の池地獄」を参考にした。
「正赤(まかい)なる湯」こういう読みは始めてみたが、意味は「真っ赤」で判る。
「一異」一つの不思議。
「枚擧せず」ここではそれらをいちいち挙げない。
「地獄に嵌(はま)る者、浮(うか)び出ずること、能はず」これは良安の確信犯のシンボライズされた教訓であろう。彼が如何なる信仰を持っていたかは判らぬが。しかし――さればこそ――最後に引用しよう。芥川龍之介の「侏儒の言葉」からだ――
*
地獄
人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。
*
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