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2021/03/11

怪談老の杖卷之四 (太田蜀山人南畝による跋文) / 怪談老の杖卷~電子化注~完遂

    ○

 東蒙子(とうまうし)の語りけるは、

「予が幼き頃、隣家へ行て遊びし事あり。折ふし、ふみ月の中の五日]にて、家々、燈籠を照らし、大路のさまも賑ひける。予が行し家は、紙など商ふ家なれば、「揚げ椽(えん)」といふものを、かけがねして、夜(よる)はあげ置(おき)けるを、「おしまづき」の樣にて、友達の童(わらは)と、手すさびなどして居(ゐ)けるに、年の頃、十二、三計(ばかり)の女の子、來りて、隣の童をとらへ、頭を手して、もみあつかふ。彼(か)の童は、ものもいはず、ただ、

「くつ、くつ。」

とのみ、いふて居たる程に、

『何ならん。』

とおもひて、面(おもて)をあげて、みれば、見もしらぬ女の子なり。

「なに奴(やつ)ぞ。」

と、とがめければ、つやつや、いらへもせず。

 また、傍(かたはら)をみれば、八ツ計の童、面まで、髮、生(お)ひかゝりたるが、立居(たちをり)たり。

 何とやらん、心地の恐ろしかりければ、友達に、

「逃(にげ)よ。」

と云はれけれど、心うばゝれて、逃んともせず、やがて、帶をとりて、内へ引入れければ、手を放ちて、又、我に、とりつきぬ。

 その手の冷(ひややか)なる事、寒中の氷のごとし。

「何ものぞ。」

と、つよく咎(とが)めければ、

「下屋舖(しもやしき)、々々々。」

と、二聲(ふたこゑ)、いひけり。

 此家の裏は、朝倉仁左衞門殿といふ人の下屋敷なるが、かの屋敷守(やしいもり)の娘に、「おかん」とて、ありけるが、遊びがたきにて、常に行ければ、『それか』と、よくよく見るに、似もつかず。

 色靑く、きはめて、よごれたる貌(かほ)なり。

 さる程に、

「ぞつ」

と、おそろしき氣のいでければ、

「わつ。」

と、いふて、戶を引たて、逃入(にげいり)ぬるに、その家の者ども、おどろきて、

「ばけものよ。」

とて、そこらを尋ね搜しけれど、終(つひ)にみへず。

 又、何者といふ事も、しれざりけり。

 是は、かの別莊の内に、年古き狐ありて、人を化(ばか)すといひけるが、童とおもひ、あなどりて來りしにや。よくぞ、まどはされざりし。」

と、今に、いひ出して、語りける。

[やぶちゃん注:「東蒙子」作者平秩東作(へづつとうさく 享保一一(一七二六)年~寛政元(一七八九)年)の号。従って、これは跋の内で、冒頭注で書いた通り、本篇を含む「平秩東作全集」を纏めた平秩東作の友人であった、文人で本篇の所有者であった大田(蜀山人)南畝(寛延二(一七四九)年~文政六(一八二三)年)が平秩から聴いた直話の怪談を思い出として書き添えたものと推定される。

「ふみ月の中の五日」旧暦七月十五日。

「揚げ椽」「揚げ緣」。商家の店先などに、釣り上げられるように造られた縁。夜には、それを上げて戸の代わりとする。

「おしまづき」漢字を当てると「几・机」で、ここは「揚げ縁」の一部を中に取り込んだものを、遊びの台(机)の代わりにしているのであろう。

「つやつや」少しも。全く。

「朝倉仁左衞門」家光の代の江戸北町奉行に朝倉石見守仁左衛門在重(天正一一(一五八三)年~慶安三(一六五一)年)町奉行在任:寛永一六(一六三九)年~慶安三(一六五〇)年)がいる。但し、平秩東作の生没年から、この朝倉在重の直系の後裔と思われる。井上隆明氏の論文「平秩東作とその周辺」(PDF)によれば、この人物は旗本とされ、平秩の生まれた家は現在の新宿二―一六―六附近(グーグル・マップ・データ)が当該地であるとされておられる。

 以下の跋文は底本では全体がポイント落ち。]

 

 

亡友東蒙子、所ㇾ草「怪談老杖」數卷、僅存四卷、流覽一過、宛如亡友而語三十年前事也。

  文化乙亥孟秋念七淸晨  杏花園叟

 

文政己卯水無月廿日、病餘流覽、時年七十一。 蜀山人

  東蒙生平下ㇾ筆不ㇾ能ㇾ休、是其稿本也。

              蜀 又 誌 ㊞

怪談老の杖卷之四

[やぶちゃん注:我流で訓読しておく。

   *

亡き友の東蒙子、草(さう)せる「怪談老(おひの)杖」數卷、僅かに四卷を存す。流覽一過(りうらんいつか)、宛(さなが)ら、亡き友に逢ひ、三十年前に事を語れるがごときなり。

  文化乙亥(いつがい/きのとゐ)孟秋(まうしう)念七(じゆうしち)淸晨(せいしん)

       杏花園叟(きやうくわゑんさう)

 

文政己卯(きぼう/つちのとう)水無月廿日、病(やまひ)の餘(よ)に、流覽す。時に年七十一。 蜀山人

  東蒙は生平(せいへい)、筆を下(おろ)して、休むこと、能はず。是れ、其の稿本なり。

         蜀、又た、誌(しる)す。 ㊞

   *

「流覽一過」縦覧に同じい。全体にざっと目を通すこと。

「文化乙亥」文化十二年。一八一五年。

「孟秋」秋の初めの一ヶ月。初秋。陰暦七月。

「念七」「念」は「廿(じゅう)」(二十)の代字。二十七日。

「淸晨」早朝。

「杏花園叟」大田(蜀山人)南畝の号の一つ。

「文政己卯」文政二年。一八一九年。

「病(やまひ)の餘(よ)に」病気の徒然の間にの意味でとった。「病める餘」で「病中にある私が」の意にもとれるが、その場合、通常は「余」で「餘」とは記さないのが普通。所持する版本は「余」だが、これはその版本が新字採用だからで、底本は「餘」であるから、前者でとったものである。

「生平」平生(へいぜい)。日頃。普段。副詞的に用いている。

 これを以って「怪談老の杖」は終わっている。]

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