怪談老の杖卷之四 厩橋の百物語
○厩橋の百物語
延享の始めの頃、厩橋(まやばし)の御城内にて、若き諸士、宿直(とのゐ)して有けるが、雨、いたうふりて、物凄(ものすご)き夜なれば、人々、一ツ處にこぞりよりて、例の怪談になりぬ。
[やぶちゃん注:「百物語」注する気も起らない。当該ウィキでもお読みあれ。
「延享」一七四四年から一七四八年(延享五年七月十二日(一七四八年八月五日)に寛延に改元)。徳川吉宗・家重の治世。延享二年九月二十五日に代替りするが、事実上は後半も大御所吉宗の治世であった。本書は序文が宝暦四(一七五四)年であるから、ごく直近である。
「厩橋(まやばし)の御城内」上野国群馬郡、現在の群馬県前橋市にあった前橋城は古くは厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれ、関東七名城の一つに数えられた。前橋藩の藩庁。現在の群馬県庁本庁舎敷地(グーグル・マップ・データ)に本丸があった。なお、この当時は老中首座で第九代藩主酒井忠恭(ただずみ)の治世。]
その中に、中原忠太夫[やぶちゃん注:不詳。]といふ人、坐中の先輩にて、至極、勇敢の人なりしが、
「世に化物はありと云ひ、無しといふ。此論、一定(いちぢやう)しがたし。今宵は、何となくもの凄(すさま)じきに、世にいふ處の百もの語りといふ事をして、妖怪出(いず)るや出(いで)ざるや、ためし見ん。」
と云ひ出しければ、何れも血氣の若(わか)とのばら、各(おのおの)いさみて、
「さらば始めん。」
とて、まづ、靑き紙を以て、あんどう[やぶちゃん注:「行燈(あんどん)」に同じい。]の口を覆ひ、傍(かたはら)に鏡一面を立(たて)て、五間[やぶちゃん注:約九メートル。]も奧の大書院に、なをし置き、燈心、定(さだま)りのごとく、百すぢ、入(いれ)て、
「一筋づゝ消し、鏡をとりて、我(わが)顏を見て、退(しりぞ)くべし。尤(もつとも)、その間(あひだ)の席々には燈(ともし)をおかず、闇(くら)がりなるべし。」
と、作法・進退、形(かた)のごとく約をなし、
「先づ、忠太夫より云ひ出したる事なれば、咄し出(いだ)さるべし。」
とて、ある事、なき事、短かきを專らに廻(まは)して、八ツの時計のなる頃[やぶちゃん注:丑の刻。午前二時。]、はや、八十二番の咄し、濟(すみ)けれども、何のあやしき事もなし。
然るに、忠太夫、八十三番目の咄しにて、「ある山寺の小姓と僧と密通して、ふたりながら、鬼になりたり」など、あるべかゝり[やぶちゃん注:「あるべきかかり」の変化した語で、おざなり・紋切り型の意。]の咄にて、
「さらば、燈を消して來られよ。」
といふにつきて、詰所(つめしよ)をたち、靜(しづか)に唐紙をあけ、一ト間々々を過ぎ行しに、行燈(あんどん)のある座ヘ出(いづ)るとて、ふすまをあけて、ふりかへり、あとを見ければ、右の方の壁に、白きもの、見へたるを、立(たち)よりて見ければ、きぬのすその、手にさはるを、
『あやし。』
と、おもひて、よくよく見れば、女の死骸(しかばね)、首など、くゝりたるやうに、天井より下(さが)りて、あり。
忠太夫、もとより、勇氣絕倫の人なれば、
『扨も。世にもなき事は云ひあへぬものなり。これや、妖怪といふ者なるべし。』[やぶちゃん注:「世に在り得ぬことは口に出ださぬが肝要である。これが、或いは『妖怪』なんどと呼ぶものなのであろうか?」。]
と、おもひて、さあらぬ體(てい)にて、次[やぶちゃん注:次の間。]へ行(ゆき)、燈を一すぢ消して、立歸るとき、見けるに、やはり、白く、みえたり。
默して、坐につき、又、跡番の士、代りて行(ゆき)しが、いづれも、いづれも、此妖怪の沙汰を、いふもの、なし。
『扨は。人の目には見へぬにや。また、見へても、我(われ)がごとく、だまりて居(を)るやらん。』
いぶかしくて、
「咄しを、いそぎて、仕舞(しまひ)給へ。」
と、小短(こみじか)き咄し計りにて、百番の數(かず)、終り、はや、終らんとする時、その座中に、筧(かけひ)甚五左衞門[やぶちゃん注:不詳。]といふ人、さながら、色、靑く、心持あしげに見へしが、座につきていふ樣(やう)、
「何と、旁(かたがた)、咄も已におはるなり。何ぞ、あやしき事を見しものは、なきや。」
と、いふとき、皆人(みなひと)、
「そこには、見給ひたりや。」
といふ。
「成程。我らは先程より見たりしが、だまつて居(ゐ)たり。各(おのおの)は。」
と問ふ。
忠太夫、
「我は八十三番目の時、見たり。」
といふ。
それより、皆々、口をそろへて、
「女の首くゝりか。」
といふ。
「いかにも、はや、妖怪見へし上は、咄をやめて、一同に行(ゆき)て見るが、よろしからん。」と。
「尤(もつとも)。」
とて、皆々、行燈を下げて行て見れば、年比(としごろ)、十八、九の女、白むくを着て、白ちりめんのしごきを〆(しめ)、散(ちら)し髮にて、首を縊(くく)りて居(をり)たり。
何にてくゝりしや、天井より下(さが)りしたれば、しかとは見へず。
「抱(いだ)きおろさん。」
と、いひけるを、
「まづ、無用なり。跡先(あとさき)のふすまをしめ、此ばけもの、いかに、仕舞(しまひ)を附(つけ)るぞ、見よ。」[やぶちゃん注:「いや、それはまず、無用なことじゃ。前後左右の襖を締め切って、この化け物が如何にして正体を現わしてけりをつけるか、これ、見届けるべし!」。]
とて、皆々、化物の脇に座を構へて見物する内、はや、東もしらみ、夜は、ほのぼのとあけけれども、化物、きえんともぜず、やはり始(はじめ)のごとし。
「是は。すまぬ物也。」
と、各(おのおの)驚きて、先づ、役人の内、奧がゝりの人をまねき、見せければ、島川(しまかは)殿といふ中老の女なり。[やぶちゃん注:「中老」武家の奥女中で、老女の次位に当たる職。若くても主君の覚えがめでたければ(以下がそれを匂わせている)、なれる。]
殿の、をりふし、つかはるゝなど、取沙汰ある程の人なれば、段々、驚きて、
「是は。けしからぬ大變なり。」
と、いひけるが、皆々、打(うち)よりて、
「まづ、沙汰すべからず。此所(ここ)ヘ、女中の來(きた)る所に、あらず。決して、妖怪に違ひなし。廣く沙汰して、麁忽(そさう)の名をとりては、いかゞ。」[やぶちゃん注:語の使い方が不全であるが、かくい言っている本人が、内心、慌てふためいている感じを出していて、寧ろ、リアリティがあると言える。]
とて、奧家老下田某[やぶちゃん注:不詳。]、
「まづ、奧へ行(ゆき)て、島川どのに、逢はん。」
と、いひけるに、夕べより、不快のよしにて不ㇾ逢(あはず)。
「さては。あやしや。」
と、
「ちと、御目にかゝらねばならぬ急用事あり。」
と、せめけるにぞ、やむことを得ず、出(いで)て逢ひぬ。
實(げ)にも、不快の體(てい)なれども、命に別條なければ、先づ、安堵して、兎角の用事にかこつけ、表へ出(いで)て、最前の場處へ行て見るに、かの首くゝり、段々と消えて、跡もなし。
つきて居(をり)たる人々も、
「いつ、消(きえ)しとも、見へぬ。」
と、いふにぞ、
「扨は。妖怪に相違なし。但し、堅く沙汰するべからず。」
と、右[やぶちゃん注:「左右」の脱字か。]、口をかためて、別れぬ。
そののち、此島川は、人を恨むる事ありて、自分の部屋にて首を縊り失(うせ)にき。
此(これ)、前表(ぜんぴやう)[やぶちゃん注:悪しき予兆。]を示したるものなり。
されば、人の云ひ傳ゆる事[やぶちゃん注:ママ。]、「妖氣の集(あつま)る處、怪をあらはしける」なるべし。
彼(かの)忠太夫、後、藩中を出(いで)て、劍術の師をし居(をり)たりしが、語りけるなり。