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2021/03/10

怪談老の杖卷之四 [原本失題](銀出し油を呑む娘)

 

   ○[原本失題](銀出し油を呑む娘)

 本鄕二丁目八百屋お七と云ふ事、日本にいひ傳へてしらぬものなし。

 世の中に、戀によりて、身を亡(ほろぼ)したるもの、何萬人とも限るべからず。

 その中に、かく、いひさはがれて、姿・心ざまもなつかしき樣に、末の世まで云ひ傳へられしは、その人の幸(さいはひ)とやいはん、また、不幸とやいふべき。

[やぶちゃん注:本篇は見ての通り、原題が脱落している。題無しでは可哀そうなので「(銀出し油を呑む娘)」は私が仮に附しておいた。

「本鄕二丁目」現在の東京都文京区本郷二丁目と三丁目、ここの交差点(グーグル・マップ・データ)の北西と南東が相当する。「古地図with MapFan」で確認した。

「八百屋お七」詳しくは当該ウィキを読まれたいが、それによれば、『お七の生涯については伝記・作品によって諸説あるが、比較的信憑性が高いとされる』「天和笑委集」に『よるとお七の家は』本郷にあり、『天和二年十二月二十八日(一六八三年一月二十五日)の「天和の大火」で焼け出され、お七は親とともに正仙院[やぶちゃん注:不詳。]に避難した。寺での避難生活のなかでお七は寺小姓生田庄之介』『と恋仲になる。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七の庄之介への想いは募るばかり。そこでもう一度自宅が燃えれば、また庄之介がいる寺で暮らすことができると考え、庄之介に会いたい一心で自宅に放火した。火はすぐに消し止められ小火(ぼや)にとどまったが、お七は放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりにされた』とある。因みに、お七の墓は文京区白山一丁目にある天台宗南縁山正徳院円乗寺にある。]

 此類(たぐひ)の事、世に多し。

 是も本鄕の二丁目に、八百屋にはあらぬ質がし・紙・油など賣る家あり、一人の娘をもてり。姿かたち、きよらかに、心ざまも、ゆうに、やさしかりければ、見る人、戀慕(こひした)はぬは、なかりけるが、その隣なる家の手代に、武兵衞とて、よきをとこ、ありけるが、かの娘に執心して、

「何とぞ、折(をり)もがな、心の底を。」

と、求めけれど、折ふしに顏見る計(ばかり)、咄しひとつ、いひよる手だてもなければ、

「何とぞ、彼(かの)家へ入(いり)こむ手だて。」

など、心がけて居(をり)けるに、娘のはゝ、よみ[やぶちゃん注:短歌詠或いは既存の名歌の詠唱か。]好きにて、正月十五日前は、下女・娘などあいてに、よみうちけるを、

「くつきやうの事。」[やぶちゃん注:「究竟」で「非常に好都合なこと・お誂え向きなこと」の意]

と、悅びて、どこともなく近寄(ちかより)、よみの相手に、一夜、二夜、行けれども、先には、少しも、その心なければ、もどかしき事、かぎりなし。

 漸(やうや)く傳(つ)てを求めて、文(ふみ)を送りけれど、手にも取らず、顏を赤め、

「となりの若いものが、ケ樣(かやう)々々。」

と、母へ告(つげ)ける程に、はや、よみの相手にもよばず、それよりは、外へも出(いだ)さねば、

「塀越しに聲をもきくか、ふしあなより貌(すがた)にても見ゆるか。」

と、馬鹿の樣(やう)になりて、

「裏の下水へながるゝ水は、となりの娘御(むすめご)の行水の末なるべし。」

と、指もてなめて見る程のたはけも、戀程、せつなきものは、なし。

 譯(わけ)をしりたる人、あまり不便におもひ、

「何とぞ、取(とり)もちやらん。」

と、いろいろ、娘をだましけれど、よくよく石部金吉(いしべきんきち)にて、後(のち)には惡口(あつかう)などしける程に、かの若い者も、

「口惜しや、人なみなみの身上(しんしやう)ならば、かく。はづかしき目は、見まじき。」

と、あけても暮(くれ)ても、なげきけるが、いつとなく、奉公も身にそまず、おとろへ行(ゆき)ぬ。

 しかるに、その近處(きんじよ)に、伽羅(きやら)の油賣る惣(さう)なにとかやいふ男、又、此娘にほれて、一さほ三十二文の油を廿八文にまけ、おしろいを、はづみ[やぶちゃん注:おまけにただでつけたのであろう。]、花の露[やぶちゃん注:飲めば長生きするとされた「菊の露」、菊の花に溜まった雫(しずく)のことか。]を遣ひものにして、心をくだきけるが、この伽羅の油[やぶちゃん注:「賣り」の略。]、口拍子(くちびやうし)よき[やぶちゃん注:喋る内容や調子が如何にもいい感じを与えることを言う。]男にて、

「娘の氣に入(いり)、晝夜(ちうや)、入びたり居(を)る。」

といふ事をいふものあり。

 定めて、世にはやかせて[やぶちゃん注:あることないことを流行らせて。]、慰(なぐさみ)にするといふ樣な、情(なさけ)しらずの破家《ばか》者あれば、その類(たぐひ)なるべきを、かの手代、きうくつ[やぶちゃん注:「窮屈」。歴史的仮名遣は「きゆうくつ」でよい。]なる心より、深く恨みにおもひける。

 いづ方ヘ行しや、ある夜、出(いで)てのち、行衞しれず、なりける。

 その年の末より、かの娘、ぎんだし油を好みて附(つけ)けるが、あまり、大そふ[やぶちゃん注:「大層(たいさう)」。]に、油、いりければ[やぶちゃん注:買い入れるので。]、兩親、ふしんし、せんぎしければ、髮には、わづかの事にて、皆、食物(くひもの)の樣にしてありけるを、深く、いましめけれど、病(やまひ)の業(わざ)なれば、やまず、夫(それ)より逆上して、貌(かほ)へふき出(いで)て、終(つひ)に十五のとし、むなしくなりぬ。

「死して後(のち)、髮の中より、おびたゞしく、むかでの樣(やう)なる蟲、わき出ける。」

とかや。

「人の恨(うらみ)なるべし。」

と、いひあへり。

 となりの手代と傍輩なりしもの、語りけるが、

「かの手代、出奔する前には、夜中などにおきて、物もいはず、『ぶるぶる』と、ふるひし事、度々なり。」

と、いへり。

 予、おもふに、これ、かの恨のむくひにはあらず、病の業なり。

[やぶちゃん注:この手代の症状は統合失調症や重い強迫神経症が疑わられる。]

 或は灰をなめ、土器を喰ふ類ひ、ことごとく、戀幕の執(しふ)によりて、といふ事、あるべからず。

 婦人と生れては、父母の命によりて夫を持つは「禮」なり。『人の恨、恐ろし』とて、たやすく順(したが)ふは「不義」の甚だしきものなり。若(もし)、不幸にして、人におもひかけられたる人あらば、よく人を以て、その道理をさとし、心をなだめて、合點さする時は、人、各(おのおの)、心あり。愛する人のいふ事は、あしき事さへ嬉しきものなれば、恨むる道理は、なき事なり。只、情なく、のゝしり、恥かしむるよりぞ、恨、甚し。是は、女の道とは、云ひがたし。此さかひをよく辨へて、生死存亡(しやうじそんばう)を心とせず、婦の道を守りて、貞一なる婦人こそ、あらまほしき業(わざ)なり。

[やぶちゃん注:「伽羅の油」鬢付油の一種で、胡麻油に生蠟(きろう)・丁子(ちょうじ)を加えて練ったもの。近世初期に京都室町の「髭の久吉」が販売を始めたという(なお、本来の「伽羅」は香木の一種で、「伽羅」はサンスクリット語の「黒」の漢訳であり、一説には香気のすぐれたものは黒色であるということから、この名がつけられたともいう。別に催淫効果があるともされた)。

「ぎんだし油」「銀出し油」で頭髪用の油の一つで、常緑の蔓性木本であるマツブサ科サネカズラ(実葛)属サネカズラ Kadsura japonica:別名ビナンカズラ(美男葛)のつるの皮を水に浸し、粘りをつけたもの。当時は異名からも判る通り、普通は男性の鬢付け油に使用された。この娘の異常行動と死は、食用にはならないもの・消化出来ないもの(実は食べられるし、油自体は有毒ではないようである)を多量に口経摂取していることから、現代なら、重篤な異食症(pica:ラテン語で「カササギ」(スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica )の意。鵲は何でも口に入れる習性があることに由来する病名)とされるであろう。異食症は複数の原因が考えられ、一般女性でも妊娠時にこの症状が出る場合があるが、流石に、この娘が妊娠(この油売りが相手)していたというのは、叙述からは、ちょっと考えにくいように思われる(噂話にはそれが嗅がせてあるようにも読めるが)。他には、先天性の何らかの疾患、或いは、極端な偏食による後天的栄養障害・栄養不良(特に鉄欠乏性貧血・亜鉛欠乏症)、脳への酸素供給量不足による満腹中枢障害・体温調節障害に起因するもの、強い精神的ストレスを原因(ストレスによって、脳内の神経伝達の重要な一つである生理活性物質セロトニン(serotonin)が不足を生じ、感情・欲求が抑制出来なくなるのが一因ともされる)とするもの、精神疾患の合併症状の一つとも、また、脳腫瘍による異常行動の一症状、人体寄生虫の感染(特に鉤虫症。複数の病原虫がいる。私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)」の「伏蟲」の私の注を参照されたい)による場合があると当該ウィキにあった。死に至ったことをことを考えると、以上の中では現実的なものとしては、脳腫瘍が最有力候補となろうか。後で筆者もまさに異食症を挙げ、それを現実的な疾患(外因・内因・心因の区別はつけていない)であると考えていることが明らかにされる。

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