明恵上人夢記 91(二つの夢)
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一、又、一人の若き僧有りて云はく、「先日、寶筐印陀羅尼(ほうきやういんだらに)を書きて賜はるべき由、申しき。書きて賜はるべし。」と云ふ。心に之を思惟(しゆい)す。其の後に、將に法衣を著(つけ)むとす。帶、少しき、しにくきに、此の僧、「借りて著(ちやく)せむ。」と欲するを、快くして、遮(さへぎ)らず。僧、感じて云はく、「御房、廣大なる心、まします也。」。頻りに之を感ず。
又、夢に、南の尼御前有りて云はく、「佛を造りて給ふべき也。」。予、答へて曰はく、「何にしてか、造るべき。」。堪へざる由を稱す。夢の中に、彼(か)の人、現(うつつ)に存ずる由を思ふと云々。
[やぶちゃん注:時制推定は「90」の私の冒頭注を参照されたいが、そこでも書いたように、ここで明恵の母の姉らしき近親者が出るのも、「89」夢との関係に於いて、非常に重要であると私は思っている。
「一人の若き僧」私は一読して、「これは釈迦の若き日のそれではないか?」と思ったことを注しておく。
「寶筐印陀羅尼」釈迦が路辺の朽ちた塔(ストゥーパ)を礼拝し、「これこそ如来の全身舎利を集めた宝塔である」として、その塔の功徳などを述べた「宝篋印陀羅尼経」に説く陀羅尼。四十句からなる。
「思惟」この場合は、この若い僧僧に、私明恵が、今、宝筐院陀羅尼を書き与えてよいかどうか、ということを深く考えたことを指す。以下は、それを「諾」と明恵が判断し、さてもそれを書くための仕儀を整えていることを示すものと読める。
「借りて著せむ」私は若僧のこの僧が「私の致しておりますところの、この粗末な帯を、お貸し申し上げます」と申し出たものと思う。さればこそ、コーダが腑に落ちるからである。
「南の尼御前」底本の注には、『『明恵上人行状抄』には湯浅宗重女に「次女南」とあり、この女性を指すか』とする。明恵の母は紀伊国の有力者であった湯浅宗重の四女であった(父は高倉上皇の武者所に伺候した平重国)。
「堪へざる由を稱す」とは、「南の尼御前」の本心である。とすれば、「南の尼御前」の事蹟を知り得ない我々にとって最も理解し易い真意は、実はこれは明恵自身の本音とは言えないだろうか? 前の「90」夢では、明恵は世間の自身への尊崇が単なる当時の状況下に於ける、如何にもいい加減なものに起因するものであることを語っていた(と私は思う)ことを考えれば、「堪えられない」のは明恵自身の正直な気持ちの外化された憤懣ではなかったか? と私は考えるのである。
「彼の人」記述上は「南の尼御前」を指すように思われるが、それでは、夢の中の明恵がわざわざ覚知することを言う必要がないと考える。少なくとも私自身の永年の夢記述の中にあってはこのような判り切った無駄な言い添えをするはずがないという確証を持っているからである。さすればこそ、第一夢との並置からみて、私はこれも「釈迦」であるように感ずるものである。]
□やぶちゃん現代語訳
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また、こんな夢を見た――
一人の若い僧がいて、彼が言うには、
「先日、『「寶筐印陀羅尼」を書いて私に賜わる』と申された。されば、書いて賜はれたい。」
と。
私は、静かに、そのことについて、その正否を心に思惟した。
その後に、私はそれを「諾(だく)」と考え、それを自筆するために法衣を著ようとした。
すると、私の用意した帯を廻(まわ)したところ、少しばかり、
『し難いな。』
と思った折り、この若い僧は、
「どうか。私の帯を借りて、お廻しなされよ。」
と切に望んだによって、私はそれを、すこぶる快く思い、断らなかった。
すると、その若い僧は、いたく感じ入って、言ったのだ!
「御房! それ! 広大無辺なる心! ましまする!」
と。
しきりに、私はそれに、心、撲(う)たれ、感じたのだ!
*
また、こんな夢を見た――
南の尼御前がいて、言うことには、
「仏のお姿をお造り下さるようお願い申し上げます。」
と。
私は、それに応じて、言った。
「何のために造らねばならぬのか?」
と。
南の尼御前は、
「堪えられぬから!」
といった旨を語った。
その時、私は、夢の中で、
「これは。『かの人』が、たまさか、私の夢の中に現われて示現されたのだ!」
ということを、心に深く感じたのであった……