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2021/03/09

只野真葛 むかしばなし (20)

 

 ひばゞ樣、袖ヶ崎へ、はじめて對面に御下り被ㇾ成し時、

「とし月、まち得し人に逢(あふ)とて」

といふ、はし書(がき)にて、哥二首御おくり被ㇾ成しとなり。はし書ばかり、ばゞ樣、折々被ㇾ仰し故、おぽしたり。

 築地へ御うつり後、御老衰にて、つとめ、なりがたく、隱居願ひすみて後、下(さが)り被ㇾ成しが、一生御つとめ中の通(とほり)、被ㇾ下物、有しに、一月の小遣(こづかひ)にたらずして、いつも御たし被ㇾ成しとなり。

 目も、むつかしく、耳は、かなつんぼにて、聲たかく、雷のおちかゝるごとくなりし故、隣の人さへ、をそれしとなり。

 御つとめ中、御あてがいも、よけれど、物前(ものまへ)[やぶちゃん注:正月・盆・節句などの前。物日の前。]には、二十兩・三十兩程づゝ、御むしん、申來(まうしきたり)、御だしくり被ㇾ成しとなり。

 ぢゞ樣には、築地へ御うつり被ㇾ成て、餘り年もへず、御死去被ㇾ成しとなり。袖ケ崎にて御看病仰られし疲れが、もとゝ成し由なり。

 其頃、ひばゞ樣、老後のこと故、御悼《いた》みもや、と御あんじ被ㇾ成しに、

「おゑんさへあれば、よい。」

と被ㇾ仰しとなり。

 其後、しばらく、御ながらへ、母樣御引こし後、五、六年も、いらせられ樣(やう)の御はなしなりし。

 ばゞ樣は、酒、御好(おこのみ)なれども、ぢゞ樣、あがらぬ故、御遠慮にて、ひしと、やめていらせられしを、ぢゞ樣、御かくれ後、ひばゞ樣、いづかたにて聞(きき)だされしや、酒を御(おん)とゝのへ、ある夜、御よび被ㇾ成て、

「今までは、しらで有しが、酒をまゐるよし聞(きき)し間(あひだ)、氣ばらしに進(すすむ)る。」

と被ㇾ仰て、御そばにて、酒を上られしが、

「一度(ひとたび)さやうに被ㇾ成てより、每夜、かくること、なし。いやでも、あがらねばならず、是も氣のつまりしもの。」

と被ㇾ仰し。

 ひばゞ樣、居間へは、每夜、五十目懸(がけ)のろうそく二丁ヅヽたてゝ、

「あれでも、くらい。くらい。」

と被ㇾ仰て、御目のあしきとは、おぽしめさず、

「芯をとれ。芯をとれ。」

と、ろうそくを御せめ被ㇾ成しとなり。

[やぶちゃん注:サイズ:「五十目懸のろうそく」五十匁(もんめ)の蠟燭で、重さ百八十七・五グラムで、現在の蠟燭店のサイトで見ると、高さ二十七センチメートルもあり、燃焼時間は約九時間という甚だ大な蠟燭である。]

 

 ぢゞ樣には茶の湯も被ㇾ成しなり。其代(しろ)にとゝのへられしといふ道具、かれ是、有し。袖ケ綺にてのことなるべし、何かの序(ついで)に、小倉色紙の書樣(かきやう)のはなしいでし時、ぢゞ樣、

「いで、墨すりて持てこよ。書(かき)て見せん。」

と被ㇾ仰て、卽座に御書被ㇾ成しとて、蟲干に、いでしを、おぼえたり。老筆のやうなりしを、

「うべなり、ぢゞ樣の御手よ。」

と、子心(こどもごころ)におもへて有しが、其頃の御年延《としばい》は、さいふばかりには、あらざりけり。よくもあしくも、百枚の書(かき)やう、そらに御おぽへ被ㇾ成候は、氣根の内なるべし。

[やぶちゃん注:「年延《としばい》」年を重ねて思慮分別のあること。]

 

 袖ヶ崎にて、三年ばかり、めしつかはれし、「ふで」といふ女、十六にて參りしが、

「なみなみの下女ならず。」

と、さほど行儀高なるぢゞ樣も、御ほめ被ㇾ成しとなり。一度、「是はかうせよ」と仰付られしこと、いつまでもたがうこと、なし。しごく、實ていなるものなりしが、料理人森井藤九郞妻となりて、其緣によりて、同人、出入、しそめたり。

 ぢゞ樣には、そうぞくむき[やぶちゃん注:「裝束向き」で「家屋・道具などを飾りつけたり、整えて支度したりすること・設(しつら)えの意。]、巧者にて有し。傳馬町へ、借地被ㇾ成、普請の時、

「醫師は大名より進物をとりいるゝもの故、玄關せまくては、大臺(おほだい)をとりまわすに、見ぐるしゝ。」

とて、二間口と被ㇾ成しが、御言葉のごとく、ほどなく、諸大名、おびたゞしき御出入となりしとなり。

 かゝへ屋敷も、三ヶ所、有し。御家へ、めしかゝへとなりし時、町の病家と居(ゐ)やしきを、高弟元てきへ御ゆづり被ㇾ成、

「工藤といはずば、人がうけ引(ひく)まじ。」

とて、苗氏まで被ㇾ下し故、元てきがためには粗略にならぬ大恩の師なり。

 二代目元てきの妻は、京ものにて、顏かたち相應にて人がらよく、年禮には、每年、來りしをおぼへたり。中年にて先夫、死(しし)、町醫のこと故、其後家に人をいれて、

「あとの世話させる。」

とて、今の元てきは、來《き》し人なり。

 中の元てきの娘、壹人、有しを、小山玄眞が妻にしたるなり。京女も中年にて不幸、今の元てき妻は、其時の下女なりしが、手をつけられて、身重(みおも)となりし故、

「うみおとすまで。」

とて、おきしを、肥立(ひだち)て後(のち)、いとまつかはせしに、其下女、石を兩袖に入(いれ)て、

「たゞ今、下りて、生きてをらんと、おもはず。ながき、わかれの覺悟なり。」

とて、泣きしを、元てき、ふびんにおもひて、

「乳母がはり。」

とて、とゞめしが、いつとなく、奧樣になりしなり。

[やぶちゃん注:「中の元てき」この「工藤元てき」という弟子は三代いたようで、「中の」とは、その「二代目の」の意のようである。]

 

 此外、一はたの町醫と成し弟子、兩人有しが、皆、名をわすれたり。先生へ、きげんうかゞひに、時々、あがらねばならぬを、袖ヶ崎は遠方故、いひあはせて、ふたりづれにて上(のぼ)りしに、壹人(ひとり)は、ぢゞ樣流の、かた人にて、金持なり。壹人は當世人(たうせいじん)にて有しに、寒中、御きげんうかゞひの歸りに、御門をでると、うす日ぐれ、シヤレ人[やぶちゃん注:後者の弟子。]は、家までかへるが、しきりに、いやなり、

「品川に、とまれ、とまれ。」

と、すゝめるを、金持は、不承知なり。爰が品川の内の方かといふ所に、立(たち)て、あらそふに、金持、[やぶちゃん注:以下金持ち弟子と洒落人弟子の丁々発止の言い合いが当時の口語表現で面白く挟まれてある。]

「そんなら、きさま懷中に金があるか。」

「いやもちあわせはない。」

「夫《それ》みろ。金もなくて、どう、あそばれるものか。」

「いや夫《それ》はどうでもなる。」

「どうでもなるなら、こなたばかり、とまれ。おれは内に用が有(ある)。無懷(ふところなし)で遊ぶより、おれが所へよつて、茶づけでも、くつた方が得で有(あら)ふ。」

と、すゝめられ、堅《かた》人(びと)の方、少し、先弟子(さきでし)故、それにまけて、から風(かぜ)が出(い)で、さむいに[やぶちゃん注:ママ。]、心は、あとへのこりながら、歸ると、堅人の方は、少しちかく、通道(とんほりみち)故、入(いり)て夜食をいだす所が、香の物で、茶漬めし、うまくもなけれど、くひ終り、たばこ、のんでゐると、堅人、たつた今、懷からだしておいた鼻紙袋の中から、金入(かねいれ)をとりいだし、廿兩ばかりの金を

「チヤンチヤン」

と、かぞへて見せて、又、入(いれ)ておきしとなり。

 殊の外、くやしがりて、一生のはなし草にせしとなり。

 

 ぢゞ樣は、金は多くもたれしが、人にかすことは大きらいにて有しとぞ。

 袖ケ崎にて、金持と見こみて、

「二十兩、くり合(あはせ)もらひたし。」

と、いひ人し人、有しに、

「やすきほどのことながら、私(わたくし)、金のかし人(びと)[やぶちゃん注:金を貸す側になることは。]、きらいなり[やぶちゃん注:ママ。]。されど、左樣にいはるゝは、餘儀なき事なるべし。」

とて、のしを付て、進物(しんもつ)に被ㇾ成しとなり。

「それより後、無心いふ人、なかりし。」

と、ばゞ樣、御はなしなり。

 ぢゞ樣御かくれ後、とかく、くらしかた、手[やぶちゃん注:費用。]、はりたるまゝにて、渡物(わたりもの)ばかりにては、たらず、年々、有金(ありがね)三十兩ぐらい、たして御くらし被ㇾ成候となり。

 父樣御はなしに、

「人には『金持』といはれしが、其時よりは、地切(ぢきれ)に成(なり)て、くらすかた、こゝろよし。『年々、足し金して、是がつきたら、いかゞせん』と思ふは、行詰(ゆきづま)つたやうで、わるかりし。」

と被ㇾ仰しが、町屋敷なども、だんだん、なくなりし。

[やぶちゃん注:「地切」本来は「損得・過不足のない状態。収支がつりあった状態」を指す語で「じぎり」とも言う。さればこそ、「くらすかた、こゝろよし」という感想が出るようにも思えるのだが、以下の部分からは、以前から貯蓄しておいた「もともと持っている自分の金」を不足分に足して切り崩しているわけで、ここは結果、後者でとるべきであろう。]

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