大和本草附錄 海粉(カイフン) / (ウミゾウメン(海藻))
海粉 長崎ニ自外國來ル海苔ノ類ナリ乾堅クシテ
來ル絲條ノ如シ色綠ナリ熱湯ニ浸セバ色淡シ食
之味美醫書ニ所謂海粉ハ別物也
○やぶちゃんの書き下し文
海粉(かいふん) 長崎に外國より來たる海苔〔(のり)〕の類〔(るゐ)〕なり。乾(ほ)し、堅(かた)くして來〔(きた)〕る。絲條(いとすぢ)のごとし。色、綠なり。熱湯に浸せば、色、淡し。之れを食ふ。味、美〔(よ)〕し。醫書に謂ふ所の「海粉」は別物なり。
[やぶちゃん注:紅藻植物門真正紅藻亜門真正紅藻綱ウミゾウメン(海素麺)亜綱ウミゾウメン目ウミゾウメン亜目ウミゾウメン科ウミゾウメン属ウミゾウメン Nemalion vermiculare
(鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の当該種をリンクさせておく。写真多数)及び同属の
ツクモノリ Nemalion multifidum
も挙げておく(ツクモノリは「九十九海苔」か。この「ツクモ」は思うに「白髪」では色が合わないので、単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科フトイ(太藺)属 フトイ Schoenoplectus tabernaemontani の異名のそれではないか? やや太い丸い長い茎を持つので親和性があるからである)。本邦にはこの二種しか棲息しないからである。前掲の田中氏の「日本の海藻 基本284」によれば、属名は「糸のような」、ウミゾウメンの種小名は「回虫の形をした」である。ただ、実は益軒は本巻で「大和本草卷之八 草之四 索麪苔(サウメンノリ) (ウミゾウメン)」を挙げてしまっており、彼は清から齎される乾燥加工されたそれを全く別物と認識していたことが判明する。彼はそこで「其の漢名と性〔(しやう)〕と、未だ詳かならず」とはっきり言っているからである。田中氏によれば、『本種は潮間帯の中部に生育し、岩上に数十本が並ぶ様はまさしく太めのそうめんである。但し乾燥すると干そうめんのように細くある。付着部が岩の上につき、そこからあまり太さの変わらない分岐しない円柱状のからだをもつ。粘液質で、大変にぬるぬるする。能登で半島氷見』『では「ながらも」と呼ばれる珍味である。生品は熱湯をかけて、乾燥品は水にもどして、二倍酢、酢味噌、味噌汁にして食す』とある。私は中高の六年間を氷見の手前の高岡市伏木で過ごしたお蔭で、大変な好物となった。なお、軟体動物門腹足綱異鰓上目後鰓目無楯亜目 Anaspidea に属するアメフラシ類(標準和名種としてはアメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai )の卵塊を全く同じ「海素麺」と俗に呼ぶ。茹でた素麺のような形をしており、かなりどぎつい黄橙色を帯びる。三月から五月にかけて海岸の岩の下や隙間及び海藻の間などに普通に見られるが、毒性を有し、食べられない(上のリンク先の私の最後の部分を参照されたい)。
『醫書に謂ふ所の「海粉」』「五雑組」(明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ)の「七」に、
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海粉。乃龜黿之屬腹中腸胃也。以巨石屋其背、則從口中吐粉吐盡而斃。名曰拱。務待齋者常誤食之。
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とあるので、ウミガメの作答(さとう:体内生成異物)の類いと考えていたものらしく、その毒性を転じて吐瀉剤に用いていたとなら、アメフラシの卵塊を指している可能性がぐんと高くなるように思われる。]