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2021/03/06

「大和本草附錄」及び「大和本草諸品圖」中の水族の抽出電子化始動 / 海椰子 (ニッパヤシ)

 

[やぶちゃん注:私は半年前の二〇二〇年九月十三日附で、本ブログのカテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』の完遂を宣言してしまっていた。しかし、その最後の記事の標題を『大和本草卷之十三 魚之下 ビリリ (神聖苦味薬) / 「大和本草」の水族の部~本巻分終了』と変更し、末尾のメッセージを以下の通り、改稿した。

   *

 これを以って二〇一四年一月二日に始めた「大和本草」の水族の部の本巻分の電子化注を終わる。この時、実は私は忘れていた。何を? 「大和本草」には別に――「大和本草附錄」二巻と「大和本草諸品圖」三冊(上・中・下)があることを――である。付図の方は理解していたのだが、正直、恐らくは画才の足りない弟子の描いたものが多く、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 鱟」で示した如く、マスコット・キャラクターのようなトンデモないものがあることから、無視しようと思って黙っていた。しかし、今朝、総てを確認したところ、追加の「附錄」二巻の内には確かな海産生物が有意に含まれていることから、『「大和本草」の水族の部』の完遂とは逆立ちしても言えないことが、判ってきた。されば、カテゴリの最後の【完】を除去し、続行することに決した。お詫び申し上げる。因みに、これは誰彼から指摘を受けた訳ではない。あくまで自分の良心が「大和本草諸品図」の方に働いていたことからの自発的な確認に由ったものである。――というより――正直――『ああ! また「大和本草」とつき逢えるんだな!』という喜びの方が遙かに大きいことを告白しておく。

   *

というわけで、また――義務としては続けねばならないし――気持ちとしてはほぼ歓喜雀躍して続けられると感じている――のである。また、お附き合い戴こう。

 最初は「大和本草附錄卷之一」から始める。底本は従来通り、「学校法人中村学園図書館」公式サイト内にある宝永六(一七〇九)年版の貝原益軒「大和本草」PDF版を視認してタイプする(リンク先は目次のHTMLページ)。「大和本草附錄卷之一」はこれ。但し、判読に悩む場合は、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを確認した(同一の版と思われるが、底本が読み易くするために明度を著しく上げた結果、一部の画数の多い字が潰れて判読しにくくなっているからである。例えば、冒頭の罫外頭注の「蠻」を見られたい。底本では、ちょっと判読に躊躇するのだが、後者では難なく判読出来る)。最初の「海椰子」は冒頭から三項目に出現する(PDFコマ数で「2」)凡例も同じとする。第一回の『カテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』始動 /大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海鼠』を参照されたい。なお、私は本巻分の植物は海産藻類に限っており、淡水産水草類は含めていないので、同じ仕儀でピックアップしてゆく。]

 

大和本草附錄卷之一

             貝原 益軒 輯

 ○草類【海藻水草ヲ雜記ス】

○やぶちゃんの書き下し文

「大和本草」「附錄」卷之一

             貝原 益軒 輯

 ○草類【海藻・水草を雜記す。】

[やぶちゃん注:とあるが、これは「草類の雑記であるが、海藻及び水草も含んで記す」という意味である。事実、最初に挙げる「百草霜」(ひやくさうそう(ひゃくそうそう))は、柴や雑草を竈で燃やした際に竈内部や煙突の内側に附着した灰炭を薬用に用いたものを指し、二番目は「日光黃スゲ」で単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科キスゲ亜科ワスレグサ属ゼンテイカ(禅庭花)Hemerocallis dumortieri var. esculenta である(「ニッコウキスゲ」は通称で、正式和名はこの「ゼンテイカ」であるので注意されたい)。]

 

【蠻種】

海椰子 海中所生藻實也其形椰子ニ似テ小也

桃ノ大ニテ大腹皮ノ如ナル皮アリ暹羅國ヨリ

來ル病ヲ治スト云未詳其功

○やぶちゃんの書き下し文

【蠻種】

海椰子(うみやし/うみやしほ[やぶちゃん注:右ルビ/左ルビ。]) 海中に生ずる所の藻の實(〔み〕)なり。其の形、椰子に似て小なり。桃の大(〔おほき〕)さにて大腹皮(だいふくひ)のごとくなる皮あり。暹羅(しやむろ)國より來たる。「病ひを治す」と云ふ〔も〕、未だ其の功を詳かにせず。

[やぶちゃん注:先に注した二条の後の三番目で出る。左ルビの最後の「ホ」は「ネ」のようにも見えるが、他の「ホ」・「ネ」との比較から「ホ」で採った。その後に調べたところ、国立国会図書館デジタルコレクションの大正一〇(一九二一)年本草図譜刊行会刊の岩崎常正著「本草圖譜 果部 六十五」の「果部【夷果類】」の「椰子」パートに「一種」として(目次では『一種 ウミヤシホ 【ドヾ子ウスの圖】』とする)以下の解説と図(トリミングした)が載る(句読点と記号を附し、一部に推定で歴史的仮名遣で読みを添えた)。

   *

Umiyasiho

一種

  ウミヤシホ

「ドヾ子ウス」に載る圖。又、海濱へ漂着す。形、椰子より小く、二寸許。囲(めぐ)り、二、三寸。外皮ハ椰子と同じ。内に堅き仁(じん/たね)ありて中実(ちゆうじつ)す。仁を削りて薬に用ふ。中風を治する効あり。價(あたひ)、賎(いや)しからず。田村氏は「廣東新語」の「石椰子」に充(あ)つ。

   *

と記載も一致するから間違いない。「ホ」は「穂」か。「ドヾ子ウス」は十六世紀のフランドルの医師で植物学者レンベルト・ドドエンス(Rembert Dodoens 一五一七年~一五八五年:ラテン語名はレンベルトゥス・ドドネウス(Rembertus Dodonaeus))である。一五五四年に刊行された本草譜「クリュードベック」(Cruydt-boeck:オランダ語で「草木誌」か)の著者である。彼の著書は、ヨンストンの「動物誌」とともに江戸時代に野呂元丈らによって蘭訳書から「阿蘭陀本草和解」などに抄訳されていた。ドドネウスの原著(オランダ語版)は一六一八年版と一六四四年版が本邦に伝わり、長く用いられた。訳は他に平賀源内・吉雄耕牛(よしおこうぎゅう)らが翻訳を試みたが、孰れも抄訳であったため、松平定信が石井当光(あつみつ)・吉田正恭(まさやす)らに全訳を命じ、文政六(一八二三)年頃に、一旦、完成したものの、江戸の大火で大部分が失われてしまい、現存するものは、僅かにその十分の一に過ぎないとされる。「田村氏」は思うに、日本初の地方植物誌として知られる優れた南方本草書「琉球産物志」(明和七(一七七〇)年刊)を書いた本草学者田村藍水(年享保三(一七一八)年~安永五(一七七六)年:栗本丹洲の父で、平賀源内は門人)であろう。「廣東新語」は清初の屈大均撰になる広東における天文地理・経済物産・人物風俗などを詳しく記録した総合地誌。全二十八巻。「石椰子」探すのに少し苦労した。何故なら、これは同書の植物類の諸巻にではなく、第十六巻の「器語」の「椰器」に載っていたからである。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同書のここである。全文を引く。下線太字は私が附した。

   *

椰殼有兩眼謂之萼、有斑纈點文甚堅。橫破成椀、縱破成杯、以盛酒、遇毒輒沸起、或至爆裂、征蠻將士率持之。故唐李衛公有椰杯一、嘗佩於玉帶環中。椰杯以小爲貴。一種石椰生子絕纖小、肉不可食、止宜作酒杯、其白色者尤貴、是曰白椰。粵人器用多以椰、其殼爲瓢以灌溉、皮爲帚以掃除、又爲盎以植掛蘭掛竹、葉爲席以坐臥。爲物甚賤而趙合德以椰葉席獻飛燕也。

   *

 初っ端からとんでもない(海藻・淡水産水草・水藻を考えていた私には意想外であったという点で)植物が登場した。これは単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ニッパヤシ属ニッパヤシ Nypa fruticans のことである。当該ウィキによれば、『熱帯から亜熱帯の干潟などの潮間帯に生育するマングローブ植物』で『ニッパヤシ属で現存するのは本種一種のみの一属一種であるが、近縁種の果実は』実に七千『万年前の地層から化石として発見されている』。『高さ9m前後に達する常緑の小高木。湿地の泥の中に二叉分枝した根茎を伸ばす(この茎(根茎)が二叉分枝をすることは種子植物では数少ない例である)。茎(地上茎)はなく地上部には根茎の先端から太い葉柄と羽状の複葉を持つ数枚の葉を束生する。葉の長さは5-10mで、小葉の長さは1m程度で、線状披針形、全縁、革質で光沢があり、先端は尖る。花期には葉の付け根から花序を伸ばし、長さ80-100cm程度の細長い雄花序および、その先端に球状の雌花序をつける。雌花序は頭状花序で、雄花序は尾状花序である。花弁は6枚。花期の後、雌花序は棘のある直径15-30cm程度の球状の集合果となる』。『繁殖は、根茎を伸ばした先から地上部を出す栄養繁殖のほか、種子による繁殖を行う。集合果から分離した種子は直径尾4.5cm程度の卵形で海水に浮き、海流に乗って漂着した場所に定着する海流散布により』、『分布を広げる』。『インド及びマレーシア、ミクロネシアの海岸に生育する。日本では、沖縄県の西表島及び内離島』(うちばなりじま:八重山列島の西表島の西側にある)『のみに分布する』(私は西表島に旅した際、現認した)。『ニッパヤシの葉は軽く』、『繊維質で丈夫であるため、植生が豊富な地域では屋根材・壁材として利用される。特にフィリピンでは伝統的に、竹を骨組みとして葉を編みこんだもの(nipa shingle)』(shingle:屋根や壁の杮(こけら)板・屋根板の意)『を作り、屋根材や壁材として用い、伝統的家屋(タガログ語:バハイクボ(bahay kubo)、(英語:ニパハット(nipa hut))を』建てる。『ニッパヤシの屋根は風雨に強い上』、『風通しが良く、特に台風』が『多く』、『湿度が高い熱帯アジアの風土に適している』。『また同様に、マレーシアやインドネシア等ではカゴを編む材料として用いられる』。『開花前の花茎を切断した部分から溢泌する樹液は糖分が豊富で、パームシュガー(ヤシ糖)』や『ヤシ酒』・『ヤシ酢の原料とされる。また、バイオエタノール原料への検討も行われている』。『未熟果は』『半透明の団子に似た食感』で、『東南アジアや香港のデザートに使用され』ているとある。調べた限りでは、特定の薬効には至らなかったが、分布する各地では古くからの種々の伝統薬に使われており、漢方でも現在の関節痛などに用いる薬の配合材料の中に認めることが出来た。

「海中に生ずる所の藻の實なり」現認出来ない(西表は当時は琉球国である)のだから、まあ、仕方がない誤りではある。益軒は巨大なホンダワラみたような海藻を想起したものか。少し微笑ましいではないか。

「大腹皮(だいふくひ)」漢方生薬名。「図経本草」(北宋末の一〇九〇年頃に成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「図経本草」を合本し、それに約六百六十の薬と、多くの医書・本草書からの引用文を加えて作った「経史証類備急本草」の通称である。但し、実際には、それに艾晟(がいせい)が一一〇八年に手を加えたものの刊本である「大観本草」と、さらに一一一六年に曹孝忠らがそれを校正して刊行した「政和本草」を加えた、内容的には殆んど同一の三書の総称として用いられることの方が多い)には「大腹檳榔」と記載されてある。ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu 又は他の近縁植物の果皮が基原とされる(ビンロウの種子は漢方名では「檳榔子」である)。その産地は中国海南省・雲南省・福建省・フィリピン・インドネシアなどで、内部は椰子の皮のようであり、ビンロウではないと思われるが、果皮は「大腹皮」として出回るっているものと思われる。石川県の「中屋彦十郎薬舗株式会社」公式サイト内のこちらを主文として参照した。

「暹羅(しやむろ)國」タイ王国の前名「シャム」のこと。]

 

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