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2021/04/16

芥川龍之介書簡抄38 / 大正四(一九一五)年書簡より(四) 井川恭宛一通短歌三十二首

 

大正四(一九一五)五月十三日・消印十四日・京都市吉田京都帝國大學寄宿舍内 井川恭樣 親剪・五月十三日 田端四三五 芥川龍之介

 

熱があつてねてゐる なほつたら君の手紙の返事をかかうと思つてゐたが急になほりさうもないから之をかく ねながらかくんだから長い事は書けない 肺かと思つて大分心配した 試驗のしたくが出來ないんでこまる 大へん不愉快だ

 

枕邊の藤の垂(たり)花ほのぼのと計溫表にさき垂りにけり

かすかるかなしみ來る藤浪のうすむらきをわが見守る時[やぶちゃん注:「かすかる」はママ。]

水藥の罎にかゝれる藤の花わが知らなくにこぼれそめけり

人妻の上をしぬびて日もすがら藤の垂花わが見守るはや

ほのぼのと戀しき人の香をとめば藤はかそけく息づきにけり

うすくこくにほへる藤の花がくり NOTE-BOOK に塵おける見ゆ

むらさきの藤さく下にちらばへるオブラードこそやらはましけれ

[やぶちゃん注:ここに抹消された一首があるが、判読不能の旨、底本「後記」ある。]

ひたものにたへがたければ藤の花花つみにつゝわが戀ふるなる

したしかる人みなとほしひえびえと夕さく藤はほのかなるかも

[やぶちゃん注:同前で、ここに抹消された二首があるが、判読不能。]

はつ夏の風をゆかしみ窓かけをひけばかつちる藤の垂り花

藤の花ゆりゆるゝむたほそぼそ香こそとひ來れ物思(ものも)へとふごと

のみすてしコツプの水にほのかなる藤のむらさきちれりけるかも

心ぐし藤の垂り花たまさぐりたまさぐりつゝもの思ひにけれ

床ぬちに汗を流してわがあれば額かいなづる藤の花かも

熱いでゝやゝ汗ばめるわが肌をかいなづる風は藤のした風

うつゝなく眼を細むれば藤の花睫毛のひまにさゆらげるかも

[やぶちゃん注:同前で、ここに抹消された一があるが、判読不能。]

さきのこる鉢の藤はも夕かけてほの白みたる鉢の藤はも

やゝ疼(うづ)む注射のあとをさすりつゝわがひとり見る藤の花房

しくしくと注射の針のわが肌を剌すがに來るかなしみもあれ

日和雨ふりやまなくにしくしくと注射のあとの痛みやまずも

日和雨しくしくふりて濡椽の藤に光るとかなしきものか

きらゝかに日和雨ふる濡椽の藤はいつしかうなだれてけり

熱臭き小床ゆ出でゝ濡椽の藤の虫とる午のつれづれ

灯ともせば藤の垂り花ひそひそと NOTE-BOOK に影おとしけり

月かげと灯(ほ)かげとさして藤の影敷布(シート)にさすはあはれなるかも

あが友はいかにかあらむ入澤の池の藤浪みつゝかあらむ

春日野の藤の花さき春日野の松の葉もえて夏づきにけむ

すくよかにあが友ありね此日頃あがいたつきは未怠らず

むらさきの藤散り散れどこの日頃わがいたつきは未怠らず

 

試驗注射をしてみたが反應がない 肺ではなささうだ もうぢきなほるだらうと思ふ 心配する程の事はない ゑはがきを難有う 皆大へんよろこんだ

あが父は眼鏡を二つかけにけり都踊りの画はがき見ると

豚(ぶた)じもの父は寢吳蓆(ねござ)にはらばひて都踊りの画はがき見たり

[やぶちゃん注:同前で、ここに抹消された一があるが、判読不能。]

打日さす都踊りの繪はがきをあがながむれば祇園ししぬばゆ

打日さす都大路の遲櫻誰が木履(こぼこぼ)ゆちりそめにけむ

 

    十三日            龍

   恭   樣 梧下

 

[やぶちゃん注:短歌群と書信の間は一行空けた。抹消部分は底本の「後記」に従って、注記挿入及び再現を行った。既に述べた通り、吉田弥生の結婚式は四月月末、金田一光男と弥生の婚姻届はこの二日後の五月十五日に届け出された。新全集宮坂年譜では、この五月の頭に『初旬 吉田弥生への思いが薄れ始め、次第に落ち着きを取り戻す。「Yの事は一日一日と忘れてゆきます」』(この前の大正四(一九一五)年五月二日・牛込荻赤城元町竹内樣方 山本喜譽司樣 直披・五月二日朝 田端四三五 芥川龍之介」参照)『などと記している』とする。しかし、一方で、続けて同月の『中旬 体調を崩す。一時は結核ではないかと心配し、週に二回ほどの通院が翌月末まで続いた』とあり、その後に丸括弧補足で、『破恋の痛手から逃れるための吉原遊郭通いの影響も指摘されている』(関口安義氏の説)ともある。ここに記した歌群にも「人妻」として弥生の影は、未だ全体に色濃く、ナーバスでメランコリックである。私が「吉田弥生恋情歌群」と呼んだ一連の短歌も「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」で参照されたい。

「試驗のしたくが出來ないんでこまる」学年末試験は六月十日から十六日であった。

「ほのぼのと戀しき人の香をとめば」の「とめば」は「尋・求・覓めば」で、「さがしもとめんとすれば」の意。

「オブラード」薬包のオブラート。

「やらはましけれ」「遣らはましけれ」「やる」は「追いやる・追放する」で、「打ち払って捨ててしまいたくなることだ」の意。

「ひたものに」「直物に」。副詞」一途に。只管(ひたすら)。矢鱈と。

「むた」不詳。或いは、「むた(共・與)」で、形式名詞で、「~と一緒にあること」「~とともにしていること」の意を作るそれか。「搖り搖るる」とともに「ほそぼそ」と微かに「香」を送って、の意で、納得は出来るが、しかし、この語は名詞又は代名詞に格助詞「の」「が」を添えた語に接続して、全体を副詞的に用いるものであり、もしそうだとしたら、用法としては全くの誤りである。「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」を見られると判るが、龍之介は初期作品にこの「の」+「むた」を複数回使用している。

「心ぐし」心が晴れずに鬱陶しい。切なく苦しい。万葉以来の古語。

「床ぬち」「とこぬち」病臥の床の中。

「額」「ぬか」。かいなづる藤の花かも

「剌すがに」この「がに」は接続助詞で、この場合は、動詞の連体形に付いて、程度・状態について「~そんなふうに・~のほどに」の意。万葉以来の古語であるが、この用法は上代の接続助詞「がね」の東国方言とも考えられている。中古以降は和歌に、また、東国地方以外でも用いられた。「終助詞」とする説もある。以上は「学研全訳古語辞典」の解説に拠った。

「日和雨」「ひよりあめ」。天気雨。

「濡椽」「ぬれえん」。芥川龍之介に限らず、明治の作家の多くは「緣」とすべきところを、「椽」と書く傾向が甚だ多い。これは完全な誤用であるが、慣用語として広く使用されてしまっている。「椽」は「たるき」で屋根を支えて棟から軒に渡す建材を指す語であって、縁側を指すことはないし、音も「テン・デン」であって「エン」ではない。

「敷布(シート)」sheet。シーツ。

「入澤の池」不詳。次の一首の「春日野の藤の花さき」は奈良の藤の花の美しさで知られる春日大社であるが、この名の池は確認出来ない。単なる一般名詞としての用法か。京や奈良には私は冥いので判らぬ。識者の御教授を乞う。

「いたつき」「勞(病)き」で病気のこと。

「試驗注射」ツベルクリン皮膚検査のことであろう。

「豚(ぶた)じもの」「じもの」は接尾語。名詞に付いて「~のようなもの」「~のように」の意を表わす上代語。

「木履(こぼこぼ)ゆ」「ゆ」は自発の意を表わす上代の助動詞。「木履(こぼこぼ)」は底が深く彫り込んである丸下駄である、主に幼女が履く木履(ぼくり・ぼっくり)から、それで歩く際の擬音語「こぼこぼ」で、ここは「自然にぽっとりと落ちて」の意であろう。]

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