大和本草附錄巻之二 介類 片貝(かたがひ) (クロアワビ或いはトコブシ)
片貝 䗩ノ類ナリヨメノサラニ似テ少大ニシテ㴱シ味
ヨシ鰒ノ如クフタナシ故ニ片貝ト云其肉モ亦蚫ニ似
タリ貝ノ色内外黑シ味ヨシ頗佳品ナリ毒ナシ。ナシ
モノトス海岸ニ附生ス。其大七八分䗩ハ本書ニ載タ
リ又福州府志曰老蜯牙似䗩而味厚シ一名牛蹄
以形名是片貝乎
○やぶちゃんの書き下し文
片貝(かた〔がひ〕) 䗩(よめのさら)の類なり。「よめのさら」に似て、少し大にして、㴱〔(ふか)〕し。味、よし。鰒(あはび)のごとく、ふた、なし。故に「片貝」と云ふ。其の肉も亦、蚫〔(あはび)〕に似たり。貝の色、内外〔(うちそと)〕、黑し。味、よし。頗る佳品なり。毒、なし。「なしもの」とす。海岸に附〔きて〕生〔(しやう)〕ず。䗩は、本書に載せたり。又、「福州府志」に曰はく、『老蜯牙、䗩に似て、味、厚し。一名「牛蹄」。形を以つて、名づく』〔と〕。是れ、「片貝」か。
[やぶちゃん注:これはなかなか悩ましい。同定は最後に回す。
「片貝(かた〔がひ〕)」所謂、アワビのような腹足類の巻が極度に緩んで、貝口が大きく開き、外蓋(がいさい)がなく、軟体部で直接に岩礁面に吸着している貝類を広範に指す語である。なお、未だにアワビやトコブシ及びカサガイの類を「一枚貝」と平然と呼称している記載が甚だ多いが、真の一枚貝の多くは、古生代(約五億四千百万~約二億五千百九十万年前)の化石種で絶滅種であり、我々一般人が真の「一枚貝」の生体を見ることは、まず、あり得ない。「生きた化石」として現生種の棲息が確認された最初は、軟体動物門貝殻亜門単板綱 Monoplacophora のTryblidiida 目 Tryblidioidea 上科ネオピリナ Neopilinidae 科ネオピロナ属ネオピリナ Neopilina galatheae で、一九五二年にデンマークの海洋調査船「ガラテア」号がパナマ沖の深海底から発見し、それ以降、現在では南・北アメリカ西岸及びアラビア半島のアデン沖や、大西洋南部や南極海の深海から七属二十種ほどが知られている。厳密には単板類(正真正銘の唯一の「一枚貝」類である)は古生代カンブリア紀からデボン紀に栄えた原始的形態をもつ軟体動物で、殻は笠形を成し、殻頂は前方に位置してやや高く、前方に尖る。軟体部は眼や触角を欠き、外套腔には五~六対の鰓を有し、肛門は後方にある。足は大きく、収足筋痕は左右に八対を有する(太字部は概ね「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「䗩(よめのさら)」「䗩は、本書に載せたり」とある通り、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 ヨメノサラ(ヨメガカサ)」で、腹足綱前鰓(始祖腹足)亜綱笠形腹足上目カサガイ目ヨメガカサ(嫁が笠)上科ヨメガカサ科ヨメガカサ Cellana toreuma のことである。詳しくはリンク先の本文及び私の注を読まれたい。なお、本種は別名を「ヨメノサラ」(嫁の皿)とも呼ぶが、これは貝殻を皿に喩えて、「平たい皿で食い扶持を減らす」という「嫁いびり」に繋げた呼称である。
「㴱〔(ふか)〕し」「深」の異体字。殻高が高いことを言っている。
「鰒(あはび)」「蚫〔(あはび)〕」現行の和名「アワビ」自体は腹足綱原始腹足目ミミガイ科 Haliotidae のアワビ属 Haliotis の総称である。当該種一覧は「大和本草卷之十四 水蟲 介類 石決明 (アワビ)」を見られたい。
「なしもの」塩辛或いは魚醤(うおびしお)。
「福州府志」清の乾隆帝の代に刊行された福建省の地誌。同書の「乾隆本」を見ると。
*
老蜯牙、似蟲戚而味厚、一名牛蹄、以形名。
*
とあるものの、同書の「萬歷本」では、
*
老蚌牙【「閩書」。】 似蟲戚而味厚。一名牛蹄、以形似之。
*
とあって、「閩書」(びんしょ:明の何喬遠(かきょうえん)撰になる福建省(閩は福建省の旧名)の地誌「閩書南産志」)からの引用である。
「老蜯牙、䗩に似て」「老蜯」は「老蚌」に同じだが、これは非常にまずい。何故なら、この老蚌は二枚貝である斧足綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ科ドブガイ属 Sinanodonta に属する大型のヌマガイ Sinanodonta lauta(ドブガイA型)及び、小型のタガイ Sinanodonta japonica(ドブガイB型)の二種が「ドブガイ」、及び、全くの別種であるイシガイ科イケチョウ亜科カラスガイCristaria plicata を指すからである。これについては、『「大和本草卷之三」の「金玉土石」より「眞珠」』の私の注で詳しく書いたのでそちらを見られたいが、そうなると、同定に向けてきたかのように見えた流れが、一挙に瓦解してしまうからである。この場合の「牙」は「ガ」と読んで、「天子や将軍の旗。或いは、その旗の立っている陣営」の意で、「䗩に似て」とは、カサガイの類と同じく、殻の頂きが明瞭に軍旗のように立ち上がって見えることを言っているのではなかろうか。一方で、叙述から見るに、この「牙」というのは貝柱のことと採ると、これ、非常に腑に落ちる。
「味、厚し」「濃厚」の意。
「牛蹄」中国では腹足類の内で殻頂が鋭く尖っている貝類にこの名を冠することが多い。その中には、腹足綱古腹足目ニシキウズガイ目ニシキウズガイ上科 Trochoidea の種が含まれており、例えば「牛蹄鐘螺」=ニシキウズガイ科ニシキウズ亜科ダルマサラサバテイラTectus niloticus や、お馴染みのサザエまでがそこに出てくる。これは、またまた、厄介な謂いである。但し、所謂、カサガイ類の大型種を「牛蹄」というのは腑に落ちはする。
さて。これは如何なる種か? 当初、私は、「鰒(あはび)のごとく、ふた、なし。故に「片貝」と云ふ。其の肉も亦、蚫〔(あはび)〕に似たり」「味、よし。頗る佳品なり」という部分から、
古腹足目ミミガイ上科ミミガイ科トコブシ属フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta
に比定しようと思ったのだが、その後の「貝の色、内外〔(うちそと)〕、黑し」というのが気になった。しかし、これを「牛蹄」から連想して、「シッタカ」で知られる古腹足亜綱ニシキウズ上科クボガイ科コシダカガンガラ属バテイラ Omphalius pfeifferi pfeifferi なんぞに比定することは、見た目が全くの巻貝であって、美味いものの、アワビには味も形も似ちゃいない、外蓋がないとするのも外れで、全く不可能だ。されば、「貝の色」は「貝殻」の色ではなく、生体のトコブシの「裏表」の謂いならば、黒くてもおかしくない。無論、単純に、
ミミガイ科クロアワビ Haliotis discus discus
としても、問題はない。寧ろ、「頗る佳品なり」と言い切るところは、こっちに分があるように見えはする。]
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