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2021/04/15

芥川龍之介書簡抄37 / 大正四(一九一五)年書簡より(三) 山本喜譽司宛二通(塚本文初出書簡)

 

大正四(一九一五)年四月二十三日(推定)・山本喜譽司宛・(封筒欠)

 

相不變さびしくくらしてゐます

すべての剌戟に對して反應性を失つたやうな――云はゞ精神的に胃弱になつたやうな心細さを感じてゐます この心細い心もちがわかりますか(僕は誰にもわからないやうな又わからないのが當然なやうな氣がしますが)私は今心から謙遜に愛を求めてゐます さうしてすべてのアーテイフイシアルなものを離れた純粹な素朴なしかも最も恒久なるべき力を含んだ藝術を求めてゐます 私は隨分苦しい目にあつて來ました 又現にあひつゝあります 如何に血族の關族[やぶちゃん注:ママ。]が稀薄なものであるか 如何にイゴイズムを離れた愛が存在しないか 如何に相互の理解が不可能であるか 如何に「眞」を見る事の苦しいか さうして又如何に「眞」を他人に見せしめんとする事が悲劇を齎すか――かう云ふ事は皆この短い時の間にまざまざと私の心に刻まれてしまひました 言語はあらゆる實感をも平凡化するものです かうならべて書いた各の事も文字の上では何度となく私が出合つた事のある思想です しかし何時でもそれは單に所謂「思想」として何の痕跡も與へずに私の心の上を滑つて行つてしまひました 私は多くの大いなる先輩が私よりも幾十倍の苦痛を經て捉へ得た熾烈なこれらの實感を輕々に看過した事を呪ひます(同時に又現に看過しつゝある輕薄なる文藝愛好者を惡み[やぶちゃん注:「にくみ」。]ます)さうして一足をそれらの大なる先輩の人格に面接する道に投じた事を祝福したいと思ひます しかしそれは曙でも「寂しい曙」でした 山脈と云ふ連鎖なくして孤立してゐる峯々はとりもなほさず私たちの個性です 成程日の上る時にそれらの峯の頂は同じやうに輝くでせう しかしそれは峯の相互に何等の連絡のある事をも示しては居ないのです 美に對し善に對し眞に對しひとしく惝悅の心があるにしても個人は畢境[やぶちゃん注:ママ。]個人なのと同じやうに私は二十年をあげて輕薄な生活に沒頭してゐた事を恥かしく思ひます さうしてひとり藝術に對してのみならず生活に對しても不眞面目な態度をとつてゐた自分を大馬鹿だと思ひます はじめて私には藝術と云ふ事が如何に偉大な如何に嚴肅な事業だかわかりました そして如何にそれが生活と密接に連絡してしかも生活と對立して大きな目標を示してゐるかわかりました 私にどれだけの創作が出來るか私がどれだけ「人間らしく」生きられるかそれは全くわかりません 唯今の私には醉生夢死しさうな心細い氣がするだけです 願くはこの心細さが來るべき力に先立つものであつてくれる事を 來るべき希望に先立つものであつてくれる事を私はこのさびしさを何かによつて忘れ得やうとするのを卑怯だと思ひます しかしたえず私がこのさびしさから逃れやうとしてゐる事も亦止むを得ない事實です 私には誰もこの service をしてくれる人がないとしか思はれません そして唯之を誰かに訴へる事によつてのみ少しは慰められる事がありはしないかと思ひます たびたび君に長い手紙をかくのはその爲です ですからよんでもよまなくつてもかまひませんもうやめます それからうちでは私に誰かきめておかないとあぶないと思ふものですからしきりに候補者を物色してゐます 私の母は文ちやんの推賞家で私の從姊は上瀧の妹の推賞家で私のうちへよく來る女の人は私の一番嫌な馬鹿娘の推賞家です 私はあまりその相談には與りません[やぶちゃん注:「あづかりません」。]

二三日前に芝へ行つたらYが來てゐました 私は居ないふりをしてあはずに次の部屋で聲ばかりきいてゐました

Yが「此頃はどちらへも出ませんの」と云つてゐました 姊の話ではYが急にふけたと云ふ事です あとで隨分心細そござんした[やぶちゃん注:ママ。]

私は學校を出ても二三年は獨りでゐるつもりです さうして誰でも私の家族の中で賛成者の多い女を貰ひます それがうまく私のすきな人と一致すれば格別ですがさもなければ一生を comedy にして哂つて[やぶちゃん注:「わらつて」。]くらしてしまひます

しかしその comedy は私にとつて眞劍な tragic‐comedy ですけれど

おばあさまと姊さまとには是非お出でになるやうに申上げて下さい 私のうちのものは文ちやんの一度お出でになる事を希望してゐるやうです 私に一度君を通じておばあさまや姊さまと一しよにお出でなる事をすゝめろと云ふ hint を吳へますから それから又八洲さんも大へん皆見たがつて居ます これは僕がよく出來るつて吹聽するからです 兎に角おばさまたちに是非お出下さいましと申上げて下さい ほんとうに是非それとは別にひまだつたら來ませんか 來月になると試驗勉强で忙しくなりますから

    廿三日            龍

   喜 誉 司 樣 梧下

 

[やぶちゃん注:以上の内、「Y」という人物の話が出るが、これはまさに失恋の相手吉田彌生のことである。次の書簡も同じ。

「惝悅」「しやうえつ(しょうえつ)」と読み、「驚いてエクスタシーからぼんやりすること」を意味する。

「service」助力・援助。

「私の母」養母芥川儔(とも)。

「文」塚本文(あや 明治三三(一三〇〇)年七月四日~昭和四三(一九六八)年九月十一日)は長崎県の生まれ。父塚本前五郎は海軍軍人で、「日露戦争」に於いて、軍艦初瀬の参謀(海軍少佐)として参戦し、戦死した。そのため、母の鈴は、娘文と弟八洲(やしま 明治三六(一九〇三)年~昭和一九(一九四四)年)を連れて母の実家であった本所相生町(現在の墨田区両国三丁目)の山本家に寄寓していた。そこに住んでいた山本喜誉司が鈴の末弟であり、近所に住んでいた芥川の親友であったことから、二人は幼馴染みであったのである。最初に対面したのは明治四〇(一九〇七)年で、初対面の時は龍之介は満十五、塚本文は七歳であった。この書簡時は龍之介二十三、文十四歳であった。

「私の從姊」実の姉ヒサのこと。芥川龍之介は自分が養子であることを公には取り立てて言っていない。「芥川龍之介 孤獨地獄 正字正仮名版+草稿+各オリジナル注附」を参照。同テクストはサイト版及びPDF縦書版もある。

「上瀧」「かうたき」と読む。上瀧嵬(こうたきたかし)は龍之介の江東小学校及び府立三中時代の同級生で、当時は東京帝大医科大学学生。既出既注。

「私のうちへよく來る女の人」不詳。

「私の一番嫌な馬鹿娘」不詳。]

 

 

大正四(一九一五)年五月二日・牛込荻赤城元町竹内樣方 山本喜譽司樣 直披・五月二日朝 田端四三五 芥川龍之介

 

此頃は少しおちついてゐます

しかし やつぱり淋しくつて仕方がありません 何時この淋しさがわすれられるか 誰がこの淋しさを忘れさせてくれるか それは僕にとつて全く「鎖されたる書物」です

僕は社會に對してエゴイストです(愛國心と云ふやうなものも僕にはエゴの擴大としてのみ意味があると思はれます)そしてその主張の中に强みも弱みもあると思つてゐます その弱みと云ふのは個人の孤立(イゴイズムから來る必然の歸結としではないのですが[やぶちゃん注:ママ。])と云ふ事で强みと云ふのは個人の自由と云ふ事です 僕はこの弱みを――孤立の落莫をみたしてくれるものは愛の外にないと思つてゐます すべての屬性を(位爵 金力 學力等の一切)離れた靈魂そのものを愛する愛の外にないと思つてゐます この愛の焰を通過してはじめて二つの靈魂は全き融和を得る事が出來るのではないでせうか この愛の焰に燃されてはじめて個人の隔壁は消滅する事が出來るのではないでせうか 僕が「餓え渴く如く」求めてゐるのはこの愛です

しかし果してかう云ふ愛がこの世で得られるでせうか 相互の完き理解――しかも理知を超越した不可思儀な理解が女の人の手から求める事が出來るでせうか――不幸にも僕はネガチフにしか答へられません しかし僕は心からこのネガチフがアツフアマチブになる事を望んでゐます さうする事の出來る事實が現れる事を望んでゐます

この愛がなくして生きるのにはあまりに若い「自分」です この愛以外の愛に安んじて生きるのに餘りに年をとつた「自分」です 僕は心からこの愛を求めてゐます

この愛を求めるさびしさがわかりますか 世間と隔離した個性の國に「自分」と「藝術」とのみを見て捗どらない修業道を步いてゆくさびしさがわかりますか

所詮僕は幸福にはなれない人間なのかもしれません この意味で 偉大な先輩の中には不幸な生涯を送つた人が澤山あります 殊にゴツホ――しかし僕は幸福になる事を求めます この愛の淨罪界へはひる事を求めます

 

紀念祭の時はあへないでがつかりしました あの時しみじみ日本の SEX は外光の下にみるべきものではないと思ひました あさましい程おしろひのはげた知つてゐる人の顏をみた時にはたまらなく下等な氣がしました

僕のすきな人が一人あるんです 名前も所もしらない人なんですがもうどこかの奧さんなんでせう 少しはいからからな會では時々あひます 昨夜も人道會の慈善演藝會であひました 大へんにSeelen‐haftig  な顏をしてゐます さうして大へんにじみななりをしてゐます 尤も昨夜は異人とうまく話をしてゐるのをみて少しいやになりましたが此頃は大抵な人が嫌です(自分もきらひ)電車へのると右のすみから左のすみまでいやな奴ばつかりです 馬鹿男と馬鹿女が日本中に充滿してゐるやうな氣がします 大學は生徒も先生も低能兒ばかり

文ちやんは勿論僕の所へ來る人ではないでせう しかしその理由は君の云ふ正反對です 僕の方が無資格です 僕は身分のひくい敎育のあまりない僕だけを愛してくれる そして貧しい暮しになれた女がゐる事を夢みます(そのくせその結局夢なのもよく知つてゐるんですが)それほど僕は女の人から理解は望めないと云ふ事を信じるやうになつてゐるんです 云ひかへると唯愛だけ――普通の愛だけで滿足しなくてはならないと思つてゐるんです(さう思ふとほんとうにひとりぽつち[やぶちゃん注:半濁点であることに注意。]でさみしくなります)さうしてその愛を求める資格が又大抵な人に對して僕には缺けてゐるのです 文ちやんの塲合もその通り

たゞ淋しいので僕のゆめにみてゐる人の名を時時文ちやんにして見るだけ その外に何にもありません しかし文ちやんは嫌な方ぢやありません ゆめにみてゐる人の名につけてみる位ですから

目下の僕には從つて文ちやんを理解する必要もありません しかしイマヂナリイにある位置へ自分を置いて考へると少しはさびしさを忘れるので高輪へはゆくかもしれません(極稀に)但僕のうちでは僕の持つてゐる興味の三倍位の興味を文ちやんに持つてゐます

これでおしまひ。Yの事は一日一日と忘れてゆきます

正直に云へば僕は反省的な理性に煩される事なしに――云はゞ最も純に愛する事が出來たのは君を愛した時だけだつたと云ふ氣がしてゐます

夜はいつでもゐます(來週の土曜は例外)ひまがあつたらいらつしやい

    一日夜            龍

   喜 譽 司 樣 梧下

 

[やぶちゃん注:この手紙の直前の四月末に吉田彌生は金田一光男と結婚式を挙げているが、新全集宮坂年譜には、この『結婚式の前日に中渋谷の斎田家で』彌生と『最後の会見をする』とある。この斎田家というのは、以前の私の注で富田砕花の箇所に添えた「シオン教会」と同義で、「白鳥省吾を研究する会」のサイトの「白鳥省吾物語 第二部 会報十一号」の「一、対立する新進詩人たち 大正四年~六年」の一節に、『「斎田武三郎氏 この人は小生の青年期の庇護者で小著第一詩集(大正4年)を献呈した在阪の事業家で、基督教の篤信家でしたが、東京の假寓を解放?して基督の説教所用に充てるほどの篤志家でした」』とあり(これは『富田砕花の手紙の下書き』によるものとある)、『この東京渋谷にあった斎田家は「シオンの家」と呼ばれていたらしい。そこには、吉井勇、森戸辰男、中川一政、金子光晴、福田正夫、白鳥省吾他の人々が訪ねている』とあり、さらに驚くべきことに、『この斎田家の令嬢の女学校友達に帝大一年生の芥川竜之介が初恋をして、彼女の実家の千葉県一の宮に訪ねたりしたらしい』(これは不審。彌生の実家が千葉一宮であるというのは初耳で、或い既に示した通り、彌生にラヴ・レターを書いた場所を誤認混同しているように思われる)。『そして相手の女性の結婚式の前日に、富田砕花のところで会見したらしい。この女性は芥川を嫌っていたらしく』(原記者白鳥省吾の又聴きの憶測)、『ヒコポンデリックになり、不眠症になったようである。それでも芥川はなかなかこの女性を諦めきれなかった様子が『文人今昔』』(白鳥省吾著の随筆。昭和五三(一九七八)年新樹社刊)『には紹介されている。省吾は後に』、『室生犀星を通じて芥川竜之介と「句会などで一緒になり、酒席を田端の自笑軒や竹むらで二三回」同席しているらしい』。なお、『この斎田家を富田砕花は翌年には出ていたようである』とある。

「アツフアマチブ」affirmative。肯定的な。

「紀念祭」不詳。以下の下劣なシークエンスからは一高か帝大の何らかの紀念祭か。

「人道會」この年に設立された日本に於ける動物愛護運動団体の先駆けとなった「日本人道会」であろう。ブログ「帝國ノ犬達」のこちらによれば、『鍋島侯爵を会長として、動物虐待防止会や動物愛護会に続いて』、『大正4年に設立され』、『主力メンバーの多くが』、『新渡戸万里子(メアリー・パターソン・エルキントン。新渡戸稲造夫人)やアメリカ領事館附武官バーネット大佐夫人などといった』、『在日外国人で占められており、我が国に欧米式の動物愛護精神を広める上で大きな役割を果たし』たとあり、『活動内容は少年少女、女学校生徒、警察官に対する動物愛護教育、ボーイスカウトやミッションスクールとの交流、荷役牛馬用飲料水槽の増設、野犬安楽死処分用炭酸ガスチャンバーの寄付、捨犬猫の救護所設置など、多岐に亘』ったとある。

「Seelen‐haftig」「ゼーレン・ハフティク」か。岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」(二〇〇九年刊)の注では、『誠実な』とある。因みに同書の本文ではハイフンを除いた「Seelenhaftig」で載る。ドイツ語の辞書を引いても、私にはどうしてこういう意味になるのか、よく判らない(私はドイツ語は全く分からない)。「haftig」が「附帯性の」の意味でネットで機械翻訳されるところをみると、寧ろ、「Seele」(人・人間)のそれで、「如何にも人道的で御座います的な面相」であるということを言っているのではなかろうか?

「高輪」この時、塚本鈴と文はここにいたか。

「正直に云へば僕は反省的な理性に煩される事なしに――云はゞ最も純に愛する事が出來たのは君を愛した時だけだつたと云ふ氣がしてゐます」この「君」とは無論、この書簡を宛てている山本喜誉司のことである。]

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