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2021/04/26

芥川龍之介書簡抄47 / 大正四(一九一五)年書簡より(十三) 井川恭宛

 

大正四(一九一五)年九月二十一日・消印二十二日・京都市吉田町京都帝國大學寄宿舍内 井川恭君・九月廿一日夜 田端四三五 芥川龍之介

 

あれ以來每日平凡にくらしてゐる 學校は今學年から火木金土の午前だけしか出ない だから大分ひまだ 論文がこだはつてゐて何をしても氣になつていけない 尤も氣になつても何かしてゐるがトーデの本でミケルアンジエロのシスチナのチヤペルの画をみて感心した 感心したでは足りない 頭から足の先までふるひ動かされたとでも云つたらいゝかもしれない あゝ行かなくつちやあ噓だと思つた 何しろ今の所画ではミケロアンジエロほど僕の心を動かす人はない あればたつた一人レムブランドだ レンブランドは二度目のおかみさんの肖像のColour reproductionを手に入れてよかつた レムブランドが落魄した時に自画像なんかたつた三ペンスでうつたさうだ 今はどんな復製でも三ペンスよりは高い 次いではゴヤだ ゴヤはドンナイサベラと云ふのに感心した かう云ふ偉大な作家は皆人間の爲に最後の裁判の喇叭のやうな聲をあげて自分の歌をうたつてゐる その爲にどの位僕たちは心安く生きてゆかれるかしれない この頃は少し頭から天才にのぼせてゐる

櫻の葉が綠の中に點々と鮮な黃を點じたのを見て急に秋を感じてさびしかつた それからよく見ると大抵な木にいくつかの黃色い葉があつた さうしたら最[やぶちゃん注:「もつとも」。]的確に「死」の力を見せつけられたやうな氣がしたので一層いやに心細くなつた ほんとうに大きなものが目にみえない足あとをのこしながら梢を大またにあるいてゐるやうな氣がした

新聞は面白くよんだ(自分のはあまり面白くもよまなかつたが)「秋は曆の上に立つてゐた」と云ふのに感心した まつたく感心してしまつた 定福寺の詩は未に出來ない その代り竹枝詞を一つ作つた

   黃河曲裡暮烟迷

   白馬津邊夜月低

   一夜春風吹客恨

   愁聽水上子規啼

あまりうまくない

矢代幸雄氏は美術學校の講師になつた 西洋繪画史と彫刻史の講義をやるのだから盛である そこで彫刻の本をさがしに美術學校の圖書館へはいつたらたつた一册うすい本があつた しかもそれが Famous Tales of ltalian Sculptors と云ふのだからふるつてゐると思ふ 尤も美術學校の先生中でABC[やぶちゃん注:縦書。]がよめる人は矢代氏獨りなのださうだ すべての方面で隨分いろんな事がいゝ加減に行つてゐるらしい いつまでそれですんでゆくわけもなからうからその内にどうとかなるのだらうが それにしても大分呆れ返る

   わが指の爪のほそさに立つ秋のあはれはいとゞしみまさりけむ

   秋風はふきぬべからし三越の窓ことごとく白く光れる

   ふき上げの水もつめたくおつるおつる橡(マロニエ)の葉のわらけちるあはれ(これは大分窮した)

   橡(マロニエ)の黃なる木ぬれにゆきかよふ風をかなしときゝつ行くも(同上)

どうも今日は歌をつくるやうな氣分になつてゐなさうだからやめる又かく

   廿日夜             龍

  恭   君

 

[やぶちゃん注:「學校は今學年から火木金土の午前だけしか出ない」言わずもがな、最終学年で講義自体が減ったからである。今までのようにサボっているわけではない。

「論文がこだはつてゐて何をしても氣になつていけない」既出既注。芥川龍之介の卒業論文はイギリスの詩人・工芸家・思想家(マルクス主義者)ウィリアム・モリス(William Morris 一八三四年~一八九六年)を対象とした「ウィリアム・モリス研究」であった。

「トーデ」ドイツの美術史家ヘンリー・トーデ(Henry Thode 一八五七年~一九二〇年)。イタリア・ルネサンスと当時のドイツ芸術(因みに彼はリヒャルト・ワーグナーの二番目の妻コジマの生んだ長女が妻であった)を専門としたが、第三帝国の政策に加担したため、現在は殆んど評価されていない。

「ミケルアンジエロのシスチナのチヤペルの画」言わずもがな、ミケランジェロの代表作で、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画「最後の審判」(Giudizio Universale )。

「レムブランド」ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)の画家レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn 一六〇六年~一六六九年)。

「二度目のおかみさんの肖像」私の好きなレンブラントは、私生活は放縦にして病的な浪費家で、特に女性関係が複雑と言うより泥沼であったのではっきりと限定は出来ないが(詳しくは当該ウィキを参照されたい)、思うに、「ヘンドリッキエ・ストッフェルドホテル・ヤーヘルの肖像」(英語:The Hendrickje Stoffels :一六五五年)ではないかと推定する。同ウィキに当該画像があるのでリンクさせておく。但し、彼女は元家政婦で愛人の一人であり、法的にレンブラントの妻とされたのは彼女の死(一六六三年七月末・三十八歳)の数年前だったと推定されている。

「Colour reproduction」色再現。原色版。

「レムブランドが落魄した時に自画像なんかたつた三ペンスでうつたさうだ」当該ウィキの「無一文へ」を参照されたい。現行のレートで三ペンスは四円弱である。

「ドンナイサベラ」スペインの画家フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco José de Goya y Lucientes 一七四六年~一八二八年)の「ドーニャ・イサベル・デ・ポルセルの肖像(Retrato de Isabel Porcel :一八〇五年)ではないかと推定する。英語版ウィキの“Portrait of Doña Isabel de Porcel ”にある画像をリンクさせておく。

「かう云ふ偉大な作家は皆人間の爲に最後の裁判の喇叭のやうな聲をあげて自分の歌をうたつてゐる その爲にどの位僕たちは心安く生きてゆかれるかしれない この頃は少し頭から天才にのぼせてゐる」「羅生門」の脱稿(但し、決定稿ではないと考える)はこの書簡を出した九月と推定されており、「鼻」の脱稿は翌五年一月であった。

「新聞」『松江新報』。既注。私の注の『但馬の何とか溫泉は大へんよささうな氣がする そこでぼんやり一日二日くらして それから「やくもたつ出雲」へはいりたい』を見られたい。

は面白くよんだ(自分のはあまり面白くもよまなかつたが)「秋は曆の上に立つてゐた」と「定福寺」「常福寺」の龍之介の記憶違い。既出既注

「竹枝詞」個人サイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」のこちらに、『竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。そこで、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。それらは竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。現在も「□□竹枝」として、頭に地名を冠して残っている』。『竹枝詞をうたうことは、「唱竹枝」といわれ、「唱」が充てられた』。『後世、詩をうたいあげることを「賦、吟、詠」等というのと大きく異なる』。『竹枝詞という呼称は、詩題に似ているが違うものである。強いて言えば、形式を表す点では詞牌に列するものであり、実際にその扱いを受けているものである』。『竹枝詞の形式は、七言絶句と似ているものがほとんどである』。『竹枝を七絶と比較して見てみると、七絶との違いは、平仄が七絶より緩やかであって、あまり気にしていない。謡ったときのリズム感を重視するためか、同じことば(詩でいえば「字」)が繰り返してでてくることが屡々ある。また、一句が一文となっている場合が多く、近体詩の名詞句のみでの句構成などというものはあまりない。聞いていてよく分かるようになっている。これらが文字言語としての詩作とは、大きく異なるところである。また、白話が入ってくることを排除しない』。『共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である』。『竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる』。『これらの特徴は、太鼓のリズムに合わせ、楽器の音曲にのり、踊りながら唱うということからきていよう』とある。以下の芥川龍之介の「竹枝詞」は「芥川龍之介漢詩全集 附やぶちゃん訓読注+附やぶちゃんの教え子T・S・君による評釈」の「九」を見られたい。

   黃河曲裡暮烟迷

   白馬津邊夜月低

   一夜春風吹客恨

   愁聽水上子規啼

「矢代幸雄氏」既出既注

「Famous Tales of ltalian Sculptors」「イタリアの彫刻家の有名な物語」。

「橡(マロニエ)」フランス名の「マロニエ」(marronnier)。但し、既出既注の「橡」を参照のこと。]

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