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2021/04/26

芥川龍之介書簡抄49 / 大正四(一九一五)年書簡より(十五) 井川恭宛夢記述

 

大正四(一九一五)年十月一日・田端発信・井川恭宛(転載)

 

井川君

黑い古ぼけた門をくゞると 凸凹した敷石が不景氣な玄關迄つゞいてゐる 間口は三間もあるだらう 柱が腐つて床板が土につく位根太[やぶちゃん注:「ねだ」。]の下つた玄關である その玄關に小學校の敎壇にあるやうな机と倚子を据ゑてかち栗のやうな窮屈な顏をした男が端然とひかえてゐる 患者はすべて この男の前へ出て恭しく 病狀をのべ立てなければならない 僕は一寸 區役所へ税をおさめに行つた時の事を思ひ出した

審問がすむと古曆や廣告で穴をふさいだ襖をあけてその男が「どうかあちらへ」と云つた そこでその「あちら」へ來た 來て見ると「あちら」と「こちら」とは非常な相違である 第一「あちら」では天井が高くつて疊が新しくつて根太が丈夫さうで その上 庭に大きな金網の小屋があつて小屋の中に小鳥が二三十匹飼つてあつて――かう觀察の步(?)をすゝめて來た時に突然「どうもいけませんねえ」と云ふ聲がした その聲は又舌のたりないやうな 鼻のつまつたやうな妙な聲である 君はこれが如何なる人間の口から發音されたと思ふ? 恐らく次の行をよむ迄は見當がつかないのに相違ない この聲の所有者は朱ぬりの鳥籠に飼はれた一羽のかけすである かけすはそれから「まあ御養生なさい」とつけ加へた かちぐりの書生よりは遙に氣が利いてゐる 僕は大きな机の前へ尻を据えてこのかけすの慰安の辭をきゝながら氣長に朝日の煙を鼻の穴から出してゐた すると又妙な男が出て來て前のかちぐりと少しもちがはない審問を開始した 唯この男は頗[やぶちゃん注:「すこぶる」。](?)慓悍な獰猛な顏をしてゐる 鬚髮逆指瞋目閃々とでも形容したら 或はこの男のむかつぱらを立つたやうな顏つきが幾分でも眼底に彷弗するかもしれない 一通り審問がすむと男は「ぢやあこちらへ」と云つて一段高い次の間へ僕をつれて行つた今度は「こちら」が甚堂々としてゐる 西洋風に白い漆喰をぬつた天井でアッカンサスの葉が輪になつたまん中から電[やぶちゃん注:ママ。「電球」「電燈」の脱字か。]が根のやうにさがつてゐる 廣さは三十疊もあるかもしれない 壁には陳其美の額と東鄕大將の額とが日支の國威を爭つてゐる 僕はこの部屋の寢臺の上にねかされた 寐ると云つても僕のの外に二つあつてその上にはどこかの奧さんと血色の惡い待合のおかみのやうな女とがねてゐるのである そこで僕は帶をといて腹を出しておとなしくあをむけにねた するとその男が僕の腹にうち粉をふつて それから 勿体らしい顏をして 按腹をやり始めた その時僕の寢臺のそばヘ來て立つた男がある 上衣をぬいでゐるからホワイトの胸が楯のやうに光つてゐる その上に緣の少し脂づいた折襟がある その襟の上には馬鹿のやうな泰平な顏がある その顏はうすい髭をはやしてゐる 僕はねながらその顏をみてゐた するとその顏が微笑した さうしてうすい髭が動いた その男はかう云ふのである「醫者はきゝません胃病と云へば曹達[やぶちゃん注:「ソーダ」。]ばかりのませます」僕はその時これが高野太吉氏だなと思つた「どうもいけませんねえ まあ御養生なさい」かけすが又かう云ふ 僕はいゝ心もちになつて眼をつぶつた

    一九一五年十月一日夜

 

[やぶちゃん注:「三間」五・四五メートル。

「かけす」本邦の本州産はスズメ目カラス科カケス属カケス亜種カケス Garrulus glandarius japonicus。漢字表記は「橿鳥」(かしどり)「懸巣」「鵥」がある。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 橿鳥(カケス)」を参照されたい。

「かちぐりの書生」おせちの「搗ち栗・勝ち栗」で、古武士のように高慢な感じの書生の謂いか。

「鬚髮逆指瞋目閃々」「鬚髮(しゅはつ)逆指(げきし)し 目を瞋(いか)らこと 閃々(せんせん)」か。「鬚(ひげ)も髪も、空を指して逆立ち、ぎらぎらと目を怒らしている」と謂った形容であろう。

「アッカンサス」シソ目キツネノマゴ科ハアザミ連ハアザミ属 Acanthus 。アザミ(キク目キク科アザミ亜科アザミ連アザミ属 Cirsium )に似た形の葉は、代ギリシア以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされる。特にギリシア建築のオーダー(円柱)の一種であるコリント式オーダーは、アカンサスを意匠化した柱頭を特色としており、ギリシアの国花でもある。大型の常緑多年草で、地中海沿岸(北西アフリカ・ポルトガルからクロアチア)の原産。葉には深い切れ込みがあり、光沢があって、根元から叢生して長さ一メートル、幅二十センチメートルほどになる。晩春から初夏に高さ二メートルほどの花茎を出し、緑又はやや紫がかった尖った苞葉とともに花をつける。花弁は筒状で、色は白・赤など。乾燥・日陰・寒気にも強い。その名はギリシア語で「棘(とげ)」の意である(以上はウィキの「アカンサス」に拠った)。

「陳其美」(ちん きび)は清末民初の政治家・軍人・革命家で、上海の革命派「中国同盟会」に属した(庶務部長)。一九一一年の「辛亥革命」に於いて、十月の武昌起義の勃発とともに、上海での蜂起を計画し、十一月三日に決起、成功して滬(こ)軍都督となった。その後の十二月二日には南京を占領、孫文を迎え入れ、中華民国の成立に大きく貢献した。中華民国時代となって一九一三年七月の「第二革命」では上海討袁軍総司令に推戴され、同月十九日に上海独立を宣言したが、陸海軍の正規部隊の支持を得られず、9月に敗北、11月に日本へ亡命した。一九一四(大正三)年七月に東京で「中華革命党」が成立すると、陳其美もこれに加わり、総務部長に任命された。その後、帰国して袁世凱討伐活動に従事し、上海で蜂起を画策するも、失敗に終わった。一九一六年からは「護国戦争」(第三革命)に呼応して、引き続き、上海等で反袁活動を続けが、資金不足などが原因で活動は停滞、同年五月、北京政府側の軍人張宗昌が放った刺客によって暗殺された(以上は当該ウィキに拠った)。

「東鄕大將」「日本海海戦」の連合艦隊司令長官東郷平八郎(弘化四(一八四八)年~昭和九(一九三四)年)。

「ホワイト」ワイシャツのことか。

「高野太吉」大分出身の医師で亡命中の孫文の胃病の治療を担当した。大正五(一九一六)年に「抵抗養成論」を著している。参照した立命館アジア太平洋大学 孔子学院」のこちらには、『孫文はその著書の中で高野を名医と紹介している』とある。]

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