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2021/04/24

芥川龍之介書簡抄42 / 大正四(一九一五)年書簡より(八) 井川恭宛三通

 

大正四(一九一五)年七月二十一日・消印二十六日・出雲國松江市内中原御花畑一八七 井川恭樣・七月二十一日 田端四三五 芥川龍之介

 

出かけるのが遲れたのは實はたのまれた飜譯物があつてそれが出來上るまでは東京をはなれられないからである この月末迄にまだ百五十枚はかかなければならない 考へてもいやになる

出雲は涼しいかね 東京の暑さは非常なものだ 大抵九十度以上になる 裸でじつと橫になつてゐても汗がだらだらでる だから弱つた事も一通りではない これで二十何時間も汽車へのつてゐたら茹り[やぶちゃん注:「ゆだり」。]はしないかなどゝも思ふ 兎に角出雲へゆく迄の間が大分暑さうだが今をはづすと一寸行く機會もないだらうと思ふから事故の起らない限り八月一日か二日位に東京をたたうと思ふ 八月上旬は僕が每年東京を出る時になつてゐるのである

實はしばらく手紙がこなかつたので或は都合が惡くなつたのかと思つて中途半ぱな心配も少しした、

何にしてもかう暑くつてはやり切れないから用のすみ次第出たいと思ふ その爲に吳々も出雲の湖水の上のすゞしからむ事を祈る

   八雲たつ出雲の國ゆ雲いでて天ぎらふらむ西の曇れる

   はろかなる出雲の國ゆ天津風ふきおこすらむ領巾(ひれ)なす白雲

   そのむかし出雲乙女は紅の領巾(ひれ)ふりふりて人や招(ま)ぎけむ

   紅の領巾ふる子さへ見えずなりて今あが船は韓國に入る

   いづちゆく天の日矛ぞ日の下に目路のかぎりを海たゝヘけり

   こちごちのこゞしき山ゆ雲いでて驟雨(はやち)するとき出雲に入らむ

   その上の因幡の國の白兎いまも住むらむ氣多の砂山

    七月廿一日

   井 川 君 案下

 

[やぶちゃん注:「出かけるのが遲れたのは實はたのまれた飜譯物があつてそれが出來上るまでは東京をはなれられないからである この月末迄にまだ百五十枚はかかなければならない 考へてもいやになる」前回分の私の「今月の末までは手のぬけない仕事がある」の注を参照。

「九十度」華氏。摂氏三十二・二度。

「韓國」「からくに」。この前後の歌は、雲の形容としての「領巾(ひれ)」(古代の服飾具の一つ。女性が首から肩に掛けて左右に垂らして飾りとした布帛(ふはく))の連想から、かなり自由勝手な想像を働かせてシチュエーションを複数の和歌や伝説伝承に合成して詠んでいる。最初に、男にあどけなく美しく領巾振る出雲の純真な乙女のイメージは万葉世界に遡り、次いで、この三韓征伐の出征兵士との別れに領巾振る女、それは再び「万葉集」にフィード・バックし、肥前国松浦の東に住んでいたという伝説の美女松浦佐用姫(まつらさよひめ:任那救援に赴く途中の大伴狭手比古と契り、その離別に際して山に登って領巾を振り続けて遂に石に化したという)のイメージを出雲に移したかと思えば、またまた遡っては、「天の日矛」(あめのひぼこ)の渡来シーンにすげ替えている。「天の日矛」は「天日槍」とも書き、記紀の伝承に登場する新羅からやってきた王子の名で、「古事記」には「天之日矛」として出、他に「海檜槍」「天日桙」とする。伝承では以下の通り。彼の男根に日が当たり、女が赤い玉を生む。天之日矛がそれを手に入れると、赤い玉は女と化したので彼は彼女を妻としたが、女は祖国であった日本の難波へ逃げ帰ったので、天之日矛はそれを追って来日する。しかし、難波へは入れず、但馬の出石(いづし)に留まって多遅摩俣尾(たぢまのまたを)の娘前津見(まへつみ)を娶り、子孫を成したという(その後裔の一人が神功皇后)。「日本書紀」は渡来時期は垂仁三年(機械換算紀元前二四)とし、播磨・淡路・山背(現在の京都府)・近江・若狭、そして但馬への歴訪を語ってる(後裔に田道間守(たじまもり))。天日槍伝承は「播磨国風土記」・「筑前国風土記逸文」などにも多様な構成で見え、早い段階から各地に浸透したことが推定されている。天日槍は数種の神宝を招来するが、ともに但馬の出石神社との関りを示唆している。伝承の基礎は出石神社を奉斎する一族の始祖伝承に、矛槍を祭具とする太陽信仰・各地の渡来系氏族伝承が融合して形成されたものと考えられている(以上の「天の日矛」以下は主文を「朝日日本歴史人物事典」に拠った。思うところあって人名は歴史的仮名遣で附した)。兵庫県豊岡市出石町宮内にある但馬國一宮出石(いずし)神社(グーグル・マップ・データ)が「天の日矛」伝説と深い関わりを持つが、ここは龍之介が今回の旅でプレに宿泊することとなる城崎の十七キロメートルほど南南東の奥の位置にあり、近い。

「氣多」(けた)は「古事記」の大国主命の伝承で語られる「因幡の白兎」の舞台で、現在の鳥取県鳥取市白兎周辺(グーグル・マップ・データ)。]

 

 

大正四(一九一五)年七月二十九日・出雲國松江市内中原御花畑 井川恭樣・自筆絵葉書

 

Iwa
 
 

Mouh

 

差支へさへなければ三日に東京をたつ

五日には松江へゆけるだらう

よろしく御ねがひ申します

                   龍

 

[やぶちゃん注:ルノアール風の絵。この年の春、ルノアールの原画を見て、龍之介はいたく感動している。「大正四(一九一五)年四月十四日・田端発信・井川恭宛(転載)」を見られたい。画像は底本(岩波旧全集)のもの(上)と、所持する「もうひとりの芥川龍之介展」の冊子「もうひとりの芥川龍之介」(一九九二年産經新聞社発行)のもの(下)とをトリミングして補正せずに示した。後者の方が地塗りのタッチは比較的よく判るか(後者ではキャプションに『泣く女』とするが、まあ、そうだろうが、これは同図録の編者の施したものである。なお、同冊子は末尾に「禁無断転載」とするが、パブリック・ドメインの作品を単に平面的に撮影したものに著作権は発生しないというのが文化庁の正式見解である)。]

 

 

大正四(一九一五)年八月二日・田端発信・井川恭宛・(葉書・転載)

明三日午後三時廿分東京驛發

 四日午前五時廿七分京都驛着

 〃 〃 七時廿分 〃  發

 〃 午前十一時卅九分城崎着(一泊)

 五日午前九時八分    發

 〃 午後四時十九分松江着

大體右の如き豫定にてゆくべく候 匆々

 

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