譚海 卷之四 越中國一村平氏子孫住居の事
○越中國に一村平家の餘類ばかり住(すめ)る所あり、其村の人俗名なし、今に名乘(なのり)をもつて稱する事なり。加賀守殿へ每年目見(めみ)へする時も、みな名乘をもちて謁する事也。重の字をなのる人多し、此村無役にて只(ただ)守(かみ)の乘馬の老(おい)たるを預け給はりて、飼(かひ)たつる事を勤(つとむ)る斗(ばか)り也とぞ。
[やぶちゃん注:越中五箇山(ごかやま)のこと。現在の富山県南西端に位置する南砺(なんと)市の旧・平(たいら)村と旧・上平村と旧・利賀(とが)村の三村を合わせた地域を指す。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。「譚海 卷之一 越中國五箇莊の事」の冒頭注参照。
「名乘」職業上など特別な用途のためにつけた本名以外の名や号。私は大学時分、五箇山の合掌造りの旧家羽馬家に泊まったことがあるが、羽馬(はば)姓は多く、概ね、住んでいる場所の地形などを添えて「~の羽馬」と名乗っておられたのを思い出す。
「重の字をなのる人多し」現在もそうかどうかは不明。
「たつる」「養う」の意であろう。]
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