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2021/04/14

芥川龍之介書簡抄36 / 大正四(一九一五)年書簡より(二) 失恋後の沈鬱書簡四通

 

大正四(一九一五)年三月九日・京都市吉田京都帝國大學寄宿會内 井川恭君 直披・田端四三五 芥川龍之介

 

イゴイズムをはなれた愛があるかどうか イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁をわたる事は出來ない 人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒す事は出來ない イゴイズムのない愛がないとすれば人の一生程苦しいものはない

周圍は醜い 自己も醜い そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい しかも人はそのまゝに生きる事を强ひられる 一切を神の仕業とすれば神の仕業は惡むべき嘲弄だ

僕はイゴイズムをはなれた愛の存在を疑ふ(僕自身にも)僕は時々やりきれないと思ふ事がある 何故こんなにして迄も生存をつゞける必要があるのだらうと思ふ事がある そして最後に神に對する復讐は自己の生存を失ふ事だと思ふ事がある

僕はどうすればいゝのだかわからない

君はおちついて画をかいてゐるかもしれない そして僕の云ふ事を淺墓な誇張だと思ふかもしれない(さう思はれても仕方がないが)しかし僕にはこのまゝ囘避せずにすゝむべく强ひるものがある そのものは僕に周圍と自己とのすべての醜さを見よと命ずる 僕は勿論亡びる事を恐れる しかも僕は亡びると云ふ豫惑をもちながらも此ものの聲に耳をかたむけずにはゐられない。

每日不愉快な事が必起る 人と喧嘩しさうでいけない 當分は誰ともうつかり話せない そのくせさびしくつて仕方がない 馬鹿馬鹿しい程センチメンタルになる事もある どこかへ旅行でもしやうかと思ふ 何だか皆とあへなくなりさうな氣もする 大へんさびしい

    三月九日           龍

   井 川 君

 

 

大正四(一九一五)年三月九日・田端発信・藤岡藏六宛

 

わが心ますらをさびね一すぢにいきの命の路をたどりね

かばかりに苦しきものと今か知る「淚の谷」をふみまどふこと

ほこらかに恆河砂びとをなみしたるあれにはあれどわれにやはあらぬ

かなしさに淚もたれずひたぶるにわが目守(まもる)なるわが命はも

罌粟よりも小(ち)さくいやしきわが身ぞと知るうれしさはかなしさに似る

われとわが心を蔑(なみ)しつくしたるそのあかつきはほがらかなりな

いやしみしわが心よりほのほのと朝明(あさあけ)の光もれ出でにけり

わが友はおほらかなりやかくばかり思ひ上がれる我をとがめず

いたましくわがたましひのなやめるを知りねわが友汝(な)は友なれば

やすらかにもの語る可き日もあらむ天つ日影を仰ぐ日もあらむ

あかときかはたたそがれかわかねどもうすら明りのわれに來たれる

わが心やゝなごみたるのちにして詩篇をよむは淚ぐましも

 

少しおちついてゐる今日にも君の所へ行かうかと思ふがもう少しまつ事にする自分がもがいてゐる時に人が落ちついてゐるのを見るのは苦しいから

 

[やぶちゃん注:短歌群は三字下げであるが、引き上げた。書信本文との間を一行空けた。

「藤岡藏六」一高以来の友人。当時、東京帝大哲学科在籍。後に哲学者となった。複数回既出既注。吉田弥生とのことは、ある程度まで彼に話してあるのであろう。

「淚の谷」後の歌に出る「旧約聖書」の「詩篇」の第八十四章六節に出る。「明治元譯(もとやく)聖書」を引く。

   *

かれらは淚の谷をすぐれども其處をおほくの泉あるところとなす また前の雨はもろもろの惠をもて之をおほへり

   *

「恆河砂びとを」「ごうがしやびと(ごうがしゃびと)を」。恒河(ガンジス川)の砂のように沢山の人々を。

「なみしたる」「無(なみ)したる・蔑したる」。「なみする」は「無(な)し」の語幹に、形容詞・形容動詞の語幹に付いて名詞をつくる接尾語「み」の付いた「なみ」に、動詞「す」の付いたもので「そのものの存在を無視する・ないがしろにする・あなどる」の意。

「あれ」心理的・空間的・時間的に自分からも相手からも遠い対象を指し示す代名詞。

「われにやはあらぬ」反語的疑問であろう。

「罌粟」「けし」。]

 

 

大正四(一九一五)年三月九日・京都市吉田京都帝國大學寄宿會内 井川恭君 直披・三月十二日 東京田端四三五 芥川龍之介

 

井川君         十二日夜十二時

僕は愛の形をして hunger を恐れたそれから結婚の云ふ事に至るまでの間(可成長い 少くとも三年はある)の相互の精神的肉體的の變化を恐れた 最後に最[やぶちゃん注:「もつとも」。]卑むべき射倖心として更に僕の愛を動かす事の多い物の來る事を恐れた しかし時は僕にこの三つの杞憂を破つてくれた 僕は大体に於て常にジンリツヒなる何物をも含まない愛を抱く事が出來るやうになつた 僕はひとりで朝眼をさました時にノスタルジアのやうなかなしさを以て人を思つた事を忘れない そして何人[やぶちゃん注:「なんぴと」。]にも知らるゝ事のない何人にもよまるゝ事のない手紙をかいてひとりでよんでひとりでやぶつたの事[やぶちゃん注:ママ。]も忘れない

僕は今靜に周圍と自分とをながめてゐる 外面的な事件は何事もなく平穩に完つて[やぶちゃん注:「をはつて」。]しまつた 僕とその人とは恐らく永久に行路の人となるのであらう 機會がさうでないやうにするとしても僕は出來得る限りさうする事につとめる事であらう 唯恐れるのは或一つの機會である しかしそれは唯運命に任せるより外はない

僕は霧をひらいて新しいものを見たやうな氣がする しかし不幸にしてその新しい國には醜い物ばかりであつた 僕はその醜い物を祝福する その醜さの故に僕は僕の持つてゐる、そして人の持つてゐる美しい物を更によく知る事が出來たからである しかも又僕の持つてゐる そして人の持つてゐる醜い物を更にまたよく知る事が出來たからである

僕はありのまゝに大きくなりたい ありのまゝに强くなりたい 僕を苦しませるヴアニチーと性慾とイゴイズムとを僕のヂヤスチファイし得べきものに向上させたい そして愛する事によつて愛せらるゝ事なくとも生存苦をなぐさめたい

この二三日漸[やぶちゃん注:「やうやく」。] chaos をはなれたやうなしづかなそのわりに心細い狀態が來た 僕はあらゆる愚にして滑稽な虛名を笑ひたい しかし笑ふよりも先[やぶちゃん注:「まづ」。]同情がしたくなる 恐らくすべては泣き笑ひで見るべきものかもしれない

僕は僕を愛し僕を惜むすべての STRANGERS[やぶちゃん注:縦書。]と共に大學を出て飯を食ふ口をさがしてそして死んでしまふ しかしそれはかなしくもうれしくもない しかし死ぬまでゆめをみてゐてはたまらない そして又人間らしい火をもやす事がなくては猶たまらない たゞあく迄もHUMAN[やぶちゃん注:縦書。]な大きさを持ちたい

かいた事は大へんきれぎれだ 此頃僕は僕自身の上に明な[やぶちゃん注:「あきらかな」。]變化を認める事が出來る そして偏狹な心の一角が愈 sharp なつてゆくのを惑じる 每日學校へゆくのも砂漠へゆくやうな氣がしてさびしい さびしいけれど僕はまだ中々傲慢である

                  龍

 

[やぶちゃん注:複数個所で行末詰めで、字空けとした方がよいと判断した箇所に一字空けを施した。今まで、その都度、この注を入れてきたが、これを以って以下同前とし、この注は省略する。

「愛の形をして hunger を恐れた」『愛というイメージの中に、「飢えた感じ・異様なひもじさ・強過ぎる熱望や渇望」といった過剰な属性が加わることを恐れた』の意か。

「可成長い 少くとも三年はある」吉田弥生は同い年の幼馴染みであった(「芥川龍之介書簡抄25 / 大正三(一九一四)年書簡より(三) 五月十九日井川恭宛」の鷺只雄氏の引用「破れた初恋」を参照)から、初対面からは長い。「少くとも三年はある」というのは、鷺氏が言っておられるように、『龍之介は新原の実家を通して』彼女に『なじんではいたが、中学以後』(龍之介の府立第三中学校入学は明治三八(一九〇五)年四月で十三歳)『は交渉がなく、ふたたび弥生の家を訪ねるようになるのは大学一年の五月頃』(ともに二十一歳。この大正四年は二十四であるから、「三年」が腑に落ちる)『からとみられる』と言う内容と合致する。

「射倖心」「射幸心」とも書く。幸運や偶然によって何の苦労もなくして思いがけぬ利益を得ることを期待する心理。ここは、そのよう特に性的な媚の射幸心を以って意識的或いは無意識的に芥川龍之介に向かって作用する或いは作用を仕掛けようとする対象の動きを指している。

「ジンリツヒ」sinnlich。ドイツ語「ズィンリヒ」。ここは「性的な・官能的な・肉感的な」の意。

「ノスタルジア」英語‘Nostalgia’ はギリシャ語(ラテン文字転写:nostos(return home)+algos(pain))が語源で「故郷をかえりみることの痛み」であり、それは日本人の考ええいる「ノスタルジック」という語の軽さとは大いに異なり、嘗ては「懐郷病」とも訳された「死に至るほどの郷愁」の謂いである。

「ヴアニチー」vanity。ヴァニティ。虚栄心。自惚(うぬぼ)れ。

「ヂヤスチファイ」justify。「正しいとする・正当だと理由附ける・自分の行為を正当に弁明する・正当性を示す・正当な理由とする・罪がないとして許す」。

「chaos」混沌。無秩序。大いなる混乱。

「STRANGERS」見知らぬ人・他人・不慣れな人・未経験者。]

 

 

大正四(一九一五)年四月十四日・田端発信・井川恭宛(転載)

 

 うちへかへつて「丁度うまく汽車が間にあつてね、十時五十何分かに品川から立ちましたよ」と云つたら「さうかい」と云つて、母や伯母が淚を流した。おやぢまで泣いてゐる。年をとるとセンチメンタルになるものだなと思つた。

 それから午少しすぎに、三並さんと藤岡君が來た。三並さんと畫や漢學の話をした。

 三並さんのやうに、いい加滅な所で妥協してゆくのが現代の日本では一番安全な道だらうと思ふ。

 少しとぶ。

 昨日帝劇へ行つた。梅幸のお園、お富、松助の蝙蝠安に感心して歸つて來た。

 行くときに警視廰の前を通つたら、何となく芝居へゆく事が惡いやうな氣がした。飯も食へなくて泥棒をしてつかまつて、ここへつれて來られる人がゐる事を考へたからである。しかし十步ばかりあるく中に、そんな事は全然氣にならなくなつた。それから芝居をみてゐる中に、自分は何を見てゐるのだらうと思つたら急に心細くなつた。芝居でなくて役者を見るより外に仕方のない事を知つたからである。しかし松尾太夫の冴えた肉聲をきいてゐる中に、これも亦何時の間にか忘れてしまつた。

 又とぶ。

 博物館へ來てゐるルノアルの石版やエチングを見て又可成感心した。

 畫をみるのに文學的内容を入れてみるのはまだいい、一番愚劣なのは、描かれてゐる對象を實世界に引入れて、その中へ自分を置いて考へる奴である。バアの石版畫をみて、かう云ふ所でパンチをのんだらいいだらうと思ふ男が可成ゐる。賞際もゐた。おかげで、踊子やオーケストラのうつくしい畫をおちついて見てゐる事が出來なかつた。

 又とぶ。

 浮世繪の會へ行つて、廣重を可成みて來た。そのあくる日、本所へ行つてかへりに一の橋のわきの共用便所へはいつた。あの便所は橋の側の往來よりは餘程ひくい河岸にある。丁度、夕方で、雨がぽつぽつふつてゐた。便所を出ると、眼の前に一の橋の橋杭と橋桁が大きく暗い水面に入り違つてゐる。河は夕潮がさして、石垣をうつ水の音がぴちやぴちやする。橋の上を通る傘や蓑、西の空のおぼつかない殘照、それから河を下つて來る五大力――すべてが廣重であるのに驚いた。

 ぐづぐづしてゐると、今人は古人に若かずと云つて笑はれるだらうと思ふ。

 又とぶ。

 僕はよく獨りでぶらぶらあるく。東京の町をあるく。三越へはいつたり、丸善に入つたりする。

 さうすると時々とんでもないものを見る事が出來る。さうして、さう云ふもののつくる mood に沒入して、暫すべてを忘れてしまふ事が出來る。

 さういふ mood をつくるものにはいろいろある。家、空、人、電車、並木――それらのすべての雜多なコムビナチオンに加へられる光と影とのあらゆるグラード。その代りに、之は獨りでないとうまく行かない。すきな人も、嫌な人も、同樣に二つの異つた方面からこの興味を破壞するから。

 又とぶ。

 櫻がよくさいた。櫻の歌四首。

 

ひなぐもる空もわかなく櫻花ををりにををりさきにけるはや

これやこの道灌山の山櫻ちりたまりたる下水なるかも

あしびきの尾の上の櫻ひえびえと夕かたまけて遠白みたれ

遲櫻夕ひそかにさきてありこの畫室(アトリエ)に人の音せず

 

 又とぶ。

 時々大へんさびしくなる。

 こんな事は云つてもはじまらないからとばす。

 ビアズレーの畫をかなり澤山まとめてみて感心した。ビアズレーの畫は感受的にのみ興味があると君は云つたかと思ふ。僕はその意味がわからない。(内容の上の興味がないと云ふのなら反對)ひまな時でいいから、もう少しくはしくその事をかいて貰へるといいと思ふ。とぶ。

 のどをいためて濕布をしてゐた。鏡で朝、顏をみたら、頭のまはりへ白い布をまきつけてゐるのが、非常に病人らしくみえた。そこで濕布をやめにしてしまつた。さうして帝劇へ行つて、夜の冷い空氣を吸ひながらうちへかヘつて來た。そのせゐで又のどが痛くなつた。のど佛の中に八面體の結晶が出來たやうな氣がするのには困る。

 又とぶ。

 今日も電車の中の顏が悉く癪にさはつた。sinnlich と云ふ顏に二種類ある。こつちにsinnlich な心もちを起させる顏と、顏そのものが sinnlich な顏と。――電車の中の顏は皆後者である。

 帝劇でもいやな奴に澤山あつた。貧乏ないやな奴よりは、金のあるいやな奴の方が餘程下等な氣がする。

 みんなからよろしく

    四月十四日午後

 

[やぶちゃん注:短歌四首は全体が三字下げだが、引き上げ、前後を一行空けた。この書簡は底本の岩波旧全集の「後記」によれば、恒藤(井川が婿養子に入って改姓した)恭著の「旧友芥川龍之介」(昭和二七(一九五二)年河出書房刊)からの転載とある。冒頭の一段は、何故か判らぬが、新全集の宮坂年譜に漏れているものの、先行する一九九二年河出書房新社刊の鷺只雄編著「年表 作家読本 芥川龍之介」によれば、この四月上旬、『春休み中』、『恒藤』(この時はまだ「井川」)『恭が芥川家に滞在』したのであり、その帰りを見送った後に家に帰ったところのシークエンスを語ったものである。流石! 井川! 傷心の芥川龍之介のために京から遙々、やってきていたのだ! 翰林書房刊の「芥川龍之介新辞典」の「松江」の項に、三月九日附(差出三月十二日)の吉田弥生との失恋告白以降の書簡に井川は『危機を感じ、三月二十二日に『上京し、田端の芥川家に行く』とあり、しかも、その時、井川から傷心を慰める方途として、『松江行きの話が出るのは、この夜が最初であった』とある。

「三並さん」三田の統一教会牧師で、一高のドイツ語嘱託教師でもあった三並良(みなみはじめ 慶應元(一八六五)年~昭和一五(一九四〇)年)。愛媛県生まれ。独逸学協会・新教神学校卒。ドイツ人シュレーダーと小石川上富坂に日独学館を創立し、若き学生らの教育に尽くした。

「藤岡君」前の書簡の藤岡蔵六。

「梅幸のお園」六代目尾上梅幸(明治三(一八七〇)年~昭和九(一九三四)年)。帝国劇場の落成(明治四四(一九一一)年)ともに女形としては異例の座頭(劇場専属の興行責任者)格として迎えられ、以降、帝劇を中心として活躍した名女形である。「お園」は心中物の「艶容女舞衣」(はですがたおんなまいぎぬ)。栢莚氏のブログ「栢莚の徒然なるままに」の「大正44月 帝国劇場 宗十郎大奮闘」の演目から確定出来た。

「お富、松助の蝙蝠安」通称「切られ与三(よさ)」「お富与三郎」「源氏店(げんやだな)」などの名で知られる世話物の名作「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)。主人公与三郎に悪事を仕込むのが無頼漢の蝙蝠安(こうもりやす)で、右頰に蝙蝠の刺青を入れているのが通称の由来。「松助」は四代目尾上松助(天保一四(一八四三)年~昭和三(一九二八)年)。

「松尾太夫」三代目常磐津松尾太夫(明治八(一八七五)年~昭和二二(一九四七)年)。本名は福田兼吉。逗子生まれ。明治三九(一九〇六)年に三代目を襲名。明治四四(一九一一)年に帝国劇場の専属、昭和五(一九三〇)年には松竹専属となった。

「バアの石版畫をみて、かう云ふ所でパンチをのんだらいいだらうと思ふ男が可成ゐる」ルノアールのどの石版画を指すのかは不詳。

「本所」「一の橋」一之橋。サイト「東京の橋」のこちらを参照。地図リンク有り。

「五大力」(ごだいりき)は元は江戸時代に主として関東・東北地方で使われた百石乃至三百石程度の小回しの荷船。本来は海船だが、ある程度まで河川を上れるように喫水の浅い細長い船型とし、小型は長さ三十一尺(約九・四メートル)、幅八尺(約二・四メートル)、大型は長さ六十五尺(約十九・七メートル)、幅十七尺(約五メートル)ほどで、河川航行に備え、棹が使えるように、舷側に長い「棹走り」(板張りの台)を設けるのを特徴とする。海から直ちに河川に入れるので、江戸湾の内外では米穀・干鰯(ほしか)・薪炭などの商品輸送に重用された。「木更津船」はその代表的なもので、単に「五大力」とも呼ぶ。関西では「イサバ」がこれに当たる。この大正の末年頃には姿を消したという。

「コムビナチオン」ドイツ語の‘Kombination’か。結合。

「グラード」フランス語の「grade」か。階梯。

「ひなぐもる」「日曇る」。

「ををりにををり」「ををる」は「撓(をを)る」で、枝や葉が撓(たわ)むの意であるが、多くの場合は、花がいっぱいに咲いた様子に用いる。万葉以来の古である語。

「道灌山」現在の東京都荒川区西日暮里四丁目(グーグル・マップ・データ)にある高台である。田端・王子へ連なる台地の中でも、一際狭く、少し高い場所にある。名称の由来は、江戸城を築いた室町後期の武将太田道灌の出城址という説、鎌倉時代の豪族関道閑(せきどうかん)の屋敷址という説、狐が住んでいた又は稲荷が祀られていたことから「稲荷山」(とうかやま)と呼ばれたものが訛ったという説があると当該ウィキにあった。

「ビアズレー」既注のワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵で知られるヴィクトリア朝の世紀末美術を代表するイギリスのイラストレーター(詩人・小説家でもあった)オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー。

「のど佛の中に八面體の結晶が出來たやうな氣がするのには困る」座布団一枚!]

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