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2021/04/08

芥川龍之介書簡抄30 / 大正三(一九一四)年書簡より(八) 藤岡蔵六宛(戯曲「路(對話)」収録)

 

[やぶちゃん注:これは恐らく多くの方が読んだことがない、芥川龍之介の初期作品の一つである。この書簡以外には掲載されず、活字化されることも極めて少ないからである。にしても、友人にポンと書き送っちゃうところが凄いわ、やっぱ、我鬼先生。]

 

大正三(一九一四)年八月三十一日(月推定)・新宿発信」藤岡藏六宛

 

路(對話)

  霧ふかき日暮 中央に靑銅の SPHINX あり

  人の身長程の PEDESTAL 霧に遮られて此外には何も見えず

  學生 二十一二歲 金鈕の制服 OVER-COAT 手に洋傘をもつ

     第一節

學生 うす暗くなつた所を見ると日がくれるにも間がないと見える何と云ふひどい霧だらう何處を見ても一面に灰色をしてゐる三十分ばかり前まではあの敎會の塔の下をあるいてゐたんだがもう今ではまるで路がわからなくなつてしまつた何の事はない灰汁の中を喘ぎながら泳いでゐる魚の樣なものだ(SPHINX を見る)おゝ こゝに何か立つてゐる(近づきて前に立つ)SPH1NX らしいな。まてまて何か PEDESTAL にかいてある(かゞみてよむ)ふん伊太利亞語だな E MANGIA E BEE E DORME E VESTE PANNI どういふつもりでこんな事を書いたのだらう惡い洒落だ(PEDESTAL に腰をかく)何しろつかれた此分では中々急にはうちへかへれさうもない第一今俺が何處にゐるのだかそれさへわからないのだからな(煙草に火をつけてすふ)一體俺は何處から來たのだつたかなえゝと朝十時に起きて飯をくつてそれから學校へ行つた學校では哲學史の講義を少しきいたと講議は SPINOZA で(微笑)NOTWENDIGE FREIHEIT ときたものだ NOTWENDIGE FREIHEIT がいゝ(微笑)それから晝飯をくつて本屋へ行つて KANT を二册もらつて(ポツケツトをさぐる)あの本はこゝにあるとそれから友だちと動物園へ行つて猩々と天狗猿とを見てかへりに珈琲をのんで四つ角にわかれたあの時から霧がふかくなつて五六町あるくうちにあの敎會の塔がぼんやり頭の上できえかゝつてゐたつけさうすると結局俺は今何處をあるいてゐる事になるんだらうB町の通りかなそれともK橋の大通かないやいやあすこいらにはこんな SPHINX なんぞなかつた筈だまてよ一體この市にこんな SPHINX なんぞがあつたかしらどうも俺は初めて見たやうな氣がするさうすると俺は道を間違ヘて一度も來た事のない所へ來てゐるのかもしれないそれぢあ愈うちへかへる事が覺束なさうだ

[やぶちゃん注:ト書きはベタで二行書き二字下げであるが、かく書き代えた。

「PEDESTAL」円柱台座を指すことが多いが、ここは台座でよいだろう。

「E MANGIA E BEE E DORME E VESTE PANNI」書簡末の芥川龍之介の注にを参考にすれば、「食って、飲んで、寝て、服を作って」か。

「講議」ママ。

「SPINOZA」オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza 一六三二年~一六七七年)。ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られる。デカルト・ライプニッツと並ぶ十七世紀の近世合理主義哲学者で、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、カント(以下に出るイマヌエル・カント(Immanuel Kant 一七二四年~一八〇四年:プロイセン王国(ドイツ)の哲学者でケーニヒスベルク大学哲学教授。「純粋理性批判」・「実践理性批判」・「判断力批判」によって批判哲学を提唱し、認識論に於ける「コペルニクス的転回」を齎した)・フィヒテ・シェリング・ヘーゲルらのドイツ観念論及びマルクスを始めとした後の現代思想へ強い影響を与えた。にしても、一読、私はこれは「SPHINX」のアナグラム(anagram)ではないかと思ったことを言い添えておく。

「NOTWENDIGE FREIHEIT」ネットの機械翻訳で「必要な自由・必須の自由」か。

「五六町」約五百四十五~六百五十四メートル。]

     第二節

  牧師 長き黑色の上衣 黑きSOFT-HAT 少しく跛なり

牧師 かう霧がふかくてはまるで方角がわからんて(PEDESTAL に近づく)はれるまでこゝにまつてゐる事にしよう(學生をみる)やあ失禮あなたもここで霧のあがるのを待つて御出かな

學生 えゝまあくたびれたから休んでゐるんです

牧師 (腰を下ろす)何にしろひどい霧ぢや一寸さきも見えぬ位ぢやて

學生 一體こゝは何處になるんですか御存知ありますまいか

牧師 此處かな此處は君B町の通りだて

學生 B町の通りにはこんな SPHINX なんぞなかつた筈ですが

牧師 いやいや わしが覺えてから何時もこの像は立つてゐるがなよくわしなぞは若いうちにこの下で說敎をしたものぢやわしは牧師ぢやからな(學生を見る)

學生 私は一度もこんな SPHINX を見た事はありません何かあなたの御覺えちがひではありませんか失禮ですが

牧師 (不機嫌に)わしの記憶は確ぢやこゝはB町の通りで之をまつすぐにゆけば電車のある通りへ出られる筈ぢやいや此處がどこであつてもこれをまつすぐに行けば其處へ出なければならぬ筈ぢや

學生 そんなら矢張私の思ひちがひかもしれません(微笑)

牧師 失禮ぢやが多分さうであらう(空をあふぐ)まだ中々はれさうもないてもう彼是午(ひる)になるぢやらうが………

學生 午(ひる)? 冗談云つちやいけませんもう彼是四時すぎますぜ(笑)

牧師 四時すぎ?(學生を見る)君はどうかしてゐるやうぢやこれ見なさい(ポツケツトより時計を出す)この通り十一時四十七分ぢやて十一時………

學生 私は生憎時計をわすれて來たのですがそれにしてももう午飯はとうにくつたのですから今十二時前だなんと云ふ事はある訣がありません

牧師 (立上る)しかし君時計の針が十一時四十七分を示してゐるのぢや時計の針が(腹立たしげに)君は頭がくるつてるやうぢや今が日暮だなぞと途方もないことを云ふ 氣狂ひでなければわしを愚弄してゐるのぢや(去る)

學生 (見送りつゝ笑ふ)自分の方が餘程どうかしてゐるんだ

[やぶちゃん注:「跛」「びつこ」。

「わしが覺えてから」「儂が物心ついてから」の意であろう。

「御覺えちがひ」「見覺え違ひ」の誤記であろう。]

     第三節

  敎授 鼻眼鏡 杖 白き髯

敎授 (ゆきすぎんとす)

學生 (よびかく)先生ぢやありませんか

敎授 やあ(立ち止る)

學生 (立ちて帽をとりつゝ)ひどい霧です

敎授 さうさね君はそこで何をしてゐるのだい(微笑)

學生 路がわかりませんしつかれたししますから休んでゐるんですが

敎授 道がわからない? これは君K橋の大通りぢやないか

學生 しかしこゝにこんな SPHINX がありますから

敎授 あるさ昔からある SPHINX だから

學生 K橋の大通りにこんなものはなかつたと思ひますが

敎授 あるとも(杖で地に線をひきつゝ)第一わしは今O町から三百步ほどまつすぐにあるいて來たそれから左へ九十度にまがつて又七百步ほどあるいたいゝかねそれから博物館の角をまがつてこゝまで來たのだから SPHINX の有無にかゝはらず此處はK橋の大通りでなくてはならぬ事になる

學生 しかし………

敎授 まあ待ち給へそれでも不慥ならもう少しこゝにゐて見給へそのうちに霧がはれたら空がみえるにちがひない空がみえたらもう彼是日がくれるから金牛星座が見えるだらう君は金牛星座の見方を知つてゐるかね

學生 しりません

敎授 ぢやあわしが敎へておかう(杖にて地を査す)よいかねこれが………

學生 まあ待つて下さい一劈その金牛星座をしるとどうかなるんですか

敎授 方角がわかるさ從つてこゝがK橋の大通りだといふ事の澄明になる訣だ

學生 しかし先生霧がはれ九ば金牛星座なんぞをさがさずとも何處できいたつて路はわかります差當り困つてるのは霧がふかいからで霧がはれるのを待つ位なら心配はありません

敎授 (眉をひそむ)君は惡い性質を持つてゐる目前の事實に拘泥するさうして眞理の追求を疎かにする甚いかん兎に角ぢやあ勝手に考へるさ(去る)

學生 (見送りつゝ)のんきなものだな(微笑)

[やぶちゃん注:「金牛星座」牡牛座。黄道(こうどう:天球上に於いて太陽が見かけ上で通るように見える大円のルート(ecliptic)。黄道の上下に九度の幅をとって空に出来る帯上の区画を、獣を象った星座を多く通ることから、獣帯(じゅうたい:Zodiac)とも呼ぶ)十二星座の一つ。獣帯の黄経三十度から六十度までの領域で、牡牛座α星は全天二十一の一等星の一つである「アルデバラン」(Aldebaran)。因みにこの星座には「プレアデス星団」(Pleiades:和名「昴(すばる)」)を始めとして有名な天体が多いことでも知られる。]

     第四節

  女 羽襟卷(ボア) 鳩羽鼠の上衣 脊高し

女 (學生をみてよびかく)失禮で御坐いますが あの S町の方へまゐりますにはどちらへまゐりましたらよろしう御座いませう

學生 (ふりむく)さあ私も自分のゆく方角がわからないんですからとてもあなたの御役にはたちますまいよ(微笑)

女 (微笑)まあ困りましたのねえ

學生 大に困つてるんです(元氣よく)この通りどちらをむいても霧の壁がたつてゐるんですからね

女 ぢやあなたはどうなさらうと仰有るの

學生 まあこゝにすわつてゐるんですね路がわかるまで

女 だつて何時までこゝにゐたつてわかりやうはないではありませんか

學生 しかしわからなければと云つて無暗にあるくわけには行きませんよ

女 あるくうちにはわかるかもしれませんわ

學生 〝かも〟でせう

女 えゝだつてそんな穿鑿は何にもなりませんわ此處がどこだか考へてるひまに一足でもあるいた方がいゝと思ひますわ

學生 あなたは中々理窟やですね

女 (微笑)第一そんな事を考へてゐる中には日がくれてしまひますもの日がくれないうちに一足でもおあるきなさいましさうなさらないと今にきつと後悔なさいますわ

學生 しかしわからずにあるくのは危險ですよ

女 臆病ですわねあなたは(間)ぢやああたしと一緖にいらつしやい二人で路をさがせばきつとわかりますわ

學生 盲目(めくら)が盲目の手をひいてあるくのは猶危險でさあ

女 そんなら御勝手になさいまし私は私でまゐります(去る)

學生 (見送りつゝ)ふん(肩をそびやかす)

     第五節

  MASK をかぶつた人 DOMINO

M 霧がふかいんで困つてゐるのだね(學生のそばへ腰を下ろす)

學生 誰だい君は(不思議さうに見る)

M 君の友達だよ僕がこんななりをしてるもんだから君にわからないのだらうこれから僕は假裝舞踏會(フアンシーボール)へゆくのだ

學生 どこにそんなものがあるのだい

M どこでもいゝよ

學生 どうも僕には思ひうかばないが君は一體誰だいPかねLかね

M 僕かね(笑)僕は君と始終一緖にゐるぢやあないか

學生 それがどうもわからないのだが

M ぢやあわからないにして置くさ人によつて僕にいろんな名前をつけるからね

學生 僕は路がわからなくつてよわつてゐるんだが君はしらないかね

M それはしりやうはないさしかし僕と一緖にこれから步いたらわかるだらう

學生 君は今の女のやうな事を云ふね

M 今の女と云ふのはしらないがわかる事は確にわかるよ其女と云ふのは何だい

學生 今通りがゝりの女が僕にさう云つたのさ考へてるひまに一足でもあるけつて

M うんあの女か あれは僕もしつてゐるよしかし奴のは僕のと全ちがつてゐるよ

學生 何故

M 奴はあるくのを目的にしてゐるんだからねあるくのが面白いあるいてるうちに路もわかるかもしれないさうなるとどつちもいゝと云ふのさ僕のはさうぢやない路がわかる爲にあるくのだよ

學生 それは贊成だね

M 君は僕に贊成しなくてはならない筈なのだからね

學生 何故

M まあそれはそれさとにかくわからせる爲に路を正しく一つ一つあるくのが必要だらう君のうちへかへると云ふ事がなくつちやあ路がわかる事が何の意味もないし路をわからせる事がなくつちやああるく事が何の意味もない事になるさうきまつたら一緖にあるかうぢやないか

學生 うんあるかう

M (PEDESTAL の銘をよむ) E MANGIA E BEE E DORME E VESTE PANNI かこの SPHINX より外に何もしらなくなつては大變だからね兎に角路をしる事が必要だよそれから早くうちへかへるがいゝこの近所にうろついてるやうぢやあ生きがひがないからねぢやあ出かけよう(二人去る)

  SPHINX 霧 夜 幕

上記の E MANGIA E BEE E DORME E VESTE PANNI かは「のみくひして眠り衣つくるのみ」の意

    卅一日夜       芥 川 生

   藏 六 兄 案下

[やぶちゃん注:「DOMINO」ここは仮面舞踏会用の着用着である「ドミノ」のこと。フード付きの衣装で、顔の上半部が隠れており、目の部分だけが開いたマスクが附いているもの、或いは、そのマスクだけを指す(ここは最後)。ラテン語由来の英語。「DOMINUS」(MASTER OF THE HOUSE:家(domus)・主人)が語源とされる。

「M」即座に想起されるのは、ドイツのファウスト伝説や、それに材を取った文学作品(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの長編悲劇「ファウスト」(Faust :第一部は一八〇八年、第二部はゲーテの死の翌年一八三三年に発表)が最も知られる)に登場する悪魔「メフィストフェレス」(Mephistopheles:略称でメフィスト(Mephisto))の頭文字である。芥川龍之介は、好んでこうした悪魔らしき者との問答形式の作品を書いている。一番知られるものは遺稿の「闇中問答」(昭和二(一九二七)年九月発行の『文藝春秋』九月号(芥川龍之介追悼号)に発表された)であろう。

「假裝舞踏會(フアンシーボール)」fancy-dress ball。 ‘fancy-dress’は「気まぐれで自由な空想的な衣装」で、‘ball’ は「盛大な舞踏会」(古フランス語の「踊る」が語源)。]

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