芥川龍之介書簡抄43 / 大正四(一九一五)年書簡より(九) 松江便り三通
大正四(一九一五)年八月六日・松江発信・芥川道章宛・(絵葉書)
松江へ安着いたしましたから御安心下さいまし
汽車の中では天氣が惡かつたおかげで少しも暑い思をしずにすみました
松江は川の多い靜な町で所々に昔の土塀がそのまゝのこつてゐます 雨の中を井川君と車で通つた時にその土塀の上に向日葵の黃色い花のさいてゐるのが見えました
井川君の家は御濠の前で外へ出ると御天主が頭の上に見えます
[やぶちゃん注:先の八月二日の葉書通りの行程と時程で芥川龍之介は松江に着いた。松江では井川恭の配慮で、気兼ねなく滞在出来るように、借家が用意されていた。その位置と志賀直哉との奇縁は「芥川龍之介書簡抄41 / 大正四(一九一五)年書簡より(七) 井川恭宛」の私の注で記してあるので参照されたい。松江には十七日間滞在し、八月二十一日に松江を出発し、当日は京都のホテルに一泊して、翌二十二日に田端に帰宅している。]
大正四(一九一五)年八月十四日・松江発信・藤岡藏六宛(自筆絵葉書)
松江へ來てからもう十日になる大抵井川君とだべつてくらしてゐる湖水や海で泳いだりもした本は殆よまない少し胃病でよわつてゐる松江は川の多い靜な町である町はづれのハアン先生の家もさびしい井川君のうちは濠の岸にある濠には蘭や蒲が茂つてゐる中で時々かいつぶりが鳴く丁度小さな鳴子をならすやうな聲だ廿日頃に東京へかヘる 匆々
十四日午後 芥 川 生
[やぶちゃん注:「ハアン先生」言わずもがな、小泉八雲(出生名:パトリック・ラフカディオ・ハーン Patrick Lafcadio Hearn 一八五〇年六月二十七日~明治三七(一九〇四)年九月二十六日:帰化(入籍)は明治二九(一八九六)年二月十日)である。彼は、明治二三(一八九〇)年八月末に松江に到着し、島根県尋常中学校英語教師となったが、翌年十一月に熊本の第五高等学校に転出した。ここで龍之介の言っているハーンの旧宅はここ(現在の小泉八雲記念館。グーグル・マップ・データ。以下同じ)。因みに、私は小泉八雲の来日後に刊行した作品の総ての作品の訳(全て私のオリジナル注釈附き)をブログ・カテゴリ「小泉八雲」で公開している。これは私の電子化注の特異点と自負している。
「カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属カイツブリ亜種カイツブリ Tachybaptus ruficollis poggei 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鸊鷉(かいつぶり)」を参照されたい。YouTube のmiyakowasure001氏の「カイツブリの鳴き声(パラボラ集音マイク使用)」をリンクさせておく。]
大正四(一九一五)年八月二十一日・松江発信・淺野三千三宛・(絵葉書)
出雲は楯縫秋鹿(アイカ)十六(ウプ)類などとゝふ地名から中海にあるそりこ舟まで何となく神代めいてゐますこの大社も社殿の建築が上代の住宅の形式と一つになつてゐるので一層古事記めいた興味を惑じます杵築は靑垣山をうしろに靜な海にのぞんだ神さびた所です
[やぶちゃん注:「楯縫」(たてぬひ)は出雲国(島根県)にあった旧郡名。明治中期まであった郡域は現在の出雲市の一部に当たる。当該ウィキの地図を参照。宍道湖の西岸で出雲大社の東方までが相当する。
「秋鹿(アイカ)」現在の島根県松江市秋鹿町(あいかちょう)。宍道湖の中央北に縦にある。
「十六(ウプ)類」島根県出雲市十六島町(うっぷるいちょう)の誤り。島根半島西北端に当たる。岩海苔の一種である十六島海苔(紅色植物門紅藻亜門ウシケノリ綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属ウップルイノリ Porphyra pseudolinearis の産地として知られる。貝原益軒は「大和本草卷之八 草之四 紫菜(アマノリ) (現在の板海苔原材料のノリ類)」で『「ウツフルヒ」とは海中の苔をとり、露を打ちふるひてほす故に名づくと云ふ。この苔の名によりて、其の島の名をも「うつふるひ」と云ふ』などと、まことしやかに記しているものの、私はその注で述べた通り、他の海藻類だとするならまだしも、この岩礁にへばり付いているウップルイノリは、摘み採って「笊で水切りする」のであって、「打ち振って」処理するタイプの海藻ではないから、私は信じ難い。現在も朝鮮語の古語で「多数の湾曲の多い入江」という意とする説、アイヌ語説(発音的にはそれらしく、アイヌ語では一説に「松の木が多いところ」若しくは「穴や坂や崖の多いところ」という意味である可能性が高いとされる)、十六善神(じゅうろくぜんしん:四天王と十二神将とを合わせた計十六名の、「般若経」を守る夜叉神とされる護法善神のこと)信仰と関連するなど、諸説あるものの、定かでない。なお、この話をすると「島が十六あるんじゃないの?」と聴かれることしばしばであるが、ご覧の通り(グーグル・マップ・データ航空写真)、島や岩礁は十六どころじゃない、もっといっぱいある。私の寺島良安の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔」の「雪苔(ゆきのり)」及び「大和本草卷之八 草之四 黑ノリ (ウップルイノリ)」も参照されたい。
なお、芥川龍之介松江滞在中の様子は既に述べた通り、私の、
ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」で、二十六回分割で『井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む)』
を、さらに、
も公開している。また、他に、
「やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺」の「松江連句(仮)」
なども、是非、見られたい。これは松江の方の非常な協力を得て注を施したもので、岩波新全集にまで誤って活字化されている井川の句の前書の誤り(「直山」は「眞山」(しんやま)の旧全集編集者の判読の誤りで、それが現在までそのままとなっているのである)を発見しているのである。]
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