大和本草卷之八 草之四 水草類 荇 (ヒメシロアザサ・ガガブタ/(参考・アサザ))
荇 關雎ノ詩ニ詠セル荇菜是ナリ又莕ト云其葉ハ馬蹄
ニ似タリ又ヨク睡蓮ニ似タリ葉ノ形蓴菜ノ如クニシテ其
端分ル事睡蓮ノ如シ蓴菜ノ葉切レサルニ異ナリ葉水
面ニウカブ單ノ黃花ヲ開ク莖根長シ花モ水面ニウカブ
江州唐崎ノ水中ニ多シ荇菜ヲアサヾト訓スルハ誤ナルヘ
シアサヾハ。カハホ子ニ似タル水草ナリアサヾハ根アラハル荇菜
ハ根アラハレス蓴菜ニ似タリ凡蓴菜荇菜睡蓮此三種
ハ似テ一類ナリアサヾ。カハホ子ハ荇菜ト一類ニ非ス荇菜ト
睡蓮ト葉ハ相同シテ花異レリ蓴菜ハ葉ニ切タル處ナシ
小蓮葉ノ如シ荇菜睡蓮ノ葉ニハ切レタル處アリ
○やぶちゃんの書き下し文
荇〔(カウ)〕 「關雎〔(かんしよ)〕」の詩に詠ぜる「荇菜〔(カウサイ)〕」、是れなり。又、「莕〔(カウ〕)」と云ふ。其の葉は馬蹄に似たり。又、よく睡蓮に似たり。葉の形、蓴菜〔(じゆんさい)〕のごとくにして、其の端、分るる事、睡蓮のごとし。蓴菜の葉、切れざるに、異なり。葉、水面にうかぶ。單〔(ひとえ)〕の黃花を開く。莖・根、長し。花も水面にうかぶ。江州唐崎の水中に多し。荇菜を「あさゞ」と訓ずるは、誤りなるべし。「あさゞ」は、「かはほね」に似たる水草なり。「あさゞ」は、根、あらはる。荇菜は、根、あらはれず、蓴菜に似たり。凡そ蓴菜・荇菜・睡蓮、此の三種は、似て、一類なり。「あさゞ」・「かはほね」は荇菜と一類に非ず。荇菜と睡蓮と、葉は相〔ひ〕同〔じう〕して、花、異れり。蓴菜は、葉に切れたる處、なし。小〔さき〕蓮〔の〕葉のごとし。荇菜・睡蓮の葉には、切れたる處、あり。
[やぶちゃん注:この「荇」を益軒が和訓でなんと読んでいるかが判らないので、困った。「あさざ」ではないと強く言っている割に、「じゃあ、何よ!?」って突っ込みたくなる感じで甚だ困っているのだ。ただ、確かにずっと後で「あさざ」を立項してはいる。何故、素人目に似ているアサザを離すかというと、益軒は「コウホネ」を立項した後に「アサザ」を置き、コウホネとの類似性をアサザの属性の識別特徴と考えたからであるようだ。しかし、本来なら、メジャーだったはずの「アサザ」をわざわざ後ろに持って行き、しかも「あくまで漢語で通すんですね!?」という私の尻(けつ)捲くり憤懣状態から、書き下し表記をカタカナで特異的に示した。ところが、である。ここに出る標題の「荇」(原題仮名遣の音「コウ」)も、「荇菜」(同前で「コウサイ」)も、「莕」(同前「コウ」)の総てが全部、現在では「あさざ」と訓じているのだ! アサザを指しているのである。それでも、益軒は「荇菜は、根、あらはれず」と頑強に言い張って別種としているので(実はそれは、以下の結果から言うと、植物学的には正しいと判断される)、
双子葉植物綱ナス目ミツガシワ科アサザ属ガガブタ(鏡蓋) Nymphoides indica
或いは、
アサザ属ヒメシロアサザ Nymphoides coreana
を挙げておき、しかし、それでは洩れてしまう、知られた(「ガガブタ」や「ヒメシロアサザ」は知らない人が多いが、「アサザ」はそれらに比べれば、遙かにメジャーである)、
アサザ属アサザ Nymphoides peltata
を添えておくこととする。これは「岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科」公式サイト内の「ヒメシロアサザ」の解説に、『ヒメシロアサザとガガブタは』、『アサザのように地下茎或いは地下茎から発達する水中茎を持たないという特徴がある』とあることに拠ったものである。しかし、これは非常に専門的な観察であって、見た目では、素人ではその特徴なるものが判然としないのである。しかし、要はヒメシロアサザとガガブタはアサザと違って、しっかりした地下茎或いはそこから発達した有意な水中茎がよく見えない、ということを意味するようである。「大阪府立環境農林水産総合研究所」公式サイト内の「アサザ、ガガブタ、ヒメシロアサザの鑑別」を見るに、そこでは、「殖芽」の項に、アサザははっきりとした根茎を形成するのに対して、ガガブタは茎はあるが、まさに『クラゲ状』の浮葉様の芽によって殖芽し、ヒメシロアサザは『細長く小さい根茎』しか持たない(ということは水面下の根茎が目立たないということであろう)とあるからで、ガガブタとヒメシロアサザは益軒の言う「荇菜は、根、あらはれず」という指摘が合致するからである。
ガガブタは当該ウィキによれば、『湖沼やため池などにみられる』多年性『水草で』、『アジア、アメリカ、アフリカ、オーストラリアの温帯域に広く生育』し、『日本の本州以西や台湾などにも分布している』。『あまり深くない止水域に出現する』が、『池沼の改修工事や水質汚濁などに伴い、日本では個体群が減少傾向にある』。『浮葉性、または抽水性の植物で、地下茎をのばして生長する。スイレン』(双子葉植物綱スイレン目スイレン科スイレン属 Nymphaea 亜属 Chamaenymphaea 節ヒツジグサ Nymphaea tetragona 一種のみが自生する)『に似た円心形もしくは卵心形の浮葉をつけ、長さ』は八~二十センチメートル。『抽水葉をつけることもある』。但し、『スイレンと決定的に違うのは、水底の茎から伸びるのが葉柄でなく茎であることである。浮葉の少し下に芽や根が出る部位があり、ここから先だけが真の葉柄である。この部分から根や花芽、やがては葉も出てくることで、この部分だけで独立した植物体となることが出来る。夏から秋にかけて、葉柄の基部にバナナのような形をした殖芽をつくる』。『花期は』七~九月で、『多数の白い花を咲かせる。花は上記の葉の少し下の部位から出る。水面から出た花には』五『弁があり、その白い花弁の周辺は細かく裂けていて、一面に毛が生えたような見かけになっている。自家不和合性をもち、結実するためには他家受粉が必要となる』とある。
次にヒメシロアサザ。同じく当該ウィキから引く。『湖沼やため池、水田』『などに生息する水草で』、『日本、中国、朝鮮半島』『のほか、ロシアにも分布する』。『日本では水田雑草となることもある一方で、個体数は減少傾向にあり、絶滅危惧種に指定されている』。『浮葉植物で、地下茎から茎を伸ばし、浮葉を』一~三枚、『展開する』。『葉の長さは』二~六センチメートルで、『同属のガガブタより』、『少し』、『小型である』。『花期は』七~九月で、四~五裂した『白い花弁をもった花を多数咲かせる。花冠は』八ミリメートル『程度で、花弁の縁には毛をもつ』。『種子は長楕円形で、長さ』三~五ミリメートルであり、『結実率は良い』。『殖芽を形成して越冬するという報告もあるが、正確にはわかっていない』とこちらにはある。
参考にウィキの「アサザ」を引いておく(くどいが、大分、後で立項される)。漢字表記は「浅沙」「阿佐佐」で、『多年草。ユーラシア大陸の温帯地域に分布し、日本では本州や九州、稲美町などに生育する』。『浮葉性植物で、地下茎をのばして生長する。スイレンに似た切れ込みのある浮葉をつける。若葉は食用にされることもある』。『夏から秋にかけて黄色の花を咲かせる。五枚ある花弁の周辺には細かい裂け目が多数ある。アサザの繁殖方法には、クローン成長と種子繁殖という』二『つの方法がある。成長期のアサザは、走出枝をさかんに伸ばすことで展葉面積を広げるが、同じ遺伝子からなる』一『個体である。また時として、走出枝が切れて(切れ藻)漂着し、そこから新たに成長することもあるが、この切れ藻は、元の個体と同じ遺伝子を持ったクローンである。 一方』、『種子繁殖について、アサザは「異型花柱性」という独特の繁殖様式を持っている。花柱(めしべ)が長くて雄ずい(おしべ)の短い「長花柱花」と、反対に花柱が短く雄ずいが長い「短花柱花」を持つ個体が存在する。そして、異なる花型を持つ花の間で花粉がやり取りされないと』、『正常に種子繁殖を行うことが出来ない』。『花から生産された種子は翌年に発芽するほか、土壌シードバンク(埋土種子)を形成して、数年間休眠することもある』。『東欧では、絶滅が危惧されているが、北米などでは侵略的外来種とみなされている』。『水路や小河川、池に生育する。浮葉植物であることから、波浪が高い湖沼には通常、生息しない。池や水路の護岸工事や水質汚濁などにより、各地で個体群が消滅、縮小している』。『アサザの遺伝解析の結果、ほとんどの自生地が』一つ乃至二つの『クローンで構成され、種子を作るために必要な異なる』二『つの花型が生育するのは霞ヶ浦だけとなっていて、日本にわずか』六十一『個体しか残存していないことがわかったとされる』。『しかしながらこの研究は、霞ヶ浦以外では』一ヶ所で一サンプルしか『採取していないところがあるなどサンプリングに偏りがあることから、さらなる調査が必要である。上記研究によれば、その内』二十『個体が霞ヶ浦に生育していて、霞ヶ浦にしか残されていない霞ヶ浦固有の遺伝子が存在するとしている。そして、霞ヶ浦では近年生育環境が悪化し、非常に高い絶滅の危機に瀕しているとの意見がある一方で、周辺の水路での自生が報告されている。局所個体群が急激に減少しはじめた』一九九六年から二〇〇〇年と二〇〇四年『以降は、霞ヶ浦の水位が高く維持されるようになった年であり、何らかの関連性があると考えられている』『とする意見もある』。『日本では、アサザ個体群の保全や復元がNPOと行政の協働によって霞ヶ浦や北浦で行われてきた。兵庫県の天満大池、福島県の猪苗代湖などでも保全活動が行われている。霞ヶ浦ではアサザ群落の急激な減少を受けて、霞ヶ浦の湖岸植生帯の保全に係る検討会』『が開催され』、『公開の場での議論を経て、湖岸植生帯の保全や再生のために緊急対策が実施された経緯がある。また、この検討会では、事後モニタリング結果に基づき』、『順応的な管理を実施し、改善していくことが提案された。緊急対策に伴い』、二〇〇〇年から『湖の水位を上昇する管理を中止した後、アサザ群落の回復が見られた』。二〇〇二年より『緊急保全対策工の事後モニタリング調査が開始、物理環境、施設状況、生物状況に関するデータが毎年蓄積されている。さらに、霞ヶ浦湖岸植生帯の緊急保全対策評価検討会が』『開催され、知見や評価がとりまとめられている』しかし、『その後』、二〇〇五年から二〇〇七年『頃を境に、アサザ群落は一部地域を除き、減少に転じることとなり、その原因が模索されている』。『その後』、『アサザは、絶滅の危険性が低下したとされ』、二〇〇七年に『環境省のレッドデータブックが改定された際』、『ランクが絶滅危惧II類(VU)から準絶滅危惧(NT)に下げられ』てしまった。『しかし』、二〇一八年、『霞ヶ浦における群生が確認できなくなったとして、現地のNPOが自生のアサザの消滅を宣言』する事態に陥ってしまっている、とある。
『「關雎〔(かんしよ)〕」の詩』「詩経」の「周南」にある以下。
*
關雎
關關雎鳩
在河之洲
窈窕淑女
君子好逑
參差荇菜
左右流之
窈窕淑女
寤寐求之
求之不得
寤寐思服
悠哉悠哉
輾轉反側
參差荇菜
左右采之
窈窕淑女
琴瑟友之
參差荇菜
左右芼之
窈窕淑女
鐘鼓樂之
關雎(くわんしよ)
關關(くわんくわん)たる雎鳩(しよきう)は
河の洲(す)に在り
窈窕(えうてう)たる淑女は
君子の好逑(かうきう)たり
參差(しんし)たる荇菜(かうさい)は
左右(さいう)に之れを流(と)る
窈窕たる淑女は
寤寐(ごび) 之れを求む
之れを求めて得ざれば
寤寐 思服(しふく)す
悠(いう)かなるかな 悠かなるかな
輾轉反側(てんてんはんそく)す
參差たる荇菜は
左右に之れを采(と)る
窈窕たる淑女は
琴瑟(きんしつ)もて之れを友とす
參差たる荇菜は
左右に之れを芼(と)る
窈窕たる淑女は
鐘鼓もて之れを樂しむ
*
故乾一夫先生(私は先生の「詩経」の授業を受けた。以下の書籍はその教材だった)の「中国の名詩鑑賞 1詩経」(昭和五〇(一九七五)年明治書院刊)によれば、琴瑟相和す新婚夫婦を讃える祝婚歌とある。「雎鳩」タカ目ミサゴ科ミサゴ属ミサゴ Pandion haliaetus 。魚を捕食するタカとして知られ、中国では子が多いとされて、新婚のアイテムとなった。「窈窕」嫋(たお)やかで美しいさま。「好逑」良き連れ合い。「參差」多くの草木の新芽や若葉が繁茂し、群がり生えるさま。やはり新婚の言祝ぎのシンボル。「荇菜」乾先生はズバり、アサザとされ、『若葉が食用に供されることから「菜」といった』とある。「寤寐」「寤」は「目覚める」、「寐」は「眠る」で、「日夜」「一日中」「寝ても覚めても」の意。「思服」は思い焦がれること。「悠哉悠哉」『思念の深く』且つ『綿々として絶えざるをいう』とある。「輾轉反側」寝返りを打つこと。「琴瑟」「琴」は七弦、「瑟」は二十五弦の弦楽器。中国の古い琴。「芼」「選び取る」の意。アサザを摘み取る仕草を、よき配偶者を手に入れることにシンボライズしている。「鐘鼓」結婚を祝う実際の婚礼の囃子とダブるようになっている。
「蓴菜」スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ属ジュンサイ Brasenia schreberi 。後で立項される。
「江州唐崎」滋賀県大津市唐崎(グーグル・マップ・データ)。琵琶湖は嘗てはイサザの名所として知られたが、北アメリカ原産の繁殖力旺盛な雑草である外来種チクゴスズメノヒエ(単子葉植物綱イネ目イネ科キビ亜科キビ連スズメノヒエ属キシュウスズメノヒエ変種チクゴスズメノヒエPaspalum distichum var. indutum )の分布拡大により、アサザの発芽場所が急激に減少し、同種の滋賀県内での自生群生地は、二〇一五年現在、東近江市の農業用水路のみとなっており、二〇〇四年以降には、さらに質の悪い外来種で「地上最悪の侵略的植物」の異名を持つ南アメリカを原産とするナガエツルノゲイトウ(双子葉植物綱ナデシコ目ヒユ科ツルノゲイトウ属ナガエツルノゲイトウ Alternanthera philoxeroides )がチクゴスズメノヒエ以上に群落を拡大させており、滋賀県ではアサザは絶滅危惧Ⅰ類とされている、とウィキの「琵琶湖」にあった。
「かはほね」スイレン目スイレン科コウホネ(河骨)属コウホネ Nuphar japonica 。後で「萍蓬草(かはほね)」として独立項で出る。]