大和本草卷之八 草之四 水草類 萍蓬草(あさざ) (アサザ)
【和品】
アサヽ 池澤ノ中ニ生ス葉モ花モ萍蓬草ニ似テ別ナリ萍
蓬草ハ莖ツヨクシテ水上ニ立ノホリ根地上ニアラハルアサヽ
ハ莖カウホネヨリ長ク水中ニ橫タハリテヨハク葉ハ水面ニ
ウカヒ水上ニ不上花ノ形色ハカウホネニ似タリ五六月
水面ニ黃花ヲヒラク新六帖光俊ノ哥ニ云見レハ又アサ
サオフテフ澤水ノソコノ心ノ根ヲゾアラハス是アサヽノ根ノ
アラハルヽヲイヘリ荇菜ヲアサヽト訓スルハ誤ナリ荇菜ハ
根アラハレス又古哥ニ水マサル沼ノアサヽノウキテノミアルハ
有トモナキ我身哉コレアサヽノ水ニウカヘル事ヲイヘリカウホ
ネノ葉ハ水上ニ立ノホリテ水面ニウカハス荇菜ヲアサヽト訓
シ萍蓬ヲアサヽト云ハ皆非ナリ
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
あさゞ 池澤の中に生ず。葉も花も、萍蓬草(かはほね)に似て、別なり。萍蓬草は、莖、つよくして、水上に立ちのぼり、根、地の上に、あらはる。あさくゞは、莖、「かうほね」より長く、水中に橫たはりて、よはく、葉は水面にうかび。水上に上らず。花の形、色は「かうほね」に似たり。五、六月、水面に黃花をひらく。「新六帖」光俊の哥に云はく、
見れは又あささおふてふ澤水のそこの心の根をぞあらはす
是れ、「あさゞ」の根のあらはるゝを、いへり。荇菜〔(かうさい)〕を「あさゞ」と訓ずるは、誤なり。荇菜は、根、あらはれず。又、古哥に、
水まさる沼のあさゝのうきてのみあるは有ともなき我身哉
これ、「あさゞ」の水にうかべる事を、いへり。「かうほね」の葉は、水上に立ちのぼりて、水面にうかばず。荇菜を「あさゞ」と訓じ、萍蓬を「あさゞ」と云ふは、皆、非なり。
[やぶちゃん注:双子葉植物綱ナス目ミツガシワ科アサザ属アサザ Nymphoides peltata 。既に「大和本草卷之八 草之四 水草類 荇 (ヒメシロアザサ・ガガブタ/(参考・アサザ))」で詳しく注したので、そちらを見られたい。
「萍蓬草(かはほね)」既出。
「新六帖」鎌倉中期に成った類題和歌集「新撰六帖題和歌集」(全六巻)。藤原家良・藤原為家(定家の次男)・藤原知家・藤原信実・藤原光俊の五人が、仁治四・寛元(一二四三)年頃から翌年頃にかけて詠んだ和歌二千六百三十五首が収められてある。奇矯。特異な歌風を特徴とする(ここは東洋文庫版「和漢三才図会」の書名注に拠った)。当該和歌集は所持しないので校訂不能だが、日文研の「和歌データベース」の同歌集を調べたところ、「第六 草」に載るものの、これは「光俊」の歌ではなく、鎌倉時代の公家で画家・歌人であった藤原信実(安元二(一一七六)年頃~文永三(一二六六)年以降)の歌で、
みれはまたあささおふてふさはみつはそこのこころのねをやあらはす
とあって「根をぞあらはす」は違う。画家らしい観察眼である。
「水まさる沼のあさゝのうきてのみあるは有ともなき我身哉」これも同じく「新撰六帖題和歌集」の「第六 草」に載る藤原家良(建久三(一一九二)年~文永元(一二六四)年:鎌倉時代の公卿・歌人。正二位内大臣。藤原定家に師事し、「万代(まんだい)和歌集」を藤原光俊と共撰し、「続古今和歌集」の撰者にも加えられた。「新勅撰和歌集」以下の勅撰集に実に百十八首が入集する)の一首で前の信実を出しておいて、作者を示さずに、「古哥」は鼻白む。同前データベースでは、
みつまさるぬまのあささのうきてのみありはありともなきわかみかな
とあるので、表記の問題はない。]
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