大和本草卷之八 草之四 水草類 川苔(かはのり) (カワノリ・スイゼンジノリ)
【和品】
川苔 川苔モ海苔ニ似タリ處々ニアリ冨士山ノ麓柴川
ニ柴川苔アリ冨士ノリトモ云日光苔ハ野州日光ノ川ニ
生ス菊池苔ハ肥後ノ菊池川ヨリイヅ。ホシテ遠ニヲクル。ア
マノリニ似タリ肥後水前寺苔ハ水前寺村ノ川ニ生ス乾
シテ厚キ紙ノ如ナルヲ切テ浸シ用ユ此類諸州ニアリ
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
川苔(〔かは〕のり) 川苔も海苔〔(うみのり)〕に似たり。處々にあり。冨士山の麓、柴川〔(しばかは)〕に「柴川苔(〔しばかは〕のり)」あり、「冨士のり」とも云ふ。「日光苔」は野州日光の川に生ず。「菊池苔」は肥後の菊池川〔(きくちがは)〕より、いづ。ほして、遠くに、をくる。「あまのり」に似たり。肥後〔の〕「水前寺苔」は水前寺村の川に生ず。乾して、厚き紙のごとくなるを、切りて、浸し、用ゆ。此の類、諸州にあり。
[やぶちゃん注:この記載には一つ、問題がある。それは全くの異なった「水前寺苔」を「川苔」の一種としている点である(後述)。まずは、「水前寺苔」を除いて、
緑藻植物門トレボウクシア藻綱 Trebouxiophyceaeカワノリ目カワノリ科カワノリ属カワノリ Prasiola japonica
としてよいだろう。ウィキの「カワノリ」によれば、カワノリ目 Prasiolales カワノリ科 Prasiolaceae に属する『淡水性の藻類』。嘗ては、『緑藻綱アオサ目』(緑藻植物門 アオサ藻綱 Ulvophyceae アオサ目 Ulvales)『に分類されていたが、系統学的な研究により』、『トレボウクシア藻綱に分類が改められた』。『日本に生息。岐阜県や栃木県、熊本県などの河川に生息し、日本海側の河川からは発見されていない』(☜誤り! 南佐久郡佐久穂町(さくほまち)大日向(おおひなた)を流れる都沢川(「とざわがわ」か)でカワノリが「天然記念物」に指定されている(指定日は昭和五二(一九七七)年一月十八日)ことが、「八十二文化財団」公式サイトの「川海苔」で確認でき、そこに『都沢川の川海苔は、日本海へ注ぐ水系にあるため、学術的に貴重といわれる』とあるぞ! 写真もあるぞ!)。『渓流の岩石に着生して生活するが生息数は少なく』、『日本では絶滅危惧種に指定されている』(この記載では少し戸惑うが、日本固有種ではない(そう記載しているページを見つけたが、誤りである。後述する)。『アオサ』(アオサ藻綱アオサ目アオサ科アオサ属 Ulva の総称。現在、盛んに「あおさ」として乾燥品が売られているが、あれは殆んどがアオサではない、アオサ藻綱ヒビミドロ目ヒトエグサ科ヒトエグサ属ヒトエグサ Monostroma nitidum である。ウィキの「ヒトエグサ」によれば、以上の通り、『アオサとヒトエグサは分類学上』、『目単位で分けられており、アオサの仲間の多くは細胞の層が』二『層であり、ヒトエグサの手触りがぬるぬると滑っている点などで区別ができる。また』、『生活環も異なっており、ヒトエグサを含むヒビミドロ目』Ulotrichales『は配偶体と胞子体の大きさや形状が明瞭に異なるのに対し、アオサを含むアオサ目』(Ulvales)は、『それらの違いがはっきりしない同形世代交代である』とある。完全に騙されていることを重々承知されたい)『のような緑色のうすい葉状体を形成し、長さはおよそ』十~二十センチメートル。『主に無性生殖で繁殖するが、接合子をつくり』、『有性生殖する例も知られている』。『遊走子はもたない』。『夏から秋にかけて採集され、川海苔として食用にされる』。『産地の河川名を頭につけて呼ばれることもあり』「大谷川のり」「桂川のり」「菊池のり」「芝川のり」『などと呼ばれる川海苔が存在する。なお』、『懐石料理の高級食材としても使われる水前寺のりは、植物ではなく、藍藻(シアノバクテリア)に分類される食用の念珠藻の一種である』(後述)とある。強力なページを見つけた! 「海苔増殖振興会」公式サイト内の「海苔百景」の有賀祐勝氏の「渓流に生育する淡水藻カワノリ」(1・2)である! まず、『四国の四万十川河口近辺など海水と淡水が混じりあう汽水域に生育していて食用に採取されるアオノリ類』(アオノリは種ではなく、複数の異なる種群を含む。ヒトエグサ科(アオサ藻綱ヒビミドロ目ヒトエグサ科 Monostromataceae。代表種ヒトエグサは既に記した)の海藻、アオサ藻綱アオサ目アオサ科アオサ属のアナアオサ Ulva pertusa ・スジアオノリ Ulva prolifera に代表される旧アオノリ属 Enteromorpha の三種群に大別される)『も「川海苔」や「かわのり」という商品名で販売されている』『が、これと』カワノリ『は全く違う藻類で』ある、という注意喚起に始まり(恐らく「四万十の川苔」をカワノリだと思い込んでいる人は非常に多いはずだ!)、以下、カワノリの地方名として『谷川苔(だいやがわのり)(栃木県日光市大谷川)、桐生のり・高沢のり(群馬県桐生川)、多摩川苔(東京都秋川・日原川)、桂川のり(山梨県桂川)、富士のり(静岡県富士川)、芝川のり(静岡県富士宮市芝川)、円原苔(岐阜県武儀川)、青藍苔(徳島県那賀川)、山浦のり(大分県筑後川)、高千穂苔(宮崎県高千穂川)、菊池川苔(熊本県菊池川)などがよく知られて』おり、他にも、『栃木県塩原(那珂川支流の箒川)、熊本県八代郡五家荘(球磨川)、紀伊半島大台ケ原(木澤川)、伊豆半島天城山麓(川津川)』及び『埼玉県荒川水系』の条件の合う場所にも生育しているという。さらに、『カワノリの分布は、本州は栃木県~岐阜県の太平洋岸に注ぐ河川と』、『四国・九州の河川の上流で清冽な流水の渓流とされ、水中の岩石の上に密集して着生繁茂します。昔から太平洋に注ぐ河川の上流にほぼ限定されていると言われてきましたが、現在では日本海に注ぐ河川の上流にも分布することが知られるようになっています。その一つが長野県南佐久郡佐久穂町の都沢川(信濃川水系)で、ここのカワノリは長野県の文化財となっています』(☜言わんこっちゃない! ウキペディアン! 書き直せ! 俺はすごく厭な思いをして以来、ウィキペデイアの手入れは日本語がおかしいもの以外は、手を入れないことにしている)。『いずれも渓流の清冽な流水中に生育する貴重な淡水藻類で、近年の開発に伴って減少する傾向にあり、絶滅危惧種として保護されたり、養殖が試みられたりしています。例えば、静岡県富士宮市の芝川のりは、かつて貴重な産品で徳川家康に献上されたと伝えられており、現在富士宮市では保護育成活動が行われています』とある。また、「2」の生態学的な緻密な記載の中で、『ちょっと不思議に思われるのは、かなり速い流速の渓流の中で着生生育している葉状体につくられる不動胞子や配偶子が、葉状体から放出されても全部下流に流されてしまうことなく毎年同じ岩石に着生生育しているのが見られことです。また、カワノリの分布がだんだん下流に移っていくということは無いようです。なぜでしょうか。不動胞子や接合子が流水中の岩石などに着生する微妙なタイミングやメカニズムについては大変興味がもたれますので、今後更なる研究が望まれます。また、天然のカワノリを多量に採取するのは難しいので乾燥製品は極めて貴重で高価なものですが、養殖に関する基礎研究は』一九六〇『年代から行われてきたものの、まだ本格的な大量生産には至っていません。今後の進展が期待されます』とある。非常に興味深いではないか。また、『色彩の違い(光合成色素組成の違い)や淡水産と海産の違いなどにもかかわらず、カワノリとアマノリ類とは共通の特徴があることから、両者の類縁関係は依然として興味をそそるものです』ともある。而して、最後に『世界のカワノリ属』の項があって、『カワノリ属(Prasiola)の藻類は主として淡水産ですが、海産や気生』(エアープランツ(Airplants)。着生植物の中で高度に着生に適応した結果、根からの水吸収に頼らず(根は個体固定のためのみに特化する)、葉の表面の繊維などで水や栄養を集める植物を指す)『の種も知られています。淡水産のものは主として山地の渓流に生育するもので、日本以外では台湾山地の川、中国雲南の川、ヨーロッパのアルプスの川などから報告があります。南米のアンデス山脈に沿ってエクアドル・ペルー・ボリビア・チリーなどの高山地帯の渓流からは Prasiola mexicana の存在が報告されています。海産では千島幌莚島の P. tessellata のほか、南極大陸、インド洋のケルゲレン島、北米カリフォルニアの海岸から報告があります。気生では樺太海豹島の鳥糞の塊上に生じる P. crispa があります』とあるのだ。日本固有種でないと言ったのは、この記事に拠ったのである。
『冨士山の麓、柴川〔(しばかは)〕に「柴川苔(〔しばかは〕のり)」あり、「冨士のり」とも云ふ』まず、「芝川苔」が正しい。ウィキの「富士苔」によれば、『富士苔(ふじのり)は、カワノリの一種で』(亜種でも近縁種でもない。カワノリであり、カワノリの地方名とするべきである)、『静岡県富士宮市に生息するもの。芝川のりとも呼称される』。『芝川が生息域である』(静岡県東部の富士宮市北部の湧水群を源とし、富士宮市を流れ、富士宮市役所芝川出張所の東側で富士川に合流する川。この中央の川。グーグル・マップ・データ。以下同じ)『古くは「富士海苔」・「富士苔」・「富士のり」と表記し』、『「ふじのり」と呼称される例が多く、近世に入ると』、『これらの他に「芝川海苔」・「芝川苔」と表記し「しばかわのり」と呼称される例が見られる』。『古くより天皇・幕府への献上品として、そして公家からも嗜まれた名品であり、しばしば進上品として用いられてきた。例えば駿河国守護である今川範政は室町幕府将軍足利義教へ富士苔を送り、礼として太刀を送られている』。『富士氏は管領細川持之へ富士海苔等を献上している』。『葛山氏』(かつらやまし:駿河国駿東郡葛山(現在の静岡県裾野市)を本拠とした武士で、鎌倉幕府御家人として登場しており、葛山景倫は第三代将軍源実朝に近侍している)『も足利義教に富士苔を送り、返書を受けている』。『当記録が所載される』「昔御内書符案」(「むかしごないしょふあん」か)には『「若公様御誕生御礼」とあり、この進上品は将軍足利義教の子である足利義勝の誕生祝に伴う進上であった』。その『他、公家に送られることも多く』、『三条西実隆』『や山科言継』『等に送られた記録が残る。また天皇への進上品としても選ばれ、三条西実隆が後奈良天皇に進上している』。『近世になっても名品の地位は揺るがず、江戸幕府への献上品として用いられた』。天保一四(一八四三)年の「駿国雑志」『十八之巻には「芝河苔」とあり、「富士郡半野村芝河より出す(中略)毎年十一、十二月の内発足、江戸に献す。世に富士苔と云ふ是也。(中略)宿次にて江戸に送り、御本丸御臺所に献す」「富士郡半野村芝川より出づ、故に富士苔と號す」とあり、江戸幕府へと献上されていた記録が残る。また同記録には「富士郡半野村、芝川にあり。故に芝川海苔と號す。其色緑にして味至て甘し…」と味を伝える』。「料理物語」(作者不詳。上方の人物か。寛永二〇(一六四三)年に刊行されたものが底本とされる料理書)には『「ふじのり」とあり、「ひや汁 あぶりざかな 色あをし」と説明がある』。俳人松江重頼の俳諧論書「毛吹草」(正保元(一六四五)年刊)には『「富士苔 山中谷川二有之」とある』。(以下に本「大和本草」(宝永七(一七〇九)年刊)に刊行の記載が引用されて、さらに)『同じく貝原益軒』の元禄五(一六九二)年の江戸に至るまでの記録「壬申紀行」には『「柴川は名所なり(中略)此川に富士苔と云物多し」とある』。松成義左衛門著の「献上料理集」(天明六(一七八六)年には『秋の料理として「御精進二ノ汁 御澄し 初たけ 富士海苔 ゆ(柚)」とある。阿部正信の地誌「駿河雑志」(天保一四(一八四三)年刊・全五十巻)には「十一月、十二月」とあり、「献上料理集」では『秋の料理として挙げられているため、秋冬が特に良いとされていたようである。その他、多くの書物に名物として記されている』。以下、寺島良安の「和漢三才図会」(正徳二(一七一二)年)の引用があるが、ここは、私の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」から引く。「紫菜(あまのり)」の附録である(古い電子化なので再度、原本を見て、少し表記を訂した)。
*
富士苔は、富士山の麓(ふもと)精進(しやうじ)川村[やぶちゃん注:「しょうじんがわむら」。現在の富士宮市精進川。芝川の上流である。ここ。]より、之れを出して、形狀、紫菜に似て、青綠色。味、極めて美なり。
*
『このように、駿河国の土産品としても知られていたようであり、東泉院(富士市今泉に所在していた)』(ここ。寺は現存しない。芝川合流地点から約十二キロメートル南西)『の土産としても用いられていた』。文政三(一八二〇)年の. 桑原藤泰の地誌「駿河記」には『「この川より水苔を出す 富士苔あるいは芝川苔と称す」とある』。『現在は収穫量が限られており』、『特に水力発電所の建設が大きな影響を与えた』(白糸発電所か)。『近年「幻のカワノリ」とまで言われるまでに減少していたが』、一九九八年になって、『特定の場所で多量に生育していることが確認され、調査が進められることとなった』。『今現在、芝川のりの保護・育成が図られている』とある。
『「日光苔」は野州』(下野国の異称。現在の栃木県)『日光の川に生ず』栃木県日光市周辺で採れるカワノリ。主に日光の大谷川(だいやがわ:栃木県日光市日光国立公園の中禅寺湖を発して、華厳滝を落ち、日光市清滝付近で日光市内を東へ流れながら、周囲の支流を集めて、日光市町谷で鬼怒川に合流する。ここ)で採取される。「大谷川苔」として、嘗ては日光の特産品として知られ、江戸幕府にも献上されていた。
『「菊池苔」は肥後の菊池川よりいづ』「菊池川」(きくちがわ)は阿蘇外輪山の尾ノ岳(標高千四十一メートル)の南麓に発し、上流の菊池渓谷を経て西流し、和水町(なごみまち)北部で南へと大きく転じ、玉名市市街地南部をかすめて、有明海に注ぐ。河口部では古くから干拓が行われてきた。さて。「菊池苔」である。現在、「菊池川海苔」の名称で売られているが、これはカワノリではない。「全国漁業協同組合連合会」の作成したこちらのページを見ると、「熊本のり」の『歴史は古く、明治初期から菊池川河口で海苔が生産されており、明治』一二(一八七九)『年頃からは球磨川河口の八代海でも生産が始ま』ったとあり、そこにある画像は、正真正銘の海藻の板海苔である(どこにも種が書いてないが)。これは養殖場所からも、カワノリではなく、どうみても海藻のそれである。紅色植物門紅藻亜門ウシケノリ綱ウシケノリ目ウシケノリ科 Bangiaceae に属するアマノリ類(★甘海苔。ウシケノリ科の中で、膜状の体を持つ種の総称であり、これは「岩海苔(いわのり)」と同義で、板海苔に加工される代表種はアマノリ属アサクサノリ Neopyropia tenera ・スサビノリ Neopyropia yezoensis ・ウップルイノリ(十六島海苔)Pyropia pseudolinearis などで、韓国海苔もこの属から作られている★)製の「海苔」である。では、カワノリの「菊池苔」はないのかというと、実は嘗てはあった。熊本県菊池市が作成しと思われる『市指定文化財』『天然記念物』とする『菊池川(きくちがわ)のり』(指定日を昭和四一(一九六六)年四月十五日とし、『所在地 菊池市原 菊池渓谷内』とする。ここである。ところが、その解説には以下のようにあるのだ。
《引用開始》
川のりは、別称カワタケノリとも、スイゼンジノリともいわれ、日本特産の渓流産の緑藻類である。初め熊本市の水前寺付近で見られたからこう呼ばれるようになったもので、川のりは栃木県以南の太平洋に注ぐ大河川上流部の渓流に分布し、古くから食用として採取されてきた。幅0.5~4cm、長さ10~20cmの単細胞からなる葉状体で、扁平で薄い葉状体の基部は渓流中の岩石面に付着しており、海産のアオサに似ている。年中生育しているが、7~11月が最も多い。
江戸時代には細川藩から幕府への献上物になっていたが、現在は生育環境が破壊されてきたためその分布が激減し、環境省の絶滅危惧調査対象種となっている。県内でも菊池渓谷をはじめ、球磨郡山江村、八代市泉、阿蘇郡小国町の渓流で見られていたが殆ど絶滅し、現在ではごく限られた場所でしか見られなくなった。
《引用終了》
この記事を書いた人物は伝家の宝刀「天然記念物」の説明記載として致命的な大きな誤りをしでかしてしまっている。それは、この「菊池川のり」を「栃木県以南の太平洋に注ぐ大河川上流部の渓流に分布し、古くから食用として採取されてきたというところで、狭義のカワノリ属カワノリ Prasiola japonica と同一としておきながら、別にその呼称を「カワタケノリとも、スイゼンジノリとも」呼び、さらに「天然記念物指定」で「日本特産」(日本固有種!)「の渓流産の緑藻類である」とやらかし、しかも「初め」、「熊本市の水前寺付近で見られたからこう呼ばれるようになったもの」だとしてしまっているのである。以下に見る通り、スイゼンジノリはカワノリとは全く違う種である。「カワタケノリ」とは「川茸苔」でこれは、以下にも示すが、「スイゼンジノリ」の異名なのである。則ち、「菊池苔」とは、嘗て菊池川に棲息していたスイゼンジノリ或いはカワノリで作った川苔であったのである。
「あまのり」★で挟んだとこで既注。
『肥後〔の〕「水前寺苔」は水前寺村の川に生ず。乾して、厚き紙のごとくなるを、切りて、浸し、用ゆ』スイゼンジノリはバクテリア(シアノバクテリア:藍色細菌)の仲間であって真正の淡水藻類ではなく、
真正細菌ドメイン(domain) Bacteria藍色細菌門 Cyanobacteria藍色細菌綱 Cyanobacteriaクロオコッカス目 Chroococcalesクロオコッカス科スイゼンジノリ属スイゼンジノリ Aphanothece sacrum
である。但し、見た目は全く以って「藻」のように見えるから、「藍藻」とも呼ばれるのであるが、スイゼンジノリは原核生物であり、他の藻類よりも大腸菌や乳酸菌などに近縁の種であるのである。当該ウィキを引く。『スイゼンジノリ(水前寺海苔)は九州の一部だけに自生する食用の淡水産藍藻類。茶褐色で不定形。単細胞の個体が寒天質の基質の中で群体を形成する。群体は成長すると川底から離れて水中を漂う。朝倉市』屋永の『黄金川に生息する』(ここ)。初めは、『熊本市の水前寺成趣園』(すいぜんじじょうじゅえん:ここ)『の池で発見され』、明治五(一八七二)年、『オランダの』植物学者ウィレム・フレデリック・ヘイニエル・スリンガー(Willem Frederik Reinier Suringar 一八三二年~一八九八年)に『よって世界に紹介された。「聖なる」を意味する学名の“sacrum” は、スリンガーがこの藍藻の生息環境の素晴らしさに驚嘆して命名したもの』である。宝暦一三(一七六三)年、『遠藤幸左衛門が筑前の領地の川』(現在の福岡県朝倉市屋永)『に生育している藻に気づき』、『「川苔」と名付け、この頃から食用とされるようになった』。安永一〇・天明元(一七八一)年から天明九・寛政元(一七八九)年『頃には、遠藤喜三衛門が乾燥して板状にする加工法を開発した』。寛政五(一七九二)年に『商品化され、弾力があり珍味として喜ばれ「水前寺苔」、「寿泉苔」、「紫金苔」、「川茸」などの名前で、地方特産の珍味として将軍家への献上品とされていた。現在も比較的高級な日本料理の材料として使用される』。『養殖が試みられているが』、『その生育にはミネラルを含んだ貧栄養の綺麗な』摂氏十八~二十度の『水や』、『ゆるやかな流速等の条件が複合的に絡み、ゴミや木の葉等が混入すると売り物にならないなど、人工養殖は至難の業と言われていたが、熊本の嘉島にて長年の研究の末、丹生慶次郎が人工養殖に成功。最近では翠色が強い』「水前寺のり」の『亜種が発生し、継体養殖の末、品種として安定させ、『翠玉』(すいぎょく)と命名し』、『現在、熊本市内の一部料亭などで流通している』。二〇一七年『現在は熊本県内に数件の養殖業者がある』。『九州東海大学教授の椛田聖孝』(かばたきよたか)氏の『の報告書によれば』、『熊本市の上江津湖』(かみえづこ)『にある国の天然記念物「スイゼンジノリ発生地」では』(ここ)、一九九七年『以降、水質の悪化と水量の減少でスイゼンジノリはほぼ絶滅したと分析されている。復活させるには保護区内に井戸を掘り、水量を確保する必要がある』とされる。『伝統的な日本料理(会席料理、茶懐石、精進料理等)で使用される。板状に加工したものは水に浸けて戻し、細切りにして使う。基本的に無味無臭で、彩りと歯ごたえを楽しむ。用途は、刺身のつま、吸い口、和え物など。また近年では加工せずに原型のままや』、『生のものも商品化されている』。『スイゼンジノリの細胞外マトリックス』(Extracellular Matrix:生物において細胞の外に存在する不溶性物質)『に含まれる硫酸化多糖のサクラン(Sacran』:『種小名の sacrum に由来)は、重量比で約 』六千百『倍もの水を吸収する性質を持ち、保湿力を高めた化粧水に応用されている高分子化合物である』。『また、サクランが陽イオンとの結合により』、『ゲル化する性質を利用し、これを工場排水などに投入してレアメタルを回収する研究が行われている』。『地球上で唯一の自生地である黄金川の水源は、合流する佐田川の伏流水であることが実験で示されており、佐田川に隣接する小石原川源流のダム建設事業に、両河川を結ぶ木和田導水建設事業が付帯されているため、富栄養化したダム湖水で原水が汚染されるのではないかと危惧されている』とある。、私の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」から引く。やはり「紫菜(あまのり)」の附録で先の「富士苔」と並んである。
*
水前寺苔(すいぜんじのり) 肥後より出づ。色、「富士苔」に似て、方形なり。之れを煮るに亂れず。味、甘美なり。近頃、多くは出でず。但し、一一(いちいち)、菜の葉のごとく、相ひ粘(つ)きて、方形を作(な)すのみ。
*
しかし――「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年の成立で、先の引用にある通り、真正のスゼンジノリの発見は宝暦一三(一七六三)年で、五十年も前だ。しかして、よく見ると、「相ひ粘(つ)きて方形」を成すと言っている。これはスイゼンジノリの属性とちょっと異なり、寧ろ、カワノリのことのように読める。もしこれが、真のスイゼンジノリだったなら、驚愕の事実となるが、『肥後より出づ。色、「富士苔」に似て、方形なり。之れを煮るに亂れず。味、甘美なり』と、えらくメジャーな記載である。残念ながら、やはりこれは本物のスイゼンジノリではなく、カワノリである。
「此の類」誤ってはいけいない。「この」はあくまで前のカワノリを指すものとして理解する限りに於いて正しく、スイゼンジノリは除外せねばならない。]
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