大和本草卷之八 草之四 水草類 沼よもぎ (オオヨモギ)
【和品】
沼ヨモギ 大葉也莖初生葉未生時食ス苦參ノ莖立
ノ如シ艾ニハ葉ノ本ニ小葉アリ沼ヨモキニナシ葉ハヨモキニ
似タリ艾ト同類二物カ
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
沼よもぎ 大葉なり。莖の初めて生じ、葉、未だ生へざる時、食す。苦參の莖立〔(くきだち)〕のごとし。艾〔(よもぎ)〕には葉の本に小葉あり。「沼よもぎ」に、なし。葉は「よもぎ」に似たり。艾と同類二物か。
[やぶちゃん注:「ぬまよもぎ」は「やまよもぎ」とともに、
キク目キク科キク亜科ヨモギ属オオヨモギ Artemisia montana
の異名。通常のヨモギ属ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii の近縁種で、日本の本州以北に山野に自生する(水辺ではない)。「岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科」の公式サイト内の「オオヨモギ(ヤマヨモギ)」には(写真有り)、『オオヨモギにはヤマヨモギ、エゾヨモギの別名があるように、ブナ帯を中心とした山地帯の草地に生育する。近畿地方以東の本州、北海道、南千島などに分布するとのこと。オオヨモギの名前が示すように草丈が高くなり、時として』二メートル『を超える。葉が大きく、茎の中部の葉の長さ』は十五~二十センチメートル。『草丈と葉の大きさのほかに、頭花の幅が広く、ずんぐりしているという点が異なるらしいが、これの区別も簡単ではない。ヨモギとよく似ており(全体的な印象は明らかに違うのであるが)、育ちのよいヨモギと貧弱なオオヨモギが的確に区分できるかは自信がない』とある。個人ブログ「久保田七衛の書屋」の「漢方生薬考 ヨモギ属(11)」に、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」の『艾ではヨモギの他モチグサ・フツ・ブツなど諸名称を訓じます』『が、淡路モグサを称揚し、近江伊吹山産のものをヌマヨモギ、蔞蒿A. selengensisであって艾ではないとしました(宗伯『古方薬議』もこの説を支持しています)。現代日本ではむしろタカヨモギと訓じられることの多い蔞蒿ですが、牧野1982ではこれをオオヨモギにあてています。蘭山の観察は「苗ノ高サ一丈余ニシテ葉モ長大ニシテ尺ニスギ、(中略)香気少クシテ」とオオヨモギの特徴を的確にとらえており、オオヨモギの分布が近畿までと西限に近いこと、京都在住の蘭山が東方の見慣れないオオヨモギを見てこれをヨモギと異なるものと評価し、かつヨモギより劣る品ととらえたものと思われます』。『さて、国産ヨモギを薬種として品考するとき、蘭山のように産地だけではなく種の違いにも目を配る必要があります。貝原益軒が『大和本草』後に書いた『養生訓』(1713年)では』、『「名所の産なりとも、取時過ぎて、のび過たるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ゆべし。」』『として、成長して大きくなりすぎたものは良くないとの記述になっています。益軒の時点では種が違うというアイデアまで到達していなかったようですが、実は別の品種である、との認識は先行する1680年前後、農作物の生産に深く関わる村役人層の観察に初出があります(古島敏雄校注1977『百姓伝記』)。巻十二中「もぐさを作る事」では、「もぐさ種両種見へたり。」として、一方を「葉の大にしてやう大まかにきれ、」「にほひうすく、にがみもすくなく、ほしてもむにわた少なし。」もう一方を「葉小葉に見へてえうのきるる事こまかなる有。」「にがみ多く、ほしてもむに真(わたカ)多く、にほひふかきやうなり。」と記載。現代植物学におけるヨモギとオオヨモギのこととして、まず間違いないものと思われます。寒川辰清1734『近江與地志略』でも伊吹モグサの製造販売で原料にオオヨモギを使っていた記載があるようで(織田1998)、先述した19世紀蘭山の記載は17世紀後半から18世紀のこのような流れを受けて出てきたものでしょう。飯沼慾斉1856『新訂草木図説』では美濃北部吾北山の山人は「モグサの原料としてオオヨモギを貴ぶが、ヨモギに比べ香味劣る』…『」(織田1998の訳)と記載しており、幕末までにはヨモギ/オオヨモギの弁別はすでに安定したものになっていると評価してよさそうです』。『興味深いのはモグサ主生産地の推移で、近世から現代にかけ(近江・)美濃→越前→越中→越後と移動します(織田1998・織田1999)。このような移動の原因として、織田1998・1999は北陸でもともと産量が多いことと、冬季の労働力が期待できることを挙げていますが、旧産地衰退の原因としてヨモギに対する高採集圧のもとヨモギ群落が徐々にオオヨモギへ遷移し、その結果薬種に供せなくなることが見逃せないと考えます』。『このような過程を経て、現在日本産では上述のようにヨモギ A. princeps Pamp.とオオヨモギ A. montana Pamp.の葉を乾燥したものをともに正品とします。伊吹山麓の柏原は中山道の宿場町でもあったことから名産品としてのモグサを商う一角が形成され、地方を回る艾売りもいました(落語「亀佐」:HP世紀末亭)。天保14年の同宿における職業記録ではもぐさ屋は9軒。屋号はいずれも亀屋であったようです(HP『旧街道道草ハイク』参照:安藤広重『木曾街道六拾九次之内柏原』にも描かれています)。江戸の艾販売は紋様が同じことから命名された団十郎艾が有名でした(真柳誠2005「江戸のもぐさ屋」『日本医史学雑誌』51(1))』とある。本種は明らかに水草ではないので、これで終わる。
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