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2021/05/02

伽婢子卷之四 幽靈逢夫話 / 伽婢子卷之四~了

 

    ○幽靈逢夫話

[やぶちゃん注:標題は「ゆうれい、をつとにあふて、かたる」と読む。]

 野路(のぢの)忠太は江州の者也。妻は同じ國野洲(やす)の郡(こほり)、下人の娘也。一人の娘をうみけれども、半年の後、死して、又、子、なし。

 永祿のすゑの年、商買の事によりて、鎌倉に下りしに、自國・他國、亂れ立て、道中の通路、ふさがり、三年あまり、歸り上らず。

 或夜の夢に、『我が妻、櫻の陰に居て、花の散り落るを見て悲しみ泣く。又、俄に井のもとを覗きて、笑ひけり』と。

 夢さめて、恠しみ、易者にとひければ、

「花は風に依(より)て散(ちり)、井は黃路(よみぢ)をかたどる。此夢、よろしからず。」

といふ。

 三日の後、たよりにつけてきけば、妻、風氣(ふうき)をいたはりて死せり、といふ。

 忠太、悲しさ、かぎりなし。

 とかくして、江州に歸り、其跡を慕ひ、妻が手馴れし調度を見るに、今更のやうに思はれ、淚のおつる事、隙(ひま)なし。

『日ごろの心ざし、わりなき中の、其の期(ご)に及びては、さこそ思ひぬらん。』

と思ひやるにも、なにはにつけて、歎きの色こそ、深くなりけれ。

 寢ても覺めても、面影をだに戀しくて、

 思ひ寢の夢のうき橋とだえして

   さむる枕にきゆるおもかげ

と打ち詠じ、

「若〔も〕し、わが戀〔こひ〕悲しむ心を感ぜば、せめて、夢の中にだにも、見え來りてよかし。」

と、獨り言して、日をくらす。

 比〔ころ〕は秋もなかば、月、朗(ほがら)かに、風、淸し。壁に吟ずるきりぎりす、草むらにすだく蟲の聲、折にふれ、事によそへて、露も淚も置きあらそひ、枕をかたぶれども、いも寢(ね)られず。

 はや、更(ふけ)かたに及びて、女のなく聲、かすかに聞えて、漸々(ぜんぜん)に近くなれり。

 よくよく聞〔きけ〕ば、我妻が聲に似たり。

 忠太、心に誓ひけるは、

『我妻の幽靈ならば、何ぞ、一たび、我にまみえざる。裟婆と迷途と、へだてありとはいへ共、其のかみの、わりなき契り、死すとも、忘れめや。』

と。

 

Tyuta1

 

[やぶちゃん注:挿絵は二枚とも「新日本古典文学大系」版を用いた。元禄版を見るに、額の三角の巾(天冠(てんかん・てんがん)と呼ぶ死(しに)装束の一つ)には「シ」と書かれてある。「死」であろう。]

 

 その時、妻は窓近く來り、

「我は、これ、君が妻なり。君が悲しみ、欺く心ざし、黃泉(よみぢ)にあれども、堪えがたくて、今夜(こよひ)、こゝに來り侍べり。」

と。

 忠太、淚を流していふやう、

「心のうちに思ふ事、筆にも、などか、書き盡さん。歌につらね、詩に作るとても、言の葉の末には、殘りおほし。願くは、一たび、姿を現はして、まみえ給はゞ、恨みあらじ。」

と、かきくどきしかば、妻、なくなく答へけるは、

「人間と、黃泉と、其道、別(べち)にして、逢ひまみゆる事、難し。又、現はれて見え參らせんには、君、もし、疑ひ恠み給はん。」

と。

 忠太、いよいよ悲しく思ふに、餘志子(よしこ)といふ女(め)の童(わらは)を召つれて、妻のかたち、ほのかに現れ出たり。

 忠太、問〔とひ〕けるは、

「餘志子は、三とせのさき、故鄕〔ふるさと〕に歸りて、むなしくなりけりと、風の便りに聞〔きき〕侍べりしに、今、如何にして、こゝに來りしや。」

と。

 餘志子、答へけるやう、

「『君の御事、如何にぞや』と、起き臥し、案じ參らせしかば、思ひの外なる病〔やまひ〕を受け、故鄕に歸りても、心地、やましさ、いや增さりて、終に、はかなくなりまゐらせたりけれども、黃泉(よみぢ)にして、又、此君、打續きて來り給へば、それに參りて仕へ奉り、今も、したがひ參りたり。」

といふ。

 忠太、燈火〔ともしび〕とり、内によびいれしに、ひとりの姥(うば)あり。

「あれは、誰(たれ)ぞ。」

といへば、妻の言やう、

「是こそ、みづからが乳母にて侍べれ。みづから、むなしくなりしを悲しみて、『今は、賴むかげなし』とて、身を投げ、むなしくなり、今宵も、したがひ來り侍べり。生〔いき〕てあるは、陽の人なり。死すれば、陰に歸り、道、へだたり、すみか、替れども、思ひし心は、替る事、なし。冥官(みやうくわん)、すでに、君が誠の心ざしを感じ、今少しのいとまを、たびたり。千年に一たび逢見奉る嬉しさ、やがて別れん事を思ふに、又、悲しくこそ。」

とて、淚は雨と降りにけり。

 忠太、いふやう、

「さて。死してゆきて後は、何をか、珍味の食(じき)とするや。」

と。

 妻、いふやう、

「黃泉(よみぢ)は臭(くさく)腥(なま)ぐさきを、嫌ふ。たゞ殊更に用ひる物は、粥なり。」

といふ。

 忠太、是をとゝのへて、すへ渡す。

 妻・餘志子・姥(うば)三人ながら、口に迎へて食せしと見えし。

 夜明けて後〔のち〕、見れば、只、其儘に殘りたり。

 妻のいふやう、

「六〔む〕とせ其かみ、襁褓(むつき)の中にしてむなしくなりける子を見まくおぼすや。今は、おとなしくなり侍べり。」

といふ。

 忠太、いふやう、

「其死(しに)ける時、わづかに二歲、來世にして年月を重ねて、身にうけ侍べるか。」

と、とふ。

 妻、答へけるやうは、

「更に年月を身にうけて積る事、人間に、かはらず。さればこそ、死して四十九日の中陰、一周忌より初めて五十年忌を弔ふ事、此世の年月にてかぞふる也。」

といふに、死したる子、現はれ來り、父が前に、ひざまづく。

 その年、七歲、かほかたち、うつくしく、利根(りこん)才智のむまれつき、おとなしやかに見えたり。

 

Tyuta2

 

 忠太、淚を流し、髮、搔き撫で、

「これだに此世にあらば、妻が忘れかたみとも見るべきを、汝、死して後、二たび、子なし。汝、こゝにあらば、さこそおとなしく、我も嬉しう侍べらんに、今夜を限りに、又も、見まじきや。あな、恨めし。」

と、

「ゆかしき者かな。」

とて、かき抱(いだ)かんとすれば、雲・煙のごとくにて、手にも、たまらず、消(きえ)失せて、形も、なし。

 忠太、とひけるは、

「黃泉(よみぢ)にては、いづくに住給ふ。」

と。

 妻、いふやう、

「君の先祖野路(のぢ)の姓(しやう)のはじめ、第一代は一の座におはします。其かたち、鬼王(きわう)の如し。其次々は、天地に滿ち歸りて、座に、あらず。君の祖父(おほぢ)・祖母・姊・弟(をとゝ)、おなじ所に、おはします。みづからは、姑(しうとめ)の右のかたに坐し侍べり。」

といふ。

 又、問ひけるは、

「かく、すみ所、定まりて、神靈、物知る事侍べらば、いかで、もとのかたちの中〔うち〕に、立返りて、生(いき)給はざるや。」

 妻、答へけるやう、

「人、死して、魂(こん)は陽に歸り、魄(はく)は陰にかへる。司名(しめい)・司錄の官ありて、皆、しるしとゞめ、かたちは、土となる。更に『鬼錄(きろく)』に載せられて、心のまゝに歸さず。譬へば、夢の中には、我身のある所を覺えず、魂魄(たましひ)ばかり、さまざまの事を見るが如し。みづから、死して後は、死せし所も覺えず、葬禮の(には)場をも知らず、かたちのあり所をも知らず。」

といふ。

 歎き愁へて、物語するほどに、夜も、はや、深過(ふけす)ぎたり。

 又、問けるやう、

「死して黃泉(よみぢ)に集まる男女〔なんによ〕、互ひに夫婦となる事、ありや。」

といふ。

 答へて曰はく、

「ある事はあれども、道を知る男は、二たび、妻を求めず、妻、死して後に、又、行逢〔ゆきあひ〕て語らひ、貞節の女は、重ねて、夫を持たず、娑婆の夫、死して後に、又、集りて、夫婦となる。それも、心だてよこしまに、みだりに惡を作る者は、死して後、男も女も、地獄に落とされ、夫婦となる事、かなはず。譬へば、世の人、科(とが)をおかせば、牢舍(らうしや)に入られて、夫婦、一ところに住む事、かなはざるが如し。みづからをも、西の國なる高家(かうけ)の人の、『妻にせむ』と計らはれしを、貞潔の心ざしあるゆゑに、逃れて、ひとり、住侍べり。」

といふ。

 忠太、いとゞわりなく悲しくて、

「千夜〔せんや〕を一夜〔いちや〕に、今宵は、殊更、夜も長かれ。」

と、わびける中〔うち〕より、鳥の聲、鐘の音、はや、明方の橫雲より、遠近(をちこち)、人の袖、見ゆるころになりしかば、妻、なくなく、小袖の衣裏(えり)を、とき、形見に殘して、

 わかれてのかたみなりけりふぢ衣

   えりにつゝみしたまのなみだは

 忠太、淚と共に、形見の物、受〔うけ〕とり、

「黃泉の中にも、忘れ給はずば、是を見て、慰めとせよ。」

とて、白銀の香爐を取り出し、妻に與へつゝ、

 なき魂(たま)よことなる道にかへるとも

   おもひわするな袖のうつり香(が)

「さて重ねては、いつか逢瀨の時成るべき。」

と問ひければ、

「今より四十(よそぢ)の年を經て、長き契りを待〔まつ〕べき也。」

とて、聲も惜しまず、泣き叫び、出で行く姿は、をのづから、朝あけの霧間(きりま)にかくれて、失せにけり。

 忠太、今の世の中、あぢきなく、髮、そり落し、衣を墨に染め、諸國行脚して、住みどころを定めず、後、つひには、高野の山に登り、經讀み、念佛して、妻の菩提をとふらひ、一座花臺(けだい)の往生を願ひけり。

 

伽婢子卷之四終

 

[やぶちゃん注:「野路(のぢ)」現在の滋賀県草津市野路町(のじちょう。グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「野洲(やす)の郡(こほり)」現在の滋賀県野洲市全域と守山市の大部分及び近江八幡市の一部に相当する。この中央附近

「地下人」位階・官職など公的な地位を持たぬ庶民。ここは百姓の意。

「永祿のすゑの年」永禄十三(一五七〇)年。四月二十三日(一五七〇年五月二十七日)に元亀に改元。

「鎌倉」織田信長の援助を受けて最後の第十五代将軍に足利義輝の弟義昭が就任したのは永禄一一(一五六八)年十月十八日(元亀四(一五七三)年に京都より追放されたが、その少し前(「三年あまり」)が本話内の時制となる)であった。この頃の鎌倉は関東管領の所在地としてあったが、当時の関東管領は上杉輝虎(謙信)で(前関東管領上杉憲政の要請を受けて鎌倉府の鶴岡八幡宮にて永禄四(一五六一)年に山内上杉家の家督及び関東管領職を相続し、名を政虎(まさとら)と改めた)、事実上、戦い明け暮れていて鎌倉にはいなかった。それでも、「新日本古典文学大系」版脚注によれば、『商工業都市として』京都と遜色なく『栄え』ていた、とある。

「風氣(ふうき)」重症化して亡くなっているので、現在の流行性感冒、所謂「インフルエンザ」(イタリア語: influenza)であろう。病原体はインフルエンザウイルス (influenzavirus )

 忠太、悲しさ、かぎりなし。

「今更のやうに思はれ」今さら甲斐もないのに、今、初めて気がついた如くに、強く感ぜられてしまい。

『日ごろの心ざし、わりなき中の、其の期(ご)に及びては、さこそ思ひぬらん。』「日頃より、彼女を思う気持ちに変わりなく、偕老同穴の思いを互いに誓い合っていた仲であったが、かくも、このようなことに至ってしまえば、最早、命運として受け入れ、諦めるしかないのは重々承知なれど。」の意。

「なにはにつけて」既出既注。「何にかにつけても」に、地名の「難波」を掛けただけのこと。

「思ひ寢の夢のうき橋とだえしてさむる枕にきゆるおもかげ」「新拾遺和歌集」の巻第十一の「恋一」の藤原俊成女の一首、

 思ひ寢の夢の浮橋途絕えして醒むる枕に消ゆる面影

そのまま。

「若〔も〕し」「新日本古典文学大系」版では「若」を編者ルビで『なんぢ』と訓じているが、底本は「若わが戀悲しむ心を感ぜば」であり、元禄版では、『もしわが戀かなしむ心を感ぜば』であるから、そちらを採った。

「壁に吟ずるきりぎりす」は、鳴く場所から、確実にコオロギである。

「事によそへて」ちょっとした何事にもつけて。

「露も淚も置きあらそひ」夜露が落ち置くのに合わせて、自身の涙も、それと競うかのごとくに枕を濡らすという比喩。

「枕をかたぶれども」寝ようとして枕を取り出して据え、頭を傾けて乗せてみても。

「やましさ」「病しさ」。病気がちになること。

「此君」忠太の妻。

「何をか、珍味の食(じき)とするや」」一体、どんなものを、美味いものとして食しておるのか?」。

「黃泉(よみぢ)は臭(くさく)腥(なま)ぐさきを、嫌ふ」殺生や享楽を戒めるために、多く禅宗の寺の門前に立つ結戒「不許葷酒入山門」(葷(くん)・酒(しゆ)、山門に入るを許さず)と同じで、酒はもちろん、香りの強い野菜や魚肉を禁忌とする。

「夜明けて後〔のち〕、見れば、只、其儘に殘りたり」シーン挿入で、この後の夜明けの寂寥をフライングで、カット・バックする。さりげないが、なかなか、憎い演出である。

「襁褓(むつき)の中にして」産着(うぶぎ)を着たままに。

「見まくおぼすや」「ま」は推量・意志の助動詞「む」の上代の活用形の未然形で、「く」は接尾語で「~するような」の意を添え、ここでは「見たくお思いになられますか」の意。

「今は、おとなしくなり侍べり」今はもう、すっかり大きくなって御座います。

「ゆかしき者かな。」「心惹かれ、見たいものだ!」。

「かき抱(いだ)かんとすれば、雲・煙のごとくにて、手にも、たまらず、消(きえ)失せて、形も、なし」後半のクライマックスの最初のピーク。触れた瞬間に掌に感触さえもなく、消え失せる。やはり、演出が上手い。

「鬼王」閻魔王。

「神靈、物知る事侍べらば」(当意即妙の応答から推して)「かくも、そなた、神霊として、冥界の道理を何もかも知り尽くしているものと存ずるのであってみれば」。

「司名(しめい)・司錄の官」「司名」は「司命(しみやう)」が一般的。既出既注

「鬼錄(きろく)」閻魔庁にあるとされる、ありとあらゆる死者の名を記した死亡者台帳点鬼簿(点鬼簿は寺の供養者の名簿である過去帳をも指す)。芥川龍之介の名品「點鬼簿」をリンクさせておく。

「みづから」一人称代名詞ではなく一般名詞の「自分自身」。

「かたち」形だけの骸(から)。遺体・遺骨。

「道」正しき人倫の道。

「妻、死して後に、又、行逢〔ゆきあひ〕て語らひ」さりげなく忠太のとるべき唯一の再会の法が妻の口から示される。この妻のこれ以下の言葉は、まっこと、仏・菩薩の美しい響きを持っている。

「みづからをも、西の國なる高家(かうけ)の人の、『妻にせむ』と計らはれしを、貞潔の心ざしあるゆゑに、逃れて、ひとり、住侍べり。」これはちょっと他の怪奇談には見られない、冥途の貞女貫徹の事例である。「実は、私めも、今おりますところの居地の西の方(かた)の冥途の中の地方の国に居られる由緒正しき名門の御仁が、『妻に迎えたい』と媒(なかだち)を立ててそのようにしようとなされましたけれど、私の夫は未来永劫、忠太さまお一人にて、貞淑を守る硬い志しが御座います故に、その申し出を断わり、一人、住んでおるので御座います。」である。但し、これは原拠(「五朝小説」の「靈異志」の「唐晅」。「太平廣記」の「鬼十七」の「唐晅」を「中國哲學書電子化計劃」で示しておく。その中の終わりの方の、「且兒亡、堂上欲奪兒志、嫁與北庭都護鄭乾觀姪明遠。兒誓志確然、上下矜閔、得免。」(且(かつ)て、兒(われ)、亡(う)するや、堂上(だうじやう)、兒(わ)が志しを奪ひ、「北庭都護(ほくていとご)鄭乾觀(ていかんくわん)が姪(をひ)明遠(みやうえん)に嫁し與(あた)へん」と欲すれども、兒(わ)が誓志(せいし)の確然たれば、上下、矜閔して、免(まぬか)るるを得たり。訓読は自然流。「矜閔」は「きようびん(きょうびん)」で「憐憫」に同じ)に基づくもので、了意のオリジナルというわけではない。

「遠近(をちこち)、人の袖、見ゆるころになりしかば」これは実際にそんなに明るくなるまでいたのではない。実際、彼らは「朝あけの霧間(きりま)にかくれて、失せ」たのである。ここは、コーダの歌を引き出すための「小袖の衣裏(えり)」=小袖の襟(折り返して裏に包み込んだ端部分)の縁語的用法に過ぎない。

「わかれてのかたみなりけりふぢ衣えりにつゝみしたまのなみだは」了意のオリジナルか。「新日本古典文学大系」版脚注に、『法華経の衣裏の珠はありがたい仏性のたとえ、私が藤色の衣の襟に包み込めて残しておくのは玉の涙、別れて後に私を思い出す形見にしてください。藤色は喪服の色』とある。

「なき魂(たま)よことなる道にかへるともおもひわするな袖のうつり香(が)」「新日本古典文学大系」版脚注に、『妻の亡』き『霊よ、あの世に帰っても今宵』、『衣の袖に染み込んだこの移り香を忘れないでおくれ。原話では、二人がそれぞれ五言の絶句の詩を交わしあった後、女は羅帛子(うす絹の布)を、男は金鈿の合子(金細工のほどこされた箱)を贈り、女は車に乗って去って行った』とある。

「白銀の香爐」先の「小袖の衣裏」とともに、原拠自体が「長恨歌」のエンディング部分を明らかにインスパイアしていることが判る。

「あぢきなく」世の無常を悟って。

「一座花臺(けだい)の往生」岩波文庫高田衛編・校注「江戸怪談集(中)」(一九八九年刊)の脚注に、『「花台」は仏が坐る』白『蓮華の台。夫婦が一つの花台に座すること』とある。]

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