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2021/05/27

芥川龍之介書簡抄70 / 大正六(一九一七)年書簡より(二) 佐藤春夫宛

 

大正六(一九一七)年四月五日・鎌倉発信(推定)・佐藤春夫宛

 

拜啓 今日汽車の中で、星座の今月號をよみました、さうしてあなたの六號をよんで 大に恐縮しました 褒めて頂くのが難有い以外に 恐縮した理由があるのです

この手紙は その恐縮した理由を說明したいから書くのです――あなたは 僕と共通なものを持つてゐると書いたでせう 僕自身もさう思ひます 或はあなたの小說をよんだと云ふ事が、僕の小說を書き出したと云ふ事に影響してゐるかも知れません、と云ふ意味は、あなたの小說に感化されたと云ふ事ではなく、あなたの小說を見て、僕が小說を書くのに幾分か大膽になれたと云ふ意味です かう云ふものを書く人もあると云ふ事が、僕をして僕の作品を發表するのに 多少氣を强からしめたと云ふ意味です あなたは、これを僕のお世辭だと思ふかも知れませんが、お世辭として役立つ程、僕はこれを確定した事實として、云つてゐるのではないのです 兎に角あなたの小說を讀んで、僕が何等かの意味で親しみを感じた事は事實です さしてその親しみを 圓光の昔からあの犬の話の今日まで持ちつづけてゐる事も、事實です が、僕が共通なものを持つてゐると思ふのは、それだけではありません僕もあなたのやうな完成慾を持つてゐます

僕は以前に この慾の爲にディレツタントで一生を完るより外に仕方がないと思つた事がありました

さうしてその事に一種の得意をさへ感じた事がありました 勿論その中には、完成慾以外に、リディキュールな位置に身を置きたくないと云ふ見得も交つてゐたでせう が大部分は 確に漢語で云ふ眼高手低の心もちに崇られてゐたのです

それが ふとした機緣で勇猛心を起す氣になつたのです 勇猛心と云ふと、大に自贊してゐるやうで恐縮ですが、まあ猪突の勇氣を出したのです これも事によると一時の氣まぐれでうつちやつて置けば二三ケ月で消滅する性質のものだつたかも知れません が友だちとか先輩とかが、それを煽動した爲に、とうとう今日まで その臆面なさを持ちつづけてしまひました

しかし未に完成慾の崇りを超脫した訣では毛頭ありません 寧、何もしなかつた昔よりは一層その爲に苦しめられてゐます ですから僕は僕自身の作品に關して、傲慢でもあり謙遜でもあり得るのです 僕の藝術的理想から云ヘば、僕の今書いてゐるものの如きは實に憐む可き氣がしますが、それでも有象無象に何とか云はれると 腹を立てない訣には行きません――かう云ふ心もちが僕は存外あなたにもありはしないかと云ふ氣がするのです さうしてさう云ふ點でも あなたと僕との間には 共通なものがありはしないかと云ふ氣がするのですどうです さう思はれませんか

もしさう思はれないにしても 假にさう思はれるとして、先をよんで下さい――するとあなたの僕論なるものは 大體に於て僕自身僕の藝術に對して持つてゐる毀譽褒貶(もし幾分の己惚れが許されるなら)と同じ事になる訣です、さう云ふ議論を活字で拜見すると云ふ事は、多少僕にとつて氣味の惡い事にちがひありません と同時に愉快な事にもちがひありません さう云ふ意味で 僕はあの六號をよんだ時に大に恐縮した次第です

僕もあなたのやうに ヒュマントラヂェディを譯さうと思つた事があります それから齋藤君の歌にも 恐らくあなたと同程度の推服を持つてゐます 唯犬に對してだけは 全然あなたと同感が出來ません 僕はストリントベルクと共に犬が大きらひです

僕はこれだけの事が云ひたくて あなたにこの手紙を書きました さうしてここまで書いた時に 始めてあなたにかう云ふ手紙を上げると云ふ事が 失敬ではないかと云ふ氣がし出しました これはあなたと僕とがまだ口をきいた事もないのに氣がついたからです しかしそこの所はあなたが堪忍して下さる事として 御免を蒙る事にします 僕の我儘なのを怒らないで下さい

それから我儘序に、もう一つおねがひします 僕を流行兒扱ひにするのはよして下さい 實際人氣なんぞは少しもありません 大抵の人にはイカモノだと思はれてゐます 僕はこの頃存外世間には 中村孤月君と說を同じくする人の多いのを知りました

あなたが犬さへ縛つて置いて下されば おたづねする氣もあるのですが、この二三週間は又原稿を書くのに追はれさうなので 當分はさうも行きません

この調子で書いてゐると はてしがありさうもありませんから、この邊で切り上げます 以上

    四月五日朝      芥川龍之介

   佐藤春夫樣

二伸 Sqqは Seqq と同じで Sequentibus の略です 辭書に in the following Places の事だと出てゐる筈です 僕は前にしらべた事があるので、差出がましい事ですが 御しらせします

 

[やぶちゃん注:詩人・作家の佐藤春夫(明治二五(一八九二)年四月九日~昭和三九(一九六四)年:芥川龍之介は同年三月一日生まれで、二人ともこの年で満二十五となった)は和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)生まれ。和歌山県立新宮中学校を明治四三(一九一〇)年卒業し、上京して生田長江に師事し、与謝野寛の新詩社に入った。慶應義塾大学文学部予科に入学し、当時、同大教授であった永井荷風に学んだ。明治四二(一九〇九)年から『スバル』『三田文学』に詩を発表して注目を集めた。大正二(一九一三)年九月に同大を中退した後、元芸術座の女優川路歌子(本名・遠藤幸子:当時十八歳)と同棲を始め、二人して犬二匹と猫一匹で神奈川県都筑(つづき)郡中里村字鉄(くろがね)(現在の横浜市青葉区鉄町(くろがねちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ))へ移って田園生活を始めた。そこで「病める薔薇(さうび)」が、この書簡の二ヶ月後の大正六年六月の『黒潮』に発表された。春夫満二十五歳であった(私は大正七(一九一八)年十一月二十八日刊行の作品集「病める薔薇」の天佑社の初版に載る未定稿の『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』をブログ・カテゴリ「佐藤春夫」で電子化注しており、サイト一括版も公開している)。二年後の大正八年にはその後半を書き足した「田園の憂鬱」を完成させて『中外』に発表し、同時に膨大な量の評論も発表し始め、一躍、新進作家としての地位を確立することとなる。なお、前年大正五年十月には三越で開かれた第三回二科展では出品した絵画「猫と女の画」・「夏の風景」の二点が入選しており、この大正六年一月には、江口渙・久保勘三郎らとともに、ここに出る同人誌『星座』を創刊していた(命名は佐藤。五月廃刊)。この時、共通の知人であった江口(彼は東京帝大英文科と漱石の「木曜会」で龍之介の一年先輩であった)を通して芥川龍之介を知ることとなり、この書簡がその本格的な交流の嚆矢となるものであった。なお、この年の六月には曰く因縁を作ることとなる谷崎潤一郎とも知遇している。芥川の処女小説集「羅生門」(大正六年五月二十三日阿蘭陀書房刊)の出版記念会(翌六月二十七日に日本橋の「レストラン鴻の巣」で開催)では佐藤が開会の辞を述べており、佐藤春夫は芥川龍之介の同年の詩・小説・絵画という芸術一般について甚だ感性や趣向・趣味の合う友人として、終生、交流が続いた。その哀惜の究極は「芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯 澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.にとどめを刺す。リンク先は私のサイト版電子化(オリジナル注附き)である。なお、私は別に、ブログ・カテゴリ『「澄江堂遺珠」という夢魔』で、芥川の晩年の確信犯の相似型詩篇類の追跡を行っている。

「星座の今月號」筑摩全集類聚版脚注によれば、『星座』の同号には、佐藤春夫訳(英訳重訳)になる龍之介も偏愛するフランスの詩人・小説家・批評家アナトール・フランス(Anatole France 一八四四年~一九二四年)の小説「人間悲劇」(L’Humaine Tragédie :一八九五年)が載っていた(『星座』一月号からこの四月号まで分割連載発表した)。後に出る「ヒュマントラヂェディ」(Human tragedy )はその英訳題。

「あなたの六號」「六號」は、思うに、雑誌通巻号数などではなく、筑摩全集類聚版脚注に『六号雑記』とあることから、活字ポイントの小さな六号で書かれたコラム或いは編集雑記を指すように感ぜられる)岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」(二〇〇九年刊)の注に『沙塔』(さとう:佐藤)『の筆名で『星座』四月号に掲載された「同人語」。佐藤は「僕にはこのどこかこの人と共通な何物かがありさうだ。」などと芥川について書いた』とある。採用しなかったが、先行する一月前の三月九日に江口渙宛書簡があり、江口が『星座』を郵送してくれたことへの御礼に始まり、『佐藤君が小說を書かないのはさびしい今月フランスの人生悲劇の譯が出てゐますがあれはつづかむ事を祈りますおしまひの方が殊にいい作品ですからさうしていろんな暗示を含んいゐる作品ですから』と特に好意的な評を記している。

「圓光」佐藤春夫の小説。大正三(一九一四)年七月号『我等』に発表されたと、石割氏の注にある。

「あの犬の話」私の好きな幻想小品の一篇「西班牙犬の家(スペインけんのいへ)」(リンク先は私の四年前のブログでの電子化)。石割氏の注によれば、『『星座』一月号掲載』。これも採用していないが、正月早々の一月二日江口渙宛書簡で同号批評が記され、『佐藤君のものはモルナアでも書きさうな氣の利いたものですがあの作品の中の「日本」と「西洋」とがどうもぴつたり合はないやうな氣がしますそれでもあの小品を讀んだ時に私は思はず微笑しましたあれを書く作者の心もちは幾分か私にも理解出來さうな氣がしますから』と記している。「モルナア」はオーストリア=ハンガリー帝国下のブダペストでユダヤ系医師の子として生まれた劇作家・小説家モルナール・フェレンツ(Molnár Ferenc 一八七八年~一九五二年:本名はノイマン・フェレンツ Neumann Ferenc)。戯曲「リリオム」(Liliom :一九〇九年ブダペスト初演)が著名。後にナチスのユダヤ人迫害から逃れ、アメリカに移住した。芥川龍之介は最晩年の昭和二(一九二七)年の「文藝的な、餘りに文藝的な」(リンク先は私が作成した「恣意的時系列補正完全版」)で、佐藤春夫の名を頻繁にとり上げて称揚し(論争相手が佐藤にとって愛憎半ばする谷崎潤一郎であってみれば、当然のことだ)、その『三十三 「新感覺派」』で、『僕は所謂「新感覺」の如何に同時代の人々に理解されないかを承知してゐる。たとへば佐藤春夫氏の「西班牙犬(スペインいぬ)の家」は未だに新しさを失つてゐない。況や同人雜誌「星座」(?)に掲げられた頃はどの位新しかつたことであらう。しかしこの作品の新しさは少しも文壇を動かさずにしまつた。僕は或はその爲に佐藤氏自身さへこの作品の新しさを――引いてはこの作品の價値を疑つてゐはしなかつたかと思つてゐる。かう云ふ事實は日本以外にも勿論未だに多いことであらう。しかし殊に甚しいのは僕等の日本ではないであらうか?』と述べている。

「ディレツタント」dilettante。英・仏語同綴り。ディレッタント。芸術・学問を趣味として愛好する好事家(こうずか)のこと。

「リディキュール」ridicule。ラテン語の“ridiculum”(「冗談」)が語源なので、やはり英仏同綴り。馬鹿げた・滑稽な。

「見得」「見榮」の誤字。

「眼高手低」(がんかうしゆてい)観察力や審美眼は肥えているが、実際の技能や能力は低いこと。知識が相応にあり、あれこれと批評はするが、実際には、それを自分で表現する能力を持っていないこと。理想は高いが、実力が伴わないことなども言う。▽「眼高めたかく手低てひくし」と訓読する。

「齋藤君」歌人で精神科医の斎藤茂吉(明治一五(一八八二)年~昭和二八(一九五三)年)。伊藤左千夫門下にして『アララギ』を代表する歌人。歌壇のみならず、文壇全体に衝撃を与えた処女歌集「赤光」は既に大正二(一九一三)年十月に刊行されている。また、青山脳病院院長として、晩年の龍之介の主治医の一人でもあり、しばしば彼に阿片エキスなどの薬物をねだる書簡を残している。石割氏注に、『佐藤は「「赤光」に就いて」(『アララギ』一九一五年四月号)で「赤光」を賞賛した』とある。にしても、十歳上の名歌人のドクターに――「君」――はないだろ? なお、芥川龍之介の遺稿「齒車」にも「五 赤光」の条がある。

「唯犬に對してだけは 全然あなたと同感が出來ません 僕はストリントベルクと共に犬が大きらひです」既注であるが、芥川龍之介は大の犬嫌いで(恐怖症に近い。理由は不明)、大の猫好きであった。「ストリントベルク」ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(Johan August Strindberg 一八四九年~一九一二年)は言わずと知れた「令嬢ジュリー」(Fröken Julie 一八八八年)などで知られるスウェーデンの劇作家・小説家。私は恐らく海外の劇作家で最も多く戯曲を読んだ作家の一人である。

「中村孤月」(明治一四(一八八一)年~?)は文芸評論家・小説家。東京浅草生まれで、本名は中村八郎。早稲田大学英文科卒明治時代にゴーリキーの「暮ゆく海」などを翻訳し、大正に入って、『早稲田文学』に「彼、彼自身及び其影」などの小説を発表する一方、『文章世界』に盛んに文芸時評を書いた。大正四(一九一五)年の同誌では、正宗白鳥・谷崎潤一郎・田村俊子・武者小路実篤らを論じた「現代作家論」を連載した。同年『第三帝国』の編集者となり、文芸時評を担当。この大正六年まで、多くの評論・小説を発表した。文芸評論家・ジャーナリストで貧窮のうちに死んだ坂本紅蓮洞(ぐれんどう 慶応二(一八六六)年~大正一四(一九二五)年)らと並ぶ蓬髪垢衣(ほうはつこうい)の大正文壇の奇人として知られる。著書に「現代作家論」「最も新しき鶏の飼方」などがある。石割氏の注に、『一九一七年一月一三日『読売新聞』の「一月の文壇」で、孤月は芥川の新年号の作品を「浅薄で希薄」、「文学的の価値は非常に乏しい」と批判した』とある。対象作品は、一般の雑誌であろうから「尾形了齋覺え書」と「運」であろう。

君と說を同じくする人の多いのを知りました

「Sqqは Seqq と同じで Sequentibus の略です 辭書に in the following Places の事だと出てゐる筈です」普通は「seqq.」で、ラテン語「sequentes」の略。「下記(以下)の」の意。「Sequentibus」は格変化形か。「in the following Places」「次の記載を参照」。]

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