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2021/05/31

日本山海名産図会 第三巻 若狹小鯛・他州鯛網

 

  ○同小鯛(こだい)

是れ、延縄(はへなは)を以て、釣るなり。又、「せ縄」とも云。縄の大(おほ)さ、一据(にきり)許り、長さ一里許り。是に一尺許りの苧絲(おいと)に、針を附け、一尋一尋を隔てゝ、縄に列ね附けて、兩端に、樽の泛子(うけ)を括(くゝ)り、差頃(しはらく)ありて、かの泛子を目當に、引きあぐるに、百糸(ひやくし)百尾(ひゃくび)を得て、一も空(むな)しき物、なし。飼(ゑ)は鯵・鯖・鰕(ゑび)等なり。同しく淡乾(しほゝし)とするに、其味、亦、鰈(かれ)に勝る。○鱈(たら)を取るにも、此法を用ゆ也。ところにては、「まころ小鯛」と云ふ。

[やぶちゃん注:「同小鯛」は前の「若狹鰆」の附録であるため。「小鯛」はスズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科チダイ属チダイ Evynnis tumifrons のこと。標準和名の「チダイ」は「稚鯛」ではなく、「血鯛」である。詳しくは私の『畔田翠山「水族志」 (二) チダヒ (チダイ・キダイ)』を参照されたい。

「延縄」(はえなわ)は日本古来の漁具で、その発祥は古く、記紀にある「千尋縄(ちひろなわ)」は、現在の延縄の原形であると考えられている。延縄は一本の縄に多数の「枝(えだ)縄」を結び附け、その先端に釣針を取り付けて魚類を釣り上げる構造で、漁獲対象とする魚種の生息水深によって「浮(うき)延縄」と「底(そこ)延縄」に大別される(ここは前者)。「浮延縄」が潮流に流されるままに漁具が移動するのに対し、「底延縄」は海底に錨などで漁具を固定して底生魚類を漁獲対象とする。延縄一組の漁具は、一本の「幹(みき)縄」、釣針を着装した数本から数十本の「枝縄」、及び、「浮子(あば:浮子玉)」を取り付ける「浮縄(うけなわ)」によって構成されており、この総て一組の漁具を「鉢(はち)」と呼び、一般に「浮子玉」間の間隔を「一鉢(ひとはち)」と呼んで漁具の単位としている。これは従来、延縄を約三百メートルごとに籠に収納していたことから、延縄の単位を「一鉢」・「二鉢」と数えたことに由来する。一回の操業に数鉢から数百鉢を用いる。漁具を設置するときは、船を一定針路に保ち、全速で航走しながら、船尾甲板から「大ボンデン」(大旗)、「浮子玉」、「ボンデン竿(ざお)」、「浮縄」、「幹縄」、「枝縄」の順に投入する。漁具投入後、約三、四時間ほど待機(「縄待ち」)してからの「揚縄(あげなわ)」の作業を行う。従来は一鉢ごとに延縄を分離した。延縄漁具の内。「幹縄」・「枝縄」・「浮縄」には、従来は藁・麻類・綿などの天然繊維が用いられた(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「せ縄」不詳。配置した場所の「瀨繩」か、或いは浮子が海上に並ぶのを「背繩」と言ったものか。

「一据(にきり)」「一握り」。

「苧絲(おいと)」「苧」は「そ」とも読む。麻(あさ:双子葉植物綱バラ目アサ科アサ属 Cannabis )や苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea )の繊維を長く縒(よ)り合わせて糸にすることを広く指す。

「一尋」尋の江戸時代のそれは正確な規定値がないが、明治時代の換算では一尋は約一・八一八メートルとされた。但し、一尋を五尺(約一・五一五メートル)とすることもあるという。

「泛子(うけ)」「浮き」。

「淡乾(しほゝし)」軽く塩を振って一夜干しにすること。

「鰈」前条参照

「鱈」広義のタラ類(条鰭綱新鰭亜綱側棘鰭上目タラ目タラ科タラ亜科 Gadinae の総称)。詳しくは、私の「大和本草卷之十三 魚之下 ※魚(「※」=(上)「大」+(下:「大」の二・三画目の間に)「口」の一字) (タラ)」を参照。

「まころ小鯛」不詳。ただ、タイ科 Sparidaeではないが、スズキ目スズキ亜目イサキ科コロダイ属コロダイ Diagramma picta がおり、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のコロダイのページに、「胡廬鯛」と漢字表記を示されて、『「ころだい」は和歌山県での呼び名を標準和名にしたもの。和歌山県では猪の子供を「ころ」と呼び、コロダイの稚魚にある斑紋がその猪の子供のものに似ているため』とある。ただ、このコロダイはタイっぽい面構えながら、如何にも「イサキ」色である。されば、私は、これは「眞胡廬(或いは小さいことを意味する「ころ」)小鯛」で、小型のチダイの異称かと推定する。]

 

Taihuriami
Taigotiami

 

[やぶちゃん注:ともに国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは上図が、「讃刕榎股 鯛𢸍網之次第(たいふりあみのしたい)」、下図は「鯛五智網(たいこちあみ)」。]

 

○他州鯛網

畿内、以て、佳品とする物、明石鯛・淡路鯛なり。されとも、讃州榎股(ゑまた)に捕る事、夥し。是れ等、皆、手操䋄(てくりあみ)を用ゆ。海中、巖石多き所にては、「ブリ」といふものにて追ふて、便所(べんしよ)に湊(あつ)む。「ブリ」とは、薄板(うすいた)に糸をつけ、長き縄に、多く列らね付け、䋄を置くが如し。ひき𢌞すれば、「ブリ」は水中に運轉して、木(こ)の葉の散亂するが如きなれば、魚、是れに襲はれ、瞿(く)々として、中流に湛浮(たゞよ)ひ、「ブリ」の中真(ついしん)に集まるなり。此の縄の一方に、三艘の舩を兩端に繋(つな)く。初め、二艘は、乘人(のりて)三人にて、二人は縄を引き、一人は樫の棒、或、槌(つち)を以て、皷(う)ちて、魚の分散を防ぐ。此の三艘の一ツを「かつら舩」といひ、二を「中舩(ちうふね)」と云ひ、先に進むを「䋄舩」といふ。「䋄舟」は乘人(のりて)八人にて、一人は麾(さい)を打ち振り、七人は艪を採る。又、一艘、「ブリ縄」の真中の外に在りて、縄の沉まざるが爲め、又、縄を付け副へて、是れをひかへ、乘人三人の内、一人は縄を採り、一人は艪を採り、一人は麾を振りて、能(よ)き程(ほど)を示せば、先に進みし二艘の䋄船、「ブリ縄」の左の方より、麾を振りて、艪を押し切り、「ひかへ舟(ふね)」の方へ漕ぎよすれば、「ひかへ舟」は「ブリ縄」の中をさして、漕ぎ入(い)る。「䋄舟(あみふね)」は、縄の左右へ分かれて向ひ合せ、「ひかへ縄」のあたりより、「ブリ縄」にもたせかけて、䋄を、「ブリ」の外面(そとも)へ、すべらせ、おろし、彌(いよいよ)双方より曳けば、是れを見て、初め、両端の二艘、縄を解き放せば、「ひかえ舟」の中へ、是れを、手(た)ぐりあげる。跡は、䋄のみ、漕ぎよせ、漕ぎよせ、終(つい)に䋄舟二艘の港板(みよし)を遺(や)りちがへて、打ちよせ、引きしぼるに、魚、亦、涌くがごとく、踊りあがり、䋄を潛(かつ)きて、頭を出し、かしこに尾を震(ふる)ひ、閃々(せんせん)として、電光に異(こと)ならず。漁子(あま)、是れを儻䋄(たまあみ)をもつて、「小取舩(ことりふね)」へ※(す)[やぶちゃん注:「※」=(上)「罒」+下「窠」。ルビは「すく」(掬)の脫字であろう。]ひうつす。「小取舩」は乘人三人、皆、艪を採りて、礒(いそ)の方(かた)へ漕ひで、よするなり。かくして捕るを、「ごち䋄」と云ふ。

[やぶちゃん注:以下は底本一字半下げ。]

右「フリ縄」の長、凡、三百二十尋。大䋄は十五尋。深さ、中(なか)にて八尋。其次ぎ、四尋、其の次ぎ、三尋なり。上品の苧(お)の、至つて細きを以て、目(め)は指七さしなり。「アバ」あり、「泛子(うけ)」なし。重石(いわ)は、竹の輪を作り、其の中へ、石を加へ、糸にて、結(ゆ)ひ付けて、鼓(つゝみ)のしらべのごとし。尤も䋄を一疊・二疊といひて、何疊も繼き合せて、廣くす。其の結(むす)ひ繋ぐの早業、一瞬をも待たず。一疊とは幅四間に、下垂(あみし[やぶちゃん注:底本の字は「グリフウィキ」この字にごく近いので、それで示した。「あみした」の脱字か。])十間ばかりなり。

[やぶちゃん注:以下は底本二字半下げ。]

○「蛇骨(じやこつ)」と号(なづ)くる物、同國白濱に多し。故に、まゝ、此の「ごち䋄」に混じ入りて得ること、多し。

[やぶちゃん注:以下、字下げなし。]

○比目魚(ひもくぎよ)と云ふは鰈(かれ)の惣名なり。「本草」、「釋名」、『鞋底魚』と云ふは、「ウシノシタ」、又、「クツゾコ」と云ひて、種類なり。「鰈」の字、これに適(かな)へり。「若狹蒸鰈(わかさむしかれ)」のことは、「大和本草」に、悉(くわ)しく、いへり。東國にては「ヒラメ」と云。

○鯛は「本草」に載せず。是れ亦、「大和本草」に悉し。故に畧す。「鯛」の字、此魚に充てて、つたへしこと、久しけれとも、是れ「刺鬣魚(きよくれうぎよ)」を正字とす。「神代卷」に『赤目』と云う。又、「延喜式」に『平魚(へいきよ)』と書きしは「タヒラ」の意なり。中にも「若狹鯛」は「ハナヲレ」、又、「レンコ」といひて、身、小にして、薄し。色、淡黃(たんくわう)にして、是れ、一種なり。「ハナヲレ」の義、未だ詳らかならず。他國の方言に「ヘイケ」、又、「ヒウダヒ」といふも、ともに「平魚」の轉なるべし。「萬葉」九「長歌」、

 水の江の浦島が子が堅魚(かたを)つり鯛(たい)つりかねて七日まて下畧䖝丸

[やぶちゃん注:「讃州榎股(ゑまた)」この地名、探し倦んだが、個人ブログ「瀬戸の島から」の「紀州漁民に鯛網漁を学んだ香西漁民?」で氷解した。これは地名ではなく、海域名で、香川県高松市亀水町の大槌島(おおづちじま)と、香川県高松市香西本町などの沖の香西浦の間にある「榎股」という漁場名であった。この中央附近である(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。ブログ主は最後の方で『榎股というの』は『高松市生島沖の海で』ある、と述べておられる。「生島」はここだから(地図中央上にあるのが「大槌島」)、もっと限定して後者の中央附近の海域と断定出来よう。

「便所(べんしよ)」捕獲するに最も適した海上のこと。

「湊(あつ)む」底本では「グリフィスウィキ」のこの漢字であるが、「湊」の異体字なので、代えた。「集む」に同じ。

「ブリ」漢字表記は挿絵で判る。「𢸍(ぶり)」である。海中を引き回して振動させて嚇す意味であろう。

「瞿(く)々」驚き慌てているさま。

「中流」海の中層の意か。

「中真(ついしん)」「ブリ網」の真ん中の意であろう。

「かつら舩」後方中央で全体を見回して必要な指示を出す「頭船」(かしらふね)の意か。

「麾(さい)」既出既注

「縄の沉まざるが爲め、又、縄を付け副へて、是れをひかへ」折角、追い込んだ鯛が逃げように、縄に補助縄を結んで、外に向かって引き、側面の縄が沈まないようにすることであろう。

「ひかへ舟(ふね)」「控へ舟」。補助舟。

「ひかへ縄」延縄の辺縁の繩か。

「潛(かつ)きて」「かづきて」。「潛(かづ)く」で「潜る」の意。但し、ここは網から逃げようと水中で上下して暴れることを言っている。

「儻䋄(たまあみ)」攩網(たもあみ)。図に柄のついたそれが、多数、描かれてある。

「小取舩(ことりふね)」最終的な鯛を掬い揚げて搬送する舟。

「ごち䋄」サイト「サカマ図鑑」の「吾智(ごち)網漁業」に、現在の漁法がイラスト入りで紹介されてあり、『楕円形の一枚の網と、その両端に結びつけたひき綱で、包囲形をつくり、それを狭めて魚類を威嚇して網に追い込み、網目に刺させたり、からませてとる漁業で』、『「吾智網」(ごちあみ)とは、潮の流れや魚の習性、漁場などを知り尽くしたベテラン漁師』『ならではの漁法で、「吾智」という名前の由来は、「吾」の「智恵」が必要という仏教用語に由来していると言われて』おり、『それだけ、漁に精通している者でしか行えないという』意味とある。それを、ここでは、かくも、複数の船と漁師で複雑乍ら、巧妙にし遂げるわけで、まさに「吾智」或いは「五智」(大日如来が備え持つとされる五種の智恵の総称。密教では法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の五つとし、浄土教では仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智の五つとする)が如何にも腑に落ちる。

「フリ縄」「ブリ縄」。

「三百二十尋」先の長い方で、五百八十二メートル弱。

「十五尋」二十七メートル強。

「深さ、中(なか)にて八尋。其次ぎ、四尋、其の次ぎ、三尋なり」構造が複雑で、海の中層の三段階で長さが異なるのである。同前でそれぞれ順に、十四メートル半、七メートル強、五メートル半弱。

「目(め)は指七さしなり」網の目の方の長さが、指七つ分であること。十二センチメートル前後か。

『「アバ」あり、「泛子(うけ)」なし』孰れも「浮き」のことだが、どう区別しているのか、よく判らない。前例に徴すると、「アバ」は桶状のやや大きなものであるが、挿絵を見ると、網の上辺部に紡錘型の木片様のそれが見えるのでそれを「アバ」と呼んでいるか。舷に近い部分の網の所に、丸いものがあるが、これは次の「重石(いわ)」=「錘(おもり)」で、「竹の輪を作り、其の中へ、石を加へ、糸にて、結(ゆ)ひ付けて、鼓(つゝみ)のしらべのごとし」というのがそれらしい。

「四間」七・二七メートル。

「十間」十八・一八メートル。

「蛇骨(じやこつ)」具体に形状が書かれていないので不詳。しかし、海の上・中層域をトロールして混入する外道であるからには、魚と考えねばならず、わざわざ注記するということは、それが食べられることを意味しており、そうなると、「蛇骨」から私が想起するのは、棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヤガラ科ヤガラ属アカヤガラ Fistularia petimba 、或いはアオヤガラ Fistularia commersonii であるが、自信はない。識者の御教授を乞う。

「同國白濱」本主文の若狭のそれととるべきであろう。そうなると、福井県大飯郡高浜町薗部の白浜となる。

「比目魚(ひもくぎよ)と云ふは鰈(かれ)の惣名なり」既出既注。ここは、「若狹鰈」の附記となっている。

『「本草」、「釋名」、『鞋底魚』と云ふは、「ウシノシタ」、又、「クツゾコ」と云ひて種類なり』原本はベタで『本草釋名鞋底魚と云は』で頗る紛らわしい文字列なのであるが、これは明の李時珍の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三」の「比目魚」の項の、「釋名」で、別名を「鰈」と挙げた次に、「鞋底魚」と挙げていることを指している。私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰈」で一部引用されてあるので、そちらも参照されたい。

「ウシノシタ」前の「若狹鰈」で注した通り、カレイ亜目ウシノシタ上科ササウシノシタ科 Soleidae・ウシノシタ科 Cynoglossidae のウシノシタ類(流通名(主に関東)「シタビラメ」(舌平目))を指しているものと思われる。

「クツゾコ」同前。

『「若狹蒸鰈(わかさむしかれ)」のことは、「大和本草」に、悉(くわ)しく、いへり』私の「大和本草卷之十三 魚之下 比目魚(カレイ) (カレイ・ヒラメ・シタビラメ)」を参照されたい。「丹後の『むしがれい』」と出して、有毒説を否定している。

『東國にては「ヒラメ」と云』前の「若狹鰈」の私の注を参照。

『鯛は「本草」に載せず』事実である。私の「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の冒頭にある「鯛」を見られたい。「本草綱目」には我々ぶお馴染みの鯛や鰹などが載らない。これは「本草綱目」の成立した地域と編者李時珍の出身地によるものと考えられている(マダイもカツオも中国でも獲れる)。そもそもが、鯛を海水魚の王様のように祭り上げて、異様に目出度い魚として好んで食う習慣は日本に特異的なものである。

『「大和本草」に悉し』私の「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」を参照。

『「神代卷」に『赤目』と云う』「赤女」の誤り。「日本書紀」の第十段の所謂、「山幸彦と海幸彦」の説話の中で、海神が失われた釣針を探すために、大小の魚を集めて問い質したところが、「不識。唯赤女【「赤女」、鯛魚名也。】比有口疾而不來。固召之探其口者。果得失鉤」(「識(し)らず。唯(ただ)、赤女(あかめ)【「赤女」は、鯛魚の名なり。】比(このごろ)口の疾(やまひ)有りて來たらず。」と。固(しひ)て、之れを召し、其の口を探さば、果して失(う)せし鉤(はり)を得。)とある。

「延喜式」「養老律令」に対する施行細則を集大成した古代法典。延喜五(九〇五)年に編纂を開始し、延長五(九二七)年撰進、施行は康保四(九六七)年。

「平魚(へいきよ)」鯛が他の魚に比して側扁することによる。「たい」の「た」は「平(たひら)」の「た」で、「い」は「魚(いを)」の「い」であろう。

「ハナヲレ」タイ科キダイ属キダイ Dentex hypselosomus 及び先に示したチダイの異名として現在も「ハナオレ(ダイ)」は生きている。作者は『「ハナヲレ」の義、未だ詳らかならず』と言っているが、これは一目瞭然で、「鼻折れ鯛」で、口吻の上部の目との間の部分が直線になっているのを「鼻が折れたように見える」と言うのである。タイ科の類はかなりこの傾向が強い。「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「鯛」の次の「黄穡魚」でも良安はこれに「はなをれだい」とルビし、『俗に鼻折鯛と云ふ』とし、『黄穡魚は、形色、鯛に似て、色、淺し。鼻、直にして折れたるごとし。故に鼻折鯛と名づく。味、眞鯛より劣れり』と述べている。

「ヘイケ」不審。これは形状の「平」ではなく、赤味を帯びた色から「平家」の旗の赤である。

「ヒウダヒ」不詳。漢字も想起出来ない。識者の御教授を乞う。

『「萬葉」九「長歌」、「水の江の浦島が子が堅魚(かたを)つり鯛(たい)つりかねて七日まて下畧䖝丸」高橋虫麻呂(生没年不詳)が浦島伝説を詠んだ一首「水江(みづのえの)浦嶋の子を詠める一首幷短歌」(一七四〇・一七四一番)の長歌の本題に入ったところの一節。短歌も含めて全歌を示す(講談社文庫中西進訳注版を参考に漢字を恣意的に正字化して示した)。「䖝」は「虫(蟲)」の訛字(誤用漢字)である。

   *

春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出でゐて 釣舟(つりふね)の とをらふ見れば 古(いにしへ)の ことぞ思(おも)ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛(たひ)釣り矜(ほこ)り 七日(なぬか)まで 家にも來ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向ひ 相ひとふらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世に至り 海若(わたつみ)の 神の宮の 内の重(へ)の 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居(ゐ)て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世の中の 愚か人(びと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(つ)げて語らく 須臾(しましく)は 家に歸りて 父母に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 我れは來なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世邊(とこよへ)に また歸り來て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めし言(こと)を 墨吉に 歸り來りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歲(みとせ)の間(ほど)に 垣もなく 家滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉篋 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世邊に 棚引きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反側(こいまろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ 若くありし 肌も皺(しわ)みぬ 黑かりし 髮も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絕えて 後(のち)つひに 命死にける 水江の 浦嶋の子が 家地(いへどころ)見ゆ

    反歌

常世邊に住むべきものを劔刀(つるぎたち)己(な)が心から鈍(おそ)やこの君

   *]

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