大和本草卷之八 草之四 水草類 莞 (フトイ)
莞 斯干詩下莞上簟朱傳曰莞蒲席也大全僕氏
云莞又云燈心草生池澤中周禮有莞筵蒲莚郭
璞曰蒲麤莞細則莞蒲爲兩種順倭名抄ニ莞草ヲ
オホ井ト訓スオホ井ハ大藺ナリ井ハ燈心草ナリオホ
井ハ俗ニフト井𪜈又唐井トモマルスゲ又佛杖トモ云燈心
草ニ似テ甚大ナリ㴱綠色高五六尺一窠ヨリ叢生ス
池沼ニ生ス秋刈テホシ臥席トシ圓座トス
○やぶちゃんの書き下し文
莞〔(ふとゐ)〕 「詩」の「斯干〔(きかん)〕」に、『莞〔(クワン)〕を下にし 簟〔(ヘウ)〕を上にす』〔と。〕「朱傳」に曰はく、『「莞」は「蒲の席〔(むしろ)〕」なり』〔と〕。「大全」に僕氏云はく、『莞は又、燈心草と云ひ、池澤の中に生ず』〔と〕。「周禮〔(しゆらい)〕」に『莞筵・蒲莚、有り』〔と〕。郭璞曰はく、『蒲は麤〔(あら)〕く、莞は細なり。則ち、莞・蒲は兩種と爲す』〔と〕。順が「倭名抄」に莞草を「おほゐ」と訓ず。「おほゐ」は「大藺」なり。「ゐ」は燈心草なり。「おほゐ」は、俗に「ふとゐ」とも、又、「唐〔(たう)〕ゐ」とも。「まるすげ」、又、「佛杖〔(ぶつじやう)〕」とも云ふ。燈心草に似て、甚だ大なり。㴱綠色、高さ、五、六尺。一窠〔(いつさう)〕より叢生す。池沼に生ず。秋、刈りて、ほし、臥席〔(ふしむしろ)〕とし、圓座〔(ゑんざ)〕とす。
[やぶちゃん注:何度も出てきたものがやっと立項されてあった。
単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科フトイ属フトイ Schoenoplectus tabernaemontani
である。当該ウィキによれば、『「フトイ」という名前は「太い」ではなく「太藺」、つまり「太い藺草」の意味である。実際にはイグサ科』Juncaceae(藺草はイネ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus decipiens である)『ではなく、カヤツリグサ科フトイ属に属する。ただし、その姿は』、『さほど』、『イグサに似ている訳ではない。古名は「ツクモ」(九十九)』。『日本全土に分布する』。『湿地や浅い池などに生育する大柄な多年草で、高さは』二メートル『近くにもなる個体もある。地下茎は太くて横に這い、全体としてはまばらに花茎を立てて大きな群落を作る。地下茎の節から花茎を直立させる。花茎の基部には鞘があって、その先端は少しだけ葉の形になる。しかし花茎の長さに比べるとあまりに小さく、目立たない。花茎の断面はややいびつな円形』である。『花茎の先端には花序がつく。いくつか枝が出て』、『その先端には小穂がつき、小穂の基部から』、『さらに枝が出るように』『多数の小穂が散房状につく。花序の基部には苞が一つあるが、花序より短くて目立たない。そのため』、『イグサのようには見えず、花序が花茎の先端に上を向いてついているように見える』。『日本では、時に庭園の池などで観賞用に栽培される。フトイの変種であるシマフトイ』(Scirpus tabernaemontani 'Zebrinus')『は花茎に白い横縞模様があり、鑑賞価値が高いものとして栽培されている。フトイは昔から夏の水物花材として多く使われてきた』とある。
『「詩」に、『莞〔(クワン)〕を下にし 簟〔(ヘウ)〕を上にす』〔と。〕』「詩経」の「小雅」にある一族の繁栄を祈った「斯干」。全篇は『崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座』のこちらがよい。そこでは訓読はないが、しかし考えるに、「詩経」レベルに古くなると、和文式訓読というのは、実は無理が多い気がするのである。当該部は以下。
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下莞上簟
乃安斯寢
乃寢乃興
乃占我夢
吉夢維何
維熊維羆
維虺維蛇
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「下莞上簟」は「太藺で作った茣蓙を敷き、上には簾を掲げて」(「簟」は「細く割った竹や籐で編んだ、やはり筵のこと」、さても、いざ、安眠して夢を見、その夢を占おうとしたところが、とんでもない!……という意である。但し、夢占ではいい夢と判じられるのである。
「朱傳」前にも出たが、南宋の儒学者朱熹(一一三〇年~一二〇〇年)の「詩経」の注釈書「詩集傳」のこと。「中國哲學書電子化計劃」で同書「詩經卷之五朱熹集傳」の中に発見した。影印本をリンクさせた。最終行の右列にある。
『「大全」に僕氏云はく、『莞は又、燈心草と云ひ、池澤の中に生ず』〔と〕』「欽定四庫全書」の明の胡廣らの撰になる、「詩経」の注釈書「詩傳大全」の巻十一の「斯干」を注した中に、
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莞蒲席也竹葦曰簟【孔氏曰西方人呼蒲爲莞蒲司几筵有莞筵蒲筵則兩種席也○濮氏曰莞又云燈心草生池澤中卽苻蘺也下莞則鋪席其上則竹葦之簟所以覆席】
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とあるのを見つけた。
「周禮〔(しゆらい)〕」(「しゅ」は本邦の漢学者の読み癖)儒教経典として「儀礼」「礼記」と併せて「三礼(さんらい)」と呼ぶ。原書名は「周官」。前漢の武帝期(紀元前二世紀)に発見されたとされ、周公旦が周の官制を天地春夏秋冬の六官に分けて記した書として、劉歆(りゅうきん)を初めとして古文学派に尊奉されたが、実際の成立は戦国時代以降。周王朝の官制を記述したもの。「冬官」は後に失われたため、「考工記」で補われてある。
「郭璞」(かくはく 二七六年~三二四年)は六朝時代の東晋の学者・文学者。山西省聞喜の生まれ。字は景純。博学で詩賦をよくし、特に天文・卜筮(ぼくぜい)の術に長じた。東晋の元帝に仕えて著作郎などを勤め、たびたび、大事を占っている。「爾雅」や「山海経」の注で著名。
『順が「倭名抄」に莞草を「おほゐ」と訓ず』「和名類聚抄」の巻二十の「草木部第三十二」の「草類第二百四十二」に、
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莞 「唐韻」云はく、『莞【音「完」。一音「丸」。「漢語抄」云はく、「於保井(おほゐ)」。】は、以つて席(むしろ)と爲すべき者なり。』と。
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とある。「唐韻」唐代に孫愐(そんめん)によって編纂された「切韻」(隋の文帝の六〇一年の序を持つ、陸法言によって作られた韻書)の修訂本。成立は七五一年或いは七三三年とされる。早くに散佚して、現在に伝わらないが、宋代にこの「唐韻」を更に修訂した「大宋重修広韻」が編まれている。「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で奈良時代(八世紀)の成立とされる辞書であるが、佚文のみで、原本は伝わらない。
『「ゐ」は燈心草なり』既出既注。
「唐〔(たう)〕ゐ」「まるすげ」(丸菅)「佛杖〔(ぶつじやう)〕」前二者は確認出来た。最後のそれは見当たらないが、異名としては腑に落ちる気はする。
「一窠〔(いつさう)〕」一つの穴。水底の下の根茎。
「圓座〔(ゑんざ)〕」藁・菅・藺などで、渦巻形に、まるく編んだ敷物。本来は「わらうだ(わろうだ)」と読みたかった。]
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