芥川龍之介書簡抄64 / 大正五(一九一六)年書簡より(十一) 山本喜誉司宛
大正五(一九一六)年九月五日(年次推定)・山本喜譽司宛(封筒欠)
二度も手紙をもらひながら返事を出さなかつたのは怒られても仕方がない 此一週間ばかりは何をするのも氣がむかなかつた 氣がむかなかつたのは馬鹿げた話があつたからなのだ その話をかく
ある男がある女に戀をした事がある 男は女が自分の心をしつてゐたかどうかしらなかつた 唯自分を嫌つてはゐなかつたと云ふ事だけが確であつた 女の顏はろせつちのかいたべあとりすに似てゐる
何月かたつた後急に女が男の友人に嫁ぐ事になつた 其友人と云ふのは男より年上ながら智識も感情も男より遙に劣つたぶるじよあであつた 男は婚禮の夜上から二つ目の席にすはつて高砂の聲をきいた
女は紫の着物をきてゐた 寒い夜で時々硝子戶をすかしながら雪もよひの空を氣づかはしげに見たのを覺えてゐる
婚礼が完つて幾台かの人力車が續いて冬の町へ出た時に男は偶然女ののつてゐる人力車の次のにのつてゐた 廣い通りを白けたともしびの光に人力車が走る間男は自分の前にゆく人力車の幌の中に翡翠の指輪をした白い手を暖な MUFF にさして黑いにほひのいゝ BOA に襟をうづめてゐる人の事を考へた
其後男は女にあはなかつた 女の夫とは二三度あつたが二十分たたないうちに香油を塗つた髮と卑しいBUSINESS-MANLIKE な語とが反感を惹いて碌に話もしなかつた
一年餘たつた夏の末に男はある用向で女の夫を訪問した
夫は留守で女が代つて挨拶をした 今月が臨月だと云つて女は息使ひさへ苦しさうに大きな腹をしてゐた 三十分ばかりの對話のうちに男は女が自分の心を知つてゐたと云ふ事を知つた 男はかう云ふ事がわかつた時一層女のみにくさを感じた 見覺えのある絽の夏帶さへ見てゐるのが嫌になつた
男は女にわかれて玄關を出るときに眞面目な顏をして丁寧な挨拶をのべた
話はこれだけだ DISILLUSION と云へば澤山だらう 他人からみたらいゝ COMEDY にちがひない
そのあとで(日課のやうにしてゐるドストエフスキイの小說をよむ外は)何もしなかつたのなんぞは馬鹿げてゐるかもしれない 自分でもそんなにろまんちつくに生れついたつもりではないのだが
あんまりかくと安つぽくなるからやめる
屋上庭園の籐倚子の上でよんでくれたら其割に馬鹿らしくないかもしれない
東京景物詩ですきなのは片戀だけ
方々あそんであるいた 寄席で蘭蝶をきいた 其時の卽興をおくる
なれあらば共に淚やながすらむ今蘭蝶ぞうたひ出ぬる
さやうなら
九月五日夜 ANTONIO
LEONARDOへ
[やぶちゃん注:これは年推定が正しいとして、何か不思議に不明な陰鬱な内容である。この女は諸条件から吉田彌生では絶対にない。そもそもこの主人公の「男」は果して芥川龍之介自身なのかどうかも、実は判らないのである。「馬鹿げた話があつた」と彼は言っている。則ち、それが自身の体験ではない可能性を示唆するものでもあろう。芥川龍之介自身或いは龍之介の友人の体験とした両方の仮定で幾つかの可能性を探ったが、どれも全体の細かな事実を総てクリアーするものは遂に探り得なかった。全体が作り話というのは、相手が最も永い親友であり、同性愛感情さえも持っていた山本である以上、そんな悪ふざけは、やはり絶対にあり得ない。しかも、彼は既に婚約の確定した塚本文の叔父である。但し、幾つかの複数の体験や話を無理矢理、融合させて、事実のように龍之介自身が錯覚している(一時的な見当識失調)というやや神経症的に病的なものである可能性はないとは言えない。但し、「自分でもそんなにろまんちつくに生れついたつもりではないのだが」「あんまりかくと安つぽくなるからやめる」という部分からは自身の体験であると言わざるを得ない。私も、芥川龍之介の生涯の「地獄よりも地獄的」な多数の恋愛関係を追い続けているという点では、人後に落ちないつもりであるが、正直、判らない。ただ、この手紙が、もし、この翌年の大正六年であったとするなら、ある疑惑が、それも複数、ぼんやりと浮かんでくるという気は、している(諸条件から推すと、前年の可能性は頗る低い)。ともかくも、いろいろな意味で、読後、甚だ後味の悪い、龍之介の特異点の手紙の一つであると言える。
「ろせつちのかいたべあとりす」ダンテ・ガブリエル・ロセッティの妻をモデルとした作品の中でも群を抜いて優れた私も偏愛する「ベアータ・ベアトリクス」(Beata Beatrix :「祝福されしベアトリーチェ」。一八六四年~一八七〇年製作)。ダンテ・アリギエーリの詩「新生」の中のベアトリーチェ・ポルティナーリの死の瞬間を描いたもの。彼のウィキの当該画をリンクさせておいた。
「MUFF」防寒具の「マフ」。女性が手を入れるためのもので、毛皮製で円筒形をしている。
「BOA」ボア襟巻。軟らかい羽毛及び毛皮製。
「BUSINESS-MANLIKE」商売人風な。
「DISILLUSION」幻滅を感じさせる。
「日課のやうにしてゐるドストエフスキイの小說をよむ」後の書簡を見るに、この翌月の十月七日の深夜、眠られずに「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。
「屋上庭園の籐倚子の上」不詳。
「東京景物詩」北原白秋二十八歳の頃の第三詩集。大正二(一九一三)年刊。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のこちらで、原本が見られる。私は五篇を電子化しているが、「片戀」はしっかりそれに入っている。
「蘭蝶」新内節の曲名。本名題(ほんなだい)は「若木仇名草(わかきのあだなぐさ)」。長編の端物(はもの)浄瑠璃で、「明烏(あけがらす)」・「尾上伊太八(おのえいだはち)」とともに新内の代表曲の一つである。初世鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう 享保二(一七一七)年~明治一九(一七八六)年)晩年の作。芸人市川屋蘭蝶と深い仲の新吉原の榊屋此糸(さかきやこのいと)とが痴話喧嘩のところへ、蘭蝶の女房お宮が此糸のもとを訪れ、別の一間で会って、「蘭蝶と縁を切ってほしい」と頼み込む。その真情にほだされた此糸は願いを聞き入れ、縁切りを約してお宮を帰すが、この会話を、始終立ち聞く蘭蝶は、お宮の真心を納得しながらも、此糸と情死する。初期の端物で「~でありんす」の「廓(さと)ことば」を使っているのは、実はこの作だけである。新内と言えば「蘭蝶」、「蘭蝶」と言えば「縁でこそあれ~」というほど、馴染まれている「縁切り場」のお宮のクドキは、事実、新内の生命である「クドキ地」の典型的なものであって、手ほどきにもかならず用いられる一節であり、太夫たちが聞かせどころとして、力量を発揮する下りである以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]
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