大和本草卷之八 草之四 水草類 荻(をぎ) (オギ)
荻 本草蘆集解頌曰菼薍似葦而小中實卽荻也
至秋堅成卽謂之萑時珍曰短小於葦而中空皮
厚色靑蒼者菼也荻也萑也其最短小而中實者
蒹也其身皆如竹其葉皆長如箬葉又曰毛萇曰
葦之初生曰葭未秀曰蘆長成曰葦頌曰蘆葦通
爲一物也○采葛詩朱傳曰蕭萩也白葉莖麤科
生有香氣祭則焫以報氣荻ハヲギヨシト云淀川其
外處々ニアリ山野ニモ水邊ニモ生ス中實也ヨシノ如シ少
ハ其中トヲレリ葦トマシリ生ス似タル物ナリ水草ナリ本
草ニハ蘆ノ集解ニノセタリ
○やぶちゃんの書き下し文
荻(をぎ) 「本草」、「蘆」の「集解」に、頌〔(しよう)〕が曰はく、「菼薍〔(タン/をぎ)〕、葦に似て、小なり。中實す。卽ち、荻なり。秋に至り、堅く成る。卽ち、之れを萑〔(カン/をぎ)〕と謂ふ。」と。時珍曰はく、「葦より短小にして、中、空しく、皮、厚く、色、靑蒼〔(せいさう)〕なる者、菼〔(タン/をぎ)〕なり。荻なり。萑なり。最も短小にして、中實〔(ちゆうじつ)〕する者〔は〕、蒹〔(ケン/をぎ)〕なり。其の身、皆、竹のごとく、其の葉、皆、長く、箬〔(たけ)の〕葉のごとし。」と。又、曰はく、「毛萇〔(まうちやう)〕が曰はく、『葦の初生を、「葭(カ)」と曰ひ、秀〔(ほ)の〕未〔(いまだ)し〕を「蘆〔ロ〕」と曰ひ、長成〔せる〕を「葦〔ヰ〕」と曰ふ。』と」と。頌曰はく、「蘆・葦、通じて、一物と爲すなり。」と。
○「采葛」の、「詩」〔の〕「朱傳」に曰はく、『蕭〔(セウ)〕は萩〔(シウ/をぎ)〕なり。白き葉〔にして〕、莖は麤〔(あら)〕し。科生〔(くわせい)〕し、香氣有り。祭りには、則ち、焫〔(も)〕して以つて氣を報ず。荻は、「をぎよし」と云ふ。淀川、其外、處々にあり。山野にも、水邊にも生ず。中實なり。「よし」のごとし。少〔(わか)き〕は、其の中、とをれり。葦と、まじり、生ず。似たる物なり。水草なり。「本草」には「蘆」の「集解」にのせたり。
[やぶちゃん注:漢籍引用で見慣れない漢名表記が羅列的に多数出るので、例外的に、音をカタカナで、訓をひらがなで、確認して調べて歴史的仮名遣で附した。狭義には、多年草である、
単子葉植物綱イネ目イネ科ススキ属オギ Miscanthus sacchariflorus
に比定してよいが、本邦では近代まで、「をぎ」をススキ属のタイプ種である別種である「すすき」(ススキ属ススキ Miscanthus sinensis)と同じものとして区別せずに認識してきた一般の民俗社会の歴史がある。実際には以下に述べる通り、属性に違いがあり、農民は茅葺の屋根材料として広く使用していたから、正しく弁別して認識していたし、植生地の違いや、細部をよく観察すれば、簡単に識別できるのだが、今でも都会人の多くは十把一絡げに「すすき」と称して、区別できない者が多い。但し、益軒は「大和本草卷之六 草之二」の「民用草類」の中で、「芒(ススキ/カヤ)」を立項して、仔細に述べている(中村学園大学図書館蔵本画像(PDF・38コマ目)ので、この心配は全く無用である。
以下、まず、小学館「日本国語大辞典」から引くと(以下の太字は私が附した)、『各地の池辺、河岸などの湿地に群生して生える。稈(かん)は中空で、高さ一~二・五メートルになり、ススキによく似ているが、長く縦横に』這う『地下茎のあることなどが異なる。葉は』、長さ四十~八十センチメートル、『幅一~三センチメートルになり、ススキより幅広く、細長い線形で、下部は長い』鞘『となって稈を包む。秋、黄褐色の大きな花穂をつける』。別名「おぎよし」「ねざめぐさ」「めざましぐさ」「かぜききぐさ」があるとする。「をぎ」の呼称は万葉以来で古い。次に当該ウィキから引く。『河川敷などの湿地に群落を作る身近な多年草である。日本全国や朝鮮半島、中国大陸に分布している。葉は』『中央脈がはっきりしている。花期は』九~十月で、穂は二十五~四十センチメートル『程であり、小穂が多数互生している。茎は硬くて』、『節を持ち、つやがある』。『ススキに良く似ているが、オギは地下茎で広がるために株立ちにならない(ススキは束状に生えて株立ちになる)』。『ススキと違い、オギには芒がない。また、ススキが生えることのできる乾燥した場所には生育しないが、ヨシ』(イネ科ダンチク亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis )『よりは乾燥した場所を好む。穂はススキよりも柔らかい』とある。次に、「岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科」の公式サイト内の「オギ」を見よう(写真有り)。『オギは河原などに生育する多年草。ススキによく似ているが、草丈は』二メートル『を越える。種子でも繁殖するが、群落の拡大は地下茎で行うので、土壌は粘土質から砂質であることが必要で、礫を多く含む河原では生育しない。洪水などの増水には耐えることができるが、地下部が長期にわたって水没するような場所にも生育できない。したがって、広い群落を形成する場所は、中流の下部から下流の上部までの範囲であり、通常水位から高い高水敷などである。下流の感潮域では、ヨシ群落よりも高い場所に生育する。日本全国と朝鮮半島・中国大陸に分布する』。『ススキとよく似ており、区別に迷うことがあるが、オギは地中に横走する地下茎から地上茎を立ち上げるので、群落を形成していても株立ちすることはない。茎は堅く、ササの幹のようであり、簡単には引きちぎることができない。葉の幅も広く、花穂もより大型である。もちろん草丈も高くなる』。『オギは洪水によって倒匐しても、節から新たな地上茎を発達させて回復することができる。オギ群落が発達している場所は、増水時にも緩やかに水位が上下するような立地であり、濁流が流れるような場所ではない。増水時には砂やシルトなどが群落内に堆積するのが普通であり、倒れた茎から新芽を出すことができる能力は、このような堆積環境によく適応している。ススキも河原には生育は可能であるが、草丈と堆積・埋没に対する適応能力ではオギに負けている。しかしながら、オギは刈り取りには弱く、地上部を年』一『回刈り取られると、数年で急激に勢力が弱くなってしまう。この点ではススキに負けている。したがって、刈り取りが行われるとススキが優勢となり、放置されるとオギが優勢となる』。『オギは漢字で書くと「荻」であり、荻野・荻原などの地名や名字でお馴染みである。昔は洪積平野などに広く生育していたのであろうが、水田や畑地として開墾されてしまったものと思われる。オギ群落の発達している場所は、土壌が砂質から砂質粘土であり、根菜類の栽培にはもってこいの土壌である。最近は放棄水田などに群生しているのを見かけることも多くなった。本来はこのような時折冠水するような低湿地に広く群落を形成していたに違いない』とある。これで、皆さん、ススキと区別出来ましょうぞ。
『「本草」、「蘆」の「集解」』「本草綱目」巻十五の「草之四」の「蘆」であるが、これは多種が混同されて記されてあるので注意が必要である。読めば判るが、以下を継ぎ接ぎして引用している益軒の本文もそのまま受け取ることは出来なくなる可能性が高いからである。囲み字は太字に代えた。
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集解【恭曰はく、「蘆根、下濕の地に生ず。莖・葉、竹に似たり。花、荻花のごとし。蓬蕽(はうのう)[やぶちゃん注:アシの花を指す。]と名づく。二月と八月に根を采り、日に乾かして用ゆ。」と。頌曰はく、「今、在りとある處に、之れ、有り。下濕の陂(きし[やぶちゃん注:岸。])・澤の中に生ず。其の狀、都(すべ)て竹に似て、葉、莖を抱(つつ)みて生ず。枝、無し。花、白くして、穂を作(な)す。茅(ちがや)の花のごとし。根も亦、竹の根のごとくして、節、疎らなり。其の根は水底より取る。味、甘辛なる者なり。其の露出及び水中に浮ぶ者は、並には用に堪へず。按ずるに、郭璞が「爾雅」に注して云はく、「葭は、卽ち、蘆なり。葦は、卽ち、蘆の成れる者なり。「菼薍(タンラン)」[やぶちゃん注:アシの初生のものを指す。]は、葦に似て、小にして、中實す。江東、呼びて「烏蓲(うく)」と爲す。音は「※(カ)」[やぶちゃん注:「※」=「艹」に「佳」。実は「漢籍リポジトリ」ではここに「萑」(カン)の字を当てているのであるが、どうもおかしいと感じた。「葭」の音表記としては「萑」では日本語の音でも、また、中国音でも音通ではなく、不審だからである。同ページの影印を期待してみたが、残念、そこだけ、欠字になっているのだった。しかし、気になってしょうがない。そこで一つ、考えたのは、これは「艹」に「佳」なのではないか? という疑いであった。それだと、「佳」が当該字の音であるとすれば、それと「葭」はウェード式で「chia1」で一致するからである。そこで、訓読の参考にしている国立国会図書館デジタルコレクションの風月莊左衞門寛文九(一六六九)年の版本の当該部を拡大してよく見てみたところが、初めは失望した。ここは「丘」となっていたからである。しかし〈救いの女神〉はいた! 以下の直後に出る「至秋堅成即謂之萑音桓兼似而細長」と「漢籍リポジトリ」がする部分だ! 頭に当たった! これは「艹」に「佳」なのだ! 横画が均一の長さでないのだ! そこでまた「漢籍リポジトリ」の影印をその字を確認してみた。あった! そして――やったね! やっぱり「艹」に「佳」なのだ! 間違いない! 「亻」とは右部分が接続せず、「圭」となっているのだ! 快哉!!!]。或いは、之れを「藡」と謂ふ。卽ち、荻なり。秋に至りて、堅く成れり。之れを「※(カ)」と謂ふ。音は「𢬎」[やぶちゃん注:これも不審だが、不明。「漢籍リポジトリ」は「桓」とするが、影印を見ると「𢬎」である。]。「兼」は「※」に似て、細長く、高さ、數尺。江東、之れを「蒹」と謂ふ。其の花、皆、「艻(ロク)」と名づく。音は「調」[やぶちゃん注:不審。]。其の萌(もえいづるもの)、皆、「虇(ケン)」と名づく。食するに堪えたり。竹笋(たけのこ)のごとし。若(も)し然らば、則ち、蘆・葦、通じて一物と爲すなり。所謂る、「兼」は、乃(すなは)ち、今、「簾」と作(な)す者、是れなり。所謂る、「菼」は、今、以つて「薪」に當つる者、是れなり。而して、人、能く「兼」・「菼」と「蘆」・「葦」を别つこと、罕(まれ)なり。又、北人、葦と蘆とを以つて二物と爲す。水旁・下濕の所に生ずる者を、皆、「葦」と名づく。其れ、細くして指の大いさに及ばず。人家・池圃に植うる所の者を、皆、「蘆」と名づく。其の幹、差(やや)大にして、深碧色なる者、亦、得難し。然るときは、則ち、蘆・葦、皆、通用すべし。」と。時珍曰はく、「蘆は數種有り。其の長(たけ)丈許り、中空にして、皮、薄く、色、白き者は、葭なり、蘆なり、葦なり。葦より短小にして、中空にて、皮、厚く、色、靑蒼なる者は、「菼」なり、「薍」なり、「荻」なり。「※」なり。其の最も短小にして中實なる者は「蒹」なり、「簾」なり。皆、初生を以て已に成して、名を得。其の身、皆、竹のごとく、其の葉、皆、長くして、箬葉(ささ)のごとし。其の根、藥に入るる。性・味、皆、同じ。其の未だ葉を解かざる者は、古へ、之れを「紫籜(シタク)」と謂へり。」と。斆(がく)曰はく、「蘆の根、須らく逆水に生じ、幷びに、黃の泡をなし、肥厚せる者を要とすべし。鬚の節、幷びに、赤黃の皮を去りて用ゆ。」と。】
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「頌」既出既注だが、再掲しておく。宋代の科学者にして博物学者蘇頌(一〇二〇年~一一〇一年)。一〇六二年に刊行された勅撰本草書「図経本草」の作者で、儀象台という時計台兼天体観察装置を作ったことでも知られる。
「中實す」中が空洞でない(維管束が充実している)ことを言う。
「萑〔(カン/をぎ)〕」現行、この字は確かにオギを指す字として存在してはいる。しかし、私は或いは「艹」+「佳」こそが、古代中国に於いて、本来のオギを指す字だったのではないかと疑っていることを申し述べておく。「隹」の字は「説文解字」によれば、「尾の短い鳥類の総称」とされ、側面から見た鳥を象ったものだ。それよりも、あらゆる場面で民が日常生活に用いたオギは、彼らのとって非常に役に立つ「佳(よ)い草」であったではないか!
「毛萇」(もうちょう 生没年未詳)は漢代の学者。師の魯の毛亨(もうこう 生没年未詳)とともに「毛詩」と呼ばれる「詩経」の校訂本文を完成させた。他のテキストが総て亡んでしまったため、これが今日の「詩経」となっており、「詩経」の別名を「毛詩」と呼ぶ理由もそこにある。
『「采葛」の、「詩」〔の〕「朱傳」』「詩経」の「王風」にある「采葛」(葛(くづ)を采る)の南宋の儒学者朱熹(一一三〇年~一二〇〇年)の「詩経」の注釈書「詩集傳」のことか。「采葛」は以下。
*
采葛
彼采葛兮
一日不見
如三月兮
彼采蕭兮
一日不見
如三秋兮
彼采艾兮
一日不見
如三歲兮
葛を采る
彼(か)の葛を采る
一日(いちじつ) 見ざれば
三月(さんげつ)のごとし
彼の蕭(よもぎ)を采る
一日 見ざれば
三秋のごとし
彼の艾(よもぎ)を采る
一日 見ざれば
三歲 のごとし
*
これは野摘みをする女性への恋歌のように私には感じられる。
「科生〔(くわせい)〕」不明。段階を踏んで成長することか。
「焫〔(も)〕して」燃やして。
「氣を報ず」その香気を周囲に行き渡らすことか。]
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