大和本草附錄巻之二 介類 眞珠 (尾張産諸貝の真珠・伊勢産アワビの真珠)
尾張ノ產ノ眞珠ハ諸貝ノ珠也伊勢ノ產ハアハビナリ
最ヨシ可用
○やぶちゃんの書き下し文
尾張の產の眞珠は諸貝の珠なり。伊勢の產は「あはび」なり。最もよし。用ふべし。
[やぶちゃん注:多様な真珠様物質(諸貝の体内に形成された侵入異物に対する防衛的変成加工物)については先の『「大和本草卷之三」の「金玉土石」より「眞珠」』の私の注で私の体験談を含めて述べたので繰り返さない。よく纏めている古い記載は、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「真珠」であり、そちらで私もかなり注釈を施してあるので、是非、参照されたいが、その終わりの部分で、最古の「日本書紀」の記載引用に続いて、まさしく「尾張真珠」と「伊勢真珠」について述べているので、訓読文だけを以下に引用する(リンク先は私のサイトの古層に属するもので(二〇〇七年作成)、当時は漢字表記の一部が正字表示出来なかった箇所があった。そこで今回、再度、原本に当たって修正を加え、全面改訂し、読みも推定で多数添えて割注も入れて示した)。
*
「日本紀」允恭(いんぎよう)天皇に、『淡路に獦(かり)し玉ふ。而れども、一獸をも獲り玉はず。故に卜(うらな)はしむるに、「赤石(あかいし)の海底に真珠有り。其の珠を島の神に祠(まつ)らば、則ち、當に獣を得べし。」と。是に於て、海-人-男-狹-磯(あまのをさし)と云ふ者、腰に繩を繫ぎ、海底に入り、差-煩(しばらく)ありて、之れ、出でて曰はく、「海底に大鰒(おほあはび)有り。其處、光るなり。」と。亦、入りて、探(かづい[やぶちゃん字注:ママ。]=潜)て、之れ、大鰒を抱(いだ)く。而して泛(う)き出でて、乃(すなは)ち、息絕へて死す。繩を以て、海底を測るに、六十尋[やぶちゃん注:約百八メートル。]あり。既にして、鰒の腹を割(さき)て、真珠(しらたま)を得。其の大いさ、桃子[やぶちゃん注:桃の実。]のごとし。乃(すなは)ち、島の神に祠りて、獦(かり)して、多く獸を獲るなり。』と。
△按ずるに、真珠は鰒(あはび)の珠(たま)を以て、最上と爲す。然れども、之れを得る者は鮮(すく)なし。故に今、𧍧䗯(あこやがい[やぶちゃん字注:ママ。])・淺蜊の二種を用ふるのみ。蚌珠(ぼうしゆ)も亦、多からず。和漢、土地に依りて、異、有るか。
伊勢真珠 𧍧䗯(あこやがひ)の珠なり。勢州に、多く、之れを取る。海西の大村[やぶちゃん注:九州の長崎県中央部に位置する大村湾。現在も真珠養殖で有名。]、亦、其の珠、有り。小さき者は、大いさ、楮實子(ちよじつし)[やぶちゃん注:原本は「楮」を「猪」と誤る。]のごとく、中なる者は麻仁(まにん)[やぶちゃん注:アサの実。]のごとく、大なる者は黃豆(だいづ)のごとくにして、重さ五、六分(ふん)[やぶちゃん注:二グラム前後。]の者を上と爲し、一錢目[やぶちゃん注:三・七五グラム。]に至る者、未だ曾て有らざる珍寶なり。皆、色、潤白にて、微(すこ)し靑光り、有り。華人、之れを見れば、則ち、喜び、之れを求む。價(あたい[やぶちゃん字注:ママ。])、最も貴(たか)し。小さき者を以て藥用と爲す。
尾張真珠 淺蜊貝の珠なり。尾州に、多く、之れを取る。近年、藝州廣島にも亦、有り。其の珠、大小、伊勢真珠と異ならず。但だ、光澤無し。魚の眼玉のごときなり。價、亦、貴(たか)からず。凡そ、真珠、輕粉(はらや)[やぶちゃん注:粉白粉(こなおしろい)。伊勢白粉。白粉以外に顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]の中に藏むるに、則ち、年を經る者、稍(やや)長くして、贅子(ぜいし)[やぶちゃん注:真珠の子のような増殖物。]を生ず。
*
その詳細注で私は、それぞれに(一部表記を変えた)、
*
「伊勢真珠」という呼称は古くからある。歴史上の真珠の記載について簡単に記述すると、「古事記」の編者である太安万侶の墳墓とされるものの副葬品から既に真珠玉が出土しており、「三国地誌」の「伊勢島風土記」の『伊勢島風土記曰 答志ノ郡伊佐鄕出玉石眞珠』・『延喜内藏式目 玉一千丸 志摩國所進 臨時ノ增減有』・『同民部式目 交易雜物志摩國 大凝菜卅四斤 白玉千顆』・『萬寶全書云 白玉 伊勢眞珠』等という記載からも、奈良時代、既に諸国からの献上物産品として真珠が知られていたことが分かる。寛政一一(一七九九)年の「日本山海名産図会」の真珠の項には、『是は「アコヤ貝」の珠(たま)なり、即ち、伊勢にて取りて「伊勢眞珠」と云(いゝ)て上品(じやうひん)とし、尾州を下品(げひん)とす。肥前大村より出(いだ)すは上品とすれども、藥肆(くすりや)の交易にはあづからず。アコヤ貝は一名「袖貝」といひて、形、袖に似たり。和歌浦(わかのうら)にて「胡蝶貝」と云ひ、大きさ一寸五分・二寸ばかり、灰色にて微黑(びこく)を帶びたるも、あるなり。内、白(しろ)色にして、靑み有(あり)、光りありて、厚し。然れども、貝毎(ごと)にあるにあらず。珠は伊勢の物、形、円(まる)く、微(すこ)し靑みを帯ぶ。又、圓(まろ)からず、長うして緑色を帯ぶるものは「石決明(あはび)」の珠なり。藥肆に、是を「貝の珠」と云ふ。尾張は、形、正-圓(まろ)からず、色、鈍(ど〔よ〕)みて、光澤なく、尤も少なり。是は蛤(はまぐり)・蜆(しじみ)・淡菜(いかひ)等(とう)の珠なり。』(早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちら(PDF)の「日本山海名產圖會」の巻之三の7コマ目の「眞珠」を参照)との記載がある。なお、ここで参考にしたブログの筆者は、この「伊勢真珠」の伊勢について、『伊勢真珠としているが、伊勢エビと同様産地は志摩とみるのが至当であろう。』と記している(以上の歴史関連記載と引用は個人ブログ「浜島町史をWebで読む」等を参考にし、一部に手を加えた[やぶちゃん注:二〇二一年五月三日現在は現存しない模様。])。
「尾張真珠」は「アサリ真珠」と称し、本真珠のような光沢がないため、正式には真珠様物質と現在は呼ばれている。私も味噌汁のアサリの中に見出したことが数度ある。それでもネット上の情報によれば、八センチメートル程度の大型のアサリから出てくるアサリ真珠は取引価格二百円から五百円(カキの同じ生成物はもう少し値が張って五百円から千円だそうだ。これもカキ好きの私は何度も発見したことがある)、あれでも立派に流通するのだなと吃驚した。またこれは本真珠より安価な漢方薬として売買されたものと思われ、天明年間の大阪の薬種問屋の記録に「尾張真珠 懸目四匁[やぶちゃん注:十五グラム。]ニ付銀壱分宛」という記載がある。
*
と注した。ここへの注はこれで十分であると私は思う。]
« 伽婢子卷之四 幽靈逢夫話 / 伽婢子卷之四~了 | トップページ | 大和本草附錄巻之二 介類 海粉 (貝灰粉) »