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2021/05/22

日本山海名産図会 第三巻 鮪(しび)

 

   ○鮪(しび)【大なるを、「王鮪」、中なるを「叔鮪」【俗に「メクロ」と云。】、小なるを「鮥子(めしろ)」といへり。東國に「まくろ」と云。[やぶちゃん注:『大なるを、「王鮪」、中なるは』の部分は底本の(国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像)では実際には『大なるを王鮪   中なるを』と三字空けが施されてある。]】

筑前宗像・讃州平戶・五島に䋄する事、夥し。中にも平戶岩淸水(いわしみつ)の物を上品とす。凡、八月彼岸より取りはじめて、十月までのものを、「ひれなが」といふ。十月より冬の土用までに取るを、「黑」といひて、是れ、大(おほい)也。冬の土用より春の土用までに取るを、「はたら」といひて、纔か一尺二、三寸許りなる小魚にて、是れ、「黑鮪(くろしび)」の去年子(こ)なり。皆、肉は鰹に似て、色は甚だ赤し。味は鰹に不逮(およばず)。凡、一䋄に獲る物、多き時は、五、七萬にも及べり。○是れを、「ハツノミ」と云は、市中(しちう)に、家として一尾(び)を買ふ者なけれは、肉を割きて、秤(はかり)にかけて、大小、其の需(もとめ)に應ず。故に他國にも「大魚(おほうを)の身切」と呼ばはる。又、是れを、「ハツ」と名付くる事は、昔、此肉を賞して纔かに取りそめしを、まづ、馳せて募るに、人、其の先鋒を爭ひて求むる事、今、東武に「初鰹」の遲速を論ずるかごとし。此こを以て、初䋄の先驅(はしり)を、「ハツ」といひけり。後世、此味の美癖(びへき/ムマスキ[やぶちゃん注:右と左のルビ。])を惡(にく)んて、終(つひ)にふるされ、賤物(せんぶつ)に陷りて饗膳(きやうぜん)の庖厨に加ふること、なし。されども、今も賤夫の爲に「八珍」の一ツに擬(なすら)へて、さらに珎賞す【○此魚の小なるを、干して、「干鰹(ほしをふし)」の「にせもの」ともするなり。】。

 萬葉集鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを

○「礼記月令(らいきぐわつれい)」に、『季春、天子、鮪(しひ)を寢廟(しんびやう)に薦(すく)む。』とあれども、「鮪」の字に、論ありて、今の「ハツ」とは定めがたく、尚、下に辨す。

○䋄は、目、八寸許りにして、大抵、二十町許り。細き縄にて制す。底ありて、其の形、箕(み)のごとし。尻に袋あり。縄は大指(おほゆび)より、ふとくして、常に海底(かいてい)に沉め置き、䋄の兩端(りやうはし)に船二艘宛(づゝ)付けて、魚の群輻(あつまる)を待つなり。若(も)し、集る事の遲き時は、二タ月乃至三月とても、䋄を守りて、徒らに過(すご)せり。是れ亦、山頂に魚見の櫓ありて、其の内より伺候(うかゝ)ひ、魚の群集、何萬何千の數をも、見さだめ、麾(ざい)を打ち振りて、「かまいろ、かまいろ。」と呼ばはる【「カマイロ」とは「構へよ」との轉(てん)也。】。其の時、「ダンベイ」といふ小舩三艘、出だす。一艘に三人宛(つゝ)、腰簑(こしみの)・𥜃(たすき)[やぶちゃん注:ママ。「襷」の誤字。]・鉢巻にて飛ぶがごとくに漕ぎよせ、䋄の底に手を掛けて、引く事、過半に及べば、又、山頂より、麾を振るにつひて、數多(あまた)のダンベイ、打ちよせて、惣(さう)かゝりに、ひきあげ、䋄舟(あみふね)、近くせまれば、魚、※騰(ふとう)して、涌くがごとし[やぶちゃん注:「※」=「氵」+「字」。読みから「浮」の誤字と思われる。]。漁子(きよし)、熊手・鳶口(とびくち)のごとき物にて、魚の頭(かしら)に打ち付くれば、弥(いよいよ)驂(さは)ぎて、おのづから、舩中(せんちう)に踊り入れり。入り盡きぬれば、䋄は又、元のごとくに沈め置きて、船のみ、漕ぎ退(しりぞ)く也。尻に付きたる袋には、鰯、二艘ばかりも滿ちぬれども、他魚には目をかくることなし。是れは久しく沉沒せる䋄なれば、苔むしたるを、我が窠(す)のごとくになして居(を)れりとぞ。尚、圖に照らして見るべし。

 

Sibihuyuami

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「鮪冬網(しびふゆあみ)」。]

 

○又、一法に、釣りても、捕るなり。是れ、若刕(わかさ)の術(じゆつ)にて、其の針、三寸ばかり、苧縄(をなわ)長百間。針口より一間程は、又、苧にて卷く也。是れを「鼠尾(めづみお)」といふ。飼は鰹の腸(はらわた)を用ゆ。糸は桶へたぐりて、竿に付くること、なし。

○此の魚、頭(かしら)、大にして、嘴(くちばし)、尖り、鼻、長く、口、頤(おとがひ)の下にあり。頰腮(ほおぎと)、鐵兜(てつとう)のことく 頰の下に靑斑(あをまたら)あり。死後、眼(まなこ)に血を出だす。背に刺(すると)の鬣(たてがみ)あり。鱗、なし。蒼黑(あをくろ)にして、肚(はら)、白く、雲母(きらゝ)の如し。尾に、岐、有り、硬くして、上、大に、下、小なり。大(おほ)ひなるもの、一、二丈、小なる者、七、八尺。肉、肥へて厚く、此の魚、頭(かしら)に力あり。頭、陸(くが)に向ひ、尾、海に向ふ時は、懸けて、これを採り易し。是れ、尾に力らなき故なり。煖(あたゝ)かに乘じて、浮び、日を見て、眩(めくるめ)き、來たりける時は、群(ぐん)をなせり。漁人、これを捕りて、脂油(あぶら)を采り、或ひは脯(ほしし)に作る。

○「鮪」の字は「シビ」に充つること、其の義、本草、又、字書の釋義に適はず。されども、「和名抄」は、「閩書(みんしよ)」によりて、魚の大小の名をも、異(こと)にすること、其の故、なきにしもあらざるべし。又、「日本記」武烈記、眞鳥大臣(まとりだいしん)の男(こ)の名、「鮪(しび)」と云ふに、自注(じちう)、「慈※」とも訓せり[やぶちゃん注:「※」=「寐」を(あなかんむり)に代えたもの。]。元より、中華に海物(かいぶつ)を釋(と)く事、甚だ粗(そ)成ること、既に云ふがごとし。故に姑(しばら)く「鮪(しび)」に隨ひて可なりともいはん。シビの訓義、未詳(つまびらかならす)。

[やぶちゃん注:冒頭で大・中・小の区別呼称を示している。無論、これは単なる成長過程の同一種の呼称であると読むのがまず一般的ではあろうが、「王鮪」を「しび」と呼ぶ時、我々はやはり、

スズキ目サバ亜目サバ科サバ亜科マグロ族マグロ属クロマグロ Thunnus orientalis

想起するし、さすれば、それほど大きくない中型のそれは、

マグロ属キハダ Thunnus albacares

が別種同定候補と挙がってくるし、さらにその小さいものは、『小なるを「鮥子(めしろ)」といへり』と言っているところから、現在の別種である、

マグロ属メバチ Thunnus obesus

の可能性を想定しつつ読む必要がある。私の、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪(しび/はつ)」の項、及び「大和本草卷之十三 魚之下 シビ (マグロ類)」も参照されたいが、特にこの割注部は、前者の寺島良安の、以下に示した標題下の異名列記をそのまま写した感が強い。

   *

王鮪(わういう)【其の大き者なり。和名「之比(しび)」或いは「波豆(はづ)」と云ふ。】

叔鮪(しゆくいう)【其の小さき者は、俗に「目黑」と云ふ。】

鮥子〔(くわいし)〕【更に小さき者は、俗に「目鹿」と云ふ。】

   *

「讃州平戶」不審。「讃州・平戶」としても、マグロの特産として、九州の中に唐突もなく「讃州」が入り込むのはおかしく、そもそもが「讃州」がそれらと比肩するマグロの産地であったとするのも奇怪である。思うに、これは次の項の「讃州鰆」にうっかり引かれて、「肥州」とすべきところを誤記したものか、単に彫り師が誤ったものであろう。

「平戶岩淸水(いわしみつ)」これは思うに、平戸港の南側沿岸に当たる長崎県平戸市岩の上町(旧町名「岩上」)の附近ではないか? 「淸水」は不詳だが、「岩」に「淸水」は如何にもな縁語で岩上の旧字地名だったとしても、何らおかしくはないとは思う。

「ひれなが」マグロ属ビンナガマグロ Thunnus alalunga であろう。「鰭長」で「鬢長(鮪)」(びんちょう(まぐろ))の異名でも知られる。和名は胸鰭が第二背鰭を超えるほどに有意長いそれを鬢(もみあげ)に見立てたもので、地方名の「トンボ」も、それを蜻蛉の翅に見立てたものである。

『「はたら」といひて、纔か一尺二、三寸許りなる小魚にて、是れ、「黑鮪(くろしび)」の去年子(こ)なり』この名は調べる限りでは見当たらないものの、ウィキの「クロマグロ」に、『特に幼魚を指す地方名としてヨコ、ヨコワ(近畿・四国)、メジ、メジマグロ(中部・関東)、シンコ、ヨコカワ、ヒッサゲなどもある』とあり、『幼魚期は体側に白い斑点と横しま模様が』十~二十条も『並んでおり、幼魚の地方名「ヨコワ」はここに由来する』とあったので、画像検索で見たところ、確かに幼魚のそれは白い「横輪」で、雪の降ったような白い斑点も有意にあり、されば、これはまさに「はだら」で「斑」であると私は納得出来た。「肉は鰹に似て、色は甚だ赤し。味は鰹に不逮(およばず)」その通り! 鰹(マグロ族カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis に代表されるカツオ類)の方が遙かに美味い! 私は行きつけの寿司屋では本マグロは滅多に食わず、新鮮なカツオがあれば、必ず、さっと炙ってもらってそのまま直ぐに食すのを常としている(氷で冷やすのは香りも脂も損じ、邪道の極みである)。金が惜しいからではない。マグロなんぞよりも遙かに美味いからである。

「ハツノミ」「ハツ」は江戸時代にマグロの関西方言の一つとして出現し、作者はこれまた、驚くべき迂遠な蘊蓄で語源を解説しているが、恐らくはそこで言っている「初鰹」と同じく、季節の縁起物として「鮪(しび)の物」の縮約の可能性の方が高いし、素直に納得出来る。ここはその「ハツの身」(切り)である。

「ふるされ」「古(舊)され」で「使い古されて、飽きて見捨てられてしまい」の意。

「賤物(せんぶつ)に陷りて饗膳(きやうぜん)の庖厨に加ふること、なし。されども、今も賤夫の爲に「八珍」の一ツに擬(なすら)へて、さらに珎賞す」「徒然草」の第百十九段で、

   *

 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、双(さう)なきものにて、このごろ、もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申しはべりしは、

「この魚、おのれら、若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること、はべらざりき。頭(かしら)は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨てはべりしものなり。」

と申しき。

 か樣(やう)の物も、世の末になれば、上樣(かみざま)までも入りたつわざにこそはべるなり。

   *

とある。高校時代、ここを読んで、卜部兼好が一発で大嫌いになった。私は既に述べた通り、鰹が大好物だからである。「八珍」(はっちん)は「八種の珍味」で、中国では牛・羊・麋(となかい)・鹿・麕(くじか:ウシ目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科キバノロ属キバノロ Hydropotes inermis :分布は朝鮮半島や中国東北部などで本邦には棲息しない)・豕(いのこ:猪・豚)・狗(いぬ)・狼などとするが、中華や本邦各地ではそれぞれに異なった命数が多い。なお、転じて「盛大な料理・食膳」の意ともする。

『此魚の小なるを干して、「干鰹(ほしをふし)」の「にせもの」ともするなり』これが既にして脂ぎとぎとのマグロが長く本邦では好まれなかった証左であり(御存じのことと思うが、「トロ箱」と呼ぶように、マグロの脂ののったそれは、箱に別に切り出して、捨てられたのである)。なお、現在も鰹節とは別に鮪節があり、鰹節よりも淡い出汁が採れる。これは確かにそれなりに美味い。

「萬葉集」「鮪つくとあまのともせるいさり火のほには出なん我下思ひを」「万葉集」巻第十九の大伴家持の一首(四二一八番)、

    漁夫(あま)の火光(ともしび)を

    見る歌一首

 鮪(しび)突くと

    海人(あま)の燭(とも)せる

   漁火(いざりび)の

      秀(ほ)にか出ださむ

      我が下思(したも)ひを

で、左注から、天平勝宝二(七五〇)年五月の作である。下句は、「そのようにはっきりと判るように示してしまおうかしら、私のかの人への思いを」の意。

『「礼記月令(らいきぐわつれい)」に、『季春、天子、鮪(しひ)を寢廟(しんびやう)に薦(すく)む』とあれども』「禮記」の「月令」の「季春」の一節に、

   *

是月也、天子乃薦鞠衣于先帝。命舟牧覆舟、五覆五反。乃告舟備具於天子焉、天子始乘舟。薦鮪于寢廟、乃爲麥祈實。

   *

とある。但し、筆者がここと後で言う通り、これは海産の魚類ではなく、淡水の魚であることは明白で、寺島良安が「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪(しび/はつ)」の項の前に「鱘 かぢとをし」を置いたのは、迂遠ながら、意味のあることであって、これは英名を“Chinese swordfish”と呼ぶ、海産の鋭く長い上顎吻を持つカジキ(スズキ目メカジキ科 Xiphiidae 及びマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚の総称。カジキマグロはそれらの通称)にミミクリーする、長江や黄河に棲息していた(恐らくはもう絶滅した)硬骨魚綱条鰭亜綱軟質区チョウザメ目ヘラチョウザメ科ハシナガチョウザメ属の異形種であるハシナガチョウザメ Psephurus gladius のことである(古くはシナヘラチョウザメと呼称した)。そもそもが先に出た見たことがない「」の字も漢語で小型のチョウザメ類を指す語なのである。以上、是非、リンク先の私注を見られたい。それを御教授戴いたその折の私のブログ「チョウザメのこと」も是非、参照されたい。因みに、その方の勤めておられた、そこにある「釜石キャビア株式会社」は、かの大震災によって、今はもう、ない。悲しい思い出である。なお、未だ信じ難い連中のために、東海大学海洋学部水産学科生物生産学専攻の武藤文人氏の発表用解説プレート・レジュメ「チョウザメ類とマグロ類:古典籍データベースから探る漢字の「鮪」の意味の変遷」PDF・二〇一三年九月十八日発表)及びその主な出典元である同氏の論文「本における鮪のマグロ類への比定の歴史」PDF・東海大学紀要海洋学部『海―自然と文化』十巻第三号・二〇一三年発行)をリンクさせておこう。

「二十町許り」約二・一八二キロメートル。

「麾(ざい)」「鰤」で既出既注。

「ダンベイ」「團平船」のこと。和船の一種で、幅が広く、底を平たく頑丈に造った船。石・材木・石炭・土砂などの重量物の近距離輸送に主に用いられた。

「※騰(ふとう)」(「※」=「氵」+「字」)沸騰するように、泡立てて鮪が飛び跳ねるさまを指す。

「驂(さは)ぎて」この漢字は不審。これは予備の馬や、馬車で主となる馬のそばに補助としてつけられる副馬(そえうま)或いは、貴人の供として載り物に同乗すること、副え乗りすること、或いは、その役を指すからである。「騷」の誤字ととっておく。

「二艘ばかりも滿ちぬれども」二艘分ほども大量に充満しているが。

「他魚」この鰯を指す。鮪以外の魚。

「苔むしたる」海藻類その他が繁茂していること。

「我が窠(す)のごとくになして居(を)れり」面白い漁礁みたようなもんだ。

「圖に照らして見るべし」鮪漁の様子は、である。

「若刕(わかさ)の術」若狭国(湾)での漁法。

「苧縄(をなわ)」「鰤」で既出既注。

「百間」百八十一・八メートル。延縄(はえなわ)漁である。

「鼠尾(めづみお)」「お」は「を」の誤記。延縄漁の枝縄のこと。

「脯(ほしし)」干物。

「此の魚、頭(かしら)、大にして、嘴(くちばし)、尖り、鼻、長く、口、頤(おとがひ)の下にあり。頰腮(ほおぎと)、鐵兜(てつとう)のことく 頰の下に靑斑(あをまたら)あり。死後、眼(まなこ)に血を出だす。背に刺(すると)の鬣(たてがみ)あり。鱗、なし。蒼黑(あをくろ)にして、肚(はら)、白く、雲母(きらゝ)の如し。尾に、岐、有り、硬くして、上、大に、下、小なり。大(おほ)ひなるもの、一、二丈、小なる者、七、八尺。肉、肥へて厚く、此の魚、頭(かしら)に力あり。頭、陸(くが)に向ひ、尾、海に向ふ時は、懸けて、これを採り易し。是れ、尾に力らなき故なり。煖(あたゝ)かに乘じて、浮び、日を見て、眩(めくるめ)き、來たりける時は、群(ぐん)をなせり。漁人、これを捕りて、脂油(あぶら)を采り、或ひは脯(ほしし)に作る」この部分、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪(しび/はつ)」の項のを小手先で書き変えたもので、少し失望した。引いてみる(表記を一部変えた)。

   *

△按ずるに、鮪(しび)も亦、鱣の屬にして、鱘(かぢとをし)の類なり。「本綱」に、鱘・鮪、以て、一物と爲すは、未だ精(くは)しからず。鱘は靑碧色、鼻、長くして、身と等し。鮪は、頭、畧(ち)と大きく、鼻、長しと雖も、甚だしからず。口、頷(あぎと)の下に有り。兩の頰・腮〔(あぎと)〕、銕兜鍪(かなかぶと)のごとし。頰の下、靑斑、有り。死して後、眼に血を出だす。背・腹に鬐(ひれ)有りて、鱗、無し【些(いささ)か細かなる鱗、有るがごとし[やぶちゃん注:無論、鱗はある。]。】。蒼黑色。肚、白にして、雲母(きらゝ)を傅(つ)くるがごとし。尾に、岐、有り。硬く、上、大、中、圓く、下、小さし。其の大なる者、一丈餘、小さき者、六~七尺。肉、肥えて、淡赤色。背の上の肉、黑き血肉、兩條有り【俗に「血合(ちあひ)」と曰ふ。】。之れを去(す)つべし。其の頭(かしら)、力、有り、暖(だん)に乘じて、浮くに、日を見、目、眩(くら)めく。其の來るや、群を成す。漁人、𤎅 (い)りて、油を取り、其の肉、膾(さしみ)と爲す。炙(やきもの)に爲して、味、やや佳なり。

「和名抄」源順(したごう)の「和名類聚抄」巻第十九の「鱗介部第三十」の「龍魚類第二百三十六」に、

   *

鮪 「食療經」に云はく、『鮪【音「委」。】一名「黃頰魚【和名「之比」。】。」と。「爾雅注」に云はく、『大を「王鮪」と爲し、小を「叔鮪」と爲す。』と。

   *

とある。「爾雅注」は「爾雅注疏」で晋の郭璞(かくはく 二七六年~三二四年)の作である。言わずもがな、『「閩書(みんしよ)」によりて』というのはトンデモ叙述で、「閩書」は普通は「びんしょ」が正しく、明の何喬遠(かきょうえん)撰になる福建省(閩は福建省の旧名)の地誌「閩書南產志」のことである。

『「日本記」武烈記、眞鳥大臣(まとりだいしん)の男(こ)の名、「鮪(しび)」と云ふに、自注(じちう)、「慈※」とも訓せり』(「※」=「寐」を(あなかんむり)に代えたもの)「日本書紀」の巻第十六「小泊瀨稚鷦鷯天皇(おはつせのわかさざきのすめらみこと) 武烈天皇」の冒頭部の「仁賢天皇十一年」(四九八年)「八月」の一節で「平群眞鳥」「大臣」(へぐりのまとりのおほおみ)のことを語る中で、『眞鳥大臣男鮪【鮪。此云茲寐。】とあるのを指す。

「シビの訓義、未詳(つまびらかならす)」瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種である「鴟尾(しび)」の音と由来が転じたものであろう。当該ウィキによれば、「鴟尾」は、『訓読みでは』「とびのを」『と読む。沓(くつ)に似ていることから』、「沓形(くつがた)」『とも呼ばれる』。『寺院・仏殿、大極殿などによく用いられる。後漢以降、中国では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が見られ、これが中国などの大陸で変化して』三『世紀から』五『世紀頃に鴟尾となったと考えられている。唐時代末には鴟尾は魚の形、鯱(海に住み、よく雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化していった。瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと考えられている』。『火除けのまじないにしたといわれている。材質は瓦、石、青銅など』が用いられた。『「鴟尾」が屋根の最上部に設置されるのは』、『火除けのまじないとして用いられた。魚が水面から飛び上がり』、『尾を水面上に出した姿を具象化したもの』(☜:ここで鮪(しび)語源は十分だろう)『で、屋根の上面が水面を表し、水面下にあるもの(建物)は燃えないとの言い伝えから』、『火除けとして用いられたと考えられている』とある。]

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