東京大学新幹線内パフォーマンス入試同乗夢
東京大学が東海道本線の通常列車内を会場とし、均一時間で区間分けした駅間で、一般乗客を乗せたままで、パフォーマンス入試(所謂、「一芸」入試)を行うという。私は全くの好奇心から同乗してみることにした。事前にネットで調べると、企画・立案は「藤原寛平」という現代芸術家としてプロフィルされていた。
合否判定法は不明で、試験官は一般人を装って中に乗っているのか、或いは、車内に隠されたヴィデオ・カメラで撮影されているらしい。
ある女性受験者は元ハンセン病患者のメーキャップでその差別された生涯を語っていた。私は彼女と会話し、大変、よく調べ上げて、一人の元患者の語りを再現していることが判り、大変、感銘した。ところが、それを聴いていた一般乗客である和装の貴婦人が、
「元癩病の方を演じることそのものが差別です! 狂っています!」
と彼女を批判したので、すかさず、私は、
「あなたは今、『癩病』とおっしゃたが、その病名はハンセン病差別史の中で象徴的な差別性を帯びた呼称であり、『ハンセン病』と呼称すべきです。それに、彼女を『狂っている』と批評表現することそれ自体が、差別ではありませんか。」
と、穏やかに反論すると、停車した駅で貴婦人は逃げるように降車し、ホームから、
「あなたも狂人の一人に過ぎません! 異常者です! 気違いです! 『かったいぼ』です!」
と差別言辞を連発して、乗降扉が締まっても、そう、口が「ぱくぱく」と叫び続けていたる。
――第二区間では、中年を如何にもメークと知れて装っている男性受験者が、スチール製本棚三基を前に、小さな机を置いて、そちらを向いて椅子に座り、アンニュイで意味深長な面持ちでいた。
本棚の本は三分の二が漫画で、大友克洋の「童夢」・「気分はもう戦争」・「AKIRA」 の初版[やぶちゃん注:これらは私自身も所持して言いる。]、「新世紀エヴァンゲリオン」のコミカライズ版などが並んでいる。左手の文芸書はエッセイばかりで、しかも現存している作家らしく、その作者の一人も私は知らなかった。漫画本の中に奥に押し込んで挟まるように、私の偏愛する、赤地に白抜きの背文字に「つげ義春」の名が見えた(単行本名は不明。恐らく架空本)ので、それを引き抜いてその男の前に黙って置くと、男はみるみる顔色が悪くなって、白髪や顔の皺のメークが汗で溶け始めるので、あった、「うんうん」と意味不明の呻き声を挙げるばかりで、何も語らない。
そうして彼は、次の駅で待っていた警察官が手錠を掛けて連行されてしまった。――ということは、その逮捕が、そのパフォーマンスのコーダであったらしい。
次は、車内を完全に改造した、ある外国の複数の多様な民族の民族史を回遊式に体験させる大掛かりな三車両ぶち抜きのものであった。それぞれ、実際のその実際の民族の人々が演じて受験しているのである(というか、ここからはパフォーマンス入試の要素が欠落して別な夢にジョイントしていたようである)。
弟を抱き上げる、頭に大きな水瓶を載せたロヒンギャの姉、銃撃されて亡くなった赤ん坊を前に呆然と立ち尽くす若いパレスチナの母、総ての家族を戦争で失って他国へ逃げて来たたった独りきりになったアフリカの少女――そうしたものに強く心打たれながら、狭い通路を行く。
すると、突然、総てが翡翠で出来たメドゥーサの首を紋章にあしらった扉があり、その脇に突如、穴が開き、そこから入ると、メドゥーサの目の部分から秘かに先の場所が覗かれるのであった。暫くして、そこに黒衣の白人の綺麗な女性が現われ、「メドゥーサの紋章」に向かって何かを頻りに告解し始めるのであった(不詳の外国語で意味は判らない)。そうして、私の眼とその懺悔が終わった彼女の眼が合った瞬間、彼女はこちらに背を向け、黒衣を脱いだ。
その抜けるように白い背中には――二つの豊かな白い天使の羽が生えていた…………
*
全体が総て奇妙な設定であり、また妙に細部を記憶したままに目覚めたので、記録しておく。