大和本草卷之八 草之四 水草類 牛尾薀 (マツモ類か)
【外】
牛尾薀 救荒本草云生㴱水中葉如髮莖如藻冬
月和魚煮食夏秋又可食
[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、画面左下方に入り込んでしまう次の本文のルビの一部を塗り潰しておいた。]
○やぶちゃんの書き下し文
【外】
牛尾薀〔(ぎうびをん)〕 「救荒本草」に云はく、『㴱水の中に生ず。葉、髮のごとく、莖は藻のごとし。冬月、魚に和〔(あへ)〕て、煮〔て〕食〔ふ〕。夏・秋、又、食ふべし』〔と〕。
[やぶちゃん注:益軒に大いに振り回された。まず、この出典は明の太祖の第五子周定王朱橚の優れた作品である「救荒本草」(既出既注)が引用元ではない。国立国会図書館デジタルコレクションの画像(徐光啓輯・享保元(一七一六)年板行版)を全巻、視認したが、ない。「中國哲學書電子化計劃」の「救荒本草」(欽定四庫全書版)で検索しても、如何なる類似したソリッドな文字列は、ない。そこで「漢籍リポジトリ」で「牛尾薀」の検索を掛けてみた。一件だけ、掛かった。「欽定四庫全書」の「御定佩文齋廣羣芳譜卷九十一」の「卉譜」の「藻」の冒頭であった。そこで見られる影印本画像と校合したが、電子化は全く問題がない。推定で記号と句読点を打った。太字下線は私が附した。
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藻
増┃「博雅」┃夌菜藻也。┃原┃藻水草也。有二種。水藻、葉長二三寸、兩兩相對生。即「馬藻」也。聚藻葉、細如絲、節節連生。即「水薀」也。俗名「鰓草」又名「牛尾薀」。「爾雅」云、『莙牛藻』。細葉蓬茸如絲。可愛。一節長數寸、長者二三十節。氣味、甘大寒滑無毒。去暴熱熱痢、止渴。凡天下極冷、無過藻菜。荆揚人、遇歲飢、以葉當榖食。
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ここでは標題名は「夌菜藻」で別名を「馬藻」「水薀」「鰓草」そして「牛尾薀」を挙げる。さて、ここで同定へのヒントを示す。「夌菜藻」については、「維基文庫」の「古今圖書集成」(影印本画像に電子化翻刻付)のこちらを見るに、これはの「荇」であって、されば、「大和本草卷之八 草之四 水草類 荇 (ヒメシロアザサ・ガガブタ/(参考・アサザ))」で同定した如く、双子葉植物綱ナス目ミツガシワ科アサザ属ガガブタ(鏡蓋) Nymphoides indica 或いは、アサザ属ヒメシロアサザ Nymphoides coreana となる。しかし、この二種と挿絵は全く合致しないから、違う。次に、「馬藻」を調べると、これは現代中国では(台中の莊溪氏の学術サイト「認識植物」のこちらを参照)、単子葉類植物綱オモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属エビモ Potamogeton crispus に同定されている。しかし、当該ウィキの草体画像を見て貰えば、一目瞭然、やはり全然、違う。今度は文字から攻めよう。「薀」は漢語としては「金魚藻」を指す(因みに、「海薀」は本邦では「もずく」と読み、不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科モズク属 Nemacystus のモズク類を指す)。「金魚藻」はマツモ目(或いはスイレン目)マツモ科マツモ属マツモ Ceratophyllum demersum のことである。これは行けそうだ! しかし、流れを元に戻す。この益軒の有意な漢文文字列はしっかりしたもので、どこかに必ずなければ、おかしいものだ。検索を続けたところ、発見した! 「国立公文書館デジタルアーカイブ」の「庶物類纂」の「草屬 自七十九至八十一」(PDF)である。10コマ目の右頁六行目。漢文(訓点附き)なので以下に訓読して電子化する。なお、「庶物類纂」は江戸中期の本草学者で加賀金沢藩儒医稲生若水(いのうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年)と弟子丹羽正伯(にわしょうはく 元禄四(一六九一)年~宝暦六(一七五六)年)が編纂した博物書。二十六属千五十四巻。初版は稲生の死後で、元文三(一七三八)年に加賀藩に提出し、加賀藩は幕府に献納した。後、八代将軍徳川吉宗が丹羽にさらなる増補を命じ、現在知られる最終版は延享四(一七四七)年に完成した。
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牛尾薀。水中に生ず。葉、髮のごとく、莖、藻のごとし。冬月、魚に和し、煮食す。夏秋、亦、食すべし【明王鴻漸「野菜譜」。】。
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この引用元を調べた。これは明の医師で散曲(口語による韻文形式又は歌謡文芸の一つ。元・明・清代に隆盛した)家としても知られた王磐(一四七〇年~一五三〇年)撰になる「野菜譜」で中文サイト「每日頭條」を見ると、『救荒野譜(饑荒年可食野菜圖譜)』という解説があって、これで不審が氷解した。救荒時の可食植物の図譜である本書を、益軒は「救荒本草」と錯覚したのだ。さてさて! 上記ページには、なんと! 萬曆十四年(一五八六)跋の版本の草体を描いた画像がバッチリ掲げられてあるのだ! そうして――見つけた! 以下に掲げさせて戴く(日本ではパブリック・ドメインの作品を単に平板的に写真に撮ったものには著作権は発生しない)。後に視認して電子化した。
牛尾瘟
生深水中葉如髪莖
如藻冬月和魚煮食
夏秋亦可食
牛尾瘟不敢吞疫氣重流
遠村黄毛㹀烏毛犜十荘
九疃無一存摩挱犁耙淚
如湧田中無牛
なお、引用文の後に四行のそれは、知らない漢字が満載で、ちょっと訓読出来そうもないので翻刻のみとする。思うに或いは筆者オリジナルの散曲なのではなかろうか? 六字で切ってみると、何となく意味を持った塊りには見える。例えば、「牛尾瘟 敢えて吞まざれば 疫氣 重く 遠村に流(はや)り 黄毛・㹀烏・毛犜[やぶちゃん注:不詳。] 十荘九疃[やぶちゃん注:「疃」は「村」に同じ。]一つも無し 存するは 摩挱する犁(すき)耙(くわ)の淚のみ 湧くがごとく 田中 牛 無し」とやらかすと、疫病で荒れ果てた農村風景が浮かんでくるような気がする。少なくとも、これは博物学的な解説ではないだろう。
さて。この「牛尾薀」とは何か? 草体から推して、私は、
被子植物門マツモ目マツモ科マツモ属マツモ Ceratophyllum demersum
に代表されるマツモ類と考える。当該ウィキによれば、「金魚藻」として知られる淡水産植物の一つで、『食用の褐藻海藻であるイソガワラ目イソガワラ科(Ralfsiaceae)マツモ属(Genus Analipus )のマツモ(Analipus japonicus (Harvey) Wynne)とは全くの別種である』(私の「大和本草卷之八 草之四 松藻(マツモ)」を参照されたい)。『世界中の湖沼、河川などに分布。日本でも全国の湖沼、ため池、水路などで見られる』。『多年生植物で、根を持たずに水面下に浮遊していることが多い』。『茎を盛んに分枝し、切れ藻でも増殖する。葉は』五~十片、『輪生し、長さは』八ミリメートルから二・五センチメートルほど。花期は五~八月で、『雄花と雌花を同一の茎につけるが、個体群によっては全く花をつけない場合もある。花粉は水中媒』である。『秋ごろから筆状の殖芽を産生し、水中で越冬する』とある。実は、私は「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「藻」に出る「水薀 【一名、牛尾薀。又は鰓草〔さいさう〕と名づく。】」で、
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「水薀」の「薀」は、漢和辞典を引くと、この字自体に水草の意があり、マツモ・キンギョモを指すとある。マツモの通称がキンギョモであるとする記載に従うならば、狭義には双子葉植物綱スイレン目マツモ科マツモ Ceratophyllum demersum var.demersum を指すということになるのだが、このマツモ科マツモ属 Ceratophyllum 自体がゴハリマツモ Ceratophyllum platyacanthum 等、一属六種に分かれており、更に、現在、市場で「金魚藻」とか「金魚草」と呼ばれるものには、極めて多様で遠縁の観賞用水草群が含まれている。マツモ Ceratophyllum demersum var. demersum 以外には、スイレン目ハゴロモモ科のフサジュンサイ(カボンバ) Cabomba caroliniana 、単子葉植物綱チカガミ目トチカガミ科オオカナダモ(アナカリス) Egeria densa (中文サイトでは「水薀草」という中国名を本種に与えている)、フサモ Myriophyllum verticillatum に代表される双子葉植物綱アリノトウグサ目アリノトウグサ科フサモ属 Myriophyllum にオオフサモ Myriophyllum aquaticum (更に都合の悪いことに、この属には「キンギョモ」の和名を持つ Myriophyllum spicatum がいる)等が挙げられる。
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とした。不肖の私の古いそれなりに堅実な考察に(当時五十一歳。現在、六十四)、今更乍ら、自ら秘かに敬意を感じたことを告白しておく。]
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