芥川龍之介書簡抄65 / 大正五(一九一六)年書簡より(十二) 井川恭宛(前部欠損)
大正五(一九一六)年九月六日島根縣松江市南殿町井川恭君(前部欠損)
恐縮した あの先生は夏目さんの書を額四つ屛風三つ幅三十本卷物一本色紙四十枚短計六十枚手紙無數持つてゐるさうだ その表裝料が月々百圓づつかかると云ふんだから驚いた それからさらい月新小說へ又かく 新年號は御免を蒙りたいと思つてゐる
當分何もしずにぶらぶらしてゐたいと思ふ 大學院へははいつた
これからジヨンズによばれてゆく 又一晚下手な英語で會話をしなければならない この頃も many languages 云つて笑はれた 僕はいつまでたつてもああ技術には習熟しないらしい
ヘルンの居を訪ふ條は非常に面白かつた。それから竹(殊に起首)もよい 僕も出雲小品をかきたいと思つてゐる
さかり來て人思(も)ふわれぞ砂山の黃花濱菊さはなさきそね
すべしらになげく心か夕白む波の穗がくり千鳥とぶ見ゆ
ほのかなるひとはな茄子(なすび)かぎよりて人は遠しと思ひけるかも
珠ひらふ海女のくびすによる水の水明りすとかなしきものか
いさな取海はけむれどきららかに夕澄みにけれ一むら千鳥
イミテエション オブ タゴオル
海此岸(かいしがん)に砂の塔つく童子ありその塔の上に二日月すも
六日夜 龍
恭 君 梧下
[やぶちゃん注:私は欠損書簡は採りたくないのだが、短歌が載っているので、採った(本カテゴリ冒頭で述べた通り、「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」を補塡するためである)。「あの先生」ここの注で示した夏目漱石の千葉縣一ノ宮町一ノ宮館芥川龍之介・久米正雄(連名)宛書簡を読むに、滝田樗陰のことであろう。
「さらい月新小說へ又かく」江戸物の「煙管」。同年十一月一日発行の『新小説』に発表している。同作の脱稿はこの翌十月十六日。
「新年號は御免を蒙りたいと思つてゐる」これは新進作家として求められるそれらを指していると考えてよい(特定の雑誌のという意味ではないということ)が、実際には同人である第四次『新思潮』第二年第一号(大正六(一九一七)年一月一日発行・一月号)に小説「MENSURA ZOILI」(メンスラ・ゾイリ)を、『新潮』(クレジットは同前)に切支丹物の上申書形式を採った小説「尾形了齋覺え書」を、『文芸世界』(同前)に王朝物の「運」を発表している。
「大學院へははいつた」既に述べたが、東京帝国大学文科大学英吉利文学科を卒業(大正五年七月十日)後、引き続き、大学院に在籍したが、殆んど通学しなかった模様で、この年末十二月頃に除籍処分となっている。
「ジヨンズ」芥川龍之介の参加した第四次『新思潮』同人らと親密な関係にあったアイルランド人ジャーナリストであったトーマス・ジョーンズ(Thomas Jones 一八九〇年~一九二三年)。岩波版新全集書簡に附録する関口安義らによる「人名解説索引」によれば、大正四(一九一五)年に来日し、大蔵商業(現在の東京経済大学)で英語を敎えた。『後に中国に渡り』、『上海でロイター通信社の社員となった』。『ロマンチストの一途な青年であったことは』、『芥川の「彼 第二」というジョーンズをモデルとした小説からもうかがえる』。『天然痘を病んで若くして上海で』亡くなったとある。この芥川龍之介の「彼 第二」は私の特に偏愛する一篇で、サイト版で、龍之介との交流を中心に追跡し、注も附してある。私は当時、上海在住の教え子に彼の墓を探してもらったが、大々的な整理が行われており、遂に発見に至らなかった。未読の方は、是非、読まれたい。
「many languages」複数の多国語。
「ヘルンの居を訪ふ條は非常に面白かつた。それから竹(殊に起首)もよい」不詳。
「僕も出雲小品をかきたいと思つてゐる」くどいが、遂に書かれなかった芥川龍之介の出雲小品は返す返すも残念でならない。
「タゴオル」インドの詩人・小説家・思想家ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore 一八六一年〜一九四一年)。インドの近代化を促し、東西文化の融合に努めた。ベンガル語で作品を書き、一部を自ら英訳した。この三年前の一九一三年にノーベル文学賞を受賞している。詩集「ギーターンジャリ」・小説「ゴーラ」など。私は著作集全二巻を持つ程度には好きな詩人である。]
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