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2021/05/18

日本山海名産図会 第三巻 海鰕

 

○海鰕(ゑび)【漢名「蝦魁(かくわい)」。釈名「紅鰕」。「エビ」は惣名なり。種類、凡そ三十余種。其の中に漢名「龍鰕」といふは「海鰕(うみへひ)」なり。】

 

俗称「伊勢海鰕」と云。是れ、伊勢より京師へ送る故に云ふなり。又、鎌倉より江戶に送る故に、江戶にては「鎌倉鰕」と云う。又、志摩より尾張へ送る故に、尾張にては「志摩鰕」と云ふ。又、「伊勢鰕」の中に、五色なる物、有り。甚だ奇品なり。髭、白く、背は碧(あを)く、重(かさね)のところの幅(ふく)輪、綠色。其の他、黃・赤・黑、相ひ雜(ま)づ。

 

Ebiami

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「海鰕網(えひあみ)」。ここでの「浮き」は桶ではなく、木の棒状のものである。]

 

○漁䋄は、大抵、七十尋、深さ二間斗り。但し、礒(いそ)の廣さ、岩間の廣狹(ひろせま)にも隨ひて、大小、あり。向(むか)うと、左右と、三方の目は、あらし。向ふの深さ、十五尋許りの目は、細くして、是を「袋(ふくろ)」といふ。「アバ」【泛子(うくけ)也。桶を用。】・「重石(いは)」【陶(や)甁を用ゆ。】。大抵、鯛網に似たり。日暮に、これを張りて、翌朝、曳くに、鰕、悉く、網の目をさして、かゝる。是れは、後(しりへ)に迯(にく)る物なれは、尾の方(かた)より、させり。又、䋄の外よりも、かゝる也。

○鰕の腸(わた)、腦に属して、其子、腹の外に在り。眼(まなこ)、紫黑(しこく)にして、前に黄なる所あり。突出(とひいて)て疣子(いぼ)のごとし。口に、鬚、四つあり。二つの鬚は、長さ、一、二尺。手足は、節(ふし)ありて、蘆(あし)の筍(たけのこ)のごとし。殻は、悉く、硬き甲(よろい)のごとし。好く飛んで踊る。是れ、海中の蚤なり。蚤、また、惣身(そうしん)、鰕におなじ。

○「エビ」の訓義は「柄鬚(えび)」なり。「柄」は「枝」なり。「胞(ゑ)」といひ、「江(え)」と云ふも、「人(ひと)の枝(えた)」、「海の枝」なり。蝦夷を「エヒシ」といふは、是れ、「毛人島(けひとしま)」なるに、なそらへ、正月、辛盤(ほうらい)に用ゆるは、「海老」の文字を祝(しゆく)したるなるべし。

[やぶちゃん注:「䋄」は底本ではこの字体で出現する際には(通常の「網」も混用されている)、総てが(つくり)の「冂」の下部も塞がって「囗」になっている。軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科イセエビ Panulirus japonicus の外、本邦産種をのみ挙げるならば、カノコイセエビ Panulirus longipes 、シマイセエビ Panulirus penicillatus 、ケブカイセエビ Panulirus Homarus 、ゴシキエビ Panulirus versicolor 、ニシキエビ Panulirus ornatus である。

私の、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「紅鰕(いせゑび/かまくらゑび)」及び「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海蝦」を参照されたい。

「蝦魁(かくわい)」「本草綱目」にはこの名を載せないが、明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書で一五九六年成立した「閩中海錯疏」の「蝦」の項に「蝦魁」が異名の最初に載り、その本文を見ると、『按蝦其種不一而肉味同。諸蝦以蝦魁爲第一。此外又有涼蝦等不能盡錄』とあるから、イセエビと考えてよい。

『釈名「紅鰕」』「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三」の「海鰕」の「釋名」に『紅鰕【藏器。】』とある。

「種類、凡そ三十余種」食用エビだけでも日本産は二百五十種を越える。

『「龍鰕」といふは「海鰕(うみへひ)」なり』不審。中国の本草書を見ても、「龍鰕」は概ねイセエビの異名である。本邦では、「龍鰕」は蝦蛄を指すとするネット記載があったが、これは軟甲綱トゲエビ亜綱口脚目シャコ上科シャコ科シャコ属シャコ Oratosquilla oratoria の「青龍鰕」の見間違いである。ともかくも、「龍鰕」を爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae のウミヘビ類とする記載は見当たらない。まあ、ウミヘビを「龍鰕」と書いても印象的には違和感はないとは言えるのだが、これ、もしかすると、「うみえび」とルビするところを、かく誤ったものではなかろうか?

「伊勢海鰕」ウィキの「イセエビ」の「文化」の項によれば、伊勢海老の名称が初めて記された文献は永禄九(一五六六)年の「言継卿記」(ときつぎきょうき:戦国期の公家山科言継の大永七(一五二七)年から天正四(一五七六)年の間の約五十年に渡る日記。)であると考えられている、とある。

「鎌倉鰕」カマクラエビは関東に於いては確かにイセエビを指すが、和歌山南部ではイセエビ下目セミエビ科ゾウリエビ属ゾウリエビ Pariibacus japonicus を指すという。当地方で「カマクラエビ」とあるのをイセエビと思ってたのんで、あのゾウリエビが出てきたら、びっくらこくので、ご用心。

「志摩鰕」現在、三重県産のイセエビ類を呼ぶ呼称の一つとして残る。

『「伊勢鰕」の中に、五色なる物、有り』小学館「日本大百科全書」で武田正倫先生は、ゴシキエビ(五色海老)Panulirus versicolor と同定して、『イセエビ科』Palinuridae『に属する美しいエビ。房総半島沿岸から南太平洋、インド洋まで広く分布する。体色は紫青色で、白色の不規則な縞(しま)模様があり、胸脚(きょうきゃく)には』四『本の白色縦線がある。頭胸甲には多数の棘(とげ)と』一『対の大きな前額棘(ぜんがっきょく)がある。前額板(触角節)には』二『対の大きな棘があり、第』二『触角の基部には発音器がある。腹部の背面には横溝はない。暖海性の外洋種で、沖縄諸島でもあまり多くない。北限の房総半島では体長』五『センチメートルほどの幼個体は得られるが、成体にはならない。体長』三十五『センチメートルに達するが、個体数が少ないうえに味も劣るため、乾燥して飾り物にすることが多い』とある。他のネット記載でも分布を神奈川県以南などとする。しかし、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のゴシキエビのページでは、分布を『鹿児島県種子島以南、琉球列島。インド・太平洋に広く分布』としており、どうも武田氏の謂いには疑問が生ずる。そもそもちんまい幼体だったら、敢えて奇品として取り上げて記すことがおかしい気がするからである。而して、ぼうずコンニャク氏は、そこで、本篇を挙げて、『伊勢蝦の中に五色なる物有甚希品なり鬚白く背ハ碧重……』とあるのは、『ゴシキエビではなくニシキエビではないかと思う』とあって、目から鰕! これは、

十脚目イセエビ科イセエビ属ニシキエビ Panulirus ornatus

(錦海老)のことと思われる。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のニシキエビのページの写真を見られたいが、ゴシキエビよりも遙かに派手である。そこでは分布を、『南紀』m『徳島県海陽町鞆浦』、『九州などでまれにとれる』とされる。ウィキの「ニシキエビ」によれば、『イセエビ属の最大種で、食用や観賞用として重要な種』とし、『成体の体長は』五十センチメートル『ほどだが、体長』六十センチメートル・体重五キログラムに『達する個体も稀に漁獲される。体つきは同属のイセエビに似るが、頭胸甲に棘が少なく、腹節に横溝がない』。『頭胸甲の地色は暗緑色で、橙色の小突起が並ぶ。腹部背面は黄褐色で、各節に太い黒の横しまがあり、両脇に黄色の斑点が』二『つずつ横に並ぶ。第』一『触角は黒いが』、七『本の白いしま模様があり』(☜)、五『対の歩脚も白黒の不規則なまだら模様となる。第』二『触角や腹肢、尾扇などは赤橙色を帯びる。この様々に彩られた体色を「錦」になぞらえてこの和名がある。種小名 ornatus も「武装した」、「飾りたてた」という意味で、やはり体色に因んだ命名である』。『アフリカ東岸からポリネシアまで、インド太平洋の熱帯域に広く分布する。日本でも神奈川県、長崎県以南の各地で記録されているが、九州以北の採集記録は稀で、南西諸島や伊豆諸島、小笠原諸島でも個体数が少ない』。『サンゴ礁の外礁斜面から、礁外側のやや深い砂泥底に生息し、他のイセエビ属より沖合いに生息する。生態はイセエビと同様で、昼は岩陰や洞窟に潜み、夜に海底を徘徊する。食性は肉食性が強く、貝類、ウニ、他の甲殻類など様々な小動物を捕食する』。『分布域沿岸、特に島嶼部では重要な食用種として漁獲されるが、食味はイセエビより大味とされている。大型で鮮やかな体色から、食用以外にも観賞用の剥製にされて珍重され、水族館等でも飼育される』とあり、「甚だ奇品」で一致し、「髭、白く」とあり、これも一致する(「白き縞あり」と言ってほしかった気はする)。「背は碧(あを)く、重(かさね)のところの幅(ふく)輪、綠色。其の他、黃・赤・黑、相ひ雜(ま)づ」で、もう、間違いなし!

「七十尋」先に示した長い方一尋=約一・八一八メートルで計算すると、約百二十六メートル。

「二間斗り」三・六四メートルほど。

「目は、あらし」三方の部分の網目が太くて粗いことを言う。触角や脚及び甲殻部の凹凸から、細かな細い網目では破れ易く、捕獲後に外すのも非常に面倒な上、網も破損することになるからである。

「向ふの深さ」正面の網の達する深さ。

「十五尋許り」約二十七メートル。

『目は、細くして、是を「袋(ふくろ)」といふ』真向いの水中の中央部に細かな網が特別に袋状になっているのである。網引きや「袋」に気づいたイセエビは海岸方向や左右に逃げるので、問題ない。また、網の管理から考えても、その「袋」部分だけを取り換えればよいので、実用的にも腑に落ちる。

『「アバ」【泛子(うくけ)也。桶を用。】』「あば」は「網端・浮子」と書き、これは元は「漁網の縁」のことを指すが、漁網が沈水しないように、その上縁に附ける「浮き」のことを指す。現在は中空のガラス玉などが一般的であるが、ここでは、桶をしっかり蓋をして浮替わりにしているのである。

『「重石(いは)」【陶(や)甁を用ゆ。】』水中の網の下方に附ける錘(おもり)。

「鯛網」後掲される。

「後(しりへ)に迯(にく)る物なれは」敵に遭うと、尾を使って、後方へ俊敏に飛び退くイセエビの習性をよく捉えている。

「䋄の外よりも、かゝる也」納得!

「鰕の腸(わた)、腦に属して」内臓や生殖腺は頭胸甲部の下方にあるので、腑に落ちる謂いである。

「眼(まなこ)、紫黑(しこく)にして、前に黄なる所あり。突出(とひいて)て疣子(いぼ)のごとし」この観察は素晴らしい! 江戸時代の本草書の図譜では、イセエビは専ら全体像を描くことに費やされて、柄眼と眼球の拡大図などはなかなかお目にかからないからである。因みに、私は高校時代の生物の参考書に、エビの眼柄が捕食者によって欠損した場合、より有効な器官として、そこに、眼ではなく、すぐ側にある触角(ここで言う「鬚」)を再生させるという解説図を、とても面白く眺めたことを思い出す。

「是れ、海中の蚤なり。蚤、また、惣身(そうしん)、鰕におなじ」こういう印象は、まず、お堅い本草学者は絶対に書かない。いいね! 大好きさ♡

『「エビ」の訓義は「柄鬚(えび)」なり。「柄」は「枝」なり。「胞(ゑ)」といひ、「江(え)」と云ふも、「人(ひと)の枝(えた)」、「海の枝」なり』イセエビなどが甲羅に包まれているところから「胞衣」(えな)に通ずるように見え、海の入「江」で親和性があるとも言うだろうが、「え」は「枝」であり、「枝」は「肢」と同じであると言うのである。う~ん、納得してしまいそうなのだが、確かに、この語源説もあることはある(小学館「日本国語大辞典」で確認)。しかし、主説では、植物の古名「えび」由来である。葡萄(えび)=「えびかづら」=ヤマブドウ(バラ亜綱ブドウ目ブドウ科ブドウ属ヤマブドウ Vitis coignetiae )やエビヅル(ブドウ属エビヅル亜種エビヅル Vitis ficifolia var. lobata )等がもとで、それらの熟した実の色を「葡萄色(えびいろ)」と称し、その色にエビ類の生体個体の甲殻部の色が似ていることに由るとする。

『蝦夷を「エヒシ」といふは、是れ、「毛人島(けひとしま)」なるに、なそらへ』ウィキの「蝦夷」によれば、『蝦夷は古くは愛瀰詩と書き(神武東征記)、次に毛人と表され、ともに「えみし」と読んだ。後に「えびす」とも呼ばれ、「えみし」からの転訛と言われる』。『「えぞ」が使われ始めたのは』十一世紀か十二世紀からであるとし、『えみし、毛人・蝦夷の語源については、以下に紹介する様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇条である。そこでは、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察して、「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結』(かみをわ)け、『身を文』(もどろ)『けて、人となり』、『勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地』(くに)『沃壌』(こ)『えて広し、撃ちて取りつべし」と述べており』、五『世紀頃とされる景行期には、蝦夷が現在の東北地方だけではなく』、『関東地方を含む広く東方にいたこと、蝦夷は「身を文けて」つまり、邪馬台国の人々と同じく、入れ墨(文身)をしていたことが分かっている』。『古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない)』『と歌われたこと、蘇我蝦夷、小野毛人、佐伯今毛人、鴨蝦夷のように大和朝廷側の貴族の名に使われたこと、平安時代後期には権威付けのため』、『蝦夷との関連性を主張する豪族(安倍氏や清原氏)が登場していることから、「えみし」には強さや勇敢さという語感があったと推測されている』、『そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測もある』、『他方』、『アイヌ語に語源があると考えた金田一京助は、アイヌ語の雅語に人を「エンチュ(enchu, enchiu)」というのが、日本語で「えみし」になったか、あるいはアイヌ語の古い形が「えみし」であったと説いた』。『文献的に最古の例は毛人で』、五『世紀の倭王武の上表文に「東に毛人を征すること五十五国。西に衆夷を服せしむこと六十六国」とある。蝦夷の字をあてたのは、斉明天皇』五(六五九)年『の遣唐使派遣の頃ではないかと言われる』。『後代に人名に使う場合、ほとんど毛人の字を使った。蘇我蝦夷は』「日本書紀」では蝦夷だが』、「上宮聖徳法王帝説」では、「蘇我豊浦毛人」と『書かれている。毛人の毛が何を指しているかについても諸説あるが、一つは体毛が多いことをいったのだとして、後のアイヌとの関連性をみる説である。また、中国の地理書『山海経』に出てくる毛民国を意識して、中華の辺境を表すように字を選んだという説もある』。『人名に使った場合であっても、佐伯今毛人』(さえきのいまえみし:奈良時代の公卿)『が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく蛦)と書かれた例がある』。『蝦夷の蝦の字については、あごひげが長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある』(☜)『喜田貞吉は、意味ではなく』、『音「かい」が蝦夷の自称民族名だったのではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人など中国東北部の民族からは「骨嵬(クギ、クイ)」、ロシア人からは「クリル」と呼ばれた。斉明天皇』五『年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという』。『金田一京助は喜田の説を批判して、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた』。『夷の字を分解すると「弓人」、上代日本語で(ユミシ)になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある』。『諸説ある中で唯一』、『定まっているのは、「夷」が東の異民族(東夷)を指す字で、中華思想を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら』、「古事記」『などにも普通にあるが、その場合』、『古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも』、「日本書紀」の『編者が彼を卑しめたものとする』。『だが、佐伯今毛人の例を引いてこれに反対する意見もある』。『用字については』、「日本書紀」では、『蝦夷の夷の字に虫偏をつけた箇所も散見される』。『蝦夷の字の使用とほぼ同じ頃から、北の異民族を現す「狄」の字も使われた。「蝦狄」と書いて「えみし」と読んだらしい。毛人と結合して「毛狄」と書かれた例もある』。『一字で「夷」と「狄」を使い分けることもよくあった。これは管轄する国(令制国)による人工的区分で、越後国(後に出羽国)所轄の日本海側と北海道のえみしを蝦狄・狄、陸奥国所轄の太平洋側のえみしを蝦夷・夷としたのである』とある。なお、「蝦夷」については、福崎孝雄氏の論文『「エミシ」とは何か』(PDF・『現代密教』第十一・十二合併号・一九九九年三月発行所収)が非常に優れている。是非、読まれたい。

「辛盤(ほうらい)」「蓬萊」。蓬莱飾り。「蓬萊」の原義は、中国で東方の海上にあって仙人が住む不老不死の地とされる霊山であるが、本邦ではこの蓬萊山を模った飾りを正月の祝儀物として用いる。その飾台を蓬萊台、飾りを蓬萊飾りという。蓬萊飾は三方の上に一面に白米を敷き、中央に松竹梅を立ててそれを中心に橙・蜜柑・橘・勝ち栗・神馬藻(ほんだわら)・干し柿・昆布・海老を盛って譲葉(ゆずりは)・裏白を飾る。これに鶴亀や尉(じょう)と姥(うば)などの祝儀物の造り物を添えることもある。京阪では正月の床の間飾りとして据え置いたが、江戸では蓬萊のことを「喰積(くいつみ)」ともいい、年始の客に先ずこれを出し、客も少しだけこれを受けて一礼してまた元の場所に据える風があった(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)

『「海老」の文字を祝(しゆく)したるなるべし』「老」で長寿の意ということか。ちょっと不親切な語りである。]

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