日本山海名産図会 第四巻 生海鼠(𤎅海鼠・海鼠膓)
○生海鼡(なまこ) 𤎅海鼡(いりこ) 海鼡膓(このわた)
是れ、殽品(かうひん)中の珍賞すべき物なり。江東にては、尾張和田・三河柵の島・相摸三浦・武藏金澤。西海にては、讃刕小豆島、最も多く、尚、北國(ほつこく)の所々(しよしよ)にも採れり。中華は、甚だ稀なるをもつて、驢馬(そば)の皮、又、陰莖を以つて作り、贋物(にせもの)とするが故に、彼(か)の國の聘使(へいし)、商客(あきひと)の、此(こゝ)に求め歸ること、夥(おびたゝ)し。是れは、小兒虛羸(せうにきよるい)の症に人參として用ゆる故に、時珍、「食物本草」には『海參』と号(なづ)く。又、奧刕金花山に採る物は、形、丸く、色は黃白にて、腹中に砂金を含む。故に是れを「金海鼡(きんこ)」と云ふ。
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのこの画像をトリミングした。後も同じ。キャプションは「讃刕海鼠捕(さんしうなまことり)」。浮いている海鳥が可愛い。]
○漁捕(ぎよほ)は、沖に取るには、䋄を舩の舳(とも)に附けて走れば、おのづから、入(い)るなり。又、海底の石に着きたるを取るには、即ち、「𤎅海鼡(いりこ)」の汁、又は、鯨の油を以、水面に㸃滴(てんてき)すれば、塵埃(ちり)を開きて、水中、透き明(とほ)り、底を見る事、鏡に向かふがごとし。然して、攩䋄(たまあみ)を以つて、是れを、すくふ。
[やぶちゃん注:キャプションは「𤎅海鼠(いりこ)に制(せい)す」。絵師は海鼠一匹の細かい部分まで手を抜いていない。]
○𤎅(い)り乾(ほ)すの法は、腹中(ふくちう)、三條の膓(わた)を去り、數百(すひやく)を空鍋(からなべ)に入れて、活(つよ)き火をもつて、煮ること、一日、則ち、鹹汁(しほしる)、自(おのづ)から出(い)で、焦黑(くろくこげ)、燥(かは)きて硬く、形、微少(ちいさ)くなるを、又、煮ること、一夜(や)にして、再び、稍(やゝ)大きくなるを、取り出だし、冷(さ)むるを候(うがゝ)ひ、糸につなぎて、乾し、或ひは、竹にさして、乾(かわか)したるを、「串海鼡(くしこ)」と云ふ。また、大(おほ)いなる物は藤蔓(ふじつる)に繋ぎ、懸ける。是れ、江東及び越後の產、かくのごとし。小豆島の產は、大(おほい)にして、味、よし。薩摩・筑刕・豊前・豊後より出づるものは、極めて小なり。
○「和名抄」、『老海鼡(ほや)』と云ふ物は、則ち、「𤎅海鼡(いりこ)」に制する物、是れなりといへり。又、「生鮮海鼡(なまこ)」は俗に「虎海鼡(とらこ)」と云ひて、斑紋(まだらのふ)あるものにて、是れ又、別種の物もありといへり。「東雅」に云、『「適齋(てきさい)訓蒙圖會」には、「沙噀(しやそん)」を「ナマコ」とし、「海參(かいじん)」を「イリコ」とす。若水は「沙噀」・「沙蒜(しさん)」・「塗筍(としゆん)」を「ナマコ」とし、「海男子(かいだんし)」・「海蛆(かいそ)」を「イリコ」とす』云々。いずれ、是(ぜ)なることを知らず。されど、「海男子」は「五雜俎」に見へて、男根に似たるをもつて号(なづ)けたり。
○海鼡膓(このわた) 【「本朝食鑑」に、『或は俵子と称する』といふは誤まるに似たり。「俵子」は「虎子(とらこ)」の轉したるにて、たゞ、「生海鼡(なまこ)」の義なるべし。】
海鼡膓(このわた)を取り、清き潮水(しほみづ)に洗ふ事、數十遍(すじつへん)、塩に和して、是れを収むなり。黄色に光り有りて、琥珀のごとき物を、上品とす。黒み、交(まし)る物、下品なり。又、此の三色(みいろ)相ひ交(まじ)る物を、日影に向かふて、頻りに攪(か)きまはせば、盡(ことこと)く、変じて、黄色となる。或ひは、膓(わた)一升に鷄子(たまご)の黄(きみ)を、一つ、入れ、かきまはせば、味、最も美なり、ともいへり。徃古(むかし)は、此膓(わた)を以つて、貢(みつぎ)ともせしかども、能登・尾刕・參河のみにて、他國に、なし。是れ、まつたく黄色なるもの、稀なればなり【一種、膓の中に、色、赤黄(あかき)にて、のりのごときものあり。号(なづ)けて「海鼡子(このこ)」といふ。味、よからず。】
[やぶちゃん注:言っておくが、私はナマコとホヤ(作者は誤って「老海鼡」の名を出してるに過ぎず、ここにはホヤ類の記載はない)についてはファナティクなフリークである。それを鼻でせせら嗤う御仁は、まず、ブログ開設の年に投稿した私の、
に挑戦されたい。必ず、全問答えた上で「解答篇」を見られたい。二問以上間違った場合は、私が天鈿女(あめのうずめ)のように、その嗤った君の口を裂く。次に、あなたの知っているナマコの種名を挙げてみて貰いたい。どれぐらい言えるだろう? マナマコ・アカナマコ(現在はマナマコの個体変異ではなく別種として分けるようになっている)・キンコ・シロナマコ・クロナマコ・ニセクロナマコあたりで止まる人が圧倒的に多いだろう。フジナマコ・バイカナマコや、前のクイズに出した種の近縁である長大種のオオイカリナマコも言えれば、これはもう、あなたもナマコ・フリークの仲間ではある。本邦産(深海産を除く)のナマコ種の総浚えした、
もある。さて、私の博物誌ものでは、まず、大掛かりなものでは、サイト版の、
栗本丹洲(「栗氏千蟲譜」巻八より)「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」
がお薦めである。後者は古い電子化(二〇〇七年)であるが、特に遺愛のテクストである。他にナマコは、
「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鼠(とらご)」
に、ホヤは形態上から分離されて、
「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「老海鼠(ほや)」
に収録されている。この本文や私の注も私のネット時間の中では初期の仕儀である。博物画で楽しみたい向きには、
海産生物古記録集■4 後藤梨春「随観写真」に表われたるボウズボヤ及びホヤ類の記載
武蔵石寿「目八譜」 東開婦人ホヤ粘着ノモノ――真正の学術画像が頗るポルノグラフィとなる語(こと)――
がよく賞翫できるものであるはずである。ブログ版の博物学的記録では(ナマコ・ホヤの順に示す)、
海産生物古記録集■6 喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載
大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海鼠(遂に最終パートに入った、記念すべき『「大和本草」水族の部』の最初)
博物学古記録翻刻訳注 ■11 「尾張名所図会 附録巻四」に現われたる海鼠腸(このわた)の記載(これは「このわた」に特化していて、なかなか興味深い)
博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載(その追加分「華和異同」も別立てで電子化してある)
博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載
がある。以上で、私は、繰り返し、生物学上のナマコの記載をやってきた。されば、ここでまた、それを繰り返す愚はしないこととする。
「殽品(かうひん)」「殽」(音「コウ」)は「混じる・入り乱れる」、「倣う・模(かたど)る・真似をする」の意以外に、「骨付きの肉・料理・酒の肴(さかな)」の意がある。決して「肴」の異体字ではないので注意。
「尾張和田」「これは直感に過ぎないが、現在の愛知県知多郡美浜町布土和田(ふっとわだ:グーグル・マップ・データ)ではなかろうか? ここなら三河湾に面し、しかも次に出る名産地「三河柵の島」=佐久島(愛知県西尾市)は、ここから南東十三・二キロメートルの三河湾に浮かぶ島である。博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載を参照。
「武藏金澤」現在の神奈川県横浜市金沢区。
「中華は、甚だ稀なるをもつて、驢馬(そば)の皮、又、陰莖を以つて作り、贋物(にせもの)とする」おそらく、眉唾する人が多いであろうが、事実である。私はこの驚くべき中国で作られた偽物の話を古くから知っている。二十四の時、入手して貪るように読んだ動物学者(専門は棘皮動物)で博物史の研究でも知られる大島廣先生の「ナマコとウニ――民謡と酒と肴の話――」(初版昭和三七(一九六二)年。所持するのは昭和五八(一九八三)年第三版)で知って驚いたのである。それは実は、先に示した栗本丹洲(「栗氏千蟲譜」巻八より)「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」の次の一節の一部引用(下線部分)の、それへの僅かな一文の解説だった。博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載に引用してある。嘘じゃねえよ、「本朝食鑑」の「海鼠」の「華和異同」を御覧な。私は何に驚いたかと言って、ナマコの偽物のために牛を殺し、その革どころか、陰茎まで使う中国人の気が知れなかったからである。「食のために、そこまでやるか!」と義憤を感じたからである。私の訓読文も添えた。
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注云閩中海参色獨白類撑以竹簽大如堂味亦淡劣海上人復有以牛革譌作之ノ語アリ此卽八重山串子ト俗称スルモノニシテ※甚薄劣下品ノモノナリ
[やぶちゃん字注:「※」=「口」の下に「未」。「味」。]
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注に云ふ、『閩中、海参、色、獨り、白き類は、竹簽(ちくせん)を以つて撑(つ)けば、大きさ、堂のごとくなる。味、亦、淡にして劣たり。海上の人、復た、牛革を以つて譌(いつは)り、之れを作る有り。』の語あり。此れ、即ち、『八重山串子』と俗称するものにして、味、甚だ薄劣にして、下品のものなり。
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言っとくが、「八重山串子」で検索するのは、やめとき。俺のサイトしか引っ掛からんけの。
「小兒虛羸(せうにきよるい)」小児性の痩せ症。
「人參として用る」『「人参」と称して、このナマコを用いる』ということか。
『時珍、「食物本草」には『海參』と号(なづ)く』作者は遂にやらかしちまった! 掟破りの孫引きですよ! これ、大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海鼠から無批判に引っ張ったんですよね? だって、間違ってるんだもん! そこで益軒は『李時珍「食物本草」の註に曰く、『海參は東南海中に生ず。其の形、蠶(かいこ)のごとく大なり。色黑く、瘣㿔(くわいらい)多し。一つ、種、長さ五、六寸なる者、表裏倶(とも)に潔く、味、極めて鮮美なり。功、補益を擅(ほしいまま)にす。殽品(かうひん)中の最も珍貴なる者なり。今、北人、又、驢皮及び驢馬の陰莖を以つて贋(いつは)りたること有り。狀味、略(ほ)ぼ相ひ同じと雖も、形、微(すこ)し扁を帶ぶる者は是なり。固(もと)より惡しき物なり。博識の者、知らざるべからず。味、甘鹹、平。毒、無し。元氣を補ひ、五臟六腑を滋益することを主(つかさど)る。三焦(さんせう)の比熱を去る。鴨肉に同じ。烹治(にをさ)めて之れを食へば、勞怯・虛損・諸疾を主る、猪肉に同じ。煮食(にく)へば、肺虛・欬嗽(がいそう)を治す。』と』あってね、どうです? あんたの書いた文章とそっくりじゃああ~りませんか! でね、李時珍の作品に「食物本草」なんてないんですよ! そこで私は以下のように注した。
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『李時珍「食物本草」』元の医家李東垣(りとうえん 一一八〇年~一二五一年:金元(きんげん)医学の四大家の一人。名は杲(こう)。幼時から医薬を好み、張元素(一一五一年~一二三四年)に師事し、その技術を総て得たが、富家であったため、医を職業とはせず、世人は危急以外は診て貰えず、「神医」と見做されていた。病因は外邪によるもののほかに、精神的な刺激・飲食の不摂生・生活の不規則・寒暖の不適などによる素因が内傷を引き起こすとする「内傷説」を唱えた。脾と胃を重視し、「脾胃を内傷すると、百病が生じる」との「脾胃論」を主張し、治療には脾胃を温補する方法を用いたので「温補(補土)派」とよばれた。後の朱震亨(しゅしんこう 一二八二年~一三五八年:「陽は余りがあり、陰は不足している」という立場に立ち、陰分の保養を重要視し、臨床治療では滋陰・降火の剤を用いることを主張し、「養陰(滋陰)派」と称される)と併せて「李朱医学」とも呼ばれる)の著(但し、出版は明代の一六一〇年)。但し、名を借りた後代の別人の偽作とする説もある。本草書のチャンピオン、明の李時珍は、「本草綱目」(五十二巻。一五九六年頃の刊行。巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種千八百九十二種、図版千百九枚、処方一万千九十六種に及ぶ)の作者としてとみに知られるが。不可解なことに、「本草綱目」には「海參」はおろか、ナマコと同定出来るものが載らない。というか、海産魚類の記載は誤りが多いのである。これは彼が中国内陸の湖北省出身で、そこから殆んど出ていないという事情によるものだが、とすれば、時珍が「食物本草」にこんな「海鼠」についての細かな注を附すことは出来なかったに違いないので、これは、筆者や書名を含めて、何か、激しい錯誤があるのではなかろうか?
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これは「墓穴を掘る」に近いコピペである。
『奧刕金花山に採る物は、形、丸く、色は黃白にて、腹中に砂金を含む。故に是れを「金海鼡(きんこ)」と云ふ』先の仙臺 きんこの記 芝蘭堂大槻玄澤(磐水)を参照。
「攩䋄(たまあみ)」「攩網(たもあみ)」に同じ。
『「和名抄」、『老海鼡(ほや)』と云ふ物は、則ち、「𤎅海鼡(いりこ)」に制する物、是れなりといへり』どうも作者は引用の際の注意が非常に足りない。これは「和名類聚抄」をちゃんと確認していない、誤った又聴きを記したに相違ない。同書の巻第十九の「鱗介部第三十亀貝類第二百三十八」に「老海鼠」は「海鼠」の後に並ぶが、それを混同したトンデモ記事だからである。
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海鼠(コ) 崔禹錫の「食經」に云はく、『海鼠【和名「古」。本朝式に「𤎅」の字を加へて「伊里古」と云ふ。】は蛭に似て大なる者なり。』と。
老海鼠(ホヤ) 「漢語抄」に云はく、『老海鼠』【「保夜」。俗に此の「保夜」の二字を用ふ。】と。
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「東雅」既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこの「海鼠(こ)」。
「適齋(てきさい)訓蒙圖會」「適齋」は不審。江戸前期の儒学者で本草学者の中村惕斎(てきさい 寛永六(一六二九)年~元禄一五(一七〇二)年:名は之欽(しきん))が撰した寛文六(一六六六)年書かれた図入り百科事典(類書)。全二十巻。これ以降の「訓蒙図彙」を称した書の嚆矢。国立国会図書館デジタルコレクションの「土肉」だが、「沙噀(しやそん)」ではなく、「さそん」で、「海參(かいじん)」とはあるが、「イリコ」とはしていない。「なまこ」とし、『乾(ほせ)る者に對して之を称す』となっており、不審。
「若水」江戸中期の医師・本草学者で儒学者であった稲生若水(いのうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年)。出典未詳。
『「海男子」は「五雜俎」に見へて、男根に似たるをもつて号(なづ)けたり』巻九の「物部一」に、
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海參、遼東海濱有之、一名海男子。其狀、如男子勢然、淡菜之對也。其性溫補、足敵人參、故名海參。
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とある。「淡菜」はイガイの仲間。女性生殖器のミミクリー。
『「本朝食鑑」に、『或は俵子と称する』といふは誤まるに似たり』博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載を参照。
『一種、膓の中に、色、赤黄(あかき)にて、のりのごときものあり。号(なづ)けて「海鼡子(このこ)」といふ。味、よからず』私の大好物のバチコ(撥子)=クチコ(口子)、ナマコの生殖巣のみを抽出して、軽く塩をし、干して乾物にした「干しクチコ」のこと。形が三味線の撥に似るのが由来で、別に「コノコ」(海鼠子)とも呼ばれる。鮮烈な紅色の魅惑あるものである。小さい割に、目ん玉が飛び出るほど、高い。生を塩辛にした「生クチコ」もある。私に言わせれば、この作者の嗜好、かなり、鼻白むものである。]
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