只野真葛 むかしばなし (30)
○鈴木常八、工藤家へ出入しそめしは、尾張町藥屋みせの、見付(みつけ)の二枚ふすま、金地に綠靑《ろくせう》にて、松を下にベたと書(かき)、上に浪の繪、父樣、御このみ被ㇾ成しに、いづくのか町繪師にあつらへてかゝせしに、下手繪(へたゑ)にて、心いき、あしく、御氣にいらず、其時、藤九郞世話にて、近所に狩野家《かのけ》の繪を書(かく)大家《や》有(あり)とて、つれて來りしは、廿二にて有し。色白きこと、雪のごとくなる男にて有しが、後(のち)は、あの通(とほり)、黑ぼうに、なりたりし。見る前にて、金ふすまを引(ひき)やぶりて、別にかゝせしを、書(かき)しまいて、則(すなはち)、
「さむけ、する。」
とて、臥したりし。藥など、給(たまひ)させしを、おぼしたり。
「人の惡口に臆して、さむけせしならん。」
と、いひしが、風(かぜ)引(ひき)たるを、急の事故(ゆゑ)、おして、來たりしなり。
常八が書(かき)しは、御氣に入(いり)て有し。
「五人組」とやら、
「ふるまふ。」
とて、まち人どもを、客座敷へよびしも、おぼしたりし。
[やぶちゃん注:「見付(みつけ)」「みつき」でもよい。丁度、正面に見えるところ。
「心いき、あしく」「心意氣、惡しく」。筆勢が極めて悪く。
「藤九郞」工藤家の料理人森井藤九郎。既出。
「狩野家《かのけ》の繪を書(かく)大家《や》」狩野(かのう)派の絵を学んで描くと言う大家(たいか)。しかし、「たいか」を「おほや」とは読まないから、この「や」のルビは不審である。
「黑ぼう」「黑坊(くろ(ん)ばう)」。
「見る前にて、金ふすまを引(ひき)やぶりて」工藤の爺さまが主語。
「おぼしたり」ように覚えている。主語は筆者真葛。
「人の惡口に臆して」このシチュエーションで台詞の意味不明。或いは、次の「五人組」とかいう知人の絵師仲間が、屋敷外で、四人、待っていて、そいつらが、「きっと私の絵の悪口を言っているだろう。それに臆して武者震いしたんだろう。」といったニュアンスか?
『「五人組」とやら、』「ふるまふ。」「とて、まち人どもを、客座敷へよびしも、おぼしたりし」ここも何か前振りが欠損しているのか、意味がうまくとれない。前の設定の常八の親友のその「五人組」の仲間らを、工藤の爺様が、「絵が上手く描けた褒美に、その連中にも振舞いをしてやろう。」と客座敷に上げたのを、覚えている、と真葛が言ったものか?]