日本山海名産図会 第五巻 目録・備前水母
日本山海名産圖會巻之五
○目 録
○備前水母(びぜんくらげ)
○近江石灰(おふみいしはい) 幷 美濃
○伊萬里陶器(いまりやき)
○越後織布(ゑちごぬの)
○松前膃肭(まつまへおつとつ) 昆布 胡狹笳(こさふへ)
○唐舩入津(たうせんにふつ) 菩薩揚(ぼさあげ)
○阿蘭陀舩(おらんだふね)
[やぶちゃん注:「胡狹笳(こさふへ)」というのは当該部を見て戴くと判るが、蝦夷地の風俗の一つである「茣蓙笛」で、木の葉を巻いた草笛である。]
○水母(くらげ)【一名「借眼公(しやくかんこう)」・「海舌(かいせつ)」。】
[やぶちゃん注:図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像をトリミングした。キャプションは「備前水母(びせんくらげ)」。採取・搬送・漬けの作業が一枚の絵の中に描き込まれてある。個人的には、もう少し、細かな作業風景を期待していた。]
諸刕に產して、備前、殊に名產とす。又、「唐水母(たうくらげ)」「朝鮮水母」と云ふは、肥前に產す。元は、異國より長嵜へ轉送せし物なれば、かく号(なづ)けり。今は、本朝にも其の法を覺えて、製し、同く、「唐水母」と稱す。其の製法は、石灰(かい)と明礬(めうばん)とに浸し、晒(さら)して、血汁(ちしほ)をされば、色、變じて、潔白なり。又、備前は、櫪(くぬき)の葉を、少し炙(あぶ)り、臼(うす)にて舂(つ)き、塩水(しほみづ)に和(くわ)し、浸すなり。其の外、數種(すしゆ)あり。中(なか)にも「水水母(みづくらげ)」、又、色黑き物、赤きものは、皆、毒ありて、漁人(きよじん)、これを採る事、なし。
○形は蓮(はす)の葉を覆ひたるが如く、其の邉(ふち)に足の如き物、あり。色は、赤紫にて、眼も口も、なし。腹の下に、糸のごとく、絮(うちわた)のごとく、長く曳(ひ)く物、あり。魚蝦(ゑび)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]、かならず、是れに隨附(ずいふ)す。俗に、「これが眼を借りて游(およ)ぐ」とも、いへり。故に「借眼公」の名あり。○大(おほ)ひなるものは、盤のごとく、小なる物は、盆のごとし。其の味、淡く、薑醋(せうがす)などに和して食す。大抵、泥海(どろうみ)の產にて、筑前・備前等に多く、江東には鮮(すくな)し。○是れを採るには、九月・十月の頃、海上に浮き漂(たゞへ)ひて流るを、舟より儻網(たまあみ)を以つて採る。波荒き時は、礒(いそ)へうちあぐるも、あるなり。 「夫木抄」源仲正
我戀は海の月をぞ待(まち)わたるくらげの骨にあふ世ありやと
[やぶちゃん注:ここで食用に加工されているそれは、備前で採られるものが、
刺胞動物門鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta
で、肥前で採られるものは、
ビゼンクラゲ属ヒゼンクラゲ Rhopilema hispidum(過去に別種とされていたスナイロクラゲ Rhopilema asamushi は現在、本種のシノニムとされる)
で、二種は同属ではあるが、別種である。他に、現在は安い「くらげ」食品の原材料に使用されている大型クラゲの一種(最大で傘直径二メートル、湿重量百五十キログラムに達する)であるビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai Kishinouye, 1922 がいるが、エチゼンクラゲは日本海沿岸全域に分布するものの、本邦では近代以前には食用加工の歴史が全くなく、関心も持たれず、長く忘れられてきた生物であって、学名が与えられて新種と認められたのさえも大正十一年のことであったので、ここには含まれない。或いは、同種を混獲することが当時の肥前ではあった可能性があるが、恐らくは除去されて捨てられていたものと思われる。なお、上記の二種を対象としたものと思われる水母を食用とする本邦の文化は奈良時代には既にあった。福島好和氏の論文「古代諸国貢納水産物の分布について その歴史地理学的考察」(PDF・J-STAGE版・『人文地理』第二十三巻五号・一九七一年所収)で、『第1表 奈良時代における水産物諸国分布表』に『(30)水母』として『備前』が載り、『第2表 延喜式にみえる諸国貢納水産物分布表』にも、『(22)水母』として、やはり『備前』が載っており、解説『(30)水母』で(コンマを読点に代えた)、『食用クラゲで、第1表、第2表ともに備前国が贄物として貢納したものであり、この地方特権であったことを暗示している。今日でも日本近海では備前産が最良品というから、それが早くか ら食用とされていたことは興味深い。クラゲはなまのままでは食さないから、当時も現在 と同様の手法で加工したと思われる』とある。
「唐水母(たうくらげ)」「朝鮮水母」これは種としてのヒゼンクラゲを指すのではなく、中国渡来の処理技術を以って処理した食品としての「くらげ」をかく呼んだということになる。
「石灰(かい)」生石灰(せいせっかい)。酸化カルシウム。石灰岩などを窯の中で二酸化炭素を放出させる熱分解(摂氏千百度前後)で作る。この技術は人類が古代から知っていた化学反応の一つで、先史時代から行われていた。次項の「石灰」はそれである。
「明礬(めうばん)」カリウム・アンモニウム・ナトリウムなどの一価イオンの硫酸塩と、アルミニウム・クロム・鉄などの三価イオンの硫酸塩とが化合した複塩の総称。硫酸カリウムと硫酸アルミニウムとが化合したカリ明礬(KAl(SO4)2・12H2O)が古くから知られ、これを指すことが多く、ここもそれ。孰れも正八面体の結晶を作り、水に溶ける。媒染剤・皮鞣(なめ)し・製紙や浄水場の沈殿剤など、用途が広い。
「櫪(くぬき)」ブナ目ブナ科コナラ属クヌギ Quercus acutissima 。
「水水母(みづくらげ)」狭義には、本邦でごく普通に最も見かけることが多い鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属ミズクラゲ Aurelia aurita であるが、この場合は、広く透明・半透明の刺胞毒の強いクラゲ類を広く含んでいると読まなければならない。例えば、強力な電気クラゲの代表種である箱虫綱アンドンクラゲ目アンドンクラゲ科アンドンクラゲ属アンドンクラゲ Carybdea brevipedalia などで、寧ろ、ミズクラゲのような弱毒のそれは、濡れ衣っぽい感じさえして、挙げるのに気が引けた。
「色黑き物」フィリピン産の共生藻類の色で黒っぽく見えるものを知っているものの、本邦産の黒いクラゲというのはちょっとピンとこない。次に挙げるアカクラゲは個体によっては外洋などで見下ろすと、黒っぽくは見える。それか。
「赤きもの」刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ Chrysaora pacifica でしょう。『栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 ハルクラゲ』を見られたい。
「絮(うちわた)」打ち綿。繭を水に浸して裂いて作った真綿。
「魚蝦(ゑび)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]」エビだけでなく、特定のクラゲの刺胞毒に全く平気な魚類もいるので(例えばスズキ目エボシダイ科エボシダイ属エボシダイ Nomeus gronovii は、狭義のクラゲではない恐るべき群体である刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ属カツオノエボシ Physalia physalis に対してある程度の耐性を持っており、恐怖の触手体の中に平気でいることが出来る。しかし、エボシダイがカツオノエボシの一部を齧って食ったり、逆にその刺胞体から攻撃を受けて捕食されることがあり、これは「共生」(私は「共生」という概念は余程の双方向性の等価的同等利益がない限りは、まず認めるべきではないと考えている)とは言えず、耐性は絶対ではなく、その意味は今以って明らかではない)、エビに限る必要はない。
「儻網(たまあみ)」「たもあみ」に同じ。
「夫木抄」「源仲正」「我戀は海の月をぞ待(まち)わたるくらげの骨にあふ世ありやと」「源仲正」(生没年不詳)は平安末期の武士で歌人。清和源氏。三河守源頼綱と中納言君(小一条院敦明親王の娘)の子。六位の蔵人より下総、下野の国司を経て、兵庫頭に至った。父より歌才を受け継ぎ、「金葉和歌集」以下の勅撰集に十五首が入集している。「日文研」の「和歌データベース」の「夫木和歌抄」で見ると、「巻二十七 雑九」の一首であり、異同はない。]
« 日本山海名産図会 第四巻 諸國に河鹿といふ魚 / 第四巻~了 | トップページ | 芥川龍之介書簡抄87 / 大正七(一九一八)年(二) 小島政二郎宛五通(後者四通は一括投函で、雑誌上の「地獄變」批評への応答) »