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« 一昨日逢った蜈蚣へ | トップページ | 日本山海名産図会 第四巻 堅魚(かつを) »

2021/06/05

日本山海名産図会 第三巻 牡蠣 / 第三巻~了

 

Kaki

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「廣島牡蠣畜養之法(ひろしまかきちくようのはう)」。当時の牡蠣養殖の様態がよく判る、優れた一枚である。]

 

○牡蠣(かき)一名 石花

畿内に食する物、皆、藝刕廣島の產なり。尤も名品とす。播刕・紀刕・泉刕等に出だすものは、大にして、自然生(しぜんせい)なり。味、佳ならず。又、武刕・參刕・尾刕にも出だせり 廣島に畜養(やしな)ひて大坂に售(う)る物、皆、三年物なり。故に、其の味、過不及(くわふきう)の論、なし。畜(やしな)ふ所は草津・尓保浦(にほうら)・たんな・ゑは・ひうな・おふこ等の、五、六ヶ所なり。積みて、大坂濱々(はまはま)に繋(つな)ぐ。數艘(すさう)の中に、草津・尓浦より出づる者、十か、七、八にして、其の畜養(ちくやう)する事、至つて多し。大坂に泊ること、例歲(れいさい)、十月より正月の末に至りて、歸帆す。

○畜養 畜(やしな)ふ所、各(おのおの)城下より一里、或いは三里にも沖に及べり。干潮(ひしほ)の時、泻(かた)の砂上に、大竹を以つて垣(かき)を結ひ列ぬること、凡そ一里ばかり、号(なづ)けて「ひび」と云ふ。高さ一丈餘(よ)、長一丁許りを「一口(くち)」と定め、分限に任せて、其の數(かず)、幾口(いくくち)も畜(やしな)へり。垣の形は、「へ」の字の如く作り、三尺余(よ)の隙(ひま)を、所々に明けて、魚、其間に聚まるを、捕る也。「ひゞ」は潮の來(きた)る每に、小き牡蠣、又、海苔(のり)の付きて殘るを、二月より十月までの間は、時々、是れを、備中鍬(ひつちうくわ)にて搔き落とし、又、五間、或いは十間四方許り、高さ一丈許りの、同しく竹垣(たけかき)にて、結(ゆ)ひ𢌞したる籞(いけす)の如き物の内の、砂中、一尺ばかり、堀[やぶちゃん注:ママ。]り埋(うづ)み、畜(やしな)ふこと、三年にして、成熟とす。海苔は「廣島海苔」とて賞し、色々の貝もとりて、中(なか)にも「あさり貝」、多し。

○蚌蛤(ばうがう)の類(るい[やぶちゃん注:ママ。])、皆、胎生・卵生なり。此の物にして、惟(ひとり)、化生(くはせい)の自然物(しぜんぶつ)なり。石に付きて、動くことなければ、「雌雄の道(みち)、なし。皆、牡(を)なり。」とするが故に、「牡蠣(ぼれい)」と云ふ。「蠣(れい)」とは其の貝の粗大なるを云う。石に付きて、磈礧(かさなり)、つらなりて、房のごときを、呼んで、「蠣房(れいばう)」といふ。初め、生ずるときは、唯(たゞ)一擧石(こぶしのいし)のごときが、四面、漸(やうや)く長じて、一、二丈に至る物も有るなり。一房(いちばう)每(ごと)に、内に、肉、一塊(いつかい)あり。大房(たいばう)の肉は、馬蹄(ばてい)のごとし。小さきは、人の指面(ゆび)のごとし。潮(うしほ)來れば、諸房、皆、口を開き、小蟲(こむし)の入るあれば、合せて、腹に充(み)つる、と云へり。又、曰、礒(いそ)にありて、石に付きて、多く重なり、山のごとくなるを「蠔山(がうさん)」と云ふ。離れて小なるを「梅花蠣(ばいくわれい)」と云ふ。廣島の物、是れなり。筑前にて、是れを「ウチ貝」といふは内海の礒(いそ)に在るによりてなり。又、「オキ貝」・「コロビ貝」と云ふは、石に付かず、離れて大(おほ)いなるを云へり。○又、「ナミマカシハ」と云ふあり。海濱に多し。形、円(ゑん)にして、薄く、小(せう)なり。外(そと)は赤(あか)ふして、小刺(はり)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]あり。尤も美なり。好事の者は、多く貯へて、玩覽(くわんらん)に備ふ。是れ、韓保昇が說く所、「※蠣(ふれい)」、是れなり[やぶちゃん注:「※」=「虫」+「膚」(但し、変体異体字と推定)。底本のここの右頁七行目冒頭]。歌書に「スマカシハ」といふは、「蠣壳(かきがら)」の事なり。又、「仙人(せんにん)」と云ふあり。其の殼に付く刺(はり)、幅(はば)廣きを云ふ。又、刺(はり)の長く一寸ばかりに、多く附く物を「海菊」と云ふ。又、むら雲(くも)のごとく、刺なきものも、あり。その色、數種(すしゆ)なり。右本草 諸房の說を採る。

○「カキ」といふ訓は、「カケ」の轉じたるなるべし。古歌に、

みよしのゝ岩のかけ道ふみならし とよめるは、いま、俗に「岳(がけ)」と云ふに同して云(いゝ)初めしにや。「物の闕(かけ)たる」と云ふも、其の意にて、ともに方圓(ほうゑん)の全(まつた)からざる義なり。

○此の殼を、やきて、灰となし、壁をぬること、「本草」に見へたり。

○「大和本草」に高山(かうさん)の大石(たいせき)に蠣殼の付きたるを論(ろん)して、擧げたり。これ又、「本草」に云ふ所にして、午山老人(こさんらうじん)の討論あり。いずれを是なりとも知らざれば、此(こゝ)に畧す。されども、「天地一元の壽數(しゆすう)改変の時に、付たる殼なり。」と云ふも、あまり、迂遠なる說也。

 

 

日本山海名產圖會巻之三終

[やぶちゃん注:メインは斧足綱翼形亜綱カキ(或いはウグイスガイ)目カキ上科イタボガキ科マガキ属マガキCrassostrea gigas であるが、本文中では他の貝類への言及もある。まずは、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の三項目の「牡蠣(かき)」を見られたい。他にブログの「大和本草附錄巻之二 介類 蠣 (大型のマカキ・イワガキ)」「大和本草附錄巻之二 介類 「蠣粉」・「蚌粉」の用途 (カキ類及びハマグリ(限定は甚だ疑問)類の殻の粉末の用途)」も読解の助けになるはずである。因みに、私は強力なカキ・フリークで多くの外国でも食したが、最も美味しかったのは、アイルランドの田舎で自転車で売りに来ていた老婦人にその場で剝いて貰って食べた小さくて丸い幻しのヨーロッパヒラガキ Ostrea edulis であった。

「かき」和名のそれは、一説には「岩から搔き落とす」からとは言われる。

「石花」「牡蠣」とともに中文名。されば、本文で語られる♂しかいないという誤認も中国由来。合字の「硴」もある。

「草津」現在の広島県広島市西区の草津港を含む草津地区(グーグル・マップ・データ)。

「尓保浦(にほうら)」現在の草津の東方の広島県広島市南区の宇品海岸の、その東に仁保沖町(にほおきまち)があるが、ここは埋立地と思われ、その北の直近の、猿猴川右岸に仁保の地名があるので、この南の浦の旧称と考えられる。

「たんな」前の仁保の西側に広島県広島市南区丹那町(たんなちょう)及び丹那新町がある。

「ゑは」「草津」と「尓保浦」の中間点で、広島湾に臨む巨大な中州の先端部に広島県広島市中区江波(えば)本町がある。ここであろう。

「ひうな」広島市南区日宇那町(ひうなちょう)。先の仁保沖町に接した後背部で仁保の南。

「おふこ」これも前の日宇那町の西から奥へ広がる仁保島城跡を擁する広島市南区黄金山町(おうごんざんちょう)のことではあるまいか?

「城下」広島城下。

「ひび」漢字では「篊」と書く。「海苔ひび」でお馴染みであるが、小学館「日本大百科全書」に以下のようにある。『沿岸でノリを養殖する施設で、胞子を付着させて生育させるものをいう。古く、魚を捕獲するために海中に立てたひびにノリが着生したことから始まった。ナラやカシなどの樹枝、マダケやモウソウチクなどの竹類を用いた粗朶(そだ)ひび、網地を用いた網ひび、割り竹を簀子(すのこ)状に編んだ簾(すだれ)ひびがある。設置方法により、立体式、水平固定式、水平浮動式がある。現在はおもに網ひびが用いられ、これには水平固定式および水平浮動式がある。なお、粗朶ひびは、かつてはカキの採苗(種(たね)ガキ)に用いられていたが、現在ではホタテガイのひびなどが用いられており、これはひびとはいわず』、『付着器とよばれる』とあった。そうだ! 挿絵の牡蠣養殖の「粗朶ひび」こそが「ひび」のルーツだったのだ!

「一丈餘(よ)」三メートル超え。

「一丁」百九メートル。

「備中鍬(ひつちうくわ)」「びっちゅうぐわ」。当該ウィキによれば、『深耕や水田荒起に用いる鍬を改良した農具で』、『材料に』二股に分かれた『股木を利用した「股鍬」の一種』。『弥生時代から存在していた股鍬が改良されたもの。弥生時代のものは木製だったが、古墳時代になると鉄製のものも生まれた』。『刃の先が』二『本から』六『本に分かれているものを「備中鍬」と呼称した』。『「備中鍬」の名前で呼ばれるようになったのは江戸時代からで、別名に「万能」、「マンガ」などがある』。『歯が三本の備中鍬は三つ子、三本鍬、三本万能、三本マンガと呼び、歯が四本の備中鍬を四つ子、四本鍬、四本万能、四本マンガと呼んだ』。『刃の形状には、尖ったもの、角形、撥形がある』。『備中鍬は文化文政時代に普及』し、『平鍬と違い、湿り気のある土壌を掘削しても、金串状になっている歯の関係で歯の先に土がつきづらいのが利点』で、『粘土質の土壌や、棚田を耕すために使われた』。『また、馬や牛を所有することが出来ない小作農にもよく使われた』とある。辞書によれば、最も利用されたのは三本鍬であったとあるが、挿絵を見ると、刃が一般的な備中鍬より遙かに短く、概ね六本である。持ち上げて使用するためには、軽量であることが絶対条件であるから、甚だ腑に落ちる。

「五間」九・〇九メートル。

「籞(いけす)」「生簀」に同じ。

「廣島海苔」広島の海苔業者「丸徳海苔」公式サイトの「広島のりの歴史|多彩なくらしとともに」が詳しくて写真もあり、まことに素晴らしい! 私は、即座に保存した。

「蚌蛤(ばうがう)」ここは斧足(二枚貝)類の総称。

「此の物にして、惟(ひとり)、化生(くはせい)の自然物(しぜんぶつ)なり」無論、誤り。カキの仲間には雌雄同体の種と雌雄異体の種があり、マガキでは雌雄異体であるが、生殖時期が終了すると、一度、中性になり、その後の栄養状態が良いと♀になり、悪いと♂なるとされている(ウィキの「カキ(貝)」に拠った)。「本草綱目」でも、「本草綱目」の巻四十六の「介之二」「蛤蚌類」の冒頭に立項された「牡蠣」で(囲み字は太字に代えた)、

   *

景曰はく、「道家の方に、以(おも)へらく、左顧は是れ、雄。故に牡蠣(ぼれい)名づけ、右顧は則ち牝蠣(ひんれい)なり。或いは、突頭を以、左顧と爲す。」と。藏器曰はく、「天、萬物を生ずるに、皆、牝牡、有り。惟だ、蠣、是れ、鹹水に結成し、塊然として動かず。隂陽の道、何にか從ひて生ぜんや。」と。宗奭(そうせき)曰はく、「『本經』に左顧を言はず。止(た)だ、陶が說に從ひて、段成式も亦、云はく、『牡蠣は牡』と言ふ。雄を謂ふに非ざるなり。且つ牡丹のごとき、豈に牝丹有らんや。此の物、目、無く、更に何ぞ、顧盻(こべん)せんや。」と。時珍曰はく、蛤蚌の屬、皆、胎生・卵生有り。獨り、此れ、化生して、純雄にして、雌、無し。故に「牡」の名を得たり。「蠣」と曰(い)ひ、「蠔」と曰ふは、其の粗大なるを言ふなり。」と。

   *

最後に小文字で記している通り、作者はこれをもとに書いている。

「小蟲(こむし)の入るあれば、合せて、腹に充(み)つる」当時、既に正しくイメージとしてプランクトン摂餌を理解していたことが判る。

「蠔山(がうさん)」海中に形成された牡蠣群の死骸の殻で出来た驚くべき大きさ(数十メートルでもあり得る)の山を「蠔山」(ごうざん:蠔は牡蠣(カキ)に同じ)と呼ぶ。

「梅花蠣(ばいくわれい)」「ウチ貝」「オキ貝」「コロビ貝」これらはマガキの異名である他に、他の種を含んでいる可能性もかなりある。例えば、「石に付かず、離れて大(おほ)いなる」というのは、イワガキ Crassostrea nippona を指している可能性が頗る高いように思われる。

「ナミマカシハ」カキ目 Ostreoida ではあるが、誰もカキの仲間とは認識していない、綱翼形亜綱カキ目イタヤガイ亜目ナミマガシワ上科ナミマガシワ科ナミマガシワ属ナミマガシワ Anomia chinensis である。岩や小石の他、他の中・大型の貝に附着して見かけることが多い。本種は左殻を表として、右殻を内側にして付着する。右殻には殻頂部に孔があり、石灰化した足糸が出る。因みに、マガキは左側の殻で付着する。但し、「形、円(ゑん)にして、薄く、小(せう)なり。外(そと)は赤(あか)」いというのはまさに本種を指して見事なのだが、「小刺(はり)あり」というのは解せない。附着上面の辺縁部に凹凸が生じる個体は多いが、針とは言い難く、左殻は薄く、その表面は寧ろ、滑らかであることが多い。「尤も美なり」かどうかは個人によるが、不味くはないらしい。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のナミマガシワのページに「ナミマガシワの塩ゆで」として『熱を通しても硬く締まらず、ふんわりとゆで上がる。身に甘みがあり、苦みはほとんどなく、甘味が強くとてもおいしい』とされつつ、『食用としていた地域はあるが』、『貝毒など危険性は皆無ではない。食べるときには自己責任で』と赤字表記がある。また、和名は「波間柏」で、「カシワ」(ブナ目ブナ科などの、外で器の代わりにする木の葉)を伏せたような形の貝殻という意とある。しかし、この貝、四~五センチメートルほどの小型の貝であり、食うほどに集めるのも厄介なもので、この作者の味の評価は不審である。但し、「好事の者は、多く貯へて、玩覽(くわんらん)に備ふ」とあるのは、腑に落ちる。貝類蒐集家の中には、この貝殻の美しいものを集めるのが好きな者が多いからである。

「韓保昇」五代の後蜀の本草学者で翰林学士であった韓保昇(九三四年~九六五年)。これは「本草綱目」の「牡蠣」の「集解」の以下の記載に基づく。

   *

保昇曰はく、「又、※蠣、有り。形、短くして、藥用に入れず。」と。

(「※」=「虫」+「膚」(但し、変体異体字と推定))

   *

『歌書に「スマカシハ」といふは、「蠣壳(かきがら)」の事なり』不詳。小学館「日本国語大辞典」にも載らない。識者の御教授を乞う。なお、「壳」は「殼」の異体字。但し、実は底本では中央の「几」の上の「一」が存在しない。

『「仙人(せんにん)」と云ふあり。其の殼に付く刺(はり)、幅(はば)廣きを云ふ』聴いたことがないが、腑には落ちる。有意に出た湾曲した殻の突起を、鶴に乗って空を飛ぶ仙人の翻る袂に喩えたものであろう。

『刺(はり)の長く一寸ばかりに、多く附く物を「海菊」と云ふ』同じくカキ目だが、カキとは認識しないイタヤガイ亜目イタヤガイ上科ウミギク(ガイ)科ウミギク(ガイ)属  Spondylus barbatus 。房総半島以南の水深二十メートルより浅い岩礁にセメント質で固着している。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの写真で判る通り、殻表面の葉条片が菊の花弁のように有意に突出する。殻色がオレンジや黄色に変異する個体(或いは近縁種か)が多く、やはり、貝類蒐集家の人気の貝である。私はあざとい自然の造形で好きではない。

「むら雲(くも)のごとく、刺なきもの」とだけ言われても、種同定は私にはできません。

「みよしのゝ岩のかけ道ふみならし」「古今和歌集」の巻第十八「雜歌下」にある「よみ人しらず」の一首(九五一番)、

 世にふれば

   憂(う)さこそまされ

  み吉野の

   岩のかけ道

      ふみならしてむ

「岩のかけ道」は作者が『俗に「岳(がけ)」と云ふに同して』(最後は「同(おなじく)して」で「同じうして」に同じ)が言うように、削り取ったように直立する切り立った岩場に打ち込んで作った桟道のこと。まあ、この歌では「険しい山道」ほどの意であるが。「ふにならしてむ」は隠棲のポーズ。「踏み平(な)らそう」で山中に生きんとする宣言である。

『此の殼を、やきて、灰となし、壁をぬること、「本草」に見へたり』「大和本草附錄巻之二 介類 「蠣粉」・「蚌粉」の用途 (カキ類及びハマグリ(限定は甚だ疑問)類の殻の粉末の用途)」及び「大和本草附錄巻之二 介類 海粉 (貝灰粉)」の私の注を参照。前者で「本草綱目」の当該部も電子化してある。

『「大和本草」に高山(かうさん)の大石(たいせき)に蠣殼の付きたるを論(ろん)して、擧げたり』「大和本草卷之十四 水蟲 介類 牡蠣」に、

   *

蠣殼〔(かきがら)〕の高山の上の大石に、つきて、ある事、中華の書に見へたり。日本諸州にも往々、之れ有り。邵子〔(せうし)〕の説に、『天地一元の壽數〔(じゆすう)〕を十二會(ゑ)に分けて凡そ十二萬九千六百を以つて天地の壽數とす。其の數、をはれば、天地萬物、滅びて、又、改まり、生ず。一會を一萬八百年とす。今は子の會より六萬年餘に、あたれり。』とす。天地の改まる時、土地・萬物は皆、變滅すといへども、只だ、石は亡びず。然らば、高山の蠣殻は前の天地の時の大石に付きたるか。今の天地となりて高山の上のぼるなるべし。此の説によれば疑ひ無し。

   *

とあるのを指す。

『これ又、「本草」に云ふ所にして、午山老人(こさんらうじん)の討論あり』不詳。前の牡蠣殻の化石が山か高い岩から出土することに関わる話であろうが、どうも「本草綱目」には見当たらない。一つきになったのは、現在の山東省青島市に午山があり、その南麓の海辺に海中に奇岩がそそり立つ石老人村があることぐらいである。中文の「百度百科」の「石老人村写真がある。識者の御教授を乞うものである。

『されども、「天地一元の壽數(しゆすう)改変の時に、付たる殼なり。」と云ふも、あまり、迂遠なる說也』否定的だが、益軒の言っていることが正当であることは言うまでもない。]

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